ゼロの未来のレビュー・感想・評価
全37件中、1~20件目を表示
「わからない」ことでも痺れさせてくれるSF
2013年製作のアメリカ版SF作品
この時代のアメリカ人が考えるSFに興味があった。
一部の陰謀論で囁かれるのが、映画によって予告されている未来だ。
この作品にそれを感じるかどうか知りたいと思った。
しかし、
実に見事に近未来社会を描いている。
外の世界と中の世界、つまりバーチャル世界
外に出る必要のなくなった主人公コーエン
かつて結婚し、離婚した経験がある。
そして、
1度見ただけでは理解できないことがたくさん隠されている。
謎も多い。難しい。
さりげなく近未来を予想している不気味な点も多い。
監視社会 今や犯罪抑止から学校やすべての場所に広がってしまっている。
デジタルサイネージ 人々の興味に関することをあれこれ提案することで、国家がしようとしている大きなことに興味を持たせなくさせている暗示
エンティティ(存在) 存在理由 この作品のテーマのひとつ
ゼロ定理の証明 それ自体存在しないことの証明…
コーエンが待ち続けている電話 自分の存在意義を教えてくれるもの
これらがすべて昔の哲学者や小説家や科学的理論を背景に、ひとつひとつ設定されている点が複雑さにつながるのだが、逆に奥行きを持たせ、この近未来世界のリアリティを演出している。
アメリカ人のこのSF感覚は、日本のアニメ世界の感覚以上に優れている。
さて、
第1回目で感じた私の最大の謎
それはコーエンが自分のことを「我ら」と呼ぶことだ。
コーエンはかなり重度の精神疾患だと思われる。
それは他人との違いという特長にも表れるが、彼の考え方に面白いプログラミングが可能だと考えた「マネジメント」は、コーエンに「ゼロの定理」の答えを出すことを命じる。
コーエンはほぼ会社に支配されていた。
会社の道具の一部が「私」であるにもかかわらず、他人との会話ではすべてが会社関係なので「我ら」というのだろうか?
上司は彼を「クイーン」と呼ぶたびに彼は「コーエンです」と答える。
それは彼が皆を「ボブ」と呼ぶのと同じで、最終的に支配したい表れだったのかもしれない。
「電話」を必死で待ち続けている間は、コーエンは病みながらも自分自身を保っていたのだろう。
ベインズリーの存在も謎だ。
彼女は父に捨てられたことが原因で心に大きな傷を抱えているようだ。
彼女には会社に支配されていないコーエンに「希望」のようなものを感じたのかもしれない。
彼女はコーエンと一緒に外の世界に逃げようと懇願するが、彼はそれを断った。
マネジメントの息子のボブがコーエンの尻を叩くが、もう彼女は去った。
ボブの発熱と偶然発見した鏡の中に隠されたカメラに我慢できなくなったコーエンはすべての監視カメラを破壊する。
これが原因で上司も彼もクビ
コーエンはシステムを破壊するが自動復旧したシステムは自爆する。
その中に見た彼の中にあったブラックホール
彼はもう一度ベインズリーに会いたかったのだろう。
その中へと落ちていく。
「楽園」に降り立っても彼女はいない。
しかしエンドロールで「コーエン」と何度も呼びかける声。
これがハッピーエンドだったのかバッドエンドだったのかさえわからない。
まさに「カオス」だった。
1回見ただけでは到底わからないことだらけの作品
しかし、恐ろしく凄いものだった。
未来世紀ブラジル
もそうだったが、インターネットがもたらす最大の能力は監視。と言う能力で極めて社会主義的国家に都合の良い能力である。と言うことをわかりやすく時間をかけて説いてくれた映画🎞インターネットが生み出す民主主義とは僅かばかりの個人の欲求に応えるエセユートピアのサイトであって本当の幸せとは繋がらない。そーゆー事をギリアム先生は訴えたかったのだろうなぁ(^^)これからの時代を見据える時に観ておきたい映画の一つ
マニアック情報社会&引きこもり男性
情報未来社会にて引きこもりエンジニアのコーエンは完全在宅勤務を希望。そして個人的希望を与えてくれるであろう黒電話の着信を自宅で何故か待っている。
そこに上司であるマネージメントがコーエンに完全在宅勤務を条件に「ゼロの定理」の仕事を任せるが、、、。
久しぶりに変わった未来社会映像観た感たっぷり。
一風変わった服装やVRやギミック。
ゲームの様な仕事だが、数学者的要素が必要か?
在宅勤務でも時間に追われる仕事
「0=100%であるべきです」なんですか?それ的w
隣人ベインズリー、マネージメントの息子と言われるボブとの交流にて毎日電話を待っているだけ存在であったコーエンに変化が。
ラスト会社の目的もにわかにハッキリしてきて、コーエンはどうなるのか?どうするのか?
現代社会の(今後の未来含めて)闇も見えるし、未来が見えない15歳のボブに「歳をとってからの楽しみ」を答えれないコーエンの様な世代がいるのは確かであり、あのエンディングもギリアムらしく納得が出来る。
人生が無意味?自分が社会に溶け込めず引き籠りせざるを得ない人間模様。
そこにも商機はある?無絞る様な経済性。
自分が自分らしく?そこを拒む社会とは?
今現在を含めて考えさせられる内容であった。
ギリアムの定理…?
テリー・ギリアム2013年の作品で、ジャンルはSF。
…となると映画ファンなら誰もが『未来世紀ブラジル』や『12モンキーズ』を思い浮かべ、自ずと期待は高まる。
現代の映画界屈指の鬼才が再び手掛けたSF。
…なので言っちゃいけないが、敢えて言おう。
よく分からんかった!
あんまし面白くなかった!
確かに独特のビジュアルやシュールな世界観はユニーク。奇妙キテレツな登場人物たち。
これまでの作品で言うと、『バンデットQ』『バロン』『ラスベガスをやっつけろ』などのブラック・コメディ調と異色ダーク・ファンタジー風と言った感じ。
ギリアムらしい“定理”は健在。
…が、『未来世紀ブラジル』や『12モンキーズ』のようなあの悪夢的なハードSFを期待するとちょいと肩透かし。
話の方も何だか…。
近未来。世界的コンピューター企業で働く天才プログラマーのコーエンは、寂れた教会に籠り、“ゼロの定理”という謎めいた数式を解く事に没頭しつつ、かつて一度だけ掛かってきた人生を変える電話が再び掛かってくる事を待ち続けていた。そんな日々の中、連れて行かれたパーティーで出会った魅力的な女性や上司の息子で同じく天才プログラマーの青年との交流を通じて…。
管理社会、孤独やストレス、人生の意義や幸せ…。
それらテーマやメッセージは込められているが、要は近未来の引き籠りおじさんの話…?
スキンヘッドのクリストフ・ヴァルツ、ヘンテコ衣装のデヴィッド・シューリス、最初は気付かなかったマット・デイモン、ブレイク前のルーカス・ヘッジスらクセ者個性派が怪演。
もはや“怪女優”の名を欲しいままにしているティルダ・スウィントンも言わずもがな。
今作もファンには堪らないTHEギリアム・ワールドなのだろう。
が、個人的には今回はハマらなかった。
それでも自分もギリアム作品は好き。唯一無二の“ギリアムの未来”に期待。ようやく完成・公開に漕ぎ着けた『ドン・キホーテ』も気になるし♪
寓意とか知ったこっちゃねえ!
ゴシックな廃墟の教会にネオンカラーのチープな近未来、レトロフューチャーというか世界観のバランスがギリアムにしか作れない絶妙さ
ギリアムの作品に出てくる子供はかなりしっかりしていて大人を小馬鹿にしたり時には操ったりするけど今作はテイスト残しつつだいぶマイルドな印象、思春期の大人になりかけているからか、この分得体の知れなさが薄らいでかなり良いキャラクターになっている
近未来SFは世相を反映させて風刺や警鐘を込めるものだけれど、なーんにも考えずにギリアムの世界観にどっぷりと浸るだけでも満足できる
すごく独特な世界観だった 独特な世界観すぎて全く意味がわからなかっ...
すごく独特な世界観だった
独特な世界観すぎて全く意味がわからなかった
ラストのBGMがただただ最高に良かった
監督のインタビューを読んでから改めて見た
広告だらけの街やどこもかしこも機械だらけなのは確かに現代っぽい
コーエンが自分を我らというのも、結局自分なんてその他大勢の人達と何も変わらない、自分というものがない、そんな自分は個ではない我らだということなんだろうな
現代を誇張して描いているのはよくわかるが、そこから先の何を伝えたかったのかということがすごく分かりにくい
コーエンがもっと色々と変化すればわかりやすかったと思う
もしくはコーエンを見てこんな現代じゃダメだと伝えたかったのか
コーエン自身が気付く映画なのかこちらが気付かなければいけない映画なのか
つまらなくはないけど色々と分かりにくい
言葉のでない問いにどう向き合うのか
映像こそゴテゴテしたテリーギリアム印だが描かれてる中身は極めて普遍的なライフスタイルだと感じた。禁止サインに埋め尽くされたベンチのシーンが印象的。広告に溢れる街中。名前はみんなボブ。一人称は我々。バーチャル空間で恋愛。一人部屋のパソコン画面に向かってまるでシューティングゲームのようにコントローラーを動かしてデスクワークする。テンポが退屈で何度も目を閉じかけた。
未来…未来……
ストーリー
未来のポルノは最高でしたね。ただ怖いのは現実に戻った時の喪失感。現実に意味を感じなくなりそう。あのラストもそういうの示唆してるよね。主人公のセリフ、自分の生きる目的は何なんだとか真実とは、とか。目の前のものが想像か現実か分からなくなったりとか。そういうことが起こってしまう。主人公は電話の主を探すことを本心で望んでたのだからそれをすればいいのに、流されてゼロの証明に挑もうとするからああなってしまったのでは??それって仕事にも言えて不本意な仕事を続けていたら、あんな末路を辿ってしまうのではないだろうか。そして最後は幻想の世界へ…ああ怖い。
キャスト
振り回されるクリストフヴァルツいいよね。あとマンチェスターバイザシーで兄の息子役の子。いい味出す顔ですね〜
現代世界への警鐘⁉️
人生に意味を与えてくれるものは何か?幸せを与えてくれるものは何か?世界は誰かにコントロールされているのか?
人は人と関わって生きる事で生まれる愛や軋轢に触れる事で人間ならしめる。その事を忘れいないかと警鐘している作品なのか……。なんてったって、「未来世紀ブラジル」の監督だもんな。
面倒くさいメッセージ
2013年テリーギリアム監督
「ゼロの未来」
生きるとはー。あいするとはー。人生の謎を解く数式「ゼロ」に挑む人々が、生きる意味と真実の愛を求める近未来ヒューマンドラマ!
と、チラシに書いてますね。
ストーリーはゼロの定理に挑む天才らしきおじさんが、謎を解明する電話を待ちながら、友達やら女の子やら仕事やらで色々あって、ささやかにブラックホールに吸い込まれるという話です。
全体的にわけわからん感じで面白くはないんだが、パッと見た感じで。
。
ゼロの定理、ブラックホールは「死」である。とみました。
99%から解析が進まないのも、人が死の直前までしか意識がないからであり、ブラックホールのゼロも解析不能な特異点であるということが、死と繋がる。
主人公は、ひたすら電話を"待って"いる。電話がくれば救われると。そしてゼロの定理を解析する仕事をひたすら続ける。そう、人は常に"死"を待っている。
。
最後に主人公はマネジメントという上司みたいな存在から、おまえは電話を待ち続けた。人生を無駄にした。もう用無しだ。と、告げられ、ブチ切れて暴れて、ブラックホールへ。
終わりの無い解析を続けたりとか、電話を待ってるというのは、現実と向き合うことや、人との繋がりを避けている。というか受け身だな。主人公の家が"教会という聖域"であることもそれを表現している。
ここから考えたことは、ちょっとアドラー心理学的な、
「悩んで待ってばかりいるんじゃねぇよ!
"救い"とは自分で行動して自分で決断して創っていくんだよ!!」
ということ。
。
つまり、ゼロは死であると同時に、"混沌の出発点、再生の点"でもあるわけだ。主人公は死ではなく"出発点"に行き着いて、最後砂浜で、全裸、つまり"産まれた"ままの姿で立っていたと。
現代人のフヌケた野郎ども!立ち上がれ!!
まぁそんな感じにみえた。。
近未来的な世界観もそんなにグッとはこなかった笑
みたいなね。
テリー・ギリアムまんまな世界観
我々は〜、一人称に無意識にピザを頼むなど徐々に普通の感覚に変化する主人公。
ラストはそんな主人公の逃避の想像上の世界で身を潜める悲しい現実。
映像も刺激があり飽きずに鑑賞出来てゼロの定理などの難しいのは置いといてT・ギリアムの世界を楽しむベシ!!
全37件中、1~20件目を表示