「博士のなかのセオリーとは」博士と彼女のセオリー rinaさんの映画レビュー(感想・評価)
博士のなかのセオリーとは
普段私はSFやアクション、サスペンス系を観ることが多い。ラブストーリーはあまり見ない。なぜならラブストーリーにありがちな、いいとこの男女がいい感じに出会い青春を謳歌している最中ハプニングに遭いつつも愛の力で乗り越え、末永く幸せに暮らしました…という王道パターンがどうも苦手なのだ。正確には展開が読めるのでどうしても飽きてしまい、新鮮味に欠ける。
しかし今作はラブストーリーであってラブストーリーでなかった。日本語の言葉の綾で"ラブ"だとどうも薄っぺらく感じてしまう。これはラブに収まらずに男女の性愛を超えた家族愛の物語だ。
ちなみに主演であるエディ・レッドメインという俳優を初めて知ったのは『ブーリン家の姉妹』(2008)。彼は実際にイートン校を卒業した生粋の英国紳士ではあるが、いかにも紳士的で綺麗な顔立ちをしているな、と当時は思った。この作品の中では脇役だったので特に目立ったシーンはなかった。まさか、ここまでの演技力を秘めた俳優にはとても見えなかった。私は『博士と彼女のセオリー』以前に『レ・ミゼラブル』、『リリーのすべて』を鑑賞しているので彼の演技の実力は十分理解していたつもりだったが今作で度肝を抜かれたのである。
スティーブンホーキング博士は、"筋萎縮性側索硬化症"に懸かり、全身の筋肉が萎縮し車椅子生活を強いられてしまう。エディ・レッドメインは勿論この病気にかかっていないのだが、もはやその患者にしか見えない。というか、ホーキンス博士そのものにしか見えなくなってくる。彼以外にホーキンス博士をそのまま演じることの出来る役者は居るのだろうか…。
本編では、何度も涙を堪えたシーンがあった。特に、スティーブンが余命2年の難病であると宣告されたことを知ったジェーンが、2人でクロッケー(≒ゲートボール)をするシーン。昨日まで普通に歩いていたスティーブンの足元がふらつき、それを見て病気の現実を受け入れるジェーンの表情が切ない。自暴自棄になりかけていたスティーブンに手を差し伸べるジェーン。これがもし自分だったら、愛しい人が余命2年と宣告され、「長い間じゃなくてもいいから、一緒にいたい」なんて真っ直ぐに言えるだろうか?余命2年の彼を介抱していく覚悟は出来るだろうか?どんどん衰弱していく愛しい人を見て、正気を保っていられるだろうか?私はジェーンの心の強さにただただ圧倒された。これがフィクションではなく、実際に存在した人なのだから尚更すごい。それほどスティーブンが魅力的な男性で、またジェーンが心優しい女性であったことが分かる。
しかし現実とは悲しいもので、ジェーンはヘルパーのジョナサンと不倫してしまう。不倫と言っても一般的に想定されるような下衆なものではなく、2人が全てを出し尽くした結果があってこその美しい不倫だった。「I haved love you.」というセリフが心に刺さる。3人目の子供の父親は…論理的にはジョナサンなのだろう。スティーブンも悲しくも薄々感じていたのではないだろうか、身体が不自由でいつ死ぬか分からない自分より健康体のジョナサンを選んだ方が、ジェーンは幸せになれると。ジョナサンが息子にピアノを教えている背中を見つめる彼の視線がそう訴えているようでならない。
最後まで自分の世話をし、3人の子供を間に持った最愛の人ジェーンとの別れを選択し、彼は自分の夢であった宇宙学説を完成させる。ジェーンはジョナサンと結婚し、スティーブンとはよき友人であり続ける。この形が、彼らにとっての最終的なセオリーかつ最も正しい選択だったのだと思う。愛の力で2年という命のタイムリミットを打ち破った結果彼らが別れてしまうのはとても寂しいが、彼らの愛は終わった訳ではない。それこそ、その愛は時空を超えて彼らの"核"となったのではないか。