「守りたいから壊れてしまった」アメリカン・スナイパー 浮遊きびなごさんの映画レビュー(感想・評価)
守りたいから壊れてしまった
弱きを助け強きを挫くため、己は圧倒的に強くあれ――
そんな父の教えを誇りとして胸に刻んできた男。
テロ報道で怒りに震え、「地上最高の祖国は俺が守る」と宣言した男。
160人以上を殺して何を感じるかと問われ、にべもなくこう答えた男。
「俺は蛮人どもから仲間を守っただけだ。 神の前で説明できる。」
好む好まざるはさておき、クリス・カイルは生粋の愛国者だ。
彼は父が愛した自由の国アメリカの正義を微塵も疑わない。
そしてその祖国を脅かし、同胞を殺す者を誰一人として許さない。
己の正当性を微塵も疑わない、旧(ふる)いアメリカ的正義の体現。
だから『アメリカン』・スナイパー。
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イーストウッド監督のとてつもない所は、
そんな共感するなんて土台無理な男の行動や
価値観を観客にすんなりと理解させられる点だ。
彼の生い立ちから最初のイラク派遣に至るまでを
流れるようなテンポで繋いでみせた手腕はさりげないが驚異的。
彼が何に誇りを抱き、何に愛を感じ、何を憎悪したか、
その感情の機微がするりと観客の心に流れ込んでくる。
だが“理解”と“共感”は異なる。
イーストウッド監督は事象と主人公の心の流れを丹念に
追ってはいるが、彼を単なる英雄として描いてはいない。
英雄に仕立てたければ、ペットの犬を殺しかけるシーンや、
死んだ戦友に対して「臆病風に吹かれたから奴は死んだ」と
言い放つシーンなど削ってしまえばいいのだから。
この主人公は確かに多くのアメリカ兵を救った英雄だが
(アメリカ国民にとって彼は殺人者ではなく守護者だろう)、
同時にその人間性は恐ろしく狂ってしまっている。
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だが彼が狂気に陥るまでのプロセスは、
よくある戦争映画の主人公とはやや異なっている。
大抵の戦争映画で兵士を狂気に追い込むのは、
一瞬で命を失うかもしれないという極限の緊張感、
非人間的な残虐行為の数々、愛する仲間たちの死、
自分の信じていた正義の崩壊。
だが、この主人公の場合は信じがたいほどにタフなのだ。
国の為に命を捧げる覚悟が、彼には本当にできている。
しかも仲間に対しても同レベルの覚悟を求めている。
残虐行為への耐性、恐怖への耐性、戦闘意欲も極めて高い。
女子どもを殺した時・殺し掛けた時はさすがに動揺を見せたものの、
それでも彼は敵を『野蛮人』と呼ぶ事を最後までやめなかった。
何故なら、この戦争が正義の為だと固く信じているから。正義の為なら、
己の苦痛や苦悩など当然支払うべき代償という覚悟があるから。
だがそんな強靭な精神の持ち主でも、いや、だからこそ、彼は壊れてしまった。
彼を狂人たらしめたのはその強すぎる義務感だ。
自分の力不足で仲間を殺されたという自責の念。
仲間を殺した宿敵への激しい復讐心。
すなわち『アメリカン』を守ることへの誇りと責任。
それが彼を戦場へと駆り立てる。
彼の目を、耳を、心を、戦場に置き去りにさせる。
それに耐え続ける妻の憐れさ。
戦場へ戻ることを引き止めようとして最後通告を突きつけても、
自分を犠牲にする事を覚悟している彼は少しも揺るがない。
病院前の電話で泣き崩れるシーンなど悪夢だ。
自分の愛する人が電話越しに殺され掛けているのに、
警察にも誰にも助けを求められない。
ただ戸惑い泣き崩れる事しかできない彼女の
無力感がひしひしと伝わる、見事なシーンだった。
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総じて素晴らしい作品だが、不満点はある。
本作はミリタリーアクションとしての出来も高いが、
作品の性質上、“エンタメ”という言葉が浮かばない程度の
ドライな演出でも良かった気がしている。
まあこちらは些細な不満。
だが、最大の不満点は、
主人公が家族に笑顔で接する事ができるようになった経緯。
つまり、彼がどうやってPTSDを改善できたのか?という経緯だ。
恐らくは退役軍人たちのリハビリに専念することで、
仲間たちを救えなかったという罪悪感が
新たな使命感に取って代わったのかもしれない。
あるいは日常/戦場という極端過ぎる環境のギャップを
退役軍人というバッファ(緩衝材)で埋める事で、
日常を少しずつ受け入れることができたのかもしれない。
そう察する事はできる。察する事はできるのだが、
冒頭から終盤までクリスの心の流れを繊細に描いてきた本作なのに、
この終盤の流れだけが明らかに性急だ。
何か意図があっての事かもしれないが、上映時間を
延ばしてでもその部分は丁寧に描いてほしかった。
『画竜点睛を欠く』と言うが、僕の感想はまさにそれ。
それさえあれば、本当に見事な竜の画だったのに。
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だがやはり並大抵の映画ではない。
狂気の形は多少違えど、
戦場で狂気に駆られない人間など存在しないのだろうか。
そしてその狂気から完全に逃げきる術も無いのだろうか。
最後の暗転後に映し出される彼の結末。
あまりにもあっけなく、あまりにも皮肉なあのエピローグ。
彼の価値観には最後まで同意できなかったし、あれだけの
命を奪った人間であれば当然の報いだったのかもしれない。
だがそれでも、唖然とした後にこみ上げてきた感情は、
ひとりの人間が死んでしまったという悲しみだった。
愛するものを精一杯守るという意志の強さにおいて、
彼を蔑むなんて事はできないじゃないか。
こんな悲しい死がいったい何十万積み重なれば争いは終わるのか。
終わりなんて無いのだろうか。
一言、むごい。
<2015.02.21鑑賞>