「鍵を握るのは「二面性」」女神は二度微笑む やのすけさんの映画レビュー(感想・評価)
鍵を握るのは「二面性」
とにかく主人公が強く美しい!
そしてそれに負けず劣らず、画面から伝わってくるコルカタの雑踏のむせ返るような熱気がたまりません。
ストーリーはというと…
主人公のヴィディヤはコルカタに消えた夫を探すため、警察官のラナと共に時に違法な手段を講じ、そして謎の暗殺者に命を狙われながらも夫、さらには夫と瓜二つな地下鉄毒ガス事件の犯人・ミランを追います。
しかし物語後半、ヴィディヤは自分がミラン逮捕のためにインド国家情報局に利用されていたことを知って憤慨し、ラナとの信頼関係も崩れてします。
そんななかミランに呼び出されたヴィディヤは、たった一人でミランと対峙しますが…。
それまで全く見つけられなかった毒ガス事件の犯人を、ヴィディヤ(ITの専門家とはいえ民間人)が介入してきた途端に発見できるとか国家情報局どんだけポンコツだよ、と正直そこで一気に気持ちが冷めてしまいました。
しかし最後のどんでん返しには劇場の座席で引っくり返らんばかりに驚かされました。
夫に関する回想シーンはあるのにお腹の子供に対する思いがほぼほぼ描かれないとか、妊婦にしては少し動きや腹のラインが雑…とか、演出の手抜きと思われたものがまさか伏線だったとは…。
しかし言われてみればその通り、部屋の掃除、サイン拒否、白と赤のサリー、そして同一人物に二つの名前…と気付かないうちに伏線を張られまくっていたんだなあと惚れ惚れしました。
伏線はこれだけではありません。
冒頭でヴィディヤがタクシーに乗っている間、コルカタの風景と共に流れていた「aami shotti bolchi」という曲にも、繁栄と虚構、狡猾で間の抜けた…とコルカタの「二面性」が歌われています。
さらに今作の舞台となるコルカタは、ヒンドゥー教の女神ドゥルガーを奉るドゥルガー・プージャーで沸き立っています。
このドゥルガーは「外見は優美だが、実際は恐るべき戦闘の女神で魔族を倒した」とされています。こんなところにもみっちり伏線が張られているように思えてなりません。
答えははじめから目の前にあったのに、なぜ最後の最後まで気付けなかったのか…。
カーン警視の「誰も妊婦を疑わない」という言葉がやられた〜!!と混乱する脳に突き刺さります。
ラストではヴィディヤに思いを寄せていたラナの気持ちの切り替えが早過ぎて心配になるレベルなのですが、ドゥルガー・プージャーの雑踏に消えるヴィディヤを見送るあの晴れ晴れとした笑顔を見るに、真相を知った時点で彼の彼女に対する思いは恋愛感情というより崇拝に近いものに昇華されていた、ということだったのではないでしょうか。
やはりヴィディヤはドゥルガーだったのだなあ、としみじみ思います。
地下鉄での見慣れぬ演出や、ラストの怒涛の伏線回収の乱雑感はありましたが、とても楽しめました。
ハリウッドでのリメイク権も獲得されたということで、公開されたらそちらも見てみたいと思います。本作の空気感を超えられるのか、それも含めて今から楽しみです。