「死が教えるもの」世界から猫が消えたなら R41さんの映画レビュー(感想・評価)
死が教えるもの
エンディング直前、「ボク」が父に会いに行く瞬間、母が生まれたばかりの「ボク」を抱えて自宅に戻ってくるシーンに置き換えられる。
父は初めてわが子を見ると「ありがとう、生まれてきてくれて、ありがとう」と言ったところでエンディングロールとなる。
この瞬間、どうしようもなく涙があふれてきた。
もしも世界から猫が消えたなら、この世界はどう変わるのか? もしも僕が死んでしまったら誰か悲しむ人はいるのだろうか?
タイトルのこの問いかけに対し、父の言葉が返答としてあるのだろう。
しかしその返答は、問いかけに対するダイレクトなものではない。
その行間を埋めるのが、この作品そのものなのだろう。
「ありがとう」で終わる幸せ
それは感謝の心を差し出す「喜び」
この作品は、なんとも言葉にできない心の揺らぎを感じてしまう物語だ。
もう一人の「ボク」は、エゴといった存在だろうか。
「一つ得るには一つ失わなければならない」
自分の命1日分と「何か」
命こそ絶対一番大事なものだと決め込んでいること
その対価はこの世界にある「何か」
その何かは想い出とともにあるが、それが消えることで思い出も一緒に消えてゆく。
「それが欲しいなら、何か代わりのものをくれ」
一見対等な取引 常識的なこと 当たり前のこと それが公平
では、この価値対価はすべてに当てはまるのだろうか?
シェイクスピアもあの「ヴェニスの商人」で同じ問いかけをしている。
この作品には、このことを自分自身の中で行うという面白さがある。
ボクの人生 ボクの想い出 ボクの命 ボクの大切なもの…
これに置き換えることができるものは、この世界には、ない。
置き換える比較そのものができない。
しかし、
突然告げられた死の宣告
喚きたい妄想とは逆に妙な落ち着きとともにある絶望感のボク
そんな中で感じる「死と何かを比較してしまう思考」が生み出した究極のエゴ
もうひとりのボク
生きられるなら、何を犠牲にできるのか?
さて、
作品のあちこちにチャップリンの「ライムライト」の文字が登場する。
この映画そのものは象徴だと思われるが、タツヤが話すチャップリンの言葉がこの作品の背景にあるのだろうと思った。
「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇だ」
普遍的な言葉だ。
またこの言葉と作品との互換性をどうとらえるのかは自由だ。
だが、
物語で主人公の想い出が教えてくれるのは、「ボク」はみんなに愛されていたことだろう。
この気づきが主人公にとっての人生に対する感謝へと変わるのだ。
病気の場合、実に多くの人々が医者から通告される「死」
誰もが最後に直面するこの事実
受け入れられるはずのない事実
葛藤
やがて、
誰にでも「モノの見方を変える」必要性が起きるのだろう。
誰かが何かをしてくれる期待を、自分から感謝を差し出す思いにシフトした時、
手振れのひどい写真の意味 「キャベツ」を持って来たのが父だったこと そして、「ボク」が生まれてきたときに父が言った言葉
それらを思い出したとき、父への確執が感謝に変わったのだ。
「この世界がかけがえのないものでできているのを知った」のだ。
言葉で表現するのが難しいが、胸が熱くなった。
良い作品だと思う。