日本のいちばん長い日のレビュー・感想・評価
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「千代に八千代に」世界に誇れる素晴らしい国歌をもつ我々はそのことを胸に勲章にしていきましょう。
きっとこのてのアップは皆さんが最も目を伏せたい、いや回答を出すことも敬遠し、できれば避けて通りたい話題なんだろうなって思います。
でも今、自分なりの答えは持ってないといけない戦後70年談話にも通じる自身のアイデンティティ。
万一、本土決戦となってたら私たちは今この世にはほぼ存在しなかったという事。先人の多くの命と引換に私たちの今ある命があって、だからこそ日々私たちは命の炎を燃えたぎらせて未来の子供たちにバトンを繋ぎ、生きて生きて生きてこの国の繁栄に各人が尽くさなければ英霊は絶対に報われない。
「千代に八千代に」世界に誇れる素晴らしい国歌をもつ我々はそのことを胸に勲章にしていきましょう。
それぞれの愛国心と、苦悩
太平洋戦争の終戦をめぐる日本政府、大本営内のやり取りを描く。
日本内の厄介な組織、陸軍をまとめた阿南大将の苦悩がよく分かった。上司、部下から慕われていたことに加え、鈴木総理との信頼関係、陛下への忠誠を考慮すると、陸軍大臣は阿南大将しかおらず、陸軍を抑えられるのは阿南大将しかいなかったのだと思った。開戦時に阿南大将が大臣であれば、開戦は避けられただろうかとも思ってしまう。歴史の運命は皮肉だ。
畑中少佐率いるクーデター側の動きは一見馬鹿げているが、愛国心の一端から来るものであるというところは、現代にはないものであり、羨ましく思った。
以上の様なことを考えさせてくれる良い映画だった。松坂桃李、役所広司らの迫真の演技にも圧倒される。
ぜひ多くの方々に見ていただき、日本を守ろうとした先輩の方々の思い、苦悩を共有していただきたい。
緊張感、役者のリアリティ素晴らしい
新旧どちらも見たが、歴史の大きな転換の中でのギリギリの選択の緊張感があった。こんなことがあったのだ。もし、戦争を続けたと思うと恐ろしい。北と南に日本は分断されたのだろうか。
断固0をつけたい。
この映画に平然と5を出す人たちの論を読んで断然投稿する気になった。
監督 原田眞人
原作 半藤一利
脚本 原田眞人
この原田の筆致は、読売新聞社編「昭和史の天皇」などで底本になっている藤田尚徳らの回想記をさらにご都合でファンタジーまじりのプロパガンダをやらかしているのが透けてくる。フダツキの敗戦利得者幇助史観の宣撫屋だとしか思えない。
この映画の描写流儀であるならば、前戦争指導首班の東條英機らが宮城占拠事件の首謀者を扇情したかのようなメタファーで観客を撹乱させて平然と顧みない。そんな史実も歴史検証もなしにやれる原田は下品な歴史改ざん屋だとしか思えない。
岡本喜八監督による1967年版(製作・配給東宝)を中学生で見た時の印象は、何がなんだか分からないものの真面目くさって正論ぶって弁じている米内光政を演じる山村聡のもったいぶった雰囲気に胡散臭いものを直截感じたものだ。観客も戦争体験者たちで出演者も戦時体験者。どのように演じ込んでいても匂い立つものが自ずと語るところがあった。 畑中健二少佐(軍事課員) を演じた 黒沢年男の逆上ぶりはむしろそのありえなさが観客の心象と勁く結ばれていた気すらしたのである。伯父はなぜ南方戦線で餓死せねばならなかったのか。海軍が離島に送り込み食糧も届けず戦線構築も果たせず飢餓の過中で戦病死させられた憤りを抱えている親族の思いからすれば、当時現在でいえば畑中少佐もっとやれ!だったのである。
こんなエセ映画屋のプロパガンダ映画に高評価つけているサブカルチャー脳な現役世代にはつくづく失望するほかない。☆ひとつもだしたくない思いである。
玉音放送。
これにより、日本が敗戦したことを国民が知りました。
軽々しく言葉にするのとおこがましいのかもしれませんが、この玉音放送が流れるまで、いろいろな思いが想いが錯綜したであろうことを、もはや今となっては想像することしかできません。
無念の死を遂げた人、
万歳三唱をしながら自決した人、
空襲で一瞬にして命を落とした人、
絶望の淵に立たされた人、
羅列したらきりがないですが、
多くの人が亡くなりました。
今を生きる私たちも、このことから目を背けず、
日本のたどってきた歴史として、
受け止めていく。
リアルって何かね
何かシンゴジでも見た気がしますが「早口ばっかりでリアルじゃない」って人々は、本物の帝国軍人さんたちを見たことあるのでしょうか。自分は軍人も官僚も見たことないのでリアルかどうかはちょっと判別できないです。本物を見たことがある(もしくはご本人が本物の)人々が作っていて、本当に真に迫った迫力と圧力があるのは旧作でしょうが、「平和のための教訓とせよ」とかそういったとことは距離を置いて、自分は本作が好きです。
まずは原田監督の映像と、富貴晴美氏の音楽が素晴らしいと思います。旧作はまずもって白黒だったのでそれによる「圧」と、音楽はゴジラを書く佐藤勝氏だったので「凄み」がありましたが、本作は物悲しく重い音楽と、車が散らしていく桜、陸相官邸の林、宮城の蝉の声など、美しさが諸所に感じられます。国の中枢ではこんなことになってて、あと数か月後にもあんなことになるのに、自然というのはいつもと変わらず美しいと思わせる映像です。それに思うところがある人はたくさんいるでしょうが…。「教訓は抜きにして…」と言ったところですが、強いて言うなら、もうちょっとでこれがなくなるとこだったんだよな、と、自分はそう思います。
旧作の方は、一般市民や特攻隊、憲兵隊などを含めて作品が作られていましたが、本作は閣僚、軍人とその家族、侍従、そして天皇個人に少しずつ注目する作品だったと思います。一人一人各々の人生や価値観があって、それらが完全一致するようなことはないながら、全員が各々の価値観に従って国と接していて、それによって何が起きたのか、ということを描いているのが好きです。戦争はそうやって起きるものだと思うので、ある意味それも「リアル」なんじゃないでしょうか? 「日本紀などはただかたそばぞかし」と光源氏も言ってるし。
見ている我々は「この人たちの世界がもうすぐ終わる」ことを知っていて、後世批判される立場にある人々がいることも知っていますが、だからといってこの人たちが経験した苦労や悲しみがなかったことになるわけではないことも覚えておきたいなと思う作品でした。
知らなかった事
終戦直前のクーデター、玉音放送の事前録音のシーン、日本人でありながらこんな事実を詳しく知らずにいて勉強になった。しかし
コロナ禍で、家で第二次世界大戦物の各国の映画を最近見ているが、その中で一番間の抜けた内容でがっかりした。
冒頭の日本家屋や洋風建築の室内の造りや戸外の景色、当時の調度品など映像の美しさにちょっと期待したけど、終盤に差し掛かるほど緊迫感が皆無で眠気に襲われた。
(多くが平成の役者だからなのか?)語句は確かに当時のものだがセリフが早口で重みが感じられない、しかもほとんど聞き取れない、表情も纏う雰囲気もどうしたって現代的。
突発的に無駄に熱い演技が繰り返されるだけで、継続的なストーリー作りが雑。これほど重いテーマでありながら、悲壮感も絶望感も鬼気迫る臨場感も伝わってこない。
歴史を掘り下げて知るには見てよかったです。
この題名にするなら(リメイク版だそうですが)いっその事、ドラマ仕立てにせずドキュメンタリーに徹した方が良かったかも。
日本は変わっていないのか?
第二次世界大戦末期と、令和の時代で変わっていないことが2つある。
一つ目は「信念がある人はカッコいい」
自分の命よりも何が正しいかを基準に動く。
正しい行動をする人が国を救う。
二つ目は「自分さえ良ければ良い、面子を守るために生きる人はカッコ悪い」
人の言葉に耳を貸さず、自分の身を守ることを基準に動く。保身的な行動が国を壊す。
大戦末期と令和では大きな違いもある。
大戦末期のトップ(昭和天皇)は戦争という過ちを終わらせようとした。
令和のトップ(????)は欲にまみれて過ちを続ける。
敗戦から立ち直れた日本国民は
コロナ禍も乗り越えられる。
そんなメッセージとしてこの映画を受け取ろう。
人を殺す権利を持つ集団……って、困るね。
どんな集団にも自らの利権を守ろうとする本能があるわけです。
もちろん旧・帝国陸軍なんてのはその最右翼。
彼らにとって、人を殺すことが利権なんですな。
もちろん、本人たちはこの真相に気がついていないのでしょうけどね。
てなわけで、陸軍の若い軍人たちの本能を巧みに潜り抜けながら、終戦に持ち込もうとする老練な人たちの手腕を鑑賞する映画と言えるでしょう。
単純な若さよりも、百戦で錬磨された老練な者たちが勝つというのは、ある意味、爽快なテーマでありますね。
そのテクニック、けっこう勉強になったりしました。
戦闘シーンもごく少ないですが、切腹のシーンだけはちょいとグロいかも知れません。
【国家存亡時、身命を賭して日本を救おうとした様々な男達及び彼らを支えた女性たちの姿を鮮烈に描き出した、見応え充分の近代歴史大作。当時起こった事を”風化させない”意義ある作品でもある。】
この作品の鑑賞後、世間の一般的な評価は、”岡本喜八監督の67年版と比較され、余り芳しくなかった”記憶がある。
だが、私はこの作品をとても興味深く、そして時に涙を滲ませながら鑑賞した。
作品内容に関しては、多くの方が詳細に語られているので、私が今でも記憶に残っている部分を記す。
■阿南陸軍大臣(役所広司:役所さんは、67年版では阿南大臣を三船敏郎さんが演じていたプレッシャーが凄かったと、当時の資料で述べておられる。)
私のそれまでの印象を大きく覆された人物である。(岡本喜八監督の67年版の影響)
大変な子煩悩で、家庭を大切にする姿が描かれている。妻綾子(神野三鈴)に対しても、優しい言葉を掛ける。いつも、柔和な表情を浮かべている。
人望が厚かったことが、言動を見ていると良く分かる。
そして、あの自決シーン。
達観した表情で遺書をしたため、前のめりに息絶えるところでは、その前の彼の姿を観てきただけに、”陸軍大佐として、多くの部下を死なせてしまった”想いが感じられ、かなりグッときてしまったシーンである。
そもそも、彼が陸軍大佐になったのは1945年4月、同士でもある鈴木貫太郎首相から請われてである。彼の役目は”本土決戦”を唱える陸軍の暴走を食い止めるものであったのだ。
(彼は陸軍急進派には”クーデターを支持する”風に見せたりしてもいる。)
だが立場上、最終的には”自分も自決する覚悟”で大命を引き受けている。
漢である。
■鈴木貫太郎総理大臣(山崎努)
二・二六事件で、九死に一生を得、阿南と同じく1945年4月、固辞するも、昭和天皇の強い希望で、第42代内閣総理大臣に就任。
あのような政治状況で首相を引き受ける事が、如何に覚悟がいったかを山崎努が飄飄とした演技で器の大きさを感じる人物を体現している。
暴走している陸軍からの攻撃、及び終戦後も戦犯として処刑される可能性も大きかった筈であるのだから。
■昭和天皇(本木雅弘)
67年版では八代目松本幸四郎が演じたが、引きの画や後ろ姿でしか写されなかった。だが、今作ではしっかりと”憂いを帯びた”表情が映し出されている。
それにしても、今でも脳裏に残っているが、本木雅弘演じる昭和天皇の表情、そして抑揚のない平板な声は”凄かった”。
そして、天皇の身を心配する阿南陸軍大臣に対し、”もうよい、私には国体護持の確証がある。”という言葉の重み。
さらに”わたくしは国民の生命を助けたいと思う”と語り、玉音放送の録音に向かう姿。
ー今作は、この3人が自らに与えられた使命を全うしようと懸命に努力する姿を高所、大所から描いている。-
■畑中陸軍少佐(松坂桃李)
宮城事件を画策するも、阻止され椎崎中佐とともに、自決。
彼ら、若手陸軍急進派も彼らなりの大義を持ってあのような行動に出てしまったことが良く分かる。(擁護する気はないが。)
只、宮城事件失敗後、畑中と椎崎が芝生の上で正座し、皇居を仰ぎみて腰のピストルをこめかみに向け自決するシーンは、哀しかった。
<近代の国家存亡の危機に直面した日本を夫々の立場、思想で与えられた役割を全うしようとする姿を”登場人物40名を優に超える”陣容で描き出した近代歴史大作。当時起こった事を”風化させない”意義ある作品でもあるとともに、現在の政治家の方々に観ていただきたいと切に願う作品でもある。>
<2015年8月8日 劇場の大スクリーンで鑑賞>
受け継がれる敬愛のココロ
個人評価:4.6
今日の日本があるのは、昭和天皇の日本国民を愛する心があったからこそ成り立っている事がよくわかる。
今では失われた愛国心。それがどんなモノか。この作品を通して、少しでも当時の日本人の気持ちを理解しようと感じる。
焼け野原を見つめる若い兵士。クーデターに踏み切った思いは、どこから来るモノなのか。死んでいった戦友への恨みか、それとも国民の死と領土への侵害か。また天皇陛下への敬愛か。
今の日本人には愛国心と言われる当時のココロは失ったかもしれない。しかし天皇陛下への敬愛のココロは今も変わらず引き継がれ、本作の登場人物全てが、最後まで守ろうとした核は健在である。
この作品はスピルバーグのシンドラーのリストの様に後世に残し、語り継がれるべき名作である。
顔つきが、平成な青年たち
岡本喜八版を劇場見たので、こちらもAmazonprimeで見た。畑中の松坂桃李があまりにも顎が細くてデコが目立って昭和の青年には見えない。周りの青年将校たちもしかり。顔小さくて足が長い。閣僚たちはそれなりに押しだしがあっていかにもな顔つきなのに。
また、せりふが早口で聞き取りにくいのと、岡本版と違って画面に名前を出してくれないので誰が誰だか分からない。昭和天皇の様子をしっかり描けたのはよかったと思うが、その分閣僚の会議や御前会議が削られ、戦争を終わらせることの困難が伝わってこなかった。阿南も人のいいオッサンだし。
メインをクーデター(失敗)にもってくるのなら、若手俳優をそれらしい顔つきの人たちで揃えるべきだろう。集中して見られなかった。
ただ、画面は、邦画にありがちな暗さや不鮮明なところがなくて美しかった。撮影?照明?の手柄だろうか
日本人の手による戦争の総括
本作で描かれた、クーデターが当時の法律でどんな違法行為だったのかは知らない。おそらく重罪にあたるものだったのだろう。それら犯罪が、日本人の手で、裁かれる機会があったのだろうか?
無かったのではないだろうか?
それが、戦後日本の「失敗」だと思う。
東京裁判で東条英機はA級戦犯として裁かれるのだが、それが日本の保守派界隈では評判がすこぶる悪い。
「事後法による裁き」とか「勝者が敗者を一方的に裁いた」とかいうことかな?
作中で、東条英機がクーデターをそそのかすシーンがある。これが事実だとして、東条英機を東京裁判とは別に、この「クーデターをそそのかした罪」で日本人の手で裁判にかけたらどうだったろうか?
(東条英機でないとしても、そそのかした人物はいたのでは?)
保守派界隈での東条英機の扱いは今と違ったかな?
これが「日本人の手による戦争の総括」だと思う。
クーデターだけでなく、旧軍や憲兵か特高などによる、日本人への違法行為については同様に日本人の手で、戦後裁かれるべきだった。
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