トイ・ストーリー4のレビュー・感想・評価
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トイストーリー嫌いな人必見!
これを開いたあなたは多分トイストーリー嫌いな人なので、今までの物語にうんざりし見にいく気もないでしょう。なので以下のレビューはネタバレを多分に含みます。見に行く気ないから気にしないよね笑
この映画ですが、多分トイストーリーをよしとしないあなたのために制作された映画であると考えられます。
多分あなたはこれまでトイストーリー123を見てこう思ったでしょう。『なんてウッディは押し付けがましいやつなんだ!』
と
そうですウッディは『いい持ち主の元で持ち主の幸せのため行動するこが幸せでありそれがおもちゃの全てだ』という『持ち主至上主義』の狂信者です。現に123でそれ以外の生き方を否定してきました。持ち主に改造されること、博物館に展示されること、持ち主に愛されないこと、これらの人生を否定し特定の持ち主に愛されることを他のおもちゃに強制してきました。果たしてこれらの行く先が100%地獄が待ち受けているのでしょうか?私はそうは思いません。
改造について話すと、2の最後ではバービーに対する改造に等しい子供の落書きにプロスペクターこそ嫌な顔をしていましたが当の本人は「彼女は天才よ」と嬉しそうな顔をしていました。見た目を変えられることは一概に悪いことではなさそうです。
また、ウッディが本当に持ち主を1番に考えている『持ち主至上主義』ならアンディがもしシドのような悪ガキに育ってしまったら、彼の幸せのため甘んじて改造を受け入れるべきであり、絶対に持ち主に復讐なんて考えてはなりません。なのに、ウッディはシドに復讐します。被害者でもないのに。
なぜこんな行動に出たのか?それはウッディの中に『持ち主はおもちゃの気持ちになりおもちゃを大切に扱うべきだ』というアンディとの生活から生まれた幸せな思い込みがあるからです。しかし、これはおもちゃにしては傲慢でアンディのような特別な子のおもちゃ箱の中だけで通じる考えです。全てのおもちゃがその考えで生きて行くことはできません。多くの子供にとってのおもちゃはこの瞬間の暇を埋める存在であって未来永劫大切にする存在ではないのです。
それに現代の子にしたら、毎日アプリが更新されて変化するスマホがあります。変化のないおもちゃなんてすぐ飽きます。改造して長いこと遊ぶだけシドの方がましでしょう。今やおもちゃ屋さんすら存亡の危機です。
と、少し話は逸れましたが、ここで伝えたいことは、1で子供に好きなように改造されることは絶対地獄とは言い難いことです。これも大切に遊ばれてきたイイトコ育ちのウッディの生活から見ればの地獄のように見えただけであり、2の最後のバービー人形のように考えを変えれば肯定的に捉えることも可能です。大人のシドのことを考えると、おもちゃの過度な改造を続けた結果ごみ収集の仕事をせずに機械の整備エンジニアになった未来もあったかもしれません。もし、そうなればおもちゃも苦労してそばにいた甲斐があったと思えるでしょう。しかし、もう後の祭りです。
2の博物館での展示や3の持ち主に捨てれることもウッディの幸せな境遇からみれば地獄のように見えますが決しておもちゃの墓場と断定することはできません。この博物館で展示される人生と捨てられた人生のふたつの人生の先が決して絶望に直結していることはないことを4の中では語られています。いや、それ以上に4では様々な生き方をするおもちゃの姿が描かれます。『持ち主至上主義』だけが幸せではないんです。
これを観客と『持ち主至上主義』のウッディに教えてくれるのは他の誰でもなくウッディの恋人であるボー・ピープです。4での彼女はさながら馬で東から西へ拠点を移しながら生きる開拓時代のアメリカ人のように自由で力強い女性として描かれています。農耕民族のように1ヶ所に定住することをこだわるカウボーイとは大違いです。でも、今作ではポーの助言もあり最終的にカウボーイはカウボーイらしく生きることにしました。ここがアメリカと日本で評価がわかれるところでしょう。アメリカ人からすればウッディがやっと君主に使えるナイトからカウボーイらしい自由の男になったのです。しかし、農耕民族としては裏切られた形になります。
まとめますと、4では123でウッディから悪とされてきたおもちゃの生き方は広い世界からみれば許容できないものではないことを示し、救いの手を差し伸べたトイストーリー否定派に対する答えを描いた映画に4はなると思います。123でもし完結してしまうと親の愛を知らずにゆがんで育った子供や人生のレールから外れた人の生き方を否定する、または君にも愛してくれる人が現れるさという無責任な映画で終わるところでした。
確かにウッディの生き方は現実でいうレールに乗った幸せな生き方でしょう。しかし、123の欠点はウッディがあまりにもレールに乗った生き方以外を受け入れられない点にあります。でも、実際の世界はアンディのおもちゃ箱よりも広く様々な生き方を許容します。別におもちゃの自分をスペースレンジャーと思い続けてもいいし、クレーンを神と信仰することも世界は許容します。4でのウッディはその欠点を改め様々な生き方を肯定し自らも違う道を歩み始めます。
この123から4への変化は多様化した今の世の中にうまくマッチしたものでしょう。今世の中は一つの生き方ではみんなが幸せになることはあり得ません。おもちゃの数だけおもちゃの人生がある。別にいい親の元で小中高大から就職だけが幸せではない。幸せは人の数だけある。トイストーリー4はそんな人生の無限の可能性を感じさせてくれました。
最後になりますがみんなで一緒にあの名言を叫びましょう!
『『『『『『『無限の彼方へ、さぁ行くぞ!!』』』』』』』』
え、否定派だけど実際に見たくなったのにネタバレのしすぎだ?
フォークと『内なる声』については言及してないから大丈夫だよ。
大好きだからこそ見たくなかった結末
小学校のころからこの作品とともに育ってきたからこそ、「選ばれないおもちゃ」になったウッディの姿、
ウッディと仲間達が離れてしまう結末は胸が痛かった。
3でアンディが本当は大学に連れていくはずのウッディを、少し迷いながらも『この子なら大事にしてくれる!』と渡してくれたシーンを思うと、
ウッディが居なくなっても気づかないボニーを嫌いになりそうになったし、
もしアンディがボニーと会う時があって、ウッディが居ないことに気づいてしまったら…と思うと、
感動とは違う意味で涙が止まらなかった。
たしかに人間関係において、仲間が新たな環境に行くことでの別れと気持ちよく見送るというシーンはあるものだけど、それをこの映画で見せる必要があったのかと思ってしまう。。
なによりアンディの気持ちは…?
というのが本当に悲しい。
無限の彼方へ。さあ行くぞ。
字幕IMAXで鑑賞。期待を裏切られ号泣。これが子供の頃から見ていたトイストーリーの新たな形か!
否定的な意見が多いけど個人的には凄く感動!!
最後のお互いが言い合うセリフにジーンときて、一人で鑑賞していた30代のおじさんはボロ泣き。。笑
内容については旧メンバーたちにもっと活躍して欲しかったところと、離れ離れになったボーとの再会により、そういえばこの作品にはディズニープリンセスがいなかったんだ。新たにボーが確立したんだなという印象。
それに最後の部分は否定したくなる気持ちもわかる!ただ否定ばっかり言ってもしょうがないので2回目を鑑賞したらいいんじゃないか!?そう思い今夜、チャッキーとどっちのおもちゃにしようかと悩んだ結果、吹替で2回目を鑑賞。
2回目を見ると冒頭から泣けて楽しめるから新たな傑作が生まれた!!
そしてやっぱり最後に感動しておっさん一人でボロ泣きしました笑
終始悲しい。
最初の遊んでもらえないシーンから自分を犠牲にしてまでフォーキーを助けるシーン、最後のお別れのシーンまで最初から最後までずっとモヤモヤしながらそして時々傷つきながら観てた。
ウッディーの性格を考えると、みんなと離れ離れになる結末自体は「そっかウッディーはそれが幸せなんだね」とはなるけどやっぱりとっても寂しい。
シュガラ2の時と一緒って言われてるけどほんと、そんな感じ。仲間とのお別れ。新しい世界に飛び込む。自分の役割に負い目を感じたり責任を感じ過ぎなくていいんだ。そういうのはトイストーリーでやる必要あったのかなあ?
ずっと車で待っていたメンバーにはウッディーに何が起きたか、彼が何を見たか何もわからない状態で過去に仲間だったボーと帰ってきていきなりお別れでそれで良かったのかな…ブルズアイは3でも最後までウッディーについて行こうとしてたのに今回はあっさりと別れたね…
きみはともだちを聞くと、ウッディーとバズがもう相棒としてそばにいれない事が悲しくて泣いてしまう。
まずボニーはなんでウッディーの存在を蔑ろにしてたの?フォーキーを作る前からあんまりウッディーで遊んでないシーンを見て、うーんまあ女の子だし…?とも思うけど3で「あたしのカウボーイ人形!」って言ったじゃん。あれはなんだったの…
そしてアンディーは大学にも連れていこうとするくらい大切な大切な存在で、覚えてないくらい小さい頃からの相棒だったけどボニーを信じてウッディーを託したのにウッディーだけ居なくなったことを知ったらアンディーは傷つくとかいうレベルではないのでは?大学に一緒に行った方が、もしかしたらウッディーは幸せだったのかもしれないしアンディーに子供が出来たらまた遊んでもらえたかもしれないのにな…
まあもうそんなこと言ってられないけど、今回見てて「あ、ウッディーの中で本当の持ち主はアンディーしか居ないんだな」って思えたなー。だから足の裏に書かれたボニーの名前を大切そうに見ることはなかったし、迷子のおもちゃであることを選んだのかもしれないね。
1~4まで通してウッディーは自己肯定感が低くて承認欲求が強いよくいるメンヘラ(?)だなあって思ってて、1は保身のためにバズを助けてるし、2はアンディーが大人になってもお前を必要としてくれるか?ってプロスペクターに言われて、だったら長く必要とされる博物館に行こうって考えを変えたし、3ではアンディーに必要とされてる(自分だけ大学に連れてってもらえる)から意地でも家に帰ろうとしてた。
そして4でボーの所に残ったのも、自分はボニーに必要とされてない!って言う強い思いがあって(実際そう発言してたし)アンディーの家で、好き同士だったボーと再会してしまったらそりゃ愛してくれてるボーと一緒に居るよなって。
結局1番必要とされる場所に行こうとしてる性格ではあるんだよな。めちゃくちゃ自己中だし笑そこが人間味が強くて好きなんだけどね!私はそうやって解釈してる。
自分なんか必要とされてない、だから自分が犠牲になっても仲間を助ける。っていう思考回路なのかも… だから今回の結末、ウッディーの決断を否定しない。
ただ、まじで、ほんとに1番見てて悲しくなったのはウッディーのボイスボックスが奪われたこと。もう音はならないしあの後ろの輪っかもなくて、今まであれにどれだけ助けられててあれがウッディーのアイデンティティーの一つだったことか…思い出すだけでほんとに泣ける。2の最後飛行機から降りるシーン私は忘れてないからな…
50年代に作られたおもちゃなのにボイスボックスも壊さず、腕が取れてかけても自分で縫い直すくらいアンディーにとっっっっっても大切にされてたのにその中身を渡してしまって良かったの…?ギャビーの生き方も悲しいけど、流石にそれはダメじゃ…ウッディーの声がどんどんおかしくなって目が覚めたら背中に縫い目だけが残ってたあのシーンだけは本当にでトラウマだしあのシーンは二度と見たくない。マジでここだけは1番許せなかった。
大きく話の流れ的に見ると別にああウッディーはそういう決断をしたのねって言う感じで終わるけど小さなところ言ってくとキリがないくらい嫌なところが多かった。新キャラばっかり出されていつものメンバーが車に置き去りだったしもっと出てきて欲しかった。バズも2や3はどうしたらいいかちゃんと自分で考えて動いてたのに今回どうした?内なる声を聞けとか言って考えること放棄してボイスのボタンだけ押して行動してたの見てなんか凄く幼稚というか、違うキャラに見えた。本当の心の声はウッディーについていこうとしてたじゃん。だからボタン何回も押してたんでしょ?なんでそのままついて行かなかったの。
いろんな人が言ってるけど
最後に喋っちゃったのもえぇ…って感じだったし。
1でやったおもちゃのルール破るのとは訳が違うじゃん。
言い始めたらキリが無さすぎる 。
映像やCGの技術はとても素晴らしいし、話も先が読めなくてハラハラしてわくわく観ることが出来た。もう一度観に行きたいと思える映像を作ってくれたのはありがたいけれど総合的には悲しくなってしまった…終わったあとエンドロールの時もずっと呆然としてしまった。
観終わったあと心にどこか、穴が空いた気がした。
評価を低くしている人は結末やストーリーに文句を言っているのではなく、過去のトイストーリーとの食い違いやキャラを大切にされていないあの演出に怒っています。
完璧、そして製作側の覚悟
映画として完璧でした。ストーリー、ビジュアル、演出。最後の最後までエンターテインメントとしてのプロフェッショナルさを感じました。
これだけロングシリーズのキラーコンテンツなので、思い入れが強い方も多いから、結末に関して、思ってたんと違う、というギャップを感じる声が多いのもピクサーとしては想定内だったと思います。
でもこれだけのクオリティを見せつけられると、これを仕上げた製作側の覚悟も感じずにはいられません。
どんな声も受け止めるよ、という製作側の覚悟。
物を創り出して、世に送り出し、それを評価されることは怖い。万人に絶賛されるコンテンツというものは正直存在しない。
骨を切って肉を断つではありませんが、評価が別れると分かっていても、創り手側はウッディに意志を持たせ、自由な世界に羽ばたかせたかったんじゃないかと思います。
あくまで想像、妄想なので、製作側の方、違ったらごめんなさい笑
と、書きつつも、ギャビーとボーの過去エピソードはもう少し見たかった気もするので笑、消費者は贅沢ということです!
新しいトイストーリーの誕生!
私は小学生の頃からトイストーリーが大好きで、ウッディとバズのぬいぐるみを肌身離さず持っていました。
1番好きなのは3ですね。
あれは涙無しでは見れません😭
本当に完璧に完結させてくれたなと思っていました…
が、しかし! 続編が出ると聞いて最初は正直嫌な気持ちが強かったけれど、大好きなトイストーリーがまたスクリーンで観れるかと思うと嬉しくてたまらなかったし、グッズも楽しみで仕方ありませんでした😂
感想は…
面白かったですよー✨
次はどうなるんだろう?と終始ワクワクしながら見ていました😁
1つの作品として物語構成がしっかりしており、さすがピクサー作品と言った感じでした。
ファンとして言わせて頂くと…
寂しい!!
これが正直な感想です😔
ハム、レックス、ポテトヘッド、スリンキーの出番が少なかったー💦 あと、これは仕方ありませんが声優が変わってるキャラも少なからずいました💦
でも見て良かったです!
アンディ編は3までで終わり、4からはおもちゃ達の新しい人生の物語と言った感じでウッディ編が終わったような…
そんな感じのまったく新しいトイストーリーとしてとても新鮮な気分で見る事ができました。
ファンにとってはボーピープが再登場したり、ボーピープがいなくなった理由がやっと見れて嬉しかったー!
ウッディが下した決断は私は好きです😌
悩んでるウッディを見てバズが発した言葉「彼女は大丈夫だ。ボニーは大丈夫だ。」の一言にウルウルきてしまいました🥺
その言葉の中には、「今までみんなをまとめてきてくれてありがとう。リーダー、お勤めご苦労様。これからは俺が守っていくから自分の気持ちに正直になって自分の幸せを考えろ!友よ。」そんな想いが詰まっていたように私は感じました。本編はあっさりとしたお別れだけど、それがまた良くて、今まで見てきたファンならあのシーンだけで感じ取れるはずです。
バズとのハグシーンは本当に良かったです。
アンディやボーピープの顔が変わってて、あれ?っと思うところやこれからのことを考えると、ウッディとバズ達が交わる事がなかったり、もしアンディがボニーを訪ねてきたときにウッディがいないとめっちゃショック受けるだろうなとか寂しさは否めませんが、あまり深く考えずまったく新しいトイストーリーを楽しんで下さい!
ピクサーのみなさん!続編をありがとうございました!
これからも作品が出ることを期待しています!
4を視聴することで、3のラストで感動出来なくなった
3のラストでアンディがウッディたちをボニーに譲渡するシーンは歴代の中でも屈指の感動シーンだったと思う。
「大切にしてあげて」とボニーに渡したウッディは4ではボニーに飽きられホコリを被って、ボニーの親には土足で踏まれ、いなくなっても探されもしない。
ボニーは子供だから仕方ない、そうは思うが今後「3」を見る度に今まで感動していたシーンで
「でもこの後ウッディはボニーの家で最終的にあんなぞんざいな扱いを受けるんだよな…」
と考えてしまい、ボニーに渡さないでほしいとモヤモヤするようになってしまう気がする。
3のラストにケチがついてしまったことが本当にもったいないと思う。
人間模様ならぬおもちゃ模様??
まさかの最後で…えーーーという、今までのトイ・ストーリーではない結末。
見方、感じ方は個人でいいのかなと思うのでした。
えーーーって書きましたけど、ワタシは今回の結末も好きでした。ギャビーのあたりからうるうるしちゃいました。
人間が気づかないところで、こんな冒険やロマンス、いろんな思いがあるのかもって、真剣に考えたら、うちにいたリカちゃん人形とかうさぎ(実はくまだったwww)のぬいぐるみとか、なに考えてたのかなぁ…とか。
これからバズは、ジェシーは、フォーキーはどうなっていくのか、そしてウッディとボーはどんな風に過ごして行くのか、気になって仕方ありません。
子ども向けかと言われたら…ちょっと違うかも(笑)
必ずしも特別なわけではないということ
3放映当時、トイストーリーはこれ以上ないくらい最高の終わり方をしたと思いました。
これだけ深く、オモチャにとって救いのない未来が何度も暗示され、どうまとめるのだろうかと不安になりながらも、最後のアンディの選択で「間違いなくこれしかないと言えるハッピーエンドだ」と完全に納得させられた素晴らしいエンディングだったと思います。
ただ、ここで当時うっすらと疑問に思っていたこともあり、映画の完成度の高さからなるべく意識しないようにしていたことがありました。
それは「ボニーのような幼い女の子が、男の子向けのカウボーイ人形であるウッディを相棒にするだろうか?」という点です。
トイストーリー4ではこの考えたくない部分に切り込む形になります。ウッディがボニーに必要とされなくなるのです。
それはウッディが壊れたわけでも、ボニーが大きくなったかでもありません。
単純にボニーがウッディを「特別に思っていない」からです。
トイストーリーを3まで観て来た人たちにとって、ウッディは常に主役で、みんなのリーダー。アンディからも
一番愛されていて、典型的なヒーローとしての扱いが印象深いと思います。
それを成り立たせている要素の一つに、ウッディがアンディの一番のお気に入りだから、という他のオモチャと違う特別な立ち位置があります。
完璧なエンディングを迎えたトイストーリー3を観た後でなるべく考えないようにしていたことは、オモチャを渡された次の子が必ずしもそのオモチャを一番大切にするとは限らないということ。
ボニーはとても良い子で、オモチャを乱暴に扱ったり、飽きたらすぐ捨てたりする、ということはありません。
ですが、それと全てのオモチャを同じように好きになり、大切にするかどうかはまた別の話です。
好き嫌いというのは明確にあり、オモチャたちがどれだけ子どもを愛そうが、子どもがオモチャを必要としなくなるということはトイストーリーの中で何度も描かれて来ました。
単純にウッディにその番が回って来たということです。
ウッディがアンディにとって特別であったからといって、ボニーにとって特別であるかどうかはわからない、という当たり前だけれどややシビアな部分をこの映画はきちんと描こうとしていました。
逆にフォーキーのような傍目からも本人すらオモチャかどうか怪しいと思える存在でも、ボニーが「オモチャ」だと認識し、大切な友達扱いをしている時点でオモチャとしての役割を果たせているわけです。
ウッディは誰よりもその事実を理解していて、身を呈してフォーキーを助けようとします。
オモチャとしてボニーを元気にさせている以上、必要とされていない自分は、なんとしてもフォーキーをボニーの元へ帰そうとするわけです。
仲間思いで、献身的、これまでずっと描かれてきたウッディのリーダーとしての、子どもを大切に思う気持ちは最後までブレません。
ところが、ボニーと遊ぶことはできないが彼女が大切にしているフォーキーの世話を焼く、というウッディの役割は、もはやオモチャとしての役割を逸脱していることを周囲は批判し、本人もそれを深く自覚します。
最後のウッディの選択は、人によって評価が分かれるようですが、仮にボニーの元に戻ったとして、ウッディはもう必要とされていないのです。
必要とされるように努力する、という選択もあるかもしれませんが、その足掻き方は今までの正しい抵抗とは意味合いが違うものになってきます。
あくまでウッディはオモチャであり、ボニーの持ち物に過ぎません。ウッディは誰よりもその事実を理解しているからこそ、ボニーにとって必要ではなくなった時点で
自分の「ボニーのオモチャ」としての存在価値はなくなったとはっきり確信したのだと思います。
ボニーに必要とされていないのに、バズやジェシーたちと仲良しこよしでずっと一緒にいるというのは完全な馴れ合いであり、そこにオモチャとしての存在意義はありません。
最後の選択は、徹底して「誰かのオモチャ」としての役割を果たしてきたウッディが、誰のものでもない「ただのウッディ」として完全に自由になるための必要不可欠な選択であり、この選択はいずれ必ず選ばなければいけないものでもあったのだと思います。
おもちゃが子どもを「捨てる」
ボニーが、ウッディが要らないから遊ばなかったんじゃないと思う。
要らなかったら、キャンプに連れていかない。
ただ、ボニーにとって「メイン」おもちゃじゃないだけ。
メインが変わっただけ。
多分、女の子だから女の子の人形メインになっていったのだと思う。
メインで遊んでもらわないだけでヘコんでいたら、
他のメンバーは常にヘコんでいる
メインで遊んでもらって当たり前って思っていたのか?
とウッディの性格を「器の小さな自分大好き偽善者キャラ」にしてしまっている。
今回の教訓は、
子どもに、
少しでも遊ばなかったらおもちゃが子どものもとを去るよ
と教えたいのかな?
ボニーは今まで持っていたおもちゃのように、
アンディからのおもちゃも同等に大切にして遊んでいる
優しい女の子だから、
家に帰ったボニーはきっとウッディを無くしたことに
ショックを受けて、自分を責めるんだろうな…
ウッディも含めてストーリーのキャラ全部の扱いがひどいと思った。
2019-67
なんだろうこの気持ち。
子供の頃とちっとも変わっていない自分だからこそ、なのか、大人になったからこそなのか、とりあえず胸の奥を締め付けられた。
トイ・ストーリー、実は見たことありません。
子供の頃、ぬいぐるみや人形に情が湧くタイプで、プーさんのメモ帳を1枚使うだけで、プーさんがごみになっちゃう😭と思っていた私は、このシリーズを避けてきましたが、
大人になり、観てみようと。
んでやっぱり、心の奥を突いてくる😭いい大人なのに...大人だからかな。
ディズニーらしい万人に愛される可愛らしさとおもしろさで、飽きさせない。
イエス!ウィーキャナダ!がまさかのジョン・ウィックで萌え。
皆さんがおっしゃられてるラストのウッディの選択ですが、最初はえっっでした。おもちゃとしての役割は??とも思いました。
でも、ウッディの気持ちもわかります。
ウッディの名前も呼ばないボニーにはもうフォーキーがいるし、迷子の子のところに行くことを決めたギャビーを見て、自分を必要とする子のところに行ったり、広い世界をボーたちと見たいという気持ちも。
だから、反対はしないかな。人生は発見の連続で、ウッディも人生を生きているし、その時々で考え方も変わる...って、大人な映画ですね。
これまでを知らないからあまり語れませんが、シリーズのファンの方が戸惑うのもわかる気がします。初見の私でさえ戸惑ってますから(笑)
あ、ギャビーを初めて観たとき、もしもアナベルが喋ったら?という考えがよぎってしまいましたが、一瞬で消し去れるくらい、面白かったです。
賛否両論の賛 これはウッディが幸せになる為の物語
〜全体〜
新キャラがどれもキャラ立ちしていて始めから終わりまで飽きる間を与えてくれない作品です。ご覧になる際はぜひ4DXで!最後の某シーンで某新キャラが、4DXの技術をふんだんにムダづかいするところは爆笑しましたw
旧キャラの活躍が少し少なめ、オモチャの持ち主の女の子のセリフに「ウッディ」という台詞が一度も出てこなかったこと(これは終盤への伏線ですけど)が少し残念だったので、星1つ減らして星4にさせていただきました。
〜終盤を踏まえた所感〜
ウッディはオモチャなんだ、という考えを変えられない方は見ない方がいいかも。1〜3の世界観を持ったままの方が幸せという考えだってあると思いますし。
でも、ウッディは友だちなんだ、と思える方には是非見てもらいたい。ウッディに特別な思いを持っているあなたにとって、ウッディが幸せになる為の物語は、きっと胸に響くものがあると思います。
なおウッディ最後の決断について、仲間の判断や振る舞いに違和感がという声もありますが、日々のウッディのことをずっと観ていたからこそ、その決断を受けいれたのではないでしょうか。
〜賛否両論について〜
ウッディの最後の決断が賛否両論の要因と推定した上での意見となります。
本作のレビューを観ていると、ふと会社を転職していく人に対して「あんなに良くしてやったのに裏切られたよ」「あいつはどこにいってもダメだな」などと陰口をこぼす人、逆に「おつかれ、次もガンばれよ!」「また呑みにでも行こうや!」と応援する人に二分化するという構図を連想してしまいました。
この差はどこからくるかというと、自分が培ってきた「固定観念」の強さだったりするのかなと思います。
過去、こうした「固定観念」が生きる上である程度必要な時代はあったと思いますが、この先は変化が激しくなる一方の時代。自他に限らず「変化」を受け入れる姿勢が大事になってきます。
自分は、ウッディの決断もまた1つの「変化」と捉えました。それを受け入れるか、受け入れないかは、作品を最後まで観たあなたが決断することだと思います。
クリエイターへの尊敬の念を覚えます
始まりこそ子供部屋のおもちゃの話ではあるけれど、ディズニーで見られるのは世界の片隅の話ではなく世の中の縮図なのだと再確認した。
変わるものと変わらないもの、選ぶものと選ばれるものがいる。
積み上げてきたものがぶち壊されたというファンの意見もわかるが、積み上げてきたものがあるからこそグッとくる。
さすがにラストにはショックを受けたものの、ただのちゃぶ台返しではなくウッディの葛藤も丁寧に描かれていたので心苦しくも納得できる。
ただ女を選んだ奴みたいな言い方をしている方もいたが、ボーへの特別な感情だけでなく「変わることへの憧れ」が大きかったのではないかと思う。
アンディーとの日々は今でも宝物であり、子供達への想いも変わらない。形は違えど遊園地で子供達を笑顔にしていたわけだし、これからも彼なりにおもちゃとしての使命を模索していくのだろう。
偉大なジョン・ラセター
最悪です。
あのラストを描きたいから今までのシリーズ全作品に泥を塗ったとしたら、ジョン・ラセターがいなくなってしまった後のピクサーにはもう期待できません。
ボーが活躍するのは彼女のまた違った一面が見れてよかったのですが、その活躍を際立たせるためにウッディやバズが活躍するシーンが全然なかったのは本当に勘弁して欲しかったです。なんであんな作品を作ったのでしょうか。
そしてせめて、せめて最後に仲間達との別れを描くならばもう少しアンディ家のおもちゃ達を活躍させて欲しかったです。かなりあっさりとした別れでとても悲しかったです。
新しいおもちゃ達はみんな魅力的でした、できれば短編など、ナンバリング作品ではない作品で出して欲しかったです。
とても悲しくなりました。もう今までのようにはトイストーリーを見ることができないとおもうととても悲しいです。
下手な文で申し訳ないですが、これが僕の感想です。
アンディが可哀想に思えてくる。
3でアンディがボニーにおもちゃを渡すシーンで唯一ウッディを渡すのは躊躇ったけど、「ウッディとも遊んでくれるかい?…よろしくね」って言って渡すし、去り際には切ない表情もする。それほどアンディにとってウッディは大切存在だったのに、今作ではそのアンディの想いが踏みにじられたように感じました。
ラセターさんが良かった
今作はウッディを中心に置きすぎて他のキャラクターが前作とは全然違う人のように見えました。バズなんてあんなマヌケなキャラじゃない。ラストは、このシリーズを完全に終わらせたいのだと感じました。今作は「無限の彼方へさあ行くぞ」というセリフで締め、1のウッディが登場するオープニングの音楽でおわる。2では「無限の彼方へ共に行こう」というセリフで終わっていたことから、これはもうウッディとバズ達は会うことはもう絶対なく、続編も作る気ないんだなと僕は感じてしまいました。ラセターさんの脚本を3分の2も変更したらしいですが、僕はそのままラセターさんが今作を手掛けていたら同じ結末でも、もっとトイストーリーらしい作品になっていたかもなって思いました。
迷子とは、、
3のみ、鑑賞しました。
号泣レベルに感動したのを今でも覚えています。
そして本作。
前作のような号泣するほどのシーンこそ無いものの、
実写と間違えるくらいの映像クオリティの向上に驚きました。
最初の大雨のシーンの雨の描写や、メインの遊園地のイルミネーションやアンティークショップの照明などは本当に綺麗でした。
ウッディーは本当に最後の最後までヒーローだったし、これからは自分の人生を生きて欲しい。だから彼の決断を尊重します。
結局最後のほう、ボーと一緒になっても、射的のおもちゃを積極的に子供に提供するあたりなど、ウッディーの子供を幸せにする、という信念は変わっていませんでしたね。
居場所はどこにでもある。
信念さえ失わなければ。
そんなことを教えてもらえた良い作品でした。
俺は最高やった
1〜4の前半までは持ち主の為、仲間は見捨てない!
で生きてたウッディ
ボーンの話を聞いて思ったより良い世界もあると知る
最後のシーン
バズと離れるのは視聴者としてとても辛いけど
持ち主の為じゃなく自分の為に生きる、ウッディの新しい幸せの始まりと思って俺はあのシーンで泣いた!
友達はあんなに仲間思いで行動してて最後で裏切るんかいって筋通らんやんって納得いってなかったみたい(笑)
全358件中、281~300件目を表示