「生きるとは」世界から猫が消えたなら あおねるさんの映画レビュー(感想・評価)
生きるとは
この作品、タイトルだけ見た時は完全なる動物フォーカスの「旅猫リポート」とかそのあたりの作品と似たようなものかな、と勝手に思ってました。が、違いました。
内容はまさかのファンタジー。
主人公は佐藤健さん演じる、キャベツという名の猫と暮らす30歳の「僕」。
郵便配達員として働いていたとある日、自転車から倒れた先の病院で余命1週間の末期の脳腫瘍であることを伝えられる。
そんな僕の前に自分と同じ顔をした人物が現れて自分を悪魔だと名乗り「この世界から何かを消す代わりに1日の命を与える。しかし消すものを決めるのはアタシ」という取引を持ち掛けられる。非現実的な出来事に困惑しながらも主人公はその取引に乗る。
この世界から最初に消えることになったのは電話。
電話が消える前に最後の電話相手として選び待ち合わせたのは宮崎あおいさん演じる元カノの「彼女」。
彼女とは大学時代に彼女からの間違い電話がきっかけで付き合うこととなった。
もしもこの世界から電話がなくなったら、という例え話をして久しぶりに彼女に電話をして会いたくなった理由を告げる僕。
彼女は別れ際に「もしもこの世界から電話がなくったら嫌だな。だって電話がなかったら私たちは出会わなかったから」と話す。
しかし時既に遅し。彼女と別れた後のバスの中、悪魔はこの世界から電話の存在を消し去り、電話が消えたことで僕と彼女との思い出も消え、急いで会いに行った先、彼女は僕のことを一切覚えていなかった。
次に悪魔が消すと決めたのは映画の存在。
しかし映画は僕が大学時代にタツヤと親友になるきっかけになった存在であり、大学時代は毎日のように1本ずつ映画をおすすめされていた。
タツヤは現在10年以上レンタルビデオ店で働いており、僕はよくタツヤのおすすめの作品を借りに足を運んでいた。
もしもこの世界から映画がなくなるとして最後に見るなら何の映画がいいか1本おすすめしてほしいと繰り返したのむ僕に違和感を覚えたタツヤはなぜなのかを問う。
そしてタツヤは親友の僕が死ぬことを知り、店内を散らかしながら必死になって僕に見せたい最後の作品を探す。
しかし虚しくも悪魔は映画の存在をさらりと消し去ってしまい、タツヤが働くレンタルビデオ店に走って向かうも、店内はあっという間に書店に変わってしまい、タツヤと僕との思い出も消え、赤の他人となった。
そして時計の存在も消え、自分の母親が亡くなった時以来一切話すことのなくなった父親が経営していた時計店も消え去った。
自分の生き伸びる1日の代償に、この世界から本当はかけがえのない自分にとって大切なものが消えていく。
次に悪魔がこの世界から消すと決めたのは猫。
僕は過去に飼っていた愛猫のレタスが亡くなった日のこと、新しくキャベツを迎え入れた日のこと、レタスとキャベツを可愛がっていた生前の母のことを思い出していた。
僕は悪魔に対し、あなたのおかげでこの世界がかけがえのないものであることを知ることができたと感謝を告げ、この世界から猫を消さずに自身の死を受け入れる覚悟を決める。
すると次の日、自分のことを忘れていた彼女と親友は自分のことを覚えていて、僕は二人に最後の別れを告げた。
そして僕は自転車で父が営む時計店に父宛ての手紙とキャベツを連れて行き、最後は産まれたばかりの僕(赤ん坊)に父が「ありがとう(産まれてきてくれて)」と話しかけるシーンで幕を閉じた。
確かに死ぬことは怖いけど、自分の寿命を伸ばしてまで大切な何かを消すことって、実際にはただただ切なくて虚しいだけですよね。
自分は覚えているのに、大切な人達は自分を覚えていなかったり。思い出が綺麗さっぱりなくなったり。この作品を鑑賞して、存在する大切なもの全ての尊さについて学ぶことができました。
あとこれは個人的に。この作品の中で僕が土砂降りの雨の中キャベツを探し回るシーンがあるんですが、ここ最近では見ることのなくなった佐藤健さんの弱々しい姿のお芝居は、仮面ライダー電王の良太郎を思い出させる部分があり、個人的にグッとくるものがありました。