トイ・ストーリー4のレビュー・感想・評価
全358件中、21~40件目を表示
トイストーリーの感動再び
トイストーリーシリーズは子供の頃から好きで今回もハラハラあり笑いあり感動ありでとても良かったです。
4ではおもちゃには持ち主のために生きるウッディとは異なる迷子のおもちゃなど、多様な生き方があることが描かれ、それがウッディに刺激をもたらします。
ラストのシーンは、ウッディがどちらの選択をしたとしてもその選択は正解だと思います。結果的にウッディはボー達と共に迷子のおもちゃになることを選んだけれど、それは、これまでのウッディの生き方とは違い、ウッディが新しい一歩を踏み出したことでもある、賛否両論はあるけど個人的には良い終わり方だったと思います。
トイストーリーは子供から大人まで楽しめて、おもちゃに命を吹き込むという新しい視点から人間の生き方、仲間の大切さ、別れと出会いの辛さや儚さなどたくさんのことを表現していて本当に傑作のシリーズだと思います。
たくさんの感動をありがとう!
意外な結末
今回のテーマは「オモチャの生き方」。これまでのシリーズでは、誰か子供に大事にされて遊んでもらうことがオモチャの幸せな生き方というのが定説だったが、そうじゃない生き方もあるというのが今回のウッディの選択だった。最後、ボーと共に生きていくと決めたウッディは、どんな人生を歩んだのか気になるところ。幸せに暮らしていてくれるといいなと思う。
うーん納得はいかないなぁ…
今までのウッディーが大事にしてきたものが全て壊れてしまった作品だった…
今回は、悪役という悪役は出てこなかったがギャビーギャビーは本当にそれで幸せなのかというふうに思ってしまった。素直に「よかったね」とは言えなかったなぁ
つまらなくはないが、がっかりしたところが多かったです。
ストーリーとしては凡作。だがテーマとしてはあり。
トイストーリーも4ともなるとかなりの蛇足感があり、それを全く拭えてはいない。
ストーリーも取ってつけたような展開で、ちゃんと練られているかも怪しいレベル。3のインパクトが強いのでかなり肩透かしという印象。おもちゃは遊んでもらってなんぼ、という何万回やるの?って内容だしね。
ただ、子供にとって何がおもちゃたるか、それを大人が決めつけてはいけない、ということをフォーキーを通して理解できるところは良い。ゴミからできたへんてこりんの出来損ないみたいなものも、子供にとっては心の支えになるくらい大事なことだってある。大人はそこを忘れないようにしたい。
また、おもちゃを無くす、ということについて、迷子になっているのではなく、おもちゃは自分の意思で離れていくのだ、というのが全世界でおもちゃを無くしてきた元子供達に、ある種の救いをもたらしていると思う。
僕らはおもちゃを無くしたのではなく、おもちゃが自らの運命を切り開いたのだ、と解釈すれば、少しは無くした時の残念な気持ちが和らぐような気がする。
終わり方についてですが、あれで良かったと思います。むしろ批判する側の心理があまりよく理解できないくらい。ウッディはあのままだと、押し入れに長いこと入ることになるでしょう?それよりは外の世界で、他のおもちゃたちを持ち主を持たせることを生き甲斐を感じた方が何倍も意味のあることでしょ。
うーん…
前評判は聞いていたのでそれなり覚悟はしていたけれど、ううん…という気持ちが拭えない。
色々整理しよう。
気になったところ
・ポーキーの存在意義
おもちゃとして作られた存在でなくても、その子にとってはかけがえのない「おもちゃ」になることもある、という主張。という話ならわかるのだけど、いかんせんポーキーがそこまで活躍しない。話の筋に関わらないから、魅力が伝わってこない。むしろ自分を嬉々としてゴミだと言い、さらにウッディーにもゴミだと言い放ってしまうのは頂けない。おそらくは赤子同然からおもちゃとしての自覚を得るキャラクターとして映したかったのだろうけど…。ウッディーの足を引っ張るなどヘイト面が目について可愛げがどうにも見えてこない。
・3までのおもちゃが活躍しない。新しいおもちゃ達に可愛げが見当たらない。
基本指示待ち。そして、出番が少ない。
特にバズ。君は内なる声なんかを頼りにしなくても、冷静な判断力、考える力、そして行動力があるはずじゃないか。今更備え付けられた決まり文句に従って何になるんだ。
新しいおもちゃ達がホラー。ここはまあ演出なのでアリ。しかし、映画の全体的に言えることながら、ネガティブな言動が目立つことが残念。おもちゃ達も人間の邪魔をする迷惑な存在としてしか見えない。今までの彼らはもっとスマートに解決していた。おもちゃ中心的で、人間のためを思う行動が見えてこない。もちろん、3では大通りの車に迷惑をかけるシーンがあるのだけれど…何か違う。
・ウッディーが活躍しない。情に流されてしまう
1,2,3と総じて活躍してきたウッディーがまるで引っ張られ役。保安官としてのリーダー格より、空気のよめない(と周りから見えるような)場面が目立つ。今までなら冒険活劇の先人はウッディーが切り、その姿に爽快感を覚えたのだけれど今回は無し。主人を慮る人情に溢れたヒーロー…という魅力も、終盤で語られる「すべては自分のため」という内なる自分の声によって否定されてしまう形。また、敵役に相当する女の子人形にひどいことをされても自己犠牲を払ってしまうモヤモヤ感。ウッディーも心から納得していない上に、救済措置もないとあってはしんどい。
他のおもちゃの為にウッディーがとことん貧乏くじを引いてしまうことが、面白くない。
そしてなんといっても、3で頂点に達した、「自分の持ち主の為に自分はある」という使命感が、恋心という私情に流されてしまうこと。あれだけの頑張りはなんだったのか、たとえ忘れられても、持ち主の意向に沿うのがおもちゃの本懐と語ったことは一体…となってしまう。
前評判を聞いていなくても、何か微妙な違和感を感じることは免れなかった気がする。
なるほど、これはあまり評判が上がらないのも頷ける…といったところが正直な感想。
しかしここまでつらつらと文字を重ねてしまうのは、やっぱり1,2,3と良かったからだと思う。
ウッディーには、やっぱり「俺がついてるぜ」と言って欲しいキャラクターだ。
ある種の硬派な主人公は、色恋に流されたくなるところをスパっと立ち切って、自分の使命に殉ずるような潔さを求めたくなる…のは、自分本位な願望だろうか。
掘り下げ過ぎ
幼い頃にトイストーリー1を観たきりでその後が気になっていたので一気に2〜4を観ました。
どのお話もツッコミどころは多々あれど総じて面白く最後まで鑑賞できますし、キャラクターの表情の可愛らしさは流石ディズニー、一貫して素晴らしいです。
とは言え、ナンバリングが進むにつれて違和感が増していったのは事実でした。
もともと、(もし見ていないところでおもちゃたちが動き出してドタバタ劇を繰り広げていたら楽しいな)っていうささやかな空想をもとに物語にしたのがトイストーリーだと思っていました。
だから、ここまで"命を吹き込まれてしまったおもちゃの人生"を深く掘り下げるとは思っていませんでした。だって、おもちゃは子どもにとって友達だと思ってたのに、ゴミに命を吹き込むっていう神様のような役割を人間に与えたり、人間が振り向いてくれなきゃ存在する意味がないみたいなジレンマを浮き彫りにしたり、作品が生まれた当初(こうだったら楽しいな)って無邪気に空想していた子どもの夢を打ち砕くようなおもちゃと人間との溝を露わにして冷たい現実を目の当たりにさせる描写が観ていてひたすらに苦しかった。
どうして、楽しい空想を幸せな夢として終わらせてくれなかったんでしょうか。
そして、"命を吹き込まれたおもちゃとしての人生"を描くなら、その死がしっかり定義されていないところも不十分な気がします。
生を語るのに、人間の寿命のような死の表現が徹底して避けられているのが混乱します。生き物ならその生き物ごとにある程度はどこまで生きられるかが決まっていて、無意識でもその最期を見据えてどう生きるか考えるものだと思います。
なのに、ウッディはアンディにあんなに遊び尽くされてきたのに状態は綺麗でまだまだ生きていられる。2で綺麗に修理されたとは言え、普通のおもちゃなら散々遊ばれたらどんなに綺麗に直しても素材の痛みは経年劣化含めてあるはずなのにそれが無い。
粉々に壊れるか焼却炉で焼かれない限り不死身なんでしょうか。そんな存在が人間と同じように幸せや生きることを語っても良くわかりません。
ボニーの家に残った仲間たちは果たしてこれから何人の子どもの成長を見守れば幸せな終わりを迎えられるのか?終わりがないのであれば広い外の世界に出たウッディすら、その先に満足があるのか疑問です。
そして最後に、おもちゃと子どもとの相互関係が3までの大きな魅力の一つでした。観ている私はおもちゃに同情して、子どもに共感して、どちらからも愛を感じたからこそ愛に溢れた良い映画と感じていたんです。
今作、完全にボニーからウッディへの愛は無くなっています。
今まで愛されてきたトイストーリーの要素を打ち砕いてでも新たなメッセージを込めたかったのでしょうが、正直そこまでするなら続編でなく完全新作のアニメでやればよかったのに、と思います。
結局、あまりに詳細に"意思を持ったおもちゃ"を描いてしまったせいで、モノであるはずのおもちゃが生き物のように動いている違和感をより強く感じさせてしまったような気がします。
おもちゃは意思なんか無いし動かない、そんな少し寂しい現実よりも、子どもの目を盗んで愉快に暮らすおもちゃ達の楽しい空想を描いていたはずなのに、シビアに子どもに飽きられ見捨てられる現実を描こうとして空回りしているように感じました。
こんな事ならそのまま動かず大学に行って捨てられることもなくずっとアンディの側にいるウッディの方がよっぽどリアルです。
見せたかったのは空想なのか現実なのか、理解に苦しみます。
残念すぎる(T_T)(T_T)(T_T)(T_T)(T_T)
星一つもつけたくない!
ウッディとバズは大親友なのに、どうして離れてしまうのか。
君は友だちっていう歌の歌詞に
いくつもの年がたっても
僕らの友情は終わらないよ、と。
ウッディとバズのことですね!
なぜ、ウッディとバズを切り離したのでしょうか?
残念すぎる衝撃エンディング。
子供たちの夢を見事にぶち壊しました。
ウッディが親友や仲間を裏切って、旅にでるなんて。
絶対にウッディらしくないはず!
ウッディはそんなキャラじゃないはず!
いつも、仲間を大切にして、守り続ける正義感あふれていた。
いつも仲間を助けて、いつも仲間を気にかける優しいところがウッディの魅力で、ファンはそういうウッディが大好きだった!
ウッディはみんなのリーダー!
ウッディとバズの友情も、ものすごく素敵で、とても感動していたのに。ファンはみんなそう感じていたはず。それなのにウッディを遊び人キャラに変えちゃうなんて、がっかりすぎでした。
今まで出てきた仲間たちの楽しい活躍も全く見れなかった。
トイストーリーは3で、終わりにしておくべきだった。
4で、トイストーリーファンはみんな幻滅感じてるはず!
仲間より、自由を選んだウッディの衝撃的結末に本当にがっかり!
今までのウッディとバズの友情はなんだったんでしょう!!!!
歌まで作っておいて。
4のゴミキャラは、はっきり言ってくだらなすぎた。
恐ろしい女の人形は気持ち悪かった。子供は怖くて泣くでしょう。
ホラー映画チャイルドプレイのチャッキーを思わせるシーンは衝撃映像としか思えない。
作者はオモチャに自由を与えたかったのかも知れない。でも、それは3までの内容を覆すことになる。
どんなことがあっても、みんな共に助け合い、共に行動をしてきた。
ウッディのオモチャとして生まれた本来の意味、自覚を忘れたのはなぜか。
目を疑うストーリーに唖然。
AIに人権を認める感性があるかによって評価が分かれる。
手塚治虫の鉄腕アトムの中で「青騎士」の話があった。
それは、ロボットが人権を求めて、人間に抗議する話だったと思う。
今回のトイストーリー4。
多くの方が賛否分かれる感想となっているが、1番の分岐点は、ウッディや他のキャラクターを
「おもちゃ」と見るか「独立した個人」と見るかによると思った。
1〜3(ショートムービー含む)は、やはりおもちゃの話だった。
4は、おもちゃの枠を超えて、価値観や自主性の有意義を唱える内容となっている。
私個人としては、物語の結末、ウッディの選択には不満はない。
ただ、これが最良の描き方だったかと言われると疑問が残る。
疑問は、多くあるのだが、大きく二つ。
1・過去作からのキャラ達との別れのシーン
キャンピングカーと回転木馬の上で、10年付き添った仲間たちと別れるシーン。
バズは無言でウッディを送り出すのは分かる。ただ、ジェシーやレックス、ポテトやスリンキーなど、何故疑問を口にもせずに悟った上で送り出してくれるのだろうか(しかも、そこにたどり着く為には、おもちゃとしてギリギリアウトな事までしているのに…)
昔のレックスなら「どうして、ウッディ、早く帰って来なよ」とか「嫌いになっちゃったの」みたいな発言をしただろうし、ジェシーなら2の頃を踏まえて、子供と遊ぶ喜びを思い出させてくれた事に対する感情を吐き出していたと思う。
でも、彼らは何も言わない。物語の尺の都合なのか、おもちゃである事を強く意識させない。
そして淡白に別れる。せめて話を聞いていたバズが「迷子のおもちゃ」になろうとしているウッディの選択を肯定して、それを仲間に伝えるような描写が欲しかった。
2・自己肯定の為なら手段は選ばない
近年はデモを批判すると、それを糾弾される事が常らしい。でも、だからと言って何も悪い事をしていない人に被害を与えて良い事にはならない。
彼らは彼らのためになら、
・車をパンクさせる
・車のアクセルを勝手に操り、乗入れ禁止の箇所まで車を動かす
・射的の景品を勝手に解放して子供に渡す
※店員も拾ったバズを景品にしたとは言え、損害がデカすぎる。
と、やりたい放題だ。
そこには彼らの正義しかなく、損害を受けるものの都合はお構いなし。自主性を重んじる事と、自分勝手にして良い事は違うと思うのだが、それはおもちゃのやった事だからと済ませてしまうのか……と不安が残った。
作品としての大きな疑問は、その2点だが、やはり過去作との決別の問題も評価に関係してしまう。
2でウッディが博物館ではなくアンディを選んだのは、所詮ウッディがあくまでも「アンディのお気に入り」だったからであり、個人的には立場が変わって信念が変わった奴に成り下がっているようにも見える。いや、無理して生きるのは辛いし、だからおもちゃとして殉死しろって言いたい訳でもないのだが……結局2の選択と真逆に行ってしまっているのだ。
作品の主題が時代に合わせて行く事は仕方ないのだが、おもちゃである事の誇りに喜びと尊敬を感じ続けていた作品だったので、疑問が残った。
ましてや、トイストーリーの世界観は、フォーキーの存在によって、
おもちゃと認識をされると、自我が生まれる世界と定義されてしまった。それにより、なおさらおもちゃである事のウェイトが重くなってしまったと思う。
青騎士の問題のように、生み出された自我に対して、どこまで寛容になれるのかも、この作品には問われているような気がした。
p.s.前作の結末は、おもちゃとして受け継ぐ事だった。ある意味、遊ばなくなったおもちゃは、誰かに遊んでもらえるようにしようと言うメッセージもあっただろう。
今回の結末だけ見れば、遊ばなくなったおもちゃは、適当に捨てても自分で何とかするみたいな描写になり、ゴミ処理場に行くよりも、公園に不法投棄した方が、おもちゃにとっては幸せかもとも捉えられなくもないのですが……その辺の現実の価値観への影響は、メッセージ性を出すのに夢中で蔑ろになってしまったのでしょうか……。
トイストーリーが辿り着いた、自身の拘束から自由になる素晴らしいストーリー
トイストーリー好きの友達から評価が悪いと聞いていた。どんな内容だろうと軽い気持ちで見始めたら、どんどん引き込まれていき、最後は何とも言えない感動で胸がいっぱいになった。私個人としては悲しい結末ではなかった。なぜなら役職や他者からの期待に縛られていたウッディが初めて自分の意思を持ち、自分の人生の幸せについて決断した内容だったからだ。
今までのウッディの行動理由は「アンディのため」「仲間のため」「ボニーのため」であった。常に「相手のため、自分が守り、幸せにしてあげなくてはいけない」という思いに縛られていた。それは確かに素晴らしい美徳的行動ではあるが、ウッディは「自分の幸せ」からいつも目を背けてきた。「他者に必要とされ役に立つ自分」に囚われ、1では嫉妬心からバズへ敵意を向けてしまい、2では同情心や自信のなさから博物館へ寄贈されそうになり、3では使命感から命をかけて仲間と一緒にいようとした。ある意味、全てウッディが巻き起こした物語といえる。全てハッピーエンドで終わったが、他者の存在に振り回されるウッディは相手が変わればコロコロと信念が変わってしまう優柔不断な不安症でもあった。しかし4では、自分の役目からの開放が待っている。今までずっと「誰かのため」を言い訳に生きてきたウッディが、これからは自分で決断した人生を生きる。もう「誰かのため」という言い訳は出来ない。「俺が自分で選んだ道だから」とどんな人生も受け入れなくてはいけない。きっと楽しいだけではなく困難な道だろう。しかし、私はそんな物語にとても光を感じた。作中でウッディはよくイライラしている。それは「自分に与えられた使命を貫くこと」への不安と焦りと責任の重さからだろう。しかし、これからは違う。ウッディは全ての決断を自分の好き嫌いで判断し生きていくのだ。自分の人生に必要なものを取捨選択して生きていく。その一つがボーなのだ。彼の人生に彼女が必要だと彼が決めた。そしてそれを、多くの友人たちが祝福してくれた。こんなに嬉しく尊く幸福なことがあるだろうか。あの時ボーを選ばなかったら、ウッディは最後の時を迎える時にボーへの後悔を持つのではないだろうか。あの時、彼女を選べていれば…彼女はこの世で唯一無二の存在であったのに、と。
アンディに選ばれ、ボニーに選ばれた彼が最後に辿り着いたのは、「自分が選ぶ側になる」ということだった。捨てられたらどうしようと他者への心配をしていた彼が「自分の好きなものを愛する」側へいったのだ。バズがジェシーを愛したように、ポテト夫妻が愛し合うように。「自分の好きな人を自分で選び向き合った」ことに、私はとても強く感動した。「みんながいたから選べなかった」のではない。みんなは快く送り出してくれた。なぜならそれがウッディにとっての幸せだと誰もが分かったから。私はラブストーリーが好きなわけではない。恋愛に対して冷めている。そんな私の心を動かしたのは「好きなものを好き」と言える姿勢である。周りの目を気にしたり、立場を気にして自由に動けない私に、ウッディは確かに背中を押してくれたのだ。俺がついてるぜ、だから、大丈夫。自分の好きな道を選ぶんだ、と。
4が日本で不評なのも分かる。特に「ずっと一緒」という3の終わり方から見れば、「一人別の道をいく」というのは一種の裏切りのように感じることもあるかもしれない。しかし人は、価値観が変わる生き物だ。お気に入りや好きなものも変わるし、子どもの頃は狭い世界でしか動けないが、大きくなるにつれて視野も行動範囲も広まっていく。親や身近な人の価値観を真に受け信じていたことが、ある日ガラッと変わることもある。1で、任務などなく自分がただの玩具だと気づいたバズのように。バズは同じバズからすれば裏切りものなのかもしれない。2では反逆者呼ばわりされていた。それはそれで真実なのだと思う。人の価値観は無限大でどれも悪いことではないのだと思う。
私は、なんとなく、トイストーリーがこれで終わるはずがないという予感を持っている。ウッディは、そうは言っても優柔不断なキャラクターだ。続編が出ても良い。ボーとの冒険談でも良いし、ボーと別れても良い。思ってたのと違ったとか、思いのほか気が合わなかった、とか。上手いことだけの人生ではないリアルな離婚、シングルーファザー的視点な物語でも良いし、ジェンダーレスの風潮からBLになっても良い、まさかの人間vsおもちゃ戦争での闇落ちでも良い。トイストーリーの続編は無限大だと思う。どんなストーリーがはじまってもおかしくない。そうやってまた視聴者に、新しい価値観、新しい思想、自由への後押しを、ピクサーにしてほしい。
内省的
展開の大筋は、大した思い入れもない唐突に現れた手抜きデザインの新キャラを追いかけて、辺りを行ったり来たりし、よくわからない思い込みをしている悪役キャラと奪い合うという陳腐な内容。魅力的な性格をした人気キャラの出番は殆ど削られ、新たに登場した薄っぺらいキャラと後付設定の復活オモチャ達が無理やり活躍するシーンを与えられている。
人間にバレないようにしているという設定を完全に無視して、新キャラが狂ったようにゴミ箱に飛び込もうとする、大人に対してカーナビの声を真似して車を止めようとするなど違和感のあるシーンも満載。アクションシーンもチープで会話やコメディシーンが退屈なのを最新技術で作られた映像のクオリティだけで誤魔化し続けている印象。
続編としての出来、作品に込められたメッセージの賛否以前にそもそも一本の映画として酷い品質。
「子供から」大人まで幅広い世代の人達が楽しめる娯楽映画の本分を忘れ、アクションもキャラ描写も手を抜き、子供には共感し辛い主題の、セカンドチャンスへの挑戦に悩み続けるキャラクター達。燻った大人の悩みを取り扱った内省的な駄作。
哀愁漂うトイストーリー
個人的には3が大好きで
その終わり方が大満足で、
4という続編を受け入れられないでいた。
満を持して観た4は
覚悟してら観たのに
これはこれでいいじゃないか
役目を終えたおもちゃ達の
お話。
哀愁を感じた。
健気に持ち主に尽くしてきた日々
年々古くなっていき
子どもの好みも変わっていく
おもちゃ達の子どもの所有者になりたい
という気持ちが痛々しいくらい
伝わってきて苦しかった。
自分はこんなに
おもちゃを愛しただろうか。
移りゆくのは仕方のないことなんだろうけど、
昔よく遊んでいたおもちゃを思い出して
少し胸がしめつけられた。
このエンディングを素直に受け入れがたい
ところもあるけど、
やっぱりトイストーリーは素晴らしい作品だと
改めて思った。
映像の進化は飛躍的、ストーリーは懐疑的
昔からこの作品を楽しんでいる身としては、色々な想いが湧いてきた。
映像美は引き込まれるほど綺麗になったし、またいつものオモチャたちが観れるのは嬉しいが、トイ・ストーリーにラブロマンスは求めてないし、あれ程仲間想いだったウッディがバズと別れるなんて観たくなかった。
さらにボイスボックスまで失ったことで、ウッディの決めゼリフも聞けなくなった。
今回は失うものがあまりに大きくファンにはショックだった。
3が完璧なエンディングであっただけに4と聞いて不安に思っていたのが的中した。
前作までがアンディ3部作として、今後のスタートを切るのなら今後の展開に期待したい。
完結という波が押し寄せている。
あれで、完結かどうかは分からないが、自分が見た限りでは、完結として感じられた。
あれから発展していくとは思えない。
見ていて思った事を言うと、皆、物、全てには、自由という言葉がある。それを利用して、今作を作ったと見られる。
今までウッディ達はアンディーを喜ばせるのが自分としての道であり、それが最後だと思っていた。しかし、先ほど言った通り、人だけでなく、物にも人生(?)という物が無論、存在する。ウッディはそれをもう一度それを見つめ直し、自分の道は自分で決める。という風に決めた。だから、もうアンディを他のおもちゃ達に託し、
自分の道へ進んだ。
それが今作である CMなどでも、今作が一番面白いと唐沢寿明と、所ジョージが大きく評価されていた。
2人の言う通り前作3作品も面白かったが、今作はそれを超すかのような、面白味があった。
今回はピクサー(アメリカ)の話をしたが、日本の漫画作品もそうである。
近年、色々な漫画、アニメが完結している。
原産者にも、勿論これからは、自分のやりたい様に生きていってほしい所だ。
日本の漫画、アニメはこれから、どんどん完結作品が出てくると思われる。その時には、覚悟をしなければならない。
同時に自分は近年完結作品が多い事から、完結という時代の波が来て、押し寄せて来ているのが、分かる。
その時を心待ちにしている。
賛否両論あるみたいだけど。
わたしはこのシリーズがここまで続いた甲斐があったなと、
今作を観て感じた。
だってウッディが自ら選択したんだよ!?人生を!
ものすごい成長ですよね。
序盤からニューフェイスのフォーキーを親目線で
面倒みたりしているところから、
ああもうウッディは仲間を引っ張っていくだけでなく、
下の世代を育てていく立場になってるってのが分かる。
そして、自分が必要とされなくなっている。
頭の片隅にはずっとそれがあって、
さてどうするとなったときにボーに出会う。
わたしは、ウッディは次のステージに進んだんだと感じた。
もはやボニーの元でも役目を終えたウッディは
ボーと再会して、世界の広さを知る。
そして、自分が忠誠心を尽くす相手はボニーだけでは
ないことも知る。
さらに子供を待ち続けているおもちゃたちの存在を知る。
そこで立ち上がるのがウッディだ。
アンディ、ボニーと子供たちの家で何周も過ごす
ウッディではないだろう。
前作のアンディとの別れを経て、
今作でその選択をしたのが、なんともそれらしい。
ただ、バズやらジェシーとの別れがあっさり過ぎて
切なかった……
あまりにもね、なんかね、
しっくりはくるけど、物足りないみたいなね。
ニューキャラは、どれもよかったよね。
とくに体がくっついてるあの二人組。
もう最高だったー。
フワフワなの、めっちゃリアルだった。
さすが長編アニメーション賞受賞作。
あるコメントでは、3まででよかったとか、無かったことにしたいとか
いろいろ見たけど、これ以上の結末はないと個人的には思う。
トイストーリーほど夢中で観れるアニメはないよね。
何となく分かってた結末
結論から言うと酷いです。よくもまあ、3で終わらせておけばよかった物語にこんな蛇足をつけてくれましたね。
内容の感想はというと、物語の始まり、ラジコンを助けるウッディは
「そうだよ!仲間思いのこの優しい奴!これが我らのウッディだ!」
と叫びたい衝動に襲われながらの鑑賞。しかし物語はここから急激に失速。
まずボニー!!お前、、僕がどれだけお前の「私のカウボーイだ!」の一言で泣いたか分かるか!
アンディはお前が楽しく遊んでくれると思ってやったんだぞ!それに1万歩ゆずってここを許したとしてもウッディが無くなったことにはさすがに気ずいてよ。アンディ泣くよ。
そしてバズ!君自分の意志で行動しようよ。何もかも何かに頼るキャラじゃないでしょう。
ボーはカッコイイけどさ、最近のディズニーは男女平等が行き過ぎて男性蔑視になってないかい?
このキャラだけじゃなくもれなくすべてのキャラのコレジャナイ感がえらいことになってます。
(ドュークカブーンは大好きです。キャナダはしばらくぼくの口癖になりました。キアヌっていいよね。)
それにラストに至っては、
「おいおいそれでいいの?あの、、、、ウッディ。君ね一作目でねバズにお前はおもちゃだていってんの。すっごいブーメランだよこれ。おもちゃとしてどうにかしなよ。もうこりゃ禁忌だよ人体錬成並みにやっちゃいけないことだよ。やっぱりウッディはアンディと大学行った方がよかったんじゃない?」
と、考えてしまうレベル。
唯一の救いが3ⅮCG。ディズニーの映像ってきれいだよね。
兎にも角にも僕はファイブで「私のカウボーイがない!」というボニー。
それを見て悲しむアンディ
大学へ行くウッディ御一行
活躍するスリンキー
これらを見るまでは僕はこの作品を心の中でずっと貶し続ける事でしょう。
以上レビューでした。
今までトイストーリーが魅せた"おもちゃの矜持"を否定することになる
今までウッディは遊んでくれる子供たちに寄り添い続けたし、
例え自分がいつか捨てられるとしても子供たちに寄り添い続けることを選んだはずだ。
なのにいざ自分が遊ばれなくなった途端「女と逃げます」はやっぱり安っぽく見える。
所詮「自分が遊ばれなくなったら逃げ出す奴なのか」という印象を覚えてしまう。
1~3のウッディが見せた答えと矛盾するように感じる。
ウッディの幸せを考えたら確かにそれもアリだと思うし、個人的にはボニーと幸せになってもらえたほうが嬉しいのだが、それは"オモチャの物語"でやる必要がないものだ。
別作品のラブストーリーでやってくれればいいだけの話。
トイストーリーはあくまでも"オモチャとしての生き方"を魅せなければならなかった。
「ウッディが幸せなら良い」「オモチャにもオモチャの人生がある」
「たとえ遊ばなくなったオモチャも自分の人生を歩んでると考えれば子供も気持ちが楽になる」
そのような意見も確かに同意はできる。
でもやはりトイストーリーでわざわざやる必要がなかったし、
今作は"トイストーリー"という作品を俯瞰で見た時に首を捻らざるを得ない。
トイストーリーでやるならばそれでもやはり「最後まで子供に寄り添う」という答えであってほしかったなと。
例え「遊ばれなくなったオモチャ」だったとしても、
もしかしたら子供の気まぐれでまた遊びたくなるかもしれないし、
誰かにあげたくなるかもしれない。
だったら"その瞬間"が来るまで子供に寄り添って、
オモチャ箱の底で待ち続けるのが本来のウッディの出すべき答えなのではないのか?
もし再び子供がオモチャ箱を開いた時にウッディがいなくなっていたら、子供はどう思うのか?
そこまで想像できない自己中心的な答えはやっぱ出すべきじゃなかったと思いました。
何のために今までは子供の前では静止するという行動を取っていたの?
「未来永劫オモチャ箱で眠り続ける」という前提で勝手に逃げ出すのがまず間違いだと思いますよ。
全358件中、21~40件目を表示