私の少女のレビュー・感想・評価
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異常なのはどちらか
ソウルから海辺の小さな町に警察署の所長として赴任してきたヨンナム。
どうやら彼女には何らかの過失があり、左遷させられたらしいことが窺える。
ある日、彼女は同級生から虐めを受けているドヒという名の少女を助ける。
ドヒの母親は蒸発してしまったらしく、今は血の繋がりのない継父のヨンハと祖母と共に暮らしている。
が、彼女はその二人から暴行を受けているらしい。
狭いコミュニティ故か、村で精力的に働くヨンハに対して、彼がどれだけ粗暴だったとしても誰も強く咎めることが出来ない。
ドヒの身を気遣ったヨンナムは、暴行を受ける彼女を自分の部屋に避難させる。
はじめは疑似母娘のように心を通わせていく二人だが、やがてあまりにも暴力に慣れすぎてしまったドヒの依存するような言動に、ヨンナムは戸惑いを覚えるようになる。
中盤まではヨンナムの心の中にある闇の正体が分からない。
が、やがて彼女が同性愛者であり、それが原因で左遷させられたらしいことが分かる。
観客はどうしてもヨンナムとドヒの視点で物語を追ってしまうが、この映画を通して果たして異常なのはどちらなのかと何度も考えさせられた。
どう考えても娘に暴力を振るうヨンハは狂っている。
しかも彼は不法入国者を雇い、彼らから不当に搾取している。
それでも村では皆が彼のやることに目を瞑っている。
ついにヨンナムは入国管理局を巻き込みヨンハを逮捕するが、逆にヨンハから告発を受けてしまう。
同性愛者である彼女は不当に自分からドヒを取り上げ、彼女に性的な暴行を加えていたと。
刑事たちは同性愛者だからという偏見に満ちた目でヨンナムの取り調べを行う。
そして純粋にヨンナムのことを好いているドヒは、誤解を招くような証言をしてしまう。
完全に不利な状況に追い込まれたヨンナムは、ドヒを助けたいという純粋な正義感から動いたにも関わらず拘束されてしまう。
ただ同性愛者に対する偏見のために。
一方、悪事を働いたヨンハは何事もなかったように釈放される。
そして相変わらずドヒに冷たく当たり続ける。
が、ドヒもただ大人しくやられているばかりではなかった。
継父から逃れるためか、それともヨンナムを助けたい一心か、彼女はヨンハに罠を仕掛ける。
裸になって彼の布団に入り込む彼女の姿にゾッとさせられる。
そして罠とも知らないヨンハは、今度は性的暴行の現行犯として逮捕される。
いくら村中が彼を庇ったとしても、性的暴行の現場を押さえられてしまったら弁解の余地はない。
そして父親が娘に性的虐待を加える罪はあまりにも重く、誰もドヒが嘘をついているとは考えもしない。
観客だけがすべての真相を知っている。
しかし実際に同じような事件が起きたら、断片的な情報から誰もがヨンナムやヨンハが悪人だと思うのだろう。
暴力から逃れるためとはいえ、祖母を死なせ、継父を罠にはめたドヒが一番異常なのかもしれない。
が、彼女はやはり守られるべき存在なのだとも思った。
全編通して重苦しい空気が流れる作品だが、最後は一筋の光が射し込むような希望を感じられた。
それにしても明らかに道理に反しているのに、悪びれるどころか開き直って喚き散らすヨンハの卑劣さが最後まで許せなかった。
【今作は、孤独なエリート女性警視が、ある理由によりソウルから左遷された村で出会った虐待されていた少女を決然と守る物語である。】
■ある理由により、海辺の村に赴任した女性警視・ヨンナム(ペ・ドゥナ)は、継父から虐待を受ける少女・ドヒと出会う。
彼女を守ろうと尽力するヨンナムに心を許していくドヒ。
だがある時、ドヒの継父・ヨンハ(ソン・セビョク)は偶然ヨンナムの秘密を知り、彼女を陥れようと画策し始める。
◆感想<Caution!内容に触れています、>
・ヨンナムを演じたペ・ドゥナの抑制した演技に魅了される。
ー それにしても、心の傷を癒すためと言っても、飲み過ぎではないかなあ・・。
けれども、顔色及び言葉も普通である。
逆に言えば彼女の心の傷を癒し、眠るためにはあれだけの酒が必要なのであろう。
酒飲みとしては、良く分かる。-
・義理の家族から、虐待を受けていたドヒ(キム・セロン)が、ヨンナムを頼る気持ちも良く分かる。
ー ヨンナムは同性愛者であり、それが故にソウルの警察を一年間だけ離れ、村の所長になった過程はしっかりと描かれている。-
・ヨンナムはソヒを自らの家に受け入れ、彼女に温かくに接する。
だが、ドヒは彼女に対して、自らを守ってくれる人と思い、ヨンナムが断る中、一緒に風呂に入るのである。
そこで、ヨンナムがソヒが乗背中に合った痣を見る表情・・。-
<今先は、同性愛者の女性警視が寒村に飛ばされながらも、そこで行われていた少女に対する虐待に対し、決然と対峙し、少女を守る物語である。>
おばあさんは?
児童虐待と閉鎖的な村。学校でもいじめられるドヒ(キム・セロン)を助けるために、自分の家に匿うヨンナム(ペ・ドゥナ)。さすがに派出所所長という肩書きがあれば、学校でも家庭でも虐待にあうことはない。最初は権威主義的な服従の様子がうかがえたので、何だろな~などと思いつつ、ヨンナムが左遷された秘密をも知りたくなってきた。
2人の入浴シーンを見ても、ヨンナムがレズビアンだとは感じられなかったから、この物語のミステリアスな部分は上手く作用していたのだと思う。さらに外国人不法就労の問題や、漁業や村の存続のため見過ごしてきた警察の問題。ブローカーもやっていたとなると、ドヒの父親ヨンハもかなりあくどい。
さすがに同性愛者に対する直接の差別はなかったものの、少女を匿うことが人々に疑念を抱かせてしまう悲しい事実。ドヒの決断。ヨンナムの慈愛。二人の関係が心に染みる。しかし、次の配属先にまで連れて行くとなると、今後の二人も気になってしまう。おばあさんの件がなければ上手くいくんだろうけど・・・
正義感というより母性
なかなか重く、深い、なんとも言い難い作品でした。
まず、ペ・ドゥナさんとキム・セロンさんの演技力が素晴らしい。
本当の親には逃げられ、学校ではいじめられ、家に帰れば暴力を受けるという圧倒的に可愛そうな少女ドヒ。
ソウルから田舎の交番にに飛ばされた所長ヨンナム。
ヨンナムには何かしら秘密があると思っていましたが、女性だから同性愛者だからといって差別される、差別とまではいかなくても、少し変人扱いされてしまう状況は本当に観ていて辛かったです。
ドヒにとってヨンナムは女神のような存在、彼女の存在もあり、小さな怪物となってしまったのかもしれませんが、最後の展開はドヒの勝利。
救いのない世界の弱者だけど、強い!ということを証明してくるようで、少しスカッとしました。
海辺の小さな田舎の村という閉鎖的な空間だからの怖さだったり、辛さだったりが、ひしひしとこちらにも伝わってくる作品でした。
行ったことはありませんが、韓国の田舎ってこんな感じなんだろうなぁと思える独特な映像も良かったです。
とにかく、ヨンナムのようなカッコいい強く生きる女性を応援したくなります。
同士
小さな怪物に成らざるおえない過酷な環境にいたドヒを理解できたから、ヨンナムはラストに「私と行く?」と言ったのでしょう。子供、女、貧困という社会の最下層にいるドヒ。ヨンナムは、彼女を保護というより同士として迎えいれた様に感じました。
ラストのペ・ドゥナの選択について考えてみた。
少女役のキム・セロン、どっかで見た顔だなーと思ったら、『アジョシ』の女の子ですよ。よその子は知らないうちに大きくなりますねー。
そんなキム・セロンも14歳の少女の役。13歳の娘がいる僕にはちょっとキツイ映画でした。
評論やレビューでは児童虐待問題とか不法就労問題とか村社会とか女性の生きづらさとかの要素が語られますけども、それらは物語に彩りをつけるための添え物のような気はします。
かといって、少女の中の悪魔性を暴いていくサスペンス・ミステリーでもなかったですし、
過去に傷を持つペ・ドゥナが少女との出会いを通して再生していくヒューマン・ドラマともちょっと違うようでした。
僕にとってはこの映画、ラストのペ・ドゥナの“選択”に想いを馳せるための映画だったなぁと思いました。
ラストのペ・ドゥナの選択というのは、何だったんでしょう。
それは、「クソババアを死なせた罪」への対応だと思うんです。
「父親を嘘でハメた罪」は、父親は死んでないし、まぁ自業自得でもありますし、
「クソババアもこういうやり方で死ぬように仕向けたんじゃなかろうか?」と想起させるためのヒントという位置づけなんじゃないかなって僕は思います。映画の見せ場としてはクライマックスでしたけどもね。
じゃあ「父親を嘘でハメた罪」を除外すると、焦点になるのは、
「暴力から逃れるために、人を死なすことまでやっちゃう怪物性」
になってきます。
でもそれはキム・セロンがまだ幼いからで、大人になれば分別もつくだろうという考えもアリではあります。
でも、キム・セロンを怪物にさせたのは誰か?って問題もあるわけです。キム・セロンはペ・ドゥナに出会わなければ、是非はともかく、「虐待される生活がデフォルト」という生き方もできたかもしれません。でもペ・ドゥナと出会い、「普通」を知ったことで、自分ちの「異常」が耐え難くなってしまった。米の味を知ったら麦なんて食えないって話です。
とはいえ別にペ・ドゥナは悪いことしたわけじゃなくて、「普通」なことをしただけでした。
だからキム・セロンの人生を背負う義理はありません。
最初の別れで会いに行った時、ペ・ドゥナには、「少女の罪を知らずに去る」という選択肢がありました。ここでペ・ドゥナの失敗は、「クソババアもあなたが殺ったのか?」と尋ねてしまったことです。
「知った上で去る」のは警官として罪です。罪を見逃すというのは、優しいようで、「償う機会を奪う行為」でもありますね。それでも自分だけの胸にしまっておけば、という思いで去ったのでしょう。
そしたら部下が言うわけです、「ぶっちゃけあの子、何考えてるかわからない、バケモノじみたとこがありますよね。」
自分だけの胸にしまっておけば済む話じゃないって気がつくんです。
じゃあどうするべきなのか?ペ・ドゥナが選択したのは、厄介な者から逃げるのではなく、法の下に裁くのでもなく、キム・セロンの人生を背負うことにしたんですね。
そのペ・ドゥナの根っこにあるものが、正義でも同情でも、なんなら欲情でもいいんです。とにかく少女はあの生活から脱出できたわけです。その結末が少女にとって「幸運」だったのか「計画通り」だったのかは、眠っててわかりませんでしたけれど。
少女の眠る車の外は雨で、晴れ晴れとはしないラストシーンでした。けどその分車の中は、傷ついた者同士の安息感で満たされていたのかもしれませんね。
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