マジック・イン・ムーンライトのレビュー・感想・評価
全87件中、1~20件目を表示
この監督にこの俳優!面白くないはずがない
エマ・ストーンとコリン・ファースのトリッキーなラブ・コメディ。
それだけで、興味津々の映画になるのですが、本作にはもう一つのフックがあります。
縦軸を二人の恋愛で語るものとするなら、横軸は二人のアイデンティティー、つまり正体が何者なのかというところです。
ストーリーの大きな関心ごとはエマ演じるところのソフィが本物のスピリチュアルかどうかということで、中盤まで実にていねいにぼかしてあります。
どちらとも言えないという描き方をしてあるのです。
そして混沌のまま二人の恋が発展して行き…という、ウディ・アレンらしからぬ(??)王道のラブ・コメとしてストーリーが進行し、そして
ここからはネタバレにならないギリギリの線で記入します。
便宜上、ストーリーの選択肢は2箇所で二つずつ、つまり4つのパターンが考えられるのですが、それは
a.彼女は本物のスピリチュアル
b.彼女はスピリチュアルを演じている詐欺師
そして、コリン・ファース演じるところの天才マジシャン、スタンリーが、彼女の正体をつきとめるという本来のミッションを成功に導けるのかと同時に
x.ソフィーと結ばれる
y.ソフィーとうまくいかない
この両方の関心をうまく引っ張りながら、お話が進行していき見終わったあとにはささやかな満足感も保証されています。
さあ、果たして彼女の正体は?
ソフィーを演じるエマ・ストーンは着実に良作でキャリアを積んできた実力派のコメディエンヌ。今がいちばんいい時ではないでしょうか。
かたやコリン・ファースはオスカー獲得後も順調に作品を選び、毎回上手に期待を裏切ってくれますが、役の幅を広げていきます。シリアスからコメディまで素晴らしいキャラクターを生み出していきます。
この二人が組んで、監督がウディ・アレン。
面白くないはずがない。
コリン・ファースだから見られる
ウッディ・アレンの作風が好きです。
なのでこれも期待して見ました。
期待を裏切らない、往年のハリウッド作品的な
音楽、軽妙なセリフのやり取りの
年の差カップルラブコメ。
鼻持ちならないおじさんが恋におちて
ちょっと情けないくらいに
童貞のような戸惑いをみせたりします。
コリン・ファースだからそんな姿も
愛らしく見ていられますが、
でも正直年の差ありすぎませんか?
恋の過程はちゃんと描かれているけれども、
でも気になる。
気持ちが引いて見てしまったので
私の中では点数さほど伸びませんでした。
ウッディアレンの作品の中で一番好き
今をときめくエマストーン。コリンフォースと素敵な恋を育みます。
私は
「『タケコプターは 力学的にありえない』野暮な男と朝焼けを見る」
という「ドラえもん短歌」(枡野浩一選)p.50の和歌を思い出しました。
ウディ・アレン やっぱりいい!
何回も観ちゃいました。観るたびに好感度 抜群!
理屈でしか動かなく、ロマンスも何もないスタンリーが、いかにも"アメリカ人"なソフィーに徐々に惹かれていく所がいいねー。観ていて何か気持ちいい。
コリン・ファースの貴族人的な演技もいいし、エマ・ストーンの愛くるしい素振りにも魅了されちゃうしね。一番は、ウディ・アレンが作り出すこの映像美かな。1920年代こ南仏リゾート地が舞台だけど、どこか遠くの知らぬ果ての地の話みたいに見えて、感動!
最後の流れは、イマイチ理解出来なかったけど。そこがまたいいかも。私の視点では、スタンリーがソフィーに振られて、そして最後の最後のハッピーエンディングの筋書きは、結局、ヴァネッサおばさんとソフィーが仕組んだ罠だったかも?
手品師が占い師のトリックを見破ろうと挑むも恋しちゃうみたいな感じ。...
手品師が占い師のトリックを見破ろうと挑むも恋しちゃうみたいな感じ。
雰囲気はウディ・アレンっぽいなぁ。絵画をみているような綺麗な映像。
最後はもう少し深みがあるとよかったけど。
色彩豊か
funnyでpureなお話
監督らしい、このひねくれ度合いは嫌いじゃないけど、監督らしすぎるが故にちょっと、、、な、感じ。
演者さんが安定のうまさです。監督が好きなら観れると思うけど。そこまでお薦めじゃないかな。
少しベタだがとてもロマンチック
プライム・ビデオ鑑賞
シニカルでコミカル、全編を通してウッディらしい空気でいっぱいです。
南仏の景色や絵面も美しいが、ソフィ役のエマストーンがこれまた美しい。
そして音楽がいちいち良いんですね。
物語は極端なラショナリストとなんちゃってサイキストのロードムービー。
彼女をまったく認めていないが、徐々に惹かれていく自分に追いついていけない様が見ていて微笑ましいんです。
時間と共にそれを認めたきっかけで、新しい自分に出会う喜びを知る。何だか可愛らしいですね。
それと「私のギフトはあなたを180°変えた」ってセリフはとても心地良かったです。
少しベタだがとてもロマンチックな作品でした。
あっさりラブコメ
マジックインムーンライトのプロモーションスチールには、見えない何かに触れるように両手をさしだして、神妙に虚空を見つめるエマストーンがつかわれている。映画中でも登場してすぐ「まって今きてるの」と、このポーズを見せる。
ソフィは霊力をもっている人の設定だが、じゅうぶんに疑わしいとはいえ、うさん臭さがない。きれいな童顔のエマストーンが演じることによって、霊能力者のステレオタイプや俗気から解放されている。
冗談なのか本気なのか、コミカルな空気感を常にまとい、突然、大きな目をさらに大きく見開き「見えるわ」と言って、心に見えた形象に触れようと手をさしあげる。それが可笑しかった。
エマストーンは、どこかハズしている気配がある。
コメディならすんなりはまる。
ドラマのときは、妙味がでる。
根本的に真面目なのかふざけているのか解らない不可思議をもっているひとでThe Helpの明るさやLa La Landの楽しさやThe Favouriteの大らかさをつかさどっていた。
すなわちランティモスにさえ、制御されない軽妙をもっている女優だと思う。
真面目なのかふざけているのかが解らない雰囲気。それは、ドラマをシリアスにし過ぎず、コメディを大味にし過ぎない。その属性は技巧っていうよりナチュラルな特性=天性でもある。
たとえば佐藤二朗がマジなのかふざけているのかといえば、どっちかといえばやっぱふざけているわけだが、いくらかマジが混入しているからこそ面白い。
この際のマジとは自分の発した笑いに巻かれてしまわない冷静さ、あるいは「面白いこと言ったぞ俺」の感じがないことが、面白い。この点でいくと「面白いこと言ったぞ俺」感が顕在しはじめているムロツヨシは減退してきている。
真面目なのかふざけているのかが解らない雰囲気。を持った俳優は、着実に仕事を増やす傾向がある。橋本じゅんや小手伸也は好適例だろう。すなわちそれが役者として強みになることがわかる。
韓国にはこの属性を使いこなす中年のバイプレーヤーがものすごく多い。イケメン俳優たちが主役や冠にならなければ面子を保てないなかで、個性的なバイプレーヤーがスルスルと入り込んで個性を発揮しているのが映画/ドラマの実体──と言える。
ところで、真面目なのかふざけているのかが解らない役者が人気をもつのは、わたしたちの現実がマジだらけだから──だと思う。
職場では嫌な仕事を我慢していたり、苦手な人と一緒だったり、緊張を強いられたり──しているのであって、とうぜんそこに佐藤二朗はいない。
会議や疲弊した残業の現場では仏頂面が槍衾(やりぶすま)になっている。のである。
すると、それらの現実を笑い飛ばすことができる珍妙なキャラクター──真面目なのかふざけているのか解らない存在は、おおいにわたしたちを癒してくれるはずだ。
たとえば職場に霊力を持ったエマストーンのようなアルバイトがいる、とする。
わたし「おう、おはよ…」
彼女「ちょ、まって今きてるの」
わたしは一応なんなんだよとか言って邪険にしてみるが、内心嬉しいと思う。──ときとして、そんな面白い人物によって、厄介で憂鬱だらけの現実がふわっと軽くなることがある。ことをわたしもあなたもよく知っている──と思う。
若い頃、わたしも職場でそんな人物像を狙ったことがある。が、とうぜんそんな偽装が長続きするわけがない。お里が知れて、地位や人間関係が悪化するだけ、だった。いつからか止めた。天性を模倣することはできない。
個人的にウッディアレンは好きな映画監督ではない。
90年代あたり、ウッディアレンが山の手のおしゃれな文化人御用達の映画監督だった、ことがある。軽妙な恋愛譚に惹かれなかったこともあるが、日本において文化的な権威主義をともなって語られてしまう気配が嫌だった。
だいたいにおいて、大人になればウッディアレンの映画に出てくる男女の色恋の気持ちが解るのかと言えば、そんなことはない。あの当時、ウッディアレン好きを公称していた文化人ほど、うさんくさいものはなかった。
が、むろん、ウッディアレンに罪はない。これはサクッとつくっていてその老獪さと真面目なのかふざけているのか解らない雰囲気──とりわけエマストーンがよかった。
いまウッディアレンといえば、おしゃれも、昔の攻勢も、どこへやら。養子の告発によって、ペドフィリアの烙印を押され、すっかりハリウッドから排斥されてしまった。
独特の世界観
典型的な恋愛映画って感じでした。
この世の中って論理的な説明でできないことばかり、みんなそうなのかもしれない。を教えてくれた作品。
高慢の偏見的な、王様と私的な、理性と主観どっちを取るか。。
最初のショーのところは尺あんなにいる?と思ってしまったけど、きっとこの世界観に入り込めるスタートをくれていたのよね?
エマストーンのファッションにもポイントでかわいかった!
ウディ・アレンの恋と奇術
ウディ・アレン2014年の監督作品。
ニヒルだが一流のイギリス人マジシャン、スタンリーは、友人からアメリカ人占い師ソフィのインチキを暴いて欲しいと頼まれる。ところが、彼女の才能は元より、彼女の美貌や魅力にすっかり魅了されてしまい…。
いつもなら批評家絶賛のウディ映画だが、本作はちと鈍かったとか。
確かにここ近年の傑作『ミッドナイト・イン・パリ』や『ブルージャスミン』ほどではない。話も特別洗練されたものではなく、少々平凡。
ウディの傑作/名作の類いではない。
でも、
1920年代の南仏のリゾート地の雰囲気。
ジャズ音楽。
洒落た作風にウディらしいインテリでウィットに富んだ軽妙な会話のやり取り。
ウディ映画の醍醐味はそつなく堪能出来る。
それから、天文台のシーンはついつい『ラ・ラ・ランド』と被ってしまった。
自信過剰男のコリン・ファースのハマり具合もさることながら、
やはり、エマ・ストーン! 魅力大爆発!
こんな魅力的でキュートな占い師になら術を掛けられてもいい!?
それにしても、今何をやっても魅せられる。
超常現象など一切信じない自信過剰男の価値観がひっくり返るのは、何だか『トリック』をちょいと彷彿させ、笑える。
滑稽な男と強かで魅力的な女…コミカルでシニカルな男女の恋の駆け引きの様は、これぞウディでブレない。
少々この場を借りて、ウディの今の問題について。
養女へのふしだらな性的行為が本当ならば、100%擁護は出来ない。
が、その養女の証言は、幼い頃の朧気な記憶のみという。
何故かそれを皆して信じるのも疑問だが、それ以上に、
今までウディを尊敬し、ウディ映画への出演を熱望していた輩が一転して、
もう二度とウディの映画には出ない、ウディの映画に出た事を後悔している…などなど、一斉に手のひら返し。中には、ずっと気持ち悪いと思っていたとまで!
ウディの行為と、これまでウディの業績、数多くの名作、現在の映画界の才人である事は全く以て別の事。
どうしてこんな事を軽々しく言えるのか…?
もしも、ウディに否が無かったとした場合、手のひら返した輩はどう言い訳するだろうか?
自分もウディみたいにシニカルな性格あるので。
恋を描かせれば右に出る者はいない
個人評価:4.0
さすがウディ・アレンさん。
恋を描かせれば右に出る者はいない。
霊能力の存在を否定すると同時に、恋の見えない力を証明した。
言葉では説明できない恋のチカラを描くアプローチが、なんともウディアレンらしい。
名優コリン・ファースとエマ・ストーンの恋なんて、なんともキラキラすぎる物語でした。
全87件中、1~20件目を表示