劇場公開日 2016年7月22日

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ヤング・アダルト・ニューヨーク : 映画評論・批評

2016年7月19日更新

2016年7月22日よりTOHOシネマズみゆき座ほかにてロードショー

60代と40代と20代、3世代の物語であり、不況のニューヨークだからこそ生まれた映画

ヤング・アダルト・ニューヨーク」でベン・スティラーナオミ・ワッツ演じるジョシュとコーネリアの夫婦はジェネレーションXの世代に所属している。ベン・スティラーはその監督デビュー作の「リアリティ・バイツ」(94)でジェネレーションXを代表する存在だった。大学を出ても社会に所属せずモラトリアムを続ける若者たちを描いた群像という意味では、ノア・バームバックのデビュー作「彼女と僕のいた場所」(95)とも重なる。

30代に差しかかる頃、ジェネレーションXは永遠に若い文化に居座ることに決めた。彼らのアイデンティティであるサブカルチャーの部門においてさえ、自分たちがエスタブリッシュメントになり得ないと判断したためである。ベビーブーマーが音楽や映画のメインステージで権威の座から退かない限り、彼らの出番はない。コーネリアの父であるレスリーはジョシュと同じくドキュメンタリー作家で、ベビーブーマーだ。彼の時代には、志の高い物に資金を提供しようというスポンサーと観客がいた。その背景には恵まれた経済状況があったのは間違いない。レスリーが住むのはセントラル・パークの西側に位置するアッパー・ウェストという地域で、多くの文化施設や大学があり裕福な知識人たちが暮らすエリアとして知られている。彼と違って右上がりの経済を基盤としていないジョシュたちは00年代に再開発が進んだブルックリンに自分たちの居場所を見つけた。そして2008年、リーマン・ショックが発生。ブルックリンではマネー・ゲームに疲れた、あるいは失業した人々が独自の文化を築き、レトロな文化を愛する「ヒップスター」と呼ばれる種族を引きつける磁場となった。アダム・ドライバーアマンダ・セイフライドのジェイミーとダービーの世代だ。

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40代と20代のジェネレーション・ギャップを扱っているように見える本作だが、実は60代と40代と20代、3世代の(しかも同種の職業人の)物語であり、不況時代のニューヨークだからこそ生まれた映画だ。ジョシュとコーネリアスが順調にキャリアを積んでいれば、20代のカップルと同じ地平で出会うことはない。40代であるジョシュと20代のジェイミーは、実は同じストレスを抱えている。ひとつ前のジェネレーションに自分たちがやりたかったことの基盤を食いつぶされたという恨みだ。ジェイミーたちの目には、オルタナティブであることを「選択」したジョシュの世代は、ジョシュの目線で見たレスリーたちベビーブーマーと同じくらい贅沢に映るに違いない。

ジェイミーのとある陰謀を知ったジョシュが、ローラーブレードという子供の乗り物で大人の証明となるスーツも着ないままレスリーのパーティへと急ぐシーンの滑稽さが、この映画のテーマを物語っている。彼が目指すリンカーン・センターは、アッパー・ウェストの文化の象徴のような場所なのだ。アッパー・ウェストを目指してニューヨークを北上するジョシュの姿は、遅ればせながら「大人になること」に目覚めたジェネレーションXの真実だ。それをその世代の象徴的な存在であるベン・スティラーがやることに大きな意味がある。

山崎まどか

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