「せりふがしゃべり過ぎず、言葉が胸にすんなり入ってきます」起終点駅 ターミナル 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)
せりふがしゃべり過ぎず、言葉が胸にすんなり入ってきます
直木賞作家の桜木紫乃さんの小説を映画化したのが本作。
北海道釧路市を舞台に、過去にとらわれる初老の男が一人の女性との出会いによって再生していくさまをしみじみと描き出されました。人生の再生を描いた大人の人間ドラマでした。
昭和63年(1988年)、雪の旭川。単身赴任中の裁判官・鷲田完治(佐藤浩市)は、学生時代の恋人・結城冴子(尾野真千子さん)の裁判に立ち会い、その後、冴子のスナックに通うようになります。冴子と深い仲になった鷲田は妻子を捨て、どこか片田舎で弁護士として独立し、冴子と暮らす決心をします。
しかし、重荷になりたくない彼女は、鷲田の目の前で駅のホームから線路に飛び込み自殺するのです。ここで初めてタイトル。長い序章は、昭和のメロドラマのような悲恋物語でした。
25年後の平成26年、釧路。自分への十字架を背負った鷲田は、妻子と別れ、国選弁護人しか引き受けない弁護士として、ひっそりと暮らしていました。
ある時、彼が弁護を担当した椎名敦子(本田翼)という女性が自宅を訪ねてくる。ふとしたことから鷲田は敦子に料理を振る舞うようになる。
さらに、何年も会っていなかった息子から大切な手紙が届いて……という展開。
冒頭の1988年は平成となる前年。ぎりぎり昭和という時代設定がうまい。恋人の死で時間を止めてしまった鷲田が、昭和から平成へ、時代に乗り移れなかった男に思えてきました。同じように、乗り移れない部分を抱えた人々は少なくないでしょう。好きな監督のひとりである篠原哲雄監督は、北海道らしい風景や料理を交えつつ、そんな男を愛情を込めて描いたのでした。
特にセリフを抑えた序盤に胸をつかまれました。その情感は、篠原監督ならではのものです。ほのかにともった男女の生の炎が、白い雪の世界に覆い尽くされ、旅立つ2人に思いを寄せたのでした。
ただ抑制しすぎて、なんで冴子は愛する人の目の前で、自殺を選んだのか、そしてそのことでその後の25年間の人生を、まるで罪人のように北海道の地方都市へと自分を監禁してしまった鷲田の贖罪の気持ちは説明不足に感じました。
第2幕が映すのは鷲田の淡々とした生活と敦子の孤独。当初のトーンは暗いままでしたが、敦子の登場によって、孤独な鷲田の暮らしに違ったリズムが加わえていくのです。敦子の存在は、鷲田の胸に過去の思い出をよぎらせざるを得ませんでした。敦子のペースにはまりながら、止まっていた時間が動き出していきました。つらいはずの過去は、気づけば懐かしい痛みに変わっていったのです。
2人のやりとりはまるでラブコメディーを思わせる部分もありました。初老の男が若い女性にドギマギする表情が面白い!目が死んで見えた敦子も、鷲田が作るザンギをおいしそうに頬張ばるなかで、次第に表情を輝かせるのです。鷲田に心を開いた後の敦子は、あっけらかんと語ってなかなかユーモラスでした。
2人の間にあるのは恋愛感情か、ただの親愛の情か。曖昧なまま関係が深まっていきます。その中で2人は過去を清算していくのでした。
ただ敦子が病で一晩看病することもあった鷲田だけに、曖昧なままふたりの関係にもう少し進展があれば、よかったのだけどとというのは、余計でしょうか?
とにかく佐藤さんの芝居に酔わされました。半白髪の佐藤浩市の枯れきっていない男の色気が、よくも悪くも映画を支配していたのです。
主人公は自分を責めて、人との関係を絶って生きてきた初老の男。ヨレヨレのスウェットを着て、古い平屋の家に住む姿は、男がこの地に懺悔のつもりで住んだ25年の歳月を感じさせてくれました。
地味な生活ながらも、男の一人暮らしをそこそこ楽しんでいる風情がほほえましかったです。
まるで是枝監督作品のように、年季の入った台所で手際よく料理を作るのシーンが、たくさん登場します。ザンギ以外にもイクラの醤油漬けや炒め物などどれもが美味しそう(^。^)新聞の料理記事の切り抜きを欠かさない鷲田は、なかなかの料理マニアでした。ザンギを作る過程も紹介されているので、自分でも作ってみたくなりました。そのうち鷲田と同じようにも市場で鶏肉を買うのが日課になるかもしれませんね。
前半は男の過去、後半は女の過去が明らかにされていく構成が絶妙。せりふがしゃべり過ぎず、言葉が胸にすんなり入ってくる篠原監督の佳作です。何度見ても、風景の中に情感を込めるのがうまい監督さんですね。繰り返し出てくる市場の雑踏、作品を象徴する釧路駅……すべてが心にしみ入ってくることでしょう。