「後半がいまいち」イントゥ・ザ・ウッズ SP_Hitoshiさんの映画レビュー(感想・評価)
後半がいまいち
赤ずきん、シンデレラ、ジャックと豆の木、ラプンツェルが超合体、な話。
テーマは「望み」と「成長」ということなのかな。
4つの話の筋が複雑に絡み合い、渾然とした一つの物語に再構成されていて、面白かった。
もともとの民話の、残酷だったりおどろおどろしい内容を継承しているのも面白い。シンデレラだと特に顕著。
ミュージカルなのも意外に良い。ときどき、これはギャグなのか?という場面もあったけど。濃い顔の二人の王子が胸をはだけながら交互に歌い合うとことか。
「森」は、日常に対する非日常、冒険、好奇心、挑戦、危険、などの象徴として出てくる。
4つの物語の様々な登場人物たちは、「望み」を持ち、それが「森」でかなえられる。
前半の最後では、登場人物たちがそれぞれみんな望みが叶い、大団円として終わる。
しかし、後半では前半の対になるように、森の否定的な側面が出てくる。
赤ずきんは、道草を食わないように注意する親(日常、いい子でいることを期待するものの象徴)を失う。
ジャックは、巨人の殺人と窃盗の代償として、巨人の奥さんに狙われることになる。
シンデレラは、王子に浮気され、別れる。
パン屋の奥さんは王子に誘惑されて、最後には死んでしまう(森の不道徳さ、危険さを意味する)。
魔女は、娘に去られ、「子供が言うことを聞かない」ことの悲しみを歌い上げる(森に行ってしまった子供の親の側の立場を表す)。
前半が望みへの「行き」の物語だとしたら、後半は現実への「帰り」の物語、という構造になっている。
後半ではなぜか、魔女が魔法を失い、しかも後半のラスボスとも言える巨人の奥さんと戦う前に消滅してしまう。
これには二つの解釈が可能のように思う。一つは、後半はもともとの昔話に含まれない、後日談の話であり、現実サイドの話ともいえるため、昔話の中だからこそ通じた魔法の力が失われてしまった、という考え方。
もう一つは、大惨事が起こったことについて、登場人物どうしがお互いに責任のなすり付け合いを始めてしまい、「望み」の利益は受け取るが代償は受け取らない、ことによって、森の魔法的な力が失われた、というもの。
後半のオチは、魔女の力を使わず、人間の力だけで協力して巨人の奥さんを倒したことと、シンデレラと王子が互いに交わした言葉、かつてあこがれていたものを永遠に愛し、現実では別れる、という選択、になる。
この映画のテーマの本質は後半にある。しかし残念なことに、前半はすごく完成度が高いのに、後半は脚本がぼろぼろだ。
巨人の奥さんの倒し方も説得力がないし、一つ一つのエピソードがつながっていなくてバラバラに見える。
テーマがすごくたくさん詰め込まれてて、何が一番重要なメッセージなのか見えてこない。
あと一歩で超名作になる気もする。