日本のいちばん長い日のレビュー・感想・評価
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終戦に向かうまでの日々。閣僚を中心に描かれている。 玉音放送が行な...
終戦に向かうまでの日々。閣僚を中心に描かれている。
玉音放送が行なわれるまで大変であったと以前テレビで観たことがあったけど、命がけで放送されていたんだと。緊迫感があった。
日本国民を想っての昭和天皇の言葉は心打たれるものがあったし、演じた本木雅弘もよかった。青年将校を演じた松坂桃李も鬼気迫る演技でよかったと思う。
時系列的にもわかりやすく観ることができました。
太平洋戦争の記憶と歳月
本作は、半藤一利原作の再映画化であり、太平洋戦争末期、ポツダム宣言から玉音放送までの知られざる真実に迫った歴史群像劇である。豪華キャストで、日本政府と軍部の対立、戦争終結に反発する若手将校の暴走など、様々な困難を乗り越えて日本が如何にして終戦を迎えたかが克明に描かれている。当時を俯瞰して客観的に捉えているので、ストーリーは理解し易く、感情移入し易い。 歴史ドラマとして観ると面白い。
しかし、自国の終戦をここまで客観的に描かれると、日本人として釈然としない。戦争の責任者はいたはずなのに、登場人物全員が、戦争に翻弄された被害者に見えてくる。更に、登場人物は、皆、家庭的で優しい。政府と軍部の対立も、国会での政党間抗争のようだ。戦時下という緊迫感に乏しい。何より、実際に最前線で戦っていた人々の姿が皆無である。自国の終戦を悲劇として踏まえ、生々しい描写で、戦争の狂気にもっとリアルに迫るべきである。
1967年公開の前作は、ドキュメンタリーを観ているような臨場感があり、画面から戦争の狂気が迸り、作品全体が熱気を帯びていた。その鮮烈な印象は今でもはっきり覚えている。戦後22年の当時、太平洋戦争は歴史ではなく、忘れ難い過去だった。
両作を鑑賞して、両作の違いの背景にあるのは、戦争からの経過時間の差であり、戦後70年以上という歳月の経過で、太平洋戦争が日本人にとって遠い記憶になってしまったと実感した。戦後をいつまでも太平洋戦争後にするために、我々に出来ることは、当時を題材にした作品をたくさん観て、戦争の狂気の記憶を保持し、決して忘れないことであろう。
切なく悲しいし熱い思いは伝わってくる…けどそれこそが敗戦の原因…を体現した宮城事件
「ヒトラー 最後の12日間」とあわせて鑑賞。日独で同じ時期をテーマにした映画なのに全然違っていて、かつそれぞれの国柄がでているのが面白い。
「日本のいちばん長い日」ではポツダム宣言から受諾が決まるまで、延々と会議が続き誰もが決めきれない。陸軍と海軍はまるっきり逆のことを言ってるし、鈴木貫太郎首相もいまいち頼りない。会議は延々細かい文言の話だの、みんなで歌を歌うだの緊張感に欠ける。阿南陸相も役所広司はかっこいいけど言ってることは無茶苦茶、陸軍省内の暴発を避けたいのは分かるけど部下にきっぱりとは言えずあの手この手でなんとか乗り切ろうとする。内閣も陸軍省もなんとなくな空気で動いてる、そして一部が空気を自分に都合のいいほうに解釈して勝手に動く…そんなまさに日本的組織。
そんななかで聖断を下す昭和天皇の存在は一縷の光明というか、唯一の良心みたいな存在感がある。それでもよく言えば気配り・心配り、悪く言えばどっちともとれるふわっとした指示・発言が多く、感情を発しないのも相まって、責任者なのか責任者じゃないのかイマイチパッとしない。「ヒトラー 最後の12日間」を見た後だと、取り乱したり暴言吐いたり色々しつつもトップとして「俺が動かしてるんだぞ!」というヒトラーとの違いがありありと出ていて面白い。
そして、じゃあ天皇が決めたことなのでみんな従うかといったら、東條英機(元首相が!)が率先して「諫言するがそれが通らない場合は強制しても初心を断行する」なんて言ってしまう始末。昭和天皇、トップとして信頼されてない…(まあ史実なんだけど)。そしてその発言にたきつけられた熱い思いにたぎる若手将校たち。畑中少佐を演じる松坂桃李はなかなかの演技で、青筋たてるとか演技でできるんだな…と変なとこで感心した。しかし彼らは熱い思い「しか」ない。宮城突入までの作戦はかなり杜撰だし、蜂起すればほかの軍も同調してくれるというのも希望的観測にすぎず何か作戦や根回しがあるわけでもない。そもそも決起が成功していてもその先は本土決戦、国民2千万人が総突撃すれば勝てるなんて話だったけど、最後に放送局に押し入った際、局員は誰も協力せず一人ぼっちで決起を呼びかける虚しい姿…。ホントに熱い思い「しか」ない(陸軍的には必勝の信念ってやつか、まあほぼほぼ史実どおりなんだけど)。
で、蜂起の失敗と阿南陸相の切腹でこの映画は終わるが、映画では切腹そのものに焦点が当たっていたが史実では「全軍の信頼を集めている阿南将軍の切腹こそ全軍に最も強いショックを与え、~大臣の自刃は天皇の命令を最も忠実に伝える日本的方式であった」といわれ自決の結果、徹底抗戦や戦争継続の主張は止んだそうな。現代人には今一つわかるようなわからないよう感覚…。
「ヒトラー 最後の12日間」のほうと比べると、すべてがあいまいにもやもやとストーリーが進んでいく実に日本的な敗戦を現した映画だと感じた。
終戦
自分の内閣で戦争を終わらせるべく行動した鈴木貫太郎総理と、命をかけて陸軍のクーデターを許さなかった阿南陸軍大臣。
大和が沈没してから海軍では敗色濃厚だったが、陸軍は本土決戦による勝利を信じていた。
ポツダム宣言受諾の議論は平行線のまま、二度の聖断により結論を出すことになる。
天皇・総理と陸軍兵の間で板挟みとなった阿南はまさに孤軍奮闘であった。
昭和の日本男児の像を描いた作品。
切なく悲しく熱い日本人の物語
決起した青年将校と老練巧みな大臣のやり取り、登場人物皆が陛下の安全と陛下のお気持ちの中で揺れ、それぞれがそれぞれの形で終戦を迎えて行った。
役者陣の迫真の熱演は緊張感を盛り上げ、本当に引き込まれました。
いい映画だ
やっぱり岡本喜八版
鈴木貫太郎(山崎努)が総理大臣に任命され、陸軍大臣に阿南惟幾(役所)が推挙される。陸軍は沸き立つ。戦艦大和も沈み、海軍は金玉までも取られてる・・・と言った阿南。
天皇(本木)は国民のことを想いポツダム宣言受諾派で、阿南は国体護持が認められなければ戦争継続派。老齢の鈴木は自分の内閣で戦争を終わらせるという一点だ。そして陸軍少佐畑中(松阪)を中心とする陸軍将校たちは戦争続行派。
後半は主に陸軍将校たちの未遂に終わったクーデターを描くのは岡本喜八版と同じだが、もともとダラダラと描いていたのを何故また同じように描かなければならなかったのか。カラーになってることで人物がわかりやすいという利点だけ・・・
戦争は人を狂わす
信念をもって行動することは大事なことではあるが、
この映画の畑中少佐(松坂桃李)には、やはり危険を感じずにはいられなかった。
阿南惟幾陸軍大臣(役所広司)の「どんどん行け」という言葉にも、戦争は大勢をあおり、立ち止まって考えることをしなかった、当時の軍幹部層の狂気を感じた。
いつの時代も、人の意見に耳を傾けること、自分の行動を俯瞰で見ることは大切なことだ。
令和の時代にも戦争がないことを切に願う。
原作の亡き半藤一利さんを追悼して、DVDを借りて観た。
・・・その後、半藤さんのインタビューをTVで見たが、本当に大切な方が亡くなったんだと改めて思う。
当時の日本としては、必ずしも大衆も戦争を反対していたわけではないと言われていた。
また、半藤さんの父は太平洋戦争開戦時、この戦争は負けると言っていたそうだ。いずれにしても、多様な考え意見を封じ込めることはよくないし、その場に流されずに冷静であることの大切さを感じた。
「千代に八千代に」世界に誇れる素晴らしい国歌をもつ我々はそのことを胸に勲章にしていきましょう。
きっとこのてのアップは皆さんが最も目を伏せたい、いや回答を出すことも敬遠し、できれば避けて通りたい話題なんだろうなって思います。
でも今、自分なりの答えは持ってないといけない戦後70年談話にも通じる自身のアイデンティティ。
万一、本土決戦となってたら私たちは今この世にはほぼ存在しなかったという事。先人の多くの命と引換に私たちの今ある命があって、だからこそ日々私たちは命の炎を燃えたぎらせて未来の子供たちにバトンを繋ぎ、生きて生きて生きてこの国の繁栄に各人が尽くさなければ英霊は絶対に報われない。
「千代に八千代に」世界に誇れる素晴らしい国歌をもつ我々はそのことを胸に勲章にしていきましょう。
それぞれの愛国心と、苦悩
太平洋戦争の終戦をめぐる日本政府、大本営内のやり取りを描く。
日本内の厄介な組織、陸軍をまとめた阿南大将の苦悩がよく分かった。上司、部下から慕われていたことに加え、鈴木総理との信頼関係、陛下への忠誠を考慮すると、陸軍大臣は阿南大将しかおらず、陸軍を抑えられるのは阿南大将しかいなかったのだと思った。開戦時に阿南大将が大臣であれば、開戦は避けられただろうかとも思ってしまう。歴史の運命は皮肉だ。
畑中少佐率いるクーデター側の動きは一見馬鹿げているが、愛国心の一端から来るものであるというところは、現代にはないものであり、羨ましく思った。
以上の様なことを考えさせてくれる良い映画だった。松坂桃李、役所広司らの迫真の演技にも圧倒される。
ぜひ多くの方々に見ていただき、日本を守ろうとした先輩の方々の思い、苦悩を共有していただきたい。
タイトルなし
役所広司演じる阿南など史実を知らなかった。当時の陸軍のポツダム宣言受諾への反発は相当酷かったのだろうと察するが映画からはあまり戦時中という緊迫感が伝わってこない。物音などリアリティがあったが役者の早口、用語が複雑ということもあり、聞き取れない点も残念。
緊張感、役者のリアリティ素晴らしい
新旧どちらも見たが、歴史の大きな転換の中でのギリギリの選択の緊張感があった。こんなことがあったのだ。もし、戦争を続けたと思うと恐ろしい。北と南に日本は分断されたのだろうか。
断固0をつけたい。
この映画に平然と5を出す人たちの論を読んで断然投稿する気になった。
監督 原田眞人
原作 半藤一利
脚本 原田眞人
この原田の筆致は、読売新聞社編「昭和史の天皇」などで底本になっている藤田尚徳らの回想記をさらにご都合でファンタジーまじりのプロパガンダをやらかしているのが透けてくる。フダツキの敗戦利得者幇助史観の宣撫屋だとしか思えない。
この映画の描写流儀であるならば、前戦争指導首班の東條英機らが宮城占拠事件の首謀者を扇情したかのようなメタファーで観客を撹乱させて平然と顧みない。そんな史実も歴史検証もなしにやれる原田は下品な歴史改ざん屋だとしか思えない。
岡本喜八監督による1967年版(製作・配給東宝)を中学生で見た時の印象は、何がなんだか分からないものの真面目くさって正論ぶって弁じている米内光政を演じる山村聡のもったいぶった雰囲気に胡散臭いものを直截感じたものだ。観客も戦争体験者たちで出演者も戦時体験者。どのように演じ込んでいても匂い立つものが自ずと語るところがあった。 畑中健二少佐(軍事課員) を演じた 黒沢年男の逆上ぶりはむしろそのありえなさが観客の心象と勁く結ばれていた気すらしたのである。伯父はなぜ南方戦線で餓死せねばならなかったのか。海軍が離島に送り込み食糧も届けず戦線構築も果たせず飢餓の過中で戦病死させられた憤りを抱えている親族の思いからすれば、当時現在でいえば畑中少佐もっとやれ!だったのである。
こんなエセ映画屋のプロパガンダ映画に高評価つけているサブカルチャー脳な現役世代にはつくづく失望するほかない。☆ひとつもだしたくない思いである。
玉音放送。
これにより、日本が敗戦したことを国民が知りました。
軽々しく言葉にするのとおこがましいのかもしれませんが、この玉音放送が流れるまで、いろいろな思いが想いが錯綜したであろうことを、もはや今となっては想像することしかできません。
無念の死を遂げた人、
万歳三唱をしながら自決した人、
空襲で一瞬にして命を落とした人、
絶望の淵に立たされた人、
羅列したらきりがないですが、
多くの人が亡くなりました。
今を生きる私たちも、このことから目を背けず、
日本のたどってきた歴史として、
受け止めていく。
リアルって何かね
何かシンゴジでも見た気がしますが「早口ばっかりでリアルじゃない」って人々は、本物の帝国軍人さんたちを見たことあるのでしょうか。自分は軍人も官僚も見たことないのでリアルかどうかはちょっと判別できないです。本物を見たことがある(もしくはご本人が本物の)人々が作っていて、本当に真に迫った迫力と圧力があるのは旧作でしょうが、「平和のための教訓とせよ」とかそういったとことは距離を置いて、自分は本作が好きです。
まずは原田監督の映像と、富貴晴美氏の音楽が素晴らしいと思います。旧作はまずもって白黒だったのでそれによる「圧」と、音楽はゴジラを書く佐藤勝氏だったので「凄み」がありましたが、本作は物悲しく重い音楽と、車が散らしていく桜、陸相官邸の林、宮城の蝉の声など、美しさが諸所に感じられます。国の中枢ではこんなことになってて、あと数か月後にもあんなことになるのに、自然というのはいつもと変わらず美しいと思わせる映像です。それに思うところがある人はたくさんいるでしょうが…。「教訓は抜きにして…」と言ったところですが、強いて言うなら、もうちょっとでこれがなくなるとこだったんだよな、と、自分はそう思います。
旧作の方は、一般市民や特攻隊、憲兵隊などを含めて作品が作られていましたが、本作は閣僚、軍人とその家族、侍従、そして天皇個人に少しずつ注目する作品だったと思います。一人一人各々の人生や価値観があって、それらが完全一致するようなことはないながら、全員が各々の価値観に従って国と接していて、それによって何が起きたのか、ということを描いているのが好きです。戦争はそうやって起きるものだと思うので、ある意味それも「リアル」なんじゃないでしょうか? 「日本紀などはただかたそばぞかし」と光源氏も言ってるし。
見ている我々は「この人たちの世界がもうすぐ終わる」ことを知っていて、後世批判される立場にある人々がいることも知っていますが、だからといってこの人たちが経験した苦労や悲しみがなかったことになるわけではないことも覚えておきたいなと思う作品でした。
知らなかった事
終戦直前のクーデター、玉音放送の事前録音のシーン、日本人でありながらこんな事実を詳しく知らずにいて勉強になった。しかし
コロナ禍で、家で第二次世界大戦物の各国の映画を最近見ているが、その中で一番間の抜けた内容でがっかりした。
冒頭の日本家屋や洋風建築の室内の造りや戸外の景色、当時の調度品など映像の美しさにちょっと期待したけど、終盤に差し掛かるほど緊迫感が皆無で眠気に襲われた。
(多くが平成の役者だからなのか?)語句は確かに当時のものだがセリフが早口で重みが感じられない、しかもほとんど聞き取れない、表情も纏う雰囲気もどうしたって現代的。
突発的に無駄に熱い演技が繰り返されるだけで、継続的なストーリー作りが雑。これほど重いテーマでありながら、悲壮感も絶望感も鬼気迫る臨場感も伝わってこない。
歴史を掘り下げて知るには見てよかったです。
この題名にするなら(リメイク版だそうですが)いっその事、ドラマ仕立てにせずドキュメンタリーに徹した方が良かったかも。
日本は変わっていないのか?
第二次世界大戦末期と、令和の時代で変わっていないことが2つある。
一つ目は「信念がある人はカッコいい」
自分の命よりも何が正しいかを基準に動く。
正しい行動をする人が国を救う。
二つ目は「自分さえ良ければ良い、面子を守るために生きる人はカッコ悪い」
人の言葉に耳を貸さず、自分の身を守ることを基準に動く。保身的な行動が国を壊す。
大戦末期と令和では大きな違いもある。
大戦末期のトップ(昭和天皇)は戦争という過ちを終わらせようとした。
令和のトップ(????)は欲にまみれて過ちを続ける。
敗戦から立ち直れた日本国民は
コロナ禍も乗り越えられる。
そんなメッセージとしてこの映画を受け取ろう。
人を殺す権利を持つ集団……って、困るね。
どんな集団にも自らの利権を守ろうとする本能があるわけです。
もちろん旧・帝国陸軍なんてのはその最右翼。
彼らにとって、人を殺すことが利権なんですな。
もちろん、本人たちはこの真相に気がついていないのでしょうけどね。
てなわけで、陸軍の若い軍人たちの本能を巧みに潜り抜けながら、終戦に持ち込もうとする老練な人たちの手腕を鑑賞する映画と言えるでしょう。
単純な若さよりも、百戦で錬磨された老練な者たちが勝つというのは、ある意味、爽快なテーマでありますね。
そのテクニック、けっこう勉強になったりしました。
戦闘シーンもごく少ないですが、切腹のシーンだけはちょいとグロいかも知れません。
【国家存亡時、身命を賭して日本を救おうとした様々な男達及び彼らを支えた女性たちの姿を鮮烈に描き出した、見応え充分の近代歴史大作。当時起こった事を”風化させない”意義ある作品でもある。】
この作品の鑑賞後、世間の一般的な評価は、”岡本喜八監督の67年版と比較され、余り芳しくなかった”記憶がある。
だが、私はこの作品をとても興味深く、そして時に涙を滲ませながら鑑賞した。
作品内容に関しては、多くの方が詳細に語られているので、私が今でも記憶に残っている部分を記す。
■阿南陸軍大臣(役所広司:役所さんは、67年版では阿南大臣を三船敏郎さんが演じていたプレッシャーが凄かったと、当時の資料で述べておられる。)
私のそれまでの印象を大きく覆された人物である。(岡本喜八監督の67年版の影響)
大変な子煩悩で、家庭を大切にする姿が描かれている。妻綾子(神野三鈴)に対しても、優しい言葉を掛ける。いつも、柔和な表情を浮かべている。
人望が厚かったことが、言動を見ていると良く分かる。
そして、あの自決シーン。
達観した表情で遺書をしたため、前のめりに息絶えるところでは、その前の彼の姿を観てきただけに、”陸軍大佐として、多くの部下を死なせてしまった”想いが感じられ、かなりグッときてしまったシーンである。
そもそも、彼が陸軍大佐になったのは1945年4月、同士でもある鈴木貫太郎首相から請われてである。彼の役目は”本土決戦”を唱える陸軍の暴走を食い止めるものであったのだ。
(彼は陸軍急進派には”クーデターを支持する”風に見せたりしてもいる。)
だが立場上、最終的には”自分も自決する覚悟”で大命を引き受けている。
漢である。
■鈴木貫太郎総理大臣(山崎努)
二・二六事件で、九死に一生を得、阿南と同じく1945年4月、固辞するも、昭和天皇の強い希望で、第42代内閣総理大臣に就任。
あのような政治状況で首相を引き受ける事が、如何に覚悟がいったかを山崎努が飄飄とした演技で器の大きさを感じる人物を体現している。
暴走している陸軍からの攻撃、及び終戦後も戦犯として処刑される可能性も大きかった筈であるのだから。
■昭和天皇(本木雅弘)
67年版では八代目松本幸四郎が演じたが、引きの画や後ろ姿でしか写されなかった。だが、今作ではしっかりと”憂いを帯びた”表情が映し出されている。
それにしても、今でも脳裏に残っているが、本木雅弘演じる昭和天皇の表情、そして抑揚のない平板な声は”凄かった”。
そして、天皇の身を心配する阿南陸軍大臣に対し、”もうよい、私には国体護持の確証がある。”という言葉の重み。
さらに”わたくしは国民の生命を助けたいと思う”と語り、玉音放送の録音に向かう姿。
ー今作は、この3人が自らに与えられた使命を全うしようと懸命に努力する姿を高所、大所から描いている。-
■畑中陸軍少佐(松坂桃李)
宮城事件を画策するも、阻止され椎崎中佐とともに、自決。
彼ら、若手陸軍急進派も彼らなりの大義を持ってあのような行動に出てしまったことが良く分かる。(擁護する気はないが。)
只、宮城事件失敗後、畑中と椎崎が芝生の上で正座し、皇居を仰ぎみて腰のピストルをこめかみに向け自決するシーンは、哀しかった。
<近代の国家存亡の危機に直面した日本を夫々の立場、思想で与えられた役割を全うしようとする姿を”登場人物40名を優に超える”陣容で描き出した近代歴史大作。当時起こった事を”風化させない”意義ある作品でもあるとともに、現在の政治家の方々に観ていただきたいと切に願う作品でもある。>
<2015年8月8日 劇場の大スクリーンで鑑賞>
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