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いつだって、どんなときだって、そこにいた。オレにとって、猫はそういう存在。下手に猫を描いた映画を観ようものなら許さない、と、寸でまでは思ってた。だが、ファミリー映画なのである。「許さない」という気持ちを起こすこと自体が、オレの敗北なのだ。
「インサイド・ルーウィン・デイビス」の猫以上の猫映画なんか存在しねえ、と意固地なオレだが、果たして。
「猫なんかよんでもこない。」
原作は知らないが、「よんでも」を「呼んでも」と書かないのは「(心を)読んでも」という意味もあるのかもしれない。
と、おっと、こんなことを考えているようでは、ファミリー映画は観れない。そう、場面場面ににこーーーっと笑ってあげるのが正解。伏線なんか貼らない、芝居が濃いのも、客をバカにしてんじゃなくて親切設定。
・・・くそっ、めんどくせえな、ファミリー映画(ニコニコ)
だが、これは言わせてもらおう。猫は「描いちゃ」いけないな。
いっこいっこ子猫の動きを主人公が解説するのはいいが、その解説って、こと猫に関しては要らないのである。猫好きの楽しみを奪うようなもの。こっちが勝手に想像するし、こっちが勝手に気持ちを想像する、それこそが猫を飼うことの楽しさなのだから。
第一そのことは劇中ヒロインが語ってる。
猫の動きはとてもよく制御されている。猫エイズで死ぬ猫を実生活で経験しているだけあって、その描写に不満はなくはないが、まあ、それもよかろう。
ただねえ、長すぎるんだよねえ。80分ぐらいの映画でいいでしょ、これ。ボクサーの役作りも緩々だし、主人公はなかなか働かないクズだし、マンガの描くシーンもまあ、あの程度の作画だし、きっちり30分ごとに丁寧にイベントを用意しているんだけど、リアリティなさすぎ、見どころなさすぎで、もう眠くて眠くて。
ただ、ラストの電話は良かったね。あれは電話に出ないでOK。ラストだけは「映画」らしかった。
(ああ、こういう観方しかできなくなるなって寂しいね、やっぱり)
追記
トカゲ。
あれはね、猫によって色々あると思うよ。とったど!とドヤ顔する猫。獲ったから褒めろ、とウルウルしてこっちを見る猫。
追記2
猫映画がこのあとまたあるみたいだね。