トイ・ストーリー4のレビュー・感想・評価
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完結編かな?
ボビーにおもちゃが移り数年、ボビーが成長することで、おもちゃの好みも変わってきたが、おもちゃ側は持ち主のことを想って行動する中で色々な事件がおきます。
トイ・ストーリーの良いところって、あまり綺麗事でストーリーを進めない所だと思います。
アンディが一番お気に入りと言って渡したけど、ボビーは女の子ですし、好みが変わっていくのは当然ですよね。
おもちゃに自我があるのって不思議な話です。
でもなんかこの話を観た後は、自分がかつて失くした物って、もしかしたら自分から逃げだしてたり、突然見つかった物は、自分で帰ってきたのかな〜って、そんな気持ちになれます。
終わり方も私は好きでした。
ボー・ピープとの再会。 これまでのトイストーリーの感動ものとは、ち...
賛否両論とあったが、正直否の理由が全く理解できなかったくらいいい作品だった
賛否両論という意見を見たので若干穿った見方をして本作を見てみたが、特段非難すべきところがなくとても楽しめた。
初っ端からのボーと羊たちだけが引き離されるという展開があったが、いわゆる闇落ち展開からの、つらい経験をした女性は強く逞しくなるという描画、現代の女性像として表現しているのが良いなと思った。きっと20年前では逞しい女性が頭でっかちの男たちに潰されるということがあっただろうが今の時代だからこそ表現できた事なのではないかと感じる。
井の中の蛙の勝気のお姫様が不可抗力で自分の力で生きていかなければならず何年も経過して自分のスタイルを見つけて勇ましく生きている姿、自分はまずここで惹きつけられた。
ウッディも正直可哀そうな立場だと思う、アンディから大切にしてと託されたけれど、ボニーからすると貰った一つのおもちゃでしかなく、好みじゃないから遊ばれなかっただけ、ボニーが作ったフォーキーというおもちゃには思い入れがあるのでボニーはフォーキーを気に入っているが陰でフォーキーを成長させたのは間違いなくウッディだった。
私事だが、ある店舗でバイトをしていた時に、当時の店長などからは良くしてもらっていたが、経営者が変わるからと経営層がごろっと変わった際に、新しい経営層が私のことが気に入らないようで邪険な扱いをされ、新しい経営層が雇った新人たちは良くされていた。私としては前の店長などに恩があったので数か月働いたが結局新しい経営層とどうも上手くいかず「お前は前の店長たちから託されたから使ってやっているが正直俺はお前を使いたくない」と言われてあっさりとバイトを辞めた経験がある。
その経験とウッディの立場が重なって共感しかなかった。
今までのトイストーリーシリーズから人格が変わったとかいう感想を残している人は多分人生経験が浅いんだろうなと正直思う。環境が変われば人格なんてものは変わる。
今までアンディというウッディにとっての良き持ち主の元で良くしてもらっていたからここにいたいと思っていただろうけど、自分の事を無視する新しい持ち主だから自分は必要ないのではないかと考えるのは自然の事だと思う。
ウッディにとっての幸せは自分の事を無視する新しい持ち主の元にいることではなく、紆余曲折あったがボーという長年の仲間と新しい道を進むということだったのだろうと思う。
仲間たちとの別れがあっさりしているとかいうコメントあったが、ウッディ以外は新しい持ち主に選ばれていて、選ばれなかったウッディが今の状況を辞めたいと思ったときに、「もっと頑張れよ」とか「これから巻き返せるよ」とか言える奴は昭和精神が抜けてないんだろうなと思う。自分の幸せは自分で掴めよというのが今どきの考えだろうと思う。
バズが自分の信念がなくなったという意見もあったが、相棒のウッディから「自分の声を聴けよ」と言われて、俺もやってみようというウッディに対する信頼感があったのではないのかと思う。
バズに関してはランダム(?)な自動音声だったのでウッディとは違うかもしれないがそこも相変わらずおちゃめなバズだったと思う。
シリーズ通してキャラたちの個性を考慮したり、時代を考えると本作の何が悪かったのかが理解できなかった。時代に取り残された精神的老害たちや変化を嫌う昭和精神の人たちが声を上げただけなんじゃないかと思う。
思い入れのあるトイストーリー2の次に本作が面白かった。
感動がないからと本作を低評価にしている愚か者がいたが、私は3の方が安直なお涙頂戴な気がして好きではなかった。
涙を流せるからいい作品という訳ではない。自分が涙を流したから自分にとってはいい作品だと思いたいと思い込んでるだけ。
本作はいろいろな所に考えさせる要素のあるいい作品だと思った。(初期不良というなのハンディキャップや様々な人種のキャラを登場させたり等々)
本作は当時トイストーリーやトイストーリー2を見ていた子供たちが大人になって考えさせられる作品なんだろうと思う。本作だけを見ただけで云々言っていいものではないと思う。
選択の時
3のラストで大号泣だったので続編はあまり気が進まなかったのですが、観て良かったです。
おもちゃ達の友情・チームワーク・切ない性(さが)に今回も泣きました。
アンディとの思い出に囚われ空回りするウッディ。彼がフォーキーと自分を重ねていたように、ウッディと自分を重ねて観ていた人も多いかもしれません。
クローゼットの隙間から様子を伺って待っているだけでは何も変わらないのは薄々気付いている。自分の時代が終わりつつあることも...それでもああやって持ち主であるボニーの為に奔走するウッディが切なくて愛おしい。
なぜ、そこまで?
自分の中の“内なる声”を聞いているから。“内なる声”に耳を傾けていれば、“その時”がやって来た時にきっと感じ取るのだ。
待つだけの日常に戻るのか?新たなステージへ踏み出すのか?
今が選択の時なのだと。
あまり感動できなかった
ウッディが悪者だったギャビーと壊れたボイスを交換してあげるのがとても優しくて印象的です。ボニーのところへ行く途中で迷子の女の子を見つけて幸せになる展開も面白い。
あと、ヒロインのボーは表情が豊かでとても魅力的に描かれていたと思います。
気になったのは下記です。
・ボーと離れて、家に帰ろうとするウッディだが、バズのボニーは大丈夫の一言で、家に戻らない決心をします。大きな決断をするには少しエピソードが弱いと思います。
一度は家に戻るが、ボーが危険を顧みずに迎えに来てくれて、一緒にいくぐらいの展開が好みです。
・仲間たちとの別れがあっさりしている。
保安官バッジをジェシーに渡すのは良いが、その後が少し物足りないです。
「こんな大事なモノはもらえない」「ボニーのことを頼む」ぐらいの台詞が欲しいです。
以上
我々が無邪気に与えてしまった生への落とし前
作品が100パーセント自分の思い通りになると思っている作り手は嫌いだし、そうあるべきと考えている受け手も嫌いだ。作品は逸脱する。登場人物は意図の通路に容易く穴を開け、好き勝手なところへ向かおうとする。
ミケランジェロ・アントニオーニの『欲望』という映画に、若者たちがボールもラケットも持たずにテニスをするシーンがある。スマッシュする音もプレーヤーの息遣いも確かに聞こえているはずなのに、そこには何も映っていない。カメラという意図性は、決して対象の全てを接収できる完全無欠の道具ではないのだということを、アントニオーニ監督は今一度主張している。何かにカメラを向けることには、常にその何かに対する責任が伴うのだ。
玩具に人間と同等の自我を与える、というのも言うなれば無邪気にカメラを回すことと同義だ。そこには画面的・物語的な進展性に対する欲望だけがある。玩具たちは、『トイ・ストーリー』という映画のために唐突に自我を与えられ、あまつさえ人間に奉仕することを運命づけられてしまった。
しかしそれは別に悪いことではない。私もまたウッディやバズのめくるめく大活劇に心を躍らせたし、彼らが紡ぎ上げる数々のドラマに胸を締めつけられた。とりわけ『3』は玩具と人間の間に横たわる根本的時差の問題に目を向けた意欲作だったと思う。ウッディたちはもう子供ではなくなってしまったアンディとの日々に別れを告げ、次なる持ち主のもとへ旅立っていった。
とはいえ『3』の物語はハッピーエンドの位相が最後まで人間側に設定されていたように思う。大人になるにつれ玩具への興味が薄れていく、という我々の後ろめたさを、玩具たちに「俺たちは誰かに奉仕している限りどこへ行っても幸福なんだ!」と言わせることで無理やり解消していたというか。玩具たちが抱える自己存在の不安は、実のところ巧妙に先送られていただけに過ぎない。
したがって本作はシリーズにとって必然だったといえる。ウッディは作り手と受け手の極限まで肥大した全能感のあわいをすり抜け、その先で隠匿されていた自己自身を知るに至る。それだけであれば既存の構造に対する単に技巧的な裏切りに過ぎないのだが、ウッディがボニーのもとを離れるまでの過程に強い説得力があった。
ウッディがゴミ同然のフォーキーを庇い続けるシーンは、彼が既に主人との関係の側端にまで追いやられていることを如実に物語る。それでもボニーを信じ続けようとするウッディに、これでもかというほどの現実が襲いかかる。
射的屋に何年間も吊るされ続けたダッキー&バニーや、古物店に売り払われたデューク・カブーン。極めつけはウッディとボイスボックスを交換してまで声帯を手に入れたにもかかわらず、意中の子供に「いらない」の一言で捨てられてしまったギャビー・ギャビー。
その一方で特定の持ち主がいない、つまり「幸福でない」はずのボーやギグルはなぜかとても楽しげだ。
それらの小さな違和感が、ウッディを悩ませる。俺もそろそろ自分のために生きてもいいんじゃないのかと。『トイ・ストーリー』という物語が設けた檻の外側を見てしまった以上、ウッディはもはや自分を愛していないボニーのもとへ戻ることができない。そんなウッディの心境を知ったバズが、彼の決心を優しく肯定するラストシーンは美しくも切ない。
我々が勝手に自我を植え付けてしまった玩具たちが、その自我を起点に我々を裏切っていったことにより、作品と我々の関係はようやく正常化したのではないかと思う。寂しいといえば寂しいけれど、そもそも彼らに生を与えてしまったのは他ならぬ我々なのだ。
ラストシーンでのフォーキーと新入りのやり取りはきわめて示唆的だ。
「私、なぜ生きてるの?」
「さあ、なぜかな」
我々の欲望はこれから先も数多のお前たちに望まぬ生を与えるだろう。だからお前たちも好きにすればいい。どのような結果を招来することになろうと、最後までそれを見届けることが我々の責務だ。
子供部屋からの旅立ち
新たな仲間、ボニーのゴミ(笑)の出現でウッディが、好きだった(と思われる、笑)ボーと再会したことも切っ掛けにバズ達と別れる=子供部屋からの旅立つ。何だか人間の親離れみたいなモノかしら。なかなか見どころあり、良かったです。もちろん映像も凄い!!
賛否両論とは
まあとにかくよく出来た作品だ。
あらゆる場面でのウッディの選択はいつも微妙であり、むしろ混乱を招くきっかけとなることが多い。
しかし、正しいかどうかは結果論であって、重要なのは何を選択するか、その決断する瞬間の気持ちなのだ。
ボー・ピープは引き留めるウッディの元を離れて旅に出た。
ラスト、決断に迷うウッディに親友バズは優しく送り出す。
結局ウッディは自分では決断出来なかったのかもしれないが、少なくとも自我を見つめ直す旅には踏み出せたのだ。
シリーズ最新作としては賛否両論的らしいが、個人的にはすごく共感出来た作品だった。
ボーに恋して
9年間もボー・ピープと離れていたウッディ。その別れのシーンを冒頭に持ってきて、ストーリーとしてはまずまずの構成となっていた。新しいフォーキーというキャラが現実逃避をしているとかいじめられているような雰囲気で、とにかく自分をゴミだと思っている子。擬人化されてるオモチャだと考えたら、とにかく悲しさをも感じる。
独裁国家から逃げ出す大活劇で興奮させてくれた前作に比べると、物足りなさもあるのだけど、ウッディのボーに対するかつての恋心が再燃すると思わせる葛藤がいい。子どもの頃からのトイストーリーファンならば、鑑賞者自身も大人にならねばならないという含みも感じられるのです。
子どもはオモチャのことなんてすぐ忘れる。そりゃあれだけいっぱいのオモチャがあれば、一体くらいいなくたって・・・
ボー・ピープのメアリー・スー感
単品で見ればストーリー的にも悪くないと思う。でも、これをトイ・ストーリーシリーズの続編として出されると違和感が強い。
「メアリー・スーって二次創作の話じゃないの?」と思った人もいると思うけど、ここではあくまで「要素要素がメアリー・スーっぽい」と思った理由を書いていく。
具体的に言うと
・ボーピープが肉弾戦も作戦行動も精神面もやたら強い。
・当然のように他のオモチャ達に慕われ愛されている。
・ウッディやバズが(出番の長さではなく実績として)全然活躍せず、ボーピープが活躍しまくる。むしろウッディがボーピープの足を引っ張っている。
・最後は主人公ウッディと一緒になる。しかも主人公は仲間との別れを選んでまでボーピープと一緒に行く道を選ぶ。
という点。
勿論ボー・ピープは元々存在するキャラだけど、なんというかキャラが変わりすぎて"ボー・ピープである"という感覚が薄いのもあると思う。
ぶっちゃけ「トイ・ストーリーのボー・ピープに転生したのでウッディを救おうと思います」ってタイトルでもあんまり違和感ない感じのストーリーだった。
こう書くと「ラストシーンはあくまで生き方を選んだだけであって、ボー・ピープ(恋)を選んだわけではない」という意見があると思う。
でも強く言いたいのはそこじゃない。ウッディやバズを差し置いてボー・ピープが活躍しすぎてるのが問題。
本当にウッディとバズの見せ場がない……。
あのオチは個人的にはうーんな感じだったけど、ああいうオチにするならするで、トイ・ストーリーなのだからウッディやバズがきちんと活躍する所が見たかった。
もはやボー・ピープが主役でウッディは脇役のトラブルメーカーになってる印象。
本当に単品で見れば悪くなさそうなストーリーなんだが……トイ・ストーリーとしては、まあ、☆3で。
困惑…!!
言いたいことは色々あるんだけど、とりあえずモヤモヤと困惑がすごい…。
中華料理店で美味しい中華を食べて、「この店美味しかったからまた来よう」と、来店の度に味付けの変化や料理が洗練されてきてるのを楽しんでたのに、ある日同じ店に行ったら看板はそのままなのに、いきなりインドカレーが出てきた感じ。
「いや、おいしくはあるんけど、中華料理食べに来てんだから中華が食べたいんだけど…。インドカレーが食べたい時はインドカレーのお店に行くんだけど…」という感じ。
(インドカレーはインドカレーで大好きなんだけど、要は困惑したということを言いたい。)
例えが悪いけどまさにこんな感じだった。
あとボーかせっかくまた出たのに色んな製作側の思想とかストーリーの都合を背負わせすぎ…。
ボーに限らず製作側のキャラクターへの愛が感じられないのが残念。
ストーリーを実現するために、ストーリーありきで既存キャラクターを当てはめてる感じが見てとれてモヤモヤしてしまう。
うーん…。
惹かれないのは何故だろう
これまでのシリーズ作品とは別物
おもちゃの持ち主がアンディからボニーに移ったあとの話。
おもちゃの持ち主が変わったからなのか、これまでのシリーズ作品とはほぼ別物のようなストーリー。
女性らしい印象のボー・ピープが独り立ちしてワイルドになっていたり、ウッディがおもちゃの持ち主から大切にされていなかったり、これまでのトイストーリー1,2,3とは印象が異なる。
アンディから「一番特別なおもちゃだから大切にして」とボニーに託されたはずなのに、クローゼットにしまわれたままになっていたり、いなくなっても分からなかったり、ウッディの扱いが雑なのが気になる。
微妙なのは、自分のことしか考えずに行動していたギャビー・ギャビーのせいで事態がややこしくなったのに、何のお咎めもなく新しい持ち主を見つけていくところや、元々のおもちゃ達がほとんど出番がないところ。
これまでのシリーズの続きというより、また別のシリーズと思えば納得しやすい。
高評価をつけているレビューにも共感する部分はあるし、全体的なストーリーとしては悪くないと思うが、自分がトイストーリーに求めていたのは今作のような展開ではない気がする。
感動する場面もあったが、何度も見たいと思う作品ではなかった。
君はともだち♪『何で生きてるの?』『わからない!』
2022.6.24地上波金曜ロードショーにて鑑賞。内容は、玩具が子供の見えない所で自我を持ち動き回る。個性のあるキャラクターが繰り広げられる子供と玩具達の関係の物語。好きな言葉は、『ゴミ・・・』今回のメインキャラクターの先割れスプーンのフォーキーの言葉。自我をもった瞬間!子供の鞄の中で命が吹き込まれた瞬間は感動的で驚いた。玩具=ゴミの関係性については持ち主の主観による所が大きいので非常に罪悪感を刺激される面白いテーマになっている。『持ち主・・・』この台詞も玩具世界で、ある種の呪いでタブーだと思われている所は興味深い。今回のトイストーリーでは、テーマは『内なる声に耳を傾ける👂』だと感じました。主人公が親友のバズとの会話での場面は哲学的で非常に面白いと感じます。これはピクサーの責任者で立役者のジョンラセターが、諸事情で作品途中で解雇され物語のストーリーボードが大幅に変更された所は商業作品としてより、文学的な表現を重要視された部分だと感じます。それが分かりにくく大人な作品になってしまい子供の作品としての表面色が薄くなってしまった深い作品だと感じました。玩具ホラーCG映画としての色が強くて非常に怖かったです。子供が観ると夜眠れなくなるかもしれません。個人的にはミッドポイントの転換点に出でくる今回の新キャラ!カナダ玩具のカブーンが味があって大好きです。カブーンだけでも話を広げていけそうです。作品の終始通して伏線が上手く張られていて計算されたストーリーボードと人が怖いモノとして描かれている所はトイストーリーのテーマの一つであり今回はテーマ性が、上手に練り込まれてるシリーズでは一番好きな、素晴らしい作品です。
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