エベレスト 3Dのレビュー・感想・評価
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フィクションなら良かったのに
死者が大勢出た実際の遭難事故に基づく話だというのはチラと聞いていたけど、その辺は触れる程度で、どっちかというと3Dの大迫力で雪山体験! みたいな娯楽映画かと思ってた。CMや予告もそんな感じにみえたし。
好きな俳優さんもいっぱい出てるし、アトラクション気分でぶらりと観に行ったら全然違った……。
つらい。つらすぎる。確かに雪山の過酷さは嫌というほど伝わってきたし、ジェイソン・クラークはじめ俳優さんの演技も素晴らしかったが、さほど昔でもない事故なだけに、これを観て面白いとかつまらないとか言う気になれなかった。これは、映画というエンターテインメントとして成立してるのかな?
エベレスト登山の商業化に警鐘を鳴らしたいのは分かる。でもその題材として実際の事故を取り扱い、さも娯楽映画のように大々的に宣伝して興行収入を得るならば結局ブーメランじゃないのかなって思ってしまった。
ジョシュ・ブローリンが演じていた人は生還しているのに、中では一番やな奴みたいな感じにみえたのもつらかった。
フィクションでやってほしかったな。
たぶん来年、日本ではもう暖かくなってるころに、この作品はソフト化されセルやレンタルで出回るのだろう。
自宅でゴロゴロして、コーラとか麦茶とか飲みながら、「雪山怖いねー」なんて言いながら観るのかなあと思うと、何だかなぁ、という気分になるのだった。
山登りの理不尽さ
実話だけあって話としては説得力あるけど、そもそも危険な状態の山に挑んで他人に迷惑かけること自体が自分的には許せない行為だと思ってるから単純に映画として楽しめなかったです。そういう意味では同じく理不尽なところもあってもバーティカルリミットの方が映画としてハラハラドキドキ感があって楽しめました。3Dとしても今いちでした。
観る価値あります。
私は、山に登りませんが、父親や周りに登る方がいるので果たしてどんなものかと思い、観に行きました。
とにかく衝撃でした。山の天気は変わりやすいとは言うけれど、
本当に恐ろしいです。
実話なので、へたに取り繕ってないのが良かったです。
苦しくなる場面がいくつもありました。
山登りは、情では登れないということ、厳しい信念で行かなくてはならないことを思い知らされました。
見る価値ある映画です。
自然の商業化。
タイトルや宣伝でこれだけ3Dだと謳っているのに、まさかの
2Dで観るんだからねなどと言っていた愚かな自分を嘆きつつ、
高所恐怖症の人間にはもってのほかの作品なのだが、思うほど
3D高所は怖くなかった。それよりも、猛吹雪の方が断然怖い。
人間の過信や傲慢が招く大惨事は数あれど、エベレスト登山が
これほど商業化されているのは知らなかった。体力・経験に自信
があり大金を払うことができれば、登山に挑める背景があった。
彼らの誤算は、登頂時刻をかなり過ぎての下山とそこに猛嵐直撃。
1人また1人と倒れていく悲劇は防げたかもしれないと思うから
余計に辛い。だから自然をなめてはいけない。と教訓を刻みつつ、
そこに山があるから登る人々には果てしなき登頂の夢なのだろう。
(映画館の大惨事って、ポップコーンをひっくり返しちゃうやつ?)
山は厳しい
決して安全ではないが故に、人は冒険に挑戦するのかも知れないが、「まあ、いいか…」という判断がいかに危険かを思い知らされる内容かも知れない。本当のところはどうかは不明だけど…。
日々、肝に命じるべきなのだろう。
ただ、内容的には「君子危うきに近寄らず」ではないけど、自業自得感もあり、ちょっと拠り所がない感じがした。
初めて見る3D
何となく3D作品を避けて来ました。
気分が悪くなるのではないかとか別に立体感無くてもいいし、とか思ってました
実際に見てみると飛び出る感というより奥行きが広くなったと感じました。
気分が悪くなることも無く楽しめます。
実話を元にしたストーリーで、やはり悪天候で遭難というパターンです。お客さんを、連れての登山は想像以上にキツそうです。一度狂った歯車は連鎖的に遭難を呼びます。観ていて辛いです。
自分なら置いていくな〜と思うシーンが多く山男の強さには感心しました。
満足の星3.5です( ^ω^ )
ゆっくりと、しかし確実に死に近づく場所
エベレスト登山史上最悪の遭難を描いた作品。
エベレストの8000メートルを越えたところは、デスゾーンと呼ばれ、生き物を確実に死に至らせる場所と言われる。映画の言葉で言うと、生きることはできない、ゆっくりと死んでいく場所だという。
今回の映画にあるような事態はたまたま運が悪かったようにも思うが、一つ一つが悪い選択の積み重ねで、起きるべくして起きたと言える。
教訓となれば良いが。
映画としては、普通。八甲田山とか、アイガー北壁とかの方がいいかな。
絶大な存在感
驚愕する。
エベレストの雄大さと存在感。そして、それを最大限に表現しようとする3Dに。
初めて思う。
本作は3Dでこそ観るべきではないだろうか。
不自然な奥行き感はある。
が、しかし、それがあるからこそ、自然の雄大さ、人間のちっぽけな存在がクローズアップされてるように思う。
とにかく引き絵によるスケール感がとてつもない。
俺は寒い所も嫌いだし、山登りも好きじゃない。エベレストに登りたいなんて思うはずもない。
頂上に到達するまで、現地入りしてからおよそ2ヶ月もの準備期間が必要なんて初めて知った。ツアーと呼んでいいのかどうか、参加費用は65000ドルである。
…650万以上ってことだけど、マジスカ?
俺の覚え間違いかな?法外な額である。
ちっぽけな人間の、それでも崇高なる挑戦なのか無謀で尊大なプライドなのか…。
人は山へ登る。山はそこにあるだけである。
事実を元にしただけあって、臨場感は半端ない…。
山への高揚感も絶望感も、あます事なく伝えてくれてた。
そして、そんな作品を完成させたスタッフに心からの敬意を。
よくぞ、映像化してくれた。
エベレストに登るのと同じくらいの偉業だと思う。
凄いけど・・
山の凄さ、怖さ、素晴らしさは、わかるけど、命がけなのわかってて登ってても、ハプニングは起こる、自業自得なのでは?と思ってしまう。私には、そこまでして登る気持ちがわからない。無理して登って、周りの命までも奪う行為自体どうなのかと感じてしまう。
ヒマラヤ登山を再考する契機にしたい
1996年にエベレストで起きた遭難事故をドキュメンタリータッチで描いた作品。ヒマラヤ現地で撮影したフイルムを3Dにしたもので、ベネチア映画祭の、オープニングで上映された。風速320M、気温がマイナス26度、気圧は地上の3分の1といった世界最高峰エベレストの厳しい自然状況で、毎日機材を運び上げ、役者達と移動しながらの撮影は困難を極めたという。
ストーリーは
ニュージーランド人、ロブ ホール(ジェイソン クラーク)は、公募登山隊を率いてヒマラヤに向かった。彼はたった7か月の間に7大世界最高峰の登頂した記録を持ったプロの登山家だ。家には妊娠中の妻ジャン(キーラ ナイトレイ)がいて夫の出発を不安がるが、そんな姿を笑い飛ばして彼は自信満々で家を後にする。登山仲間で同じくプロのスコット フィッシャー(ジェイク ギレンホール)も同様に公募登山隊を率いて、一緒に山頂を目指す。様々な人々が大金を払って世界の最高峰を極めるために集まってきていた。テキサス出身のドクター、プロのカメラマン、郵便局員、日本人の難波康子も居る。長年の夢を形にするため、登山の自己記録を更新する為、自分の能力を見極める為、家庭が崩壊しかけていて自信を取り戻すため。参加者はそれぞれが事情を抱えているが、山では隊長に絶対服従が原則だ。
ネパールのルクラからは、ポーターとヤクの力を借りてエベレスト街道を、高所に体を慣らしながら一気にベースキャンプまで登る。5364Mのベースキャンプには、大型テントが張られ医師も待機している。テントの中で、いっときの隊員同士の交流も楽しいものだ。やがて、出発。第1キャンプから、第4、最終キャンプまでの無数のクレパスを渡り死と隣り合わせの登山、そして登頂。山は一時晴れていても午後からは天候が変わり霧に覆われたかと思うと、吹雪になる。隊員たちは好天に恵まれ登頂を果たすが下山途中、猛吹雪に見舞われる。ロブ ホール、スコット フィッシャー両隊長は、隊から離れで衰弱死。隊長を失った隊員たちは一人、また一人と遭難し命を失っていく。この事故で11人が亡くなった。
というお話。
この映画がヒマラヤ現地撮影でなかったら見なかったし、興味ももたなかっただろう。実際にクレパスに梯子をかけて渡るシーンや、吹雪のシーンも臨場感をたっぷり楽しめる。エベレストの頂上は8848M、ベースキャンプは5364Mの高さ。映画ではベースキャンプのシーンが多いが、ここでも余程、高所順応の訓練をしておかないと高山病で認知不能になったり呼吸不全を起こす。
文句なしの世界最高峰ヒマラヤ登頂は、英国遠征隊によって1921年に始まった。彼らは、チベット側から入山し、7020Mのノースコルにまで至るルートが作り、初めてエベレストの詳細な地図が制作した。この第1次遠征隊からジョージ マロリーは参加している。その後マロリーは、1924年の第3次英国遠征隊で、山頂を目指して8572Mの北壁トラバースを成功させるが、そのまま行方を絶った。1953年にエドモンド ヒラリーとテンジンが世界で初めてエベレスト登頂に成功したと、公式に記録にされているが、その29年も前に恐らくマロリーは登頂に成功している。登頂していたら山頂に残してくると言っていた家族の写真が遺体になかった。しかし、持っていたはずのカメラ、ヴェストポケットカメラが見つからないので、彼が登頂したかどうかは永遠の謎になった。マロニーは、どうしてエベレストの登るのかと問われて、「そこに山があるから。」と答えた。この言葉は、ロマンそのものだ。わたしは、マロリーが片足を驚くほど高い岩にかけ、蛇のように滑らかに岩に取り着いて登って行った、という彼の登り方をまねて山を登る自分をよく夢にみた。
憑き物に付かれたように山に登った時期があった。八ヶ岳、槍ヶ岳、穂高の山々、白馬岳、、、黙々とひとりで歩いた。山頂からの乾いた風、霧に包まれて足元を頼りに歩く岩の確かさ、突然出会うライチョウの愛らしさ、可憐な山岳植物、チングルマの群れ、落葉松、、、山に居ると自分が浄化されるようで、山から地上に降りてくると、下界の喧騒に耐えられず翌日にはもう山に帰りたくなっている。3000M級の高所を歩くから、日焼けで顔が赤銅色になって腫れ上がり、何枚も皮がむけてくる。自分では全く気にならなかったが、20代始めの娘の顔に、はがれかけの皮がいくつもくっついてケロイドのようになった顔で、人に会うとよくギョッとされたものだ。山はわたしにとって、本当に「特別な場所」だった。どうして山に行くのか、山をやらない人に問われても、答えようがない。
この映画の中でも、ベースキャンプでジャーナリストに、どうしてヒマラヤを登頂したいのかと問われて、そこにいた全員が声をそろえて、だって「そこに山があるからさ。」と言って、ゲラゲラ笑うシーンがあったが、そんなものだろう。答えようがない。
映画で描かれたように、1996年のこの登山隊では、隊長のロブ ホールが公募で集めた登山家達を登頂させ、全員無事に下山させなければならなかったところを失敗した。一人の隊員が前回 登頂目前で天候の悪化で敗退しているので、二回目の挑戦で何が何でも登頂を成功させたかった。その男のために判断を誤り、下山の時間が遅れた隊長のロブ ホールは、突然の天候の豹変によって下山できなくなった。隊長を失った隊員たちは下山中、猛吹雪に襲われて次々と倒れ、11人が命を失った。難波康子も、ノースコル目前で、倒れて起き上がれない。最終キャンプの手前、酸素を使い果たし、一緒に下山した仲間たちは、自分が呼吸するだけで一杯で、倒れた者を助け起こすことができない。まだ生きているのに放置され凍死していった彼女が哀れだ。どうして隊長が一人の登頂にこだわって下山時間を守らなかったのか。トランシーバーがあったのに、どうしてノースコルにサポート隊を呼べなかったのか。難波康子は早大卒業後、航空貨物会社に勤めながら、スポンサーなしで、自分のお金だけで次々と世界7最高峰を制覇した、ものすごい人だ。本当に惜しい登山家を失った。こうしてドキュイメンタリータッチのフイルムで観ることになると、本当に悲しい。彼女、無念だったことだろう。
ジェイソン クラーク、ジェイク ギレンホール、キーラ ナイトレイ、エミリー ワトソン、サム ワーシントンなど豪華な役者をそろえて、ヒマラヤ現地で撮影した3Dの、お金のかかった映画だけれど、山をやる人(山屋)人口は、それほど多くない。現地撮影のために多量の機材を使い、のべ数千人のシェルパを雇い、莫大な資金をかけて制作された映画だが、山の好きな人にしか共感が得られないのではないか。山に興味のない人にとっては、勝手に山に行き、家族に死ぬほど心配させて、未亡人にしたりする男達が単なる「わがまま男」にしか見えないのではないか。
お金があれば、月にもヒマラヤにも行ける時代になった。エベレスト街道出発点のルクラには、テレビ、シャワーつきの快適なホテルもでき、標高4000Mというのに、インターネットも携帯電話も使える。手軽なトレッキングが大流行だ。ヒマラヤは登山ビジネスが盛んになり、ネパール政府にとっては観光が最大の資源となっている。
しかし登山家たちが残してくるゴミと糞尿が深刻な問題になっている。また商業登山家が増え、渋滞も深刻だ。山頂近く、ヒラリーステップは、頂上直前に聳えている高さ12Mの岩と氷の壁だが、それを登るために登山家たちは列を作って待たなければならない。呼吸するだけで体力を消耗する8000M以上の高度で、一人ひとりが登っていくのを待ったり、下山してくる隊をじっとして待つことは、衰弱と疲労遭難死を誘発する。最終キャンプから頂上まで往復するのに18時間。酸素ボンベは6時間しかもたない。仮に登頂できても、酸素ボンベを3本背負って下山するのが本来の登山家の姿だ。しかし使い切った酸素ボンベは捨て置かれる。
ヒマラヤには、危険で回収できない120体あまりの遺体が凍ったまま眠っている。おびただしい数の捨てられた酸素ボンベ、岩壁に残されたハーケン、カラビナ、ザイル、梯子、そして凍ったまま土にかえることのできない人糞。たまりかねたネパール政府は、登山許可に、自分のゴミに加えて8キロのゴミを持ち帰ることを登山家たちに要求するようになった。良いことだ。もうヒマラヤに登る目的を変更する時期ではないか。富める国からヒマラヤにやってきて貧しい国に金を落としていく、その意味を考え直す時期だ。すでに世界中のどこにも未踏峰の山はなくなった。先人たちは後から来る者たちのために登山ルートを作り、道程を開発してくれた。初登頂、女性初登頂、最年少初登頂、最高年齢初登頂といった記録も残してくれた。しかしもう、世界一を競うのではなく、人類全体の共存を求めていく時期にきている。これから生まれてくる子供達のためにも、人が生きやすい環境を求めていくことでしか山を語れない。聖なる山を取り戻す必要がある。
ゴミを拾うためにヒマラヤに登る、野口健のようなアルピニストが本当のヒーローだと思う。この映画には感動しなかったけれど、彼の「ヒマラヤをピカピカにしてやる。」という言葉に心から感動した。
迫力映像 でもシェルパが・・・
映画館でエベレストが体験できる映像には素直に感動する。
そしてエベレストに登ることがどういう事なのか?漠然と伝わって来る。
ただ思ったのは、キャンプ設営、ハシゴを事前に運んでセットしたのも、ロープを張ったのもすべてシェルパが事前に何日もかけてやった事?
だとすると、登山家が「頂上を踏んだ」と興奮したところで、少なくとも半分以上はシェルパの恩恵だと感じる。
そして、そのシェルパが近年一部でひどい扱いを受ける事もあるようだ。
そこに焦点を当てると別のテーマになってしまうとは思うが、余りにもエキストラ扱い過ぎると感じた。
人は何故、山に登るのか
人は思い通りにいかないことを本能的に求める生き物なのかもしれない。
年齢を重ねると思い通りにいくことが増える。
⬅︎ゆえに思い通りにいかないことを求める。
若いうちは、思い通りにいかないことは山積み。
⬅︎ゆえに思い通りいかないなら、より思い通りにいかないものを求める。
思い通りにいかないものの代名詞的なもの。
『自然』
その中でとりわけ人を魅了するのが『山』
その頂きに登ることで新しく思い通りにいく何かを手に入れることができると言う『幻想』を求め、人々は今日も地球の最高峰へ向かう。
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