バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)のレビュー・感想・評価
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この狭っ苦しい舞台裏こそが大宇宙に連なっているのだという、発見。
映画なのに全編がほぼワンカットだって、どういうことなんだろう。
……と、前宣伝を見て思っていたのですが、その宣伝文句に負けない、凄いカメラワークを楽しむための映画でした。
撮影が「ゼロ・グラビティー」のカメラ担当だと知って、なるほどねと思ったものです。
ハンドカメラだけで撮影されているのに、まったく手振れしないというのは、偉大な技術の進歩のおかげでしょう。
観客は、おいおい鏡にカメラが映っちゃうよ、などと、まるで撮影スタッフの一員になったかのようなスリルまで味わうことができます。
ブロードウェイの狭い劇場の裏側を、観客は演劇のスタッフのような視点から参加し、まるで劇場の裏話を舞台にしたテーマパークみたいです。
こういうカメラワークが成立する時代になったのだ、と、感慨を味わいました。
前作の「まわりに何もない虚無なる大宇宙」を描いたカメラマンの次作が、この狭っ苦しい舞台裏だったという一見意外な点も、しかしこれこそ正常進化なんだよなぁと納得できる、そういう映画でした。
そんな凄いカメラワークを、ぜひとも楽しんで欲しいと思います。
もういちど輝くため・・・
スターは地に堕ちていたのか?
アカデミー賞を取るために作られた映画
アカデミー賞作品賞受賞
元ヒーロー映画で人気だった、
落ち目の老いた俳優がNYの舞台俳優として
名声を取り戻そうとする話
コミックヒーローのバードマン=バットマンですね
主人公の幻聴や幻覚として現れるバードマンは、
バットマンを演じ、
この映画の主人公でもある俳優マイケル・キートン自身の
「過去の名声」の具現化でもある
だからこその配役、でしょうね
全編長回しのカメラは実験的で面白いと思う一方で
情報量過多で疲れるし、途中で飽きました
時々ある、業界受け狙いの会話とか
(〇〇は出られるか?今◎◎の映画に出演中だ、など)
批評家に対するメッセージとか(リスクを冒さず言いたい事を言う)
俳優や映画製作スタッフの内輪受け狙い要素が多くて、
「この映画でアカデミー賞を取りに行く!」気負いが強すぎ
あざとく感じました
アカデミー賞の審査員たちって、映画業界人ですからね
一般人が観て面白いかというと・・・
魅力ある登場人物がひとりもいないし、画面的にも音響的にも
うるさくて、落ち着いて観ていられない
いろいろ下品極まりないのはイカンw
主人公が時々超能力を発揮するのは何の意味が?・・・
どうして皆、死にたがりみたいに危ない真似するの?
・・・これはアメコミヒーローがよく、高いビルの端に
腰かけて街を見下ろしたりする場面のパロディーかな
主人公の気持ちがあまり伝わってこないな
思うようにならない現実に、イラついてるだけに見える
本意でない部分(無知?)で有名になるって皮肉ね
うーん・・・
あれもこれもと欲張りすぎて
雑然とした印象が拭えない
こういうタイプのカオス感が好きな人ならいいのかも
(カオス感のある映画自体は私も嫌いではない、この作品は波長が
合わなかった)
映画業界人視点で観たら、それなりに面白いのかもしれません
"ダークファンタジー"って言うんだ(笑)
メキシコ最強タッグは今や世界の2トップ
混沌と一つの飛躍
演劇の舞台裏を見続けているような長回し風のカメラワークと、
音楽と同期したライブ感が面白かった。
「無知がもたらす奇跡」って何だろう?
もし知識があって賢かったら今の時流に乗って、SNSやYoutubeで成功して、舞台という「昔」のエンタメに、わざわざ初心者のくせに挑戦したりしないという皮肉なのかな。
努力した分だけ相応に報われないことが世の常だけど、
血のにじむような思いと辛抱の果てにある深い悲しみの先に、なにか一つ得るものは有る、
それが奇跡って意味なのかなー、とかいろいろ考えました。
終始現実と妄想が入り混じるけど、
最後の最後で一つ映画的な飛躍で終わる。
小粋で可愛い終わり方で、すごく好きです。
バードマンとの別れ際トイレに入ってたのも笑った。
バードマンていうのは彼にとっての名声で、すがりついていた偶像で、
最後そこに同化するってことは彼を食ったみたいなもんなのかな?
あとウイスキーで酔っぱらうシーン素敵でした。酔いが回ると全てが美しく見える時あるよね。
なんとも言えない虚無感と僅かな希望
映画自体の評価が高かったので、遅ればせながら観賞。
マイケル・キートンと言う本当に忘れてた俳優が主人公を演じる昔ヒーロー映画で大人気だった男優が落ちぶれて再起を願いブロード・ウェイで演劇界で再ブレイクを目論む男を演じる。
個人的には彼の取り巻く状況(エマ・ストーン演じる薬が抜けない自分の娘、交際している女優、エドワード・ノートン演じるめんどくさい共演俳優)と賑やかな設定ながら面白みは然程感じず・・・
強く感じるのは現代のネット社会とそれに取り残された主人公、とにかく現状から這い出ようとするプライドの高い主人公と対比する急遽配役されたクセのある共演男優、映画と演劇の格付け(そんなものが存在するとは思わないが・・・)、批評家の存在(別にこの映画観る前からいろいろ感じる事はあったが・・・)そんなところだろうか?
幻想的なシーンは何故かフェデリコ・フェリーニの映画を思い出す。
フェリーニの映画は中学生位の頃によく観たが、あの頃理十分に解出来ていなかった気がする(ローマとかサテリコンとか本質的な面白さ、良さが理解出来なかった・・・)。
20代前半で「8 1/2」を観た時、終盤で自然と泣きそうになる位感動した。何でか、どのシーンでかとかでは無く、全体の流れの終結からだろうか・・・)
つまりこの映画は好き嫌いの別れる映画かもしれない。
それとももっと歳をとった後観たら理解できるのだろうか?
本気の芝居に取り憑かれた男の狂気
過去「バードマン」というヒーロー映画で人気を集めた主人公が小さな劇場の芝居にて再起を謀る話。
一つ前レビュー「ゾンビランド ダブルタップ」のエマ・ストーン繋がり、且つ未視聴と言う事でチョイス。
この作品のエマ・ストーンが1番好きだなw
映像も脚本も丁寧で心理的工夫がある作品。
長時間ワンカット風にて撮影され、主人公、主人公を取り巻く家族、他役者、舞台関係者、様々な人間にフォーカスを順番に当てて行き、尚且つ魅せるアングルを活用する様は素晴らしいセンスを感じる。
現代にて人気にあやかるヒーローモノ及び俳優を皮肉る主人公の姿は昔自分もやってた事(実際にも過去バットマンを演じる。たぶんバードマンと重ねる部分もあり、マイケル・キートンが主人公採用なんだろうね)もあり愛敬がある。
リタイアしてもいい歳なのに俳優業に未練がある主人公。私財を投げ売ってまで再起を掛ける男に過去の産物「バードマン」が幻聴の様に語りかけてくる。
そこに、共に演劇を行うエドワード・ノートンが主人公の演じる形に対してプレッシャーを掛けてくる所も見逃せない。
彼は別映画「ファイト・クラブ」と言う心理状態を利用した傑作の主人公を演じており、それを知っててわざわざこの作品(心理状態を活かした映画)に抜擢したのであれば、(マイケル・キートン主人公採用の件と同じく)この監督おそるべしである。
私には狙ってキャスティングし作った様にしか思えなかった。
また、バードマンが徐々に幻聴→空想→幻覚と、主人公の内心的および外見までも侵食していく様も面白かった。
最後は皆さまの想像にお任せする的だが、何とも心理的映画らしい終わり方。
考えさせられ、見応えのある映画でした。
擬似ワンカットが非常に邪魔
とにかく擬似ワンカットの編集点が粗く気になってしょうがなかった。カット前後の俳優の位置や距離感や色彩がズレていたりするので、全編を通すという試みは良いと思うが、もう少し精度の高い編集が実現出来ないのであれば、小賢しい編集はせずに普通のカット割にした方が良い。擬似ワンカットの編集点の為にカメラ前を無駄に横切らせる演出を多用するのも馬鹿の一つ覚えのように見え気になって集中できない。撮影面で技法の自己満足と自慢をしたがっているのがよく分かるが、こういう技術は観る側に気づかせないよう自然に出来ないと逆効果で作品の質を落としてしまう。そもそも同様の繋ぎテクニックはバックツーザフューチャー等の時代から多用されてきた手法で目新しくもない。鏡を背景に演技させてカメラが映らないように見せる合成は上手かったが、それもこれ見よがしに多用しすぎ。
内容は業界への風刺や物語として伝えたい事はわかりやすい部類だと思うが、作品賞を取るようなレベルではなく、まさに批評家や業界人に刺さりやすい内容が受けたんだろうなという感想。
BS12字幕版鑑賞。 これってバットマン3部作の1つだな、で見始め...
俳優の復活
例え人生の落ち目になっても立ち直ることができるそんなメッセージを感じるストーリー
その展開を味付けるようにヒーローのバードマンや助言の声に超能力が出てきたり、落目の主人公をバカにしている若手のプロ俳優、大物批評家、薬物中毒の娘・・・いろんな要素が絡み合ってあのラストに持ってきているんだなと感じました
これは難しい… でも凄い
これは難しい。シンプルだけど難しかった。
簡単に言えば、過去の大作に囚われた今では娘にも呆れられるダサい俳優が再出発を賭けて挑んだ舞台で栄光を取り戻し、過去を断ち切り家族に認められるハッピーエンドといった感じですかね。
途中バードマンになって空を飛ぶところ。あそこは現実とごちゃごちゃになってしまった。しかし、タクシーの運転手が乗り逃げとしてリーガンを追いかけることで幻想の世界だと理解できた。
ラストシーン前に妻と話し合うところでは始めて赤裸々に愛について語るんですよね。あそこに熱い覚悟を感じました。
伏線が散りばめられ過ぎて気軽には見れないですね。
理解できないとチープな映画になってしまう。
バードマンがしきりに出てきてお前にはこれしかないと語りかけてくる、舞台の演技ではマイクに主役の座を奪われ、パンツ一丁で街を駆けたことがバズってしまうなど兎に角ダサかったリーガンが最後死んでしまう覚悟で臨んだラストシーン。血のりを受け取らず本物の銃を使ったことで鼻を大怪我。顔に大きな包帯を巻くことになり、洗面台で包帯を剥がすあのシーン。あそこで過去を断ち切ったことを示しているのではと感じた。
本当に上手くやったなと思いました。
ユニークだが病的
大スターや名プレーヤーの凋落の悲劇は数多く映画化されてきている、謂わば定番だがブラック・メタフィクションという訳のわからない手法でチャレンジした意欲作ということなのだろう。
楽屋の化粧鏡に"A THING IS A THING,NOT WHAT IS SAID OF THAT THING."(才能は才能、批評とは別物である)と慰めとも励ましともつかぬスーザン・ソンタグの一文が書かれた紙が貼ってある。業界人には受けるのであろう、役者に限らず人気商売は浮き沈みが激しい、認められたい欲求は誰しもあるだろうが精神錯乱まで行ってしまっては身も蓋もない。冒頭からシュールな空中浮遊、思わずあの狂気の教祖を連想、登場人物は舞台劇のように終始声を張り上げ下品極まりないセリフが飛び交う、薬物患者のような幻覚にまで付き合わされる身としては逃げたくなる。
演出で損してる
テレビでやってたのでなんとなく、2回目の視聴
初めて見たときは独特のカメラワークが見にくくて面白いと思えなかったけど今回だいたい話分かっててみると面白かったです
正直あの演出いらない普通に撮って欲しい
それ以外の演出は好き、実際はタクシー移動なのにヒーローよろしく街を見下ろしながら空飛ぶ空想とか、
マイケルキートンありきの作品で空想と現実、更には映画の役と本当の現実世界まで交錯するような作品
だから最後にもう一捻り、エマストーンが下見て何も無い、上を見てにっこりは正解だと思う
後にホームカミングでバルチャー役として見事羽ばたいているから現実まで侵食しているようで面白い、演技力で返り咲いたんだね
ていうか着ぐるみスバイディとめっちゃ共演してるやん、すでにw
ただただアメコミ映画の風刺だけじゃないケレンミを感じる
【一度見て、この作品の凄さが分かる方は審美眼が凄いと思った作品:長回しの”これどうやって撮ったの?という映像にも驚かされた作品】
当時のこの映画のフライヤー(私の手元には3種ある)には、映画内容を匂わす部分は抽象的な文言しかなく、”アカデミー賞 最多9部門ノミネート” とか、その後賞が確定した時点で出たフライヤーには”アカデミー作品賞ほか最多4冠に輝く”という映画祭の受賞履歴が大々的に喧伝されていた。
つまりは、観れば分かるのだがかなり捻りが効いている内容なのである。
簡単に書けば、且つて”バードマン”というスーパーヒーロー映画で世界的スターになった男リーガン(マイケル・キートン)がその後作品(及び彼自身の演技力の無さ)に恵まれず低迷する中、私生活も破綻し、ひとり娘のサム(エマ・ストーン!)も薬物に溺れる中、再起を図り自ら脚色・演出・主演でレイモンド・カーヴァー(村上春樹さんお気に入りですね)の「愛について語る時に我々の語ること」でブロードウェイの舞台に臨もうとするところまでが序章。
ここから、サムが彼の付き人になったり、批評家からの評価が高いマイク(エドワード・ノートン、鼻持ちならない高慢な男をパンツ一枚で好演 笑えます)が場を乱したり、幻影のように出現する”バードマン”がリーガンに”こんな芝居やめちまえ”などと囁いたり、時折私は今何を観ているのか?と屡々思うのだが、最後まで力業で見せられる作品なのである。
どこまでが真実でどこからがリーガンの頭の中に描かれる虚構なのかが分かってくると面白さが倍加する作品でもある。
<この作品で、エマ・ストーンの凄さと目の尋常でない大きさを知った。>
<2015年4月10日 劇場にて鑑賞>
演劇なのね
「バードマン」は「バットマン」なんですよね、トムソンをキートンが演じてる様に。
そこが分かってると面白いんだろうな。要はこの映画、パロディなんです。
現実の小ネタも結構ぶっこんで来る。
「ウディハレルソンは?ファスベンダーは?呼べないのか?」
「ハンガーゲームとXーMEN撮影中だ!」
とか、ロバートダウニーJrへの皮肉とか、
メグライアンのネタはちょっとブラック過ぎて心配。
その辺も知らないとつまんないだろうね。
ただ万人が認めるあのカメラワークは目が離せない。
全編ノーカットに観せる撮影って、それだけで楽しいし飽きない。
だから現実と夢想の端境がはっきりしない分、あのラストは生きてくる。
ただ、騒がれた割には話は地味だな。
というか、映画ばかり見てる人にとって、演劇は地味に感じてしまうのかも。
だから途中で批評家が「ここはNY、ハリウッドじゃない」と言うのも、
NYでは演劇こそトップアクターのステータスなんでしょう。
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