Mommy マミーのレビュー・感想・評価
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アンチPLA◯75だぜ!!!
先ずは『発達障害』と『吃音者』が一緒に和むと吃音が治るのは間違い。
民間療法と考えるべし。
発達障害への偏見を助長すると思うけどね。まぁ、デフォルメしているとは思う。
『そんなに綺麗なのに彼氏もいないの?』うん?
この母親は『ハウスキーパー』で飯を食べているのか?
『調子に乗せないで!』
つまり、寓話である。
一対一の映像比には理由がある。絵画的に映像を作っている。そして、小津安二郎監督をリスペクトしている。そうとしか思えない。
母親の愛は永遠に続かない。施設に入れるのをなぜ嫌がるのか?僕はそれが分からない。病気なんて言うものは素人が判断しては駄目である。
いつも思う事は、発達障害に限らず、障害を持った者が安心して暮らせる社会に社会自体が変わらなければ駄目なのだ。障害者の成長のスピードに期待しないで貰いたい。
そして、最後はみんな平等に孤独な死を迎えなければならない事を自覚するべきだ。そう、それまでは諦めない事だ。
架空の社会に於ける寓話だから良いとは思うが、拘束される事は無い。
「母は強し」という感想で良いのだろうか…
少し重かったが、すごく良い作品だったと思う。
評価も高かったため期待して観たが、全然期待以上だった。
画面のアスペクト比が変化したり、ストーリー運びの映像切り替え等々、かなり凝って創られた作品だと思う。
スティーブの未来予想図?と言うか期待値図?と言うべきか、その映像が走馬灯のように流れたのはかなり泣けた。
正直何をどう感じることがこの作品の醍醐味かを解説する自信は全く無いが、ダイアンの涙を堪えるラストシーンは、母の強さを強く思った。
親子愛だけじゃない。
とにかく見るのがしんどかった。
ADHDであるスティーブの母やカイラへの支配的な愛は尋常じゃなく、それに対する母からスティーブへの愛には時々恐れや戸惑いを感じてそれが苦しく感じる。前半の救いのなさにはかなり辛いものがあった。そして登場人物の多面性に心をやられた。
それでも中盤から少しづつ希望が感じられ、開けた画角に入る時、oasisのwandarwallが流れ元々カッコいい歌だが、今までで1番カッコよく聞こえた。前半には見づらいと思った1:1の画角もこの快感にも感じられる展開への伏線であると考えれば納得。
途中で捨てた希望の未来が流れるが、そのシーンも胸を締め付けられる。母は結局施設で生き永らえることに希望を見出すが、その表情はどこか悲しそう。切なさが前面に押し出されたシーンだった。
ラストシーンからもスティーブは自由に固執していると感じられる。監督の演出からもそれを至る所で受け取ることができる。
様々な感情が溢れる良作でした。
スクリーンサイズ
スクリーンサイズが1:1という、TVではちょっと鑑賞しにくい画面。アップになると表情がわかりやすいけど、どことなく絵画的であるのも面白い。
火災を起こして施設を追い出されることになったスティーヴ(ピロン)。最初から黒人のタクシー運転手とトラブルを起こし、職場についたダイアンは突然の解雇。普段は優しい子なのだが、注意欠如・多動性障害というスティーヴは時折暴力的になるのがやっかいだ。父親が死んでから一人で育ててきたが、今は子供向けの翻訳の仕事を見つけたダイアン(ドルヴァル)。
そんな中、隣人のカイラ(クレマン)と仲良くなるが、彼女もまた教師でありながら2年前から言語障害を患い、長期休職している。次第に交流が深まると、スクリーンサイズは普通のビスタサイズに戻るが、放火によって傷を負った家族から25万ドルを請求する訴状が届き、再び暗い1:1の画面に・・・そしてスティーヴがスーパーでリストカットして登場人物の心が揺れ動く。問題を抱えながらもドライブに出かけ、そこでまたビスタサイズになるという、心理描写をスクリーンサイズに投影しているのだ。
そんなスティーヴを結局は施設に入れる決断をするダイアン。母と息子の心理もよくわかるけど、実際に知的障がい者が身近にいないので隣人カイラの気持ちがより伝わってくる。
Mommy
ADHD(注意欠陥・多動性障害)を抱える人々の存在をSNSなどを通して知る機会が多くなっていた。その症状について「遅刻が多い」だとか「片付けができない」だとか、とにかく漠然とした知識しか持っていなかった。もちろん人によって症状の程度に差はあるのだろうが、彼らが直面する現実をこの映画を通して垣間見た気がすると言ったら稚拙だろうか。
冒頭からダイアンとスティーブの放つ言葉は刺々しく、お互い比例し合うように感情を剥き出しにする。それと対比するようなカイラの吃音。「キャラクターが主役になって、観客の視線も否応なしに集まり、目が離せなくなる。」という理由のもと設定された1:1の画面比率も手伝って、彼らの感情の機微を感じ取ろうと必死になれた。
この映画で一貫して描かれているのは「母子の愛」なのであるが、それは時に率直であり、時に歪なものであった。ダイアンとスティーブに通底しているのは互いに必要とし合っているという穏やかな愛情であるにもかかわらず、どうしようもない現実や未来への不安を目の当たりにするたびに、そんな愛情を守るべく交わされる言葉で、見失いそうになる愛の存在を確かめているのだろう。
母子再び
2015年の公開時にも見たのですが、昨日まで恵比寿でやっていたのでまた見てきました。
個人的にはドランの処女作「マイ・マザー」が一番好きです。この「マミー」を見て良かったなと思った方には是非「マイ・マザー」「わたしはロランス」等も見て下さい!と言いたいです。
テーマは母と息子の葛藤。アンヌ・ドルバルが母を演じています。彼女のフランス語が非常に聞き取りにくい。すごく訛りがあって。他の作品ではドルバルはきれいなフランス語を話しているので、恐らくこれはわざとなんですよね、主人公一家のポジションを示すための。
1対1の画面が話題になりましたが、正方形だと画面がひとりのアップになりやすい。これが「たかが世界の終わり」の撮り方につながったのかなと思いました。父親が亡くなり引っ越した点など、いくつか重なるところがあります。
隣人のカイラは息子を亡くしていて、恐らくスティーヴに息子の成長したときの姿を重ねている。
子どもを持てば、どうしてもその子が卒業して結婚して孫が生まれて…と想像するかと思います。それだけにラストが悲しい。
いい意味で「マイ・マザー」をより洗練させた作品ではないでしょうか。
グザビエ・ドランの次の作品が早く日本で公開されることを首を長くして待っています。
一個しか歳違わないなんて、嫉妬
愛だけではどうにもならないと施設の人に言われながら、愛だけで二人だけで障害も困難も乗り越えようとする話。
超ミニスカでヘビースモーカーで低学歴のダイアン、傍目には母親失格と映りそうやけどスティーブの全てを受け入れる愛情の深さ。キレてやばいときはしっかり逃げる冷静さも障害を言い訳に息子を甘やかさない強さもある。
スケボー乗ったりカート押したり走ったりしてるときのスティーブ、ほんと自由で気持ちよさそうで。母親に見守られて安心してはしゃげる。
カイラも交えて幸せな世界フォーエバー!ってかんじやったのに…どうにもならない現実ってこと?入院の場面で切なくなった。
架空の法律があるって設定やったけど、現実にも福祉とか思いやりの心とかいう綺麗事じゃ済まされないことは死ぬほどある。実際自分がダイアンの立場やったらあの法律のおかげで救われるかもしれんし。
でも最後まで愛を信じたいメッセージはがんがん伝わった。
てか画面の幅いつ正方形に戻ったんやろ?って見返したら、裁判所からの手紙のとこやった。はあ…
好き嫌いの分かれる映画
そもそも最初から彼の病気がどんなもので、こーやって親に育てられたらグレるだろうってレベルなのか、それを逸脱するほど人殺しってわけでも無い。けれど火傷は負わせてしまうなど攻撃的な一面を見せられると彼の病気の酷さが私に伝わってこなかったのと近所のオバ様の良さが伝わりづらかったかな?!良き友達、理解者?でも置いて引っ越す?!うーん…
だけど母親と別れて収容所にってシーンは目頭が熱くなりますね。
確かに手に負えない。負えないけど優しい一面もある。DV夫と一緒?だけど病気なんだよね。
ちなみにフィルムぽい撮り方の個性には共感できなかったけど好きって人もいると思うので、そこは個性ということで(^_^)
母の愛は無償
躍動感のある映像で最後まで見入ってしまった。
シングルマザーのダイアンはADHDという障害を持つ息子スティーブとの生活に奮闘し、向かいにすむ教師のカイラも交えて幸せな日々を過ごしていたが、残酷なクラブでのシーンや手首を切る場面は胸がえぐられた。
それでも母ダイアンの愛が見る者を支える。
母の葛藤と苦悩の描き方も素晴らしい
よかった
発達障害のきついのを患っている高校生とシングルマザーと向いの家の熟女、マザコン要素たっぷりの世界観で、ちょっと入り込みづらい。画面が正方形なのもスクリーンを無駄に使っているようで狭苦しかった。
貧困や精神疾患といった重々しいテーマで、最終的に子供を施設に預けてしまう。その日、短期で里子を預かって次の引き取り先に行ってしまったので、見捨てるような形がとてもつらかった。自分の場合も、頑張ればなんとかなったかもしれないが、しかしそれでいろいろな負担がのしかかるのは目に見えて明らかで、最悪の場合全員が倒れてしまう。だからと言ってどうにもならないと割り切ることもできず、世の中には苦しいことがたくさんある。そういったケースとしてリアルに描かれていた。
お母さんが、酔っぱらって息子が立派で幸せになっている夢を見る場面がとても切なかった。映像が狭いけどとても美しく、役者さんはとても自然で実在感がすごかった。
繊細
作品としては「私はロランス」の方が圧倒的に好みですが、グザヴィエの繊細な心の中を覗き見できた気がします。
グザヴィエがこんなに美しいフィルムを撮れるのも、全てにおいてスティーブの様に「敏感」だから。そして「愛」を探し続けているからかもしれません。
精神病院に繋がれたスティーブが走りだしドアを開く。それはまるで、閉ざされた個から解放され、その才能を開花していくグザヴィエを見ているようでした。
wonderwall
内容は物凄く目新しいわけではない母子と隣人の物語で、新法が設立されたという設定も活きてるのか活きてないのかよくわからなかった。
というより、もうwonderwallが流れるシーンが良すぎて良すぎて中身がすっ飛んじゃったというのが本音(笑)
主人公の咳払いから曲が始まり(曲を知っている人なら思わずニヤリとするシーン)、曲をバックに主人公が手を広げて同時に画面のアスペクト比をワイドに拡張していく、この演出だけで「あー、俺この監督の映画好きだわ。」って思わせてくれた。
見た目だけじゃなく、撮る映像もいちいち繊細で美しい、なんだこの若者は。
若さ溢れる作品
まず、誰もがスクリーンの画角が気になるだろう。そんなことも気にならなくなってきた中盤にハッとさせられる。主人公がスケートボードで道路を滑っていると彼の手の動きと共にスクリーンが開けて行く。その時のBGMがoasisのWonderwallというのが、監督の若さ溢れる表現力を知らしめている。誰もが知っている曲をあのシーンで使うのは若さが成し得る技としか思えない。しかし、曲に負けない演出をしているのが素晴らしい。
他ににもSimpleplanのwelcome to my lifeなどBGMから若さが溢れ出ている。
きれいな映像、魅力的な主人公。。。
この監督がすきでやっと映画館で観れました
難しいテーマだと思います
母と子
主人公は障害はあるけれどすごく魅力的ですごく素直
まっすぐできらきらしていて、とても引き込まれます
母親も魅力的で母親であり女でありとてもセクシー
余裕を感じるし、とても空気の読める人物
お向かいのカイヤのいきさつがいまいちわかりませんでしたが
彼女が加わることにより加速するストーリー
家での3人のパーティ
最後の車に乗った後の空想のシーン
もし車を発車しなければこうなったかもしれない、
いろんな可能性や待っている未来
でも問題が大きすぎますね
最後の走っていくシーン
ガラス張りだったので亡くなったんですかね?
カイヤも引っ越すし、人生とはうまくいかないものですね
たくさんの母親からの愛を感じました
きちんと言葉にすることの重要さ
最高でなく特別なのだと
余韻。。。
スティーヴの痛々しい魅力
息子スティーヴの危うさは常に破滅を予感させるけど、音楽に合わせて踊る姿やスーパーのカートに乗って「自由だ」と叫びながら疾走する無邪気な顔を見ていると、正しい道へ進んで欲しいと強く願う母親の気持ちにシンクロせずにはいられない
障害を上手にコントロールできるようになって、大学に合格して、彼女ができて、結婚して、、、
スティーヴの施設入所を決めた母によぎる諦めた方の未来には胸が張り裂けそうになる
あの選択をした心情ついて
グザヴィエ・ドラン監督の第5作。
期待を裏切らないですね。
喜怒哀楽がほとばしり、生命力に満ち満ちた世界を堪能しました。
ごちそうさまでした。
なかなか言葉がまとまらずしばらく寝かせて感想を書いてます。
明るい画面と、正方形の画角
時々挿入される横長の画角。
oasisのワンダーウォールが流れる中、
スティーブが壁を押しやるような仕草をして、画面が広がるシーンに、突き抜けるような多幸感を感じました。
大好きなシーンです。
同じ役者を使うのが好きな人ですね。
でも、皆さんお上手だから、別の人に
見えますね。特にスザンヌ・クレマン。
私はロランスのフレッドと同じ中の人とは思えない。
スティーブをラストで病院に入れたきっかけは、スーパーでの自殺未遂が直接のきっかけだと思います。
だとすれば、ダイアンの願いは、生きながらえて欲しい、なのかなと思います。
自由を奪って管理された世界に閉じ込めてでも、長く生きていて欲しいということ?
でも、スティーブにとっては母のそばで母を守り愛していきたい、自由な世界にいたい、訳で。
ダイアンからは確かな息子への愛が感じられます。でも恐れと憎しみも時々滲んでいる。
スティーブは全身から母への愛を放出しているけれども、その愛は暴力的で支配的で常軌を逸している。若干性愛の香りもする。そこらへんの線引きが難しいのだろうけれど。しかし、笑った顔やワンダーウォールのシーンなんかを見ていると愛しい愛しい坊やにも見える。
カイラからも、また一言では言えない複雑な人間性が感じられた。
かいつまんで説明できない登場人物たちの多面性が、あの結末を選んだ心境を、幾通りも思い起こさせ、その全てが解釈として正しいようにも思います。
作り手が意図した、事象と心情のリンクを味わい、解釈するのが物語を味わう醍醐味の一つだと思うけれども、現実の出来事は事象と心情が簡単に読み解けるものではないです。
事象に対しての思いや狙いが、これこれこういうものですだなんてしれっと提示できるほど我々は単純ではないです。
病院に入れた後のダイアンの描写も、一人になった事を喜んでいるというか肩の荷が下りたような風にも思えるし、でも後悔も口にしているし、断言できるようなもんではないのだろうと思う。
その事を実感させられる映画体験でした。
私はまだまだ人間を学ぶ必要があるなと思いました。
病院に騙して連れて行く車の中で、おそらくダイアンが描いた希望の世界が、幸福そうで、たまらない切なさを感じました。
愛だけでは、どうにもならないのだなぁ、とおもいました。
私はロランスの感想と同じですね。
中央席で観ることをオススメします
本編始まる前に約10分の監督についての思想や映像表現を解説するショートムービーがあります。ここで本作の映像では、インスタグラムのような1:1画面で個を表現しているという解説があります。
そうです。この映画は1:1の正方形画面なのです。だから、中央席で観た方が断然見易いわけです。
カナダ映画。ドラン監督は架空のカナダを作りだし、その中で、発達障害の子とその親と隣人が夫々問題を抱えながら求め合い展開していく。愛憎、献身、脱却。
甘えもなくシビアに接することでそこにリアリティが生まれる。
素晴らしく哀しく、感動した。
特に以下のシーンにグッときた。
・買い物カートを振り回し回るシーン
・ママの為に買ってきたのに!盗んだと疑いをかけられた、親子の葛藤シーン
・少年と隣人の葛藤。死んだパパの話しをする、いやなら黙りなさい。恐ろしく、お漏らししてしまう少年
・買い物カートを車道で突っ走り、僕は自由だーと叫ぶシーン
・その場に合わない曲を少年が歌い、周りにからかわれながらも懸命に歌うシーン。独り占めできないと歌詞で母に向かって。弁護士の男が横にいる。
・ラスト、ぼやけ効果を上手く使い、引き裂かれる哀しい感情を映像で伝えているシーン。
・車内。雨音。また母に捨てられる恐怖を感じ、逃亡。取り押えられ、息子と母が引き裂かれシーン
音が良くて、とりあえずパンフレット買って、それともう1回は必ず見ようと思う
画角の変化を効果的に使用していて、その意図も非常によく伝わってきたし、役者の演技・演出が細かい表情まで見事に表現されていて、それが一層画角の効果を引き立て、どんどん引き込まれてしまった。
必ず滅びへと向かうであろう束の間の幸せ、決して叶うことのない理想・夢想、悲しみをひた隠しにした喜び、それらを非常にうまく描いた素晴らしい作品です。
音楽の使い方も好きでした。若い監督だからこそ、このような絵と音のコラボができたような気がします。
グザヴィエ・ドラン監督がこれから創り出していく世界を、自分が生きている限り追っていきたいと思います。
偏り
全体的に暗かったです。
どうしようもない絶望には、打ち勝てない結果が付き纏うような悲しい内容でした。
画面が1:1なのがすこし見づらかったです。
音楽の使い方は独特でよかったです。
スティーブのいいところ、もう少し描いて欲しかったです。
私的な感想ですが、ひととひととの関係は、たのしさは一過性のもので、最後はバラバラになってしまって終わり。という印象でおわるのがすこし寂しいですね。
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