セッションのレビュー・感想・評価
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原題だと「フォックスキャッチャー」と間違えるから「セッション」にしたのだろうか
いや、すまん。
期待した人はいないだろうが、さすがにあっち方面のネタに飽きてきた。というか。
「セッション」
ギターソロより、ドラムソロに憧れた青年。
とはオレのことだが、女にもてたいくせに、ドラムを選ぶという、しょぼいガキだったオレは、さんざんストイックに、「叩け、叩け、叩け」のモノを聞いてきた、観てきただけあって、演奏シーンに特に深い思いはない。ドラムソロはストイックな絵になり易いし。
そう、観るべきは、下の尊敬するレビュアーさんにあるように、ハゲとガキのエゴとエゴの「鞭の打ち合い」。
ハゲはチームのことなんざ、考えちゃいねえ。「オレの音」「オレのリズム」そこからの唯一無比のミュージシャンを生むことしかない。
チャーリー・パーカー出さずとも、世に言うトップ・ミュージシャンは少なからずそのように生まれたことも多かろう。
だが、その思いすら本当かどうか分からない。教え子が自殺した、という知らせに涙するする姿も、「オレの音を忠実に再現できるやつが死んだ」と悲しんだだけかもしれない。
でも音楽ファンからすると、その悲しみ方って実は間違いではないんだよね。
だから、このハゲのやっていることは、それでも「分からなくはないエゴ」なのだ。
ガキのほうは青いだけに、プライベートのバランスが取れなくなるが、つまるは、「悔しい」と「オレはトップになる」の「若さゆえの正しいエゴ」でそれに反発する。
また途中のキレ芸があったのが、大きいよね。あれもまたある意味「『正しい』もう一方の青臭いエゴ」。楽譜の件は言うに及ばず。
追記
ハゲがクライマックス、コロッと表情を変えるのだが、それも虚か実か、結局分からない。
分からないからこそ、キュン、とくるのである。
追記2
うおっ、こう書くとまたあっち方面になるじゃないか。今年はこの路線でレビューするのか。
狂気のぶつけ合いバトル
指揮者のフレッチャー、ジャズドラマーのニーマンが互いの追い求める芸術と狂気で殴り合うシーンがメインのストーリー。
この世界にコンプラは存在しない。しかし純度100%の剥き出しの魂のぶつかり合い・互いを食い殺さんとする情熱がある。
最後の10分の為だけに苦痛を延々積み上げていくような映画だが、最後の10分にはそれだけ苦しむ価値がある。
一緒に演奏している筈の奏者たちも、聴いている観客すらもどうでもいいと言わんばかりの一曲に人生の全てを賭けた二人だけのセッション、演奏がただ美しい映画。
最終的に指揮者もドラマーもどっちもヤバい奴なので一方的な暴力でないのも良い(二人の周囲は狂人に巻き込まれて可哀想だが、二人にとってはそれすらどうでもいいというのがこの映画の味だと思う)。
フレッチャー(J・K・シモンズ)の鬼指導が怖くて緊張感ある
フレッチャー(J・K・シモンズ)の鬼指導が怖くて緊張感あった。怒涛の精神攻撃はもはやパワハラ。自分だったら絶対ソッコーで挫折してる。
鬼指導に耐え続けたニーマン(マイルズ・テラー)も凄い。
何となく生きてるニコル(メリッサ・ブノワ)と、明確な夢を持ってるニーマンとの対比が良い。
ニコルを振る時の台詞がリアル。自分も同じ立場だったら同じ台詞言うだろうなぁ。夢に恋愛は邪魔だしね。終盤ニコルに電話するシーン、彼氏居ることが判明した時のニーマンの表情が切ないけど、下手にヨリ戻して恋愛要素入れないでくれて良かった。
最後の演奏シーンは爽快。ニーマンが吹っ切れてドラム叩きまくるの気持ちい。
自分はどちらかと言うとニコル寄りなので、ニーマンのように好きなことを何か見つけて、とことん打ち込んでみたいと思える映画だった。
詰めの甘さがあるうちは本気じゃない
というのも、主人公がだんだんと狂気のような妄執に取り込まれていく「本気」の話なのだが。
最初の練習に寝坊したり、事故でトラブルが発生して演奏会に間に合わなくなったり、器具備品を忘れてしまったり…「詰めの甘さ」がどこにある
もどかしい。指導者側が「本気ならその抜けはない」と言いたくなる気持ちがわかった
本気なら、本気になろう。死ぬ気で行動しよう。と感じました
一般的な評価は高いのですが
一般的な評価が高いので期待したのですが、それほど心に響きませんでした。特に最後の演奏の前に、教授が彼に密告したのは君だろうと言ったのが引っかかりました。結局教授は彼を貶めるためにライブに呼んだの?
厳しい指導の果てに何が残るのか
今更ながら見た。内容もわかりやすくまさかの展開もあり、ピリピリした空気や狂気の指導、楽器と人間の生々しさが表れていてよかった。
一流音楽学校のバンドの生徒が主人公でその指導者がメインのキャラクター。
一流を生み出すための厳しい指導にはリスクがつきものだ。生徒が潰れてしまうかもしれないし、指導者が解雇されるかもしれない。仮に生徒側が一生懸命やったにもかかわらず一流になれず無名で終わったり、挫折して心に傷を負ってしまったら何も残らないのだろうか。一流を生み出したい指導者に対して生徒がついてこなかったらどうなるのだろうか。逆恨みされたらどうするのだろうか。そんな気持ちに対する一つの答えがあった気がする。
感動したのは最後の演奏シーン。そこに参加した理由はやはり主人公がもう一度指導者に自分の演奏を聴かせて認めてもらいたかったからだろう。指導者に騙し討ち?されて裏切られた気持ちになってももう一度舞台に向かったのは、指導者がくれたものを、自分が成長した姿を無理やりにでも見せたかったのだろう。指導者が笑ったのは主人公の演奏が素晴らしかったのもあるかもしれないが、1番は自身の指導に応えてくれ、それを行動で示してくれたことに驚きと喜びがあったからだろう。まるで気持ちがすれ違っていく恋愛が成就するかのようなシーンだった。
私にも感謝したい指導者がいる。あの人の前で自分の成長した姿を思う存分披露できたらどんなに幸せか。あの頃は厳しかったが、確かに私の中にそれは残っている。あの人は私の成長を喜んでくれるだろうか。そんなことを考えて切ないような温かいような気持ちになった。
ジャズが死ぬわけだ
こないだ鑑賞してきました🎬
マイルズ・テラー演じるアンドリューが、J・K・シモンズ演じるフレッチャーの行き過ぎスパルタ指導で色々疲弊していき…。
アンドリューは良い関係を築きつつあったメリッサ・ブノワ演じるニコルに別れを切り出し、ついには運転中に事故って大怪我を負いながらも音楽会場に辿り着くという有り様😥
しかし満足に演奏できるはずもなく、今までの仕打ちにとうとうアンドリューはブチ切れてフレッチャーに殴りかかります⚠️
その後は、フレッチャーはアンドリューの父親のタレ込みで学院を追われ、場末のバーへ。
偶然再会したアンドリューを騙して、知っている曲を演奏するからとフェスに誘い、実際は彼が知らない曲を演奏します。
タレ込みに気付いたフレッチャーの手の込んだ復讐ですが、アンドリューは一度退席しながらも戻ってきます❗
ここからは、アンドリューの闘志に拍手ですね😀
そして皆さんご存知の、フレッチャーが彼のシンバルを直すシークエンスへとつながっていきます❗
この場面はスクリーンで観ると迫力が違いました。
確かにチャゼル監督の手腕も見事ですし、マイルズ・テラーの追い込まれていく演技と、J・K・シモンズの圧倒的なスパルタ鬼教師の存在感、うまく合わさってました🫡
ただの悪役とはいえなくて
褒められてうっかり心を許すと、次の日には鬼みたいに怒ってくる。アメとムチの繰り返し。こういうパワハラ上司、就職したばかりの10年以上前にはいた。そんな上司の下で心が折れそうになりながら、どちらかというと反骨精神な自分は何とかうまくやっていたほうだった。
今の時代なら完全にアウト。表面上はうまくやってもあの恨みは忘れない。
そんな過去を思い出した。
主人公はポワンとした顔つきなのに、意外に反骨精神溢れるがんばり屋だ。
主人公はこのバンドで成長するのか?まさか裁判の展開になるのか?と先が読めない展開で最後は舞台での仕返し。最高にスカッとする。面白かった。
フレッチャー先生が100%恨んでもいい悪キャラだったら楽なのに、たまの笑顔や励ましがあり、主人公と同様に恨みきれない複雑な思いがする。最後の最後までそうだった。
指導者ガチャ
勘違い野郎によるパワハラ映画。
聞くに耐えない暴言、暴力、セクハラもあり。
フレッチャーは、チャーリー・パーカーが成功したのはジョー・ジョーンズにシンバルを投げられたからという伝説に心酔していて、そのやり方が正義だと思い込んでいるヤバイ奴。若い才能を暴力で潰しておきながら、それを本人の挫折で片付けてしまう究極の他責主義者。
最後はニーマンがバードになったんだろうけど、そうするとフレッチャーの暴力が正当化されるので、あまり良い話ではない。
この方法でうまく行ったのが、たまたまニーマンだったというだけの話。それを愛だ何だと感じた人は気をつけた方が良いし、またはよっぽどのマゾ。
ホラー映画だと思って割り切ったほうが良さげ。
狂気には狂気で返す
こういう、この人に認められたいと思わせるというか、依存させるのが上手い指導者、いるよね〜と思いながらみてました。終盤、超高圧的な鬼教官の弱った姿、教える側の苦悩を見せてやや同情させたところで、「私を舐めるなよ」とひどい仕打ち。そして今度は、屈辱を味わい、親に迎えられるニーマンに感情移入させてからの、まさかの仕返し。この2つのどんでん返しが非常に面白かったですし、特にニーマンから教官への仕打ち、指揮者などいらないと言うかのような舞台の掌握ぶりは痛快でした。常人ならあのまま退席し、親と故郷へ帰りますね。狂人と通じ合えるのは狂人のみ。頭のおかしい人とまともに向き合おうとしてはいけない。。。
ヒリヒリ感は伝わるけどね
鬼教師フレッチャーのイジメにも近い指導、それに耐える主人公ニーマンはじめ他のドラマー。そのヒリヒリした空気は伝わる。凄い伝わる。演技凄い。
が、元居たクラス?でもパッとしなかったニーマンに何故、フレッチャーが目を付けたのか分からんし、ニーマンが凄い練習してるのは分かるんだけど、その上達がどんな速度とレベルなのかがイマイチ伝わらない。これがスポーツ物だと分かりやすいんだけど、音楽とかだと、80レベルが85レベル、90が95に上昇しても素人には分からんw
何だかんだがあり、フレッチャーが大学をクビになるのは分かるけど、ニーマンも退学処分なんだって言うのが「え~」。
でっ、しばらくして再会したらフレッチャーにバンドに誘われてフェスに出るんだが、その舞台上、演奏直前に「俺を告発したのはお前だろ」と言い、ニーマンに言ってない曲の演奏(譜面無し)を始める。いや、復讐したいのは分かるとしても(逆恨みだけど)、他のバンドメンバーも巻き添えやん。それを狂気と捉えるか否か。
ニーマンも大学辞めてから、ドラムを収納に押し込んでいた様子からして練習して無かっただろうに、そんなにすぐにフェスで演奏出来るレベル、というか元以上のレベルになるんか?ピアノとかは一日弾かない分を取り戻すのに何倍も掛かるって言うけど。
最期のドラムソロは凄いけど・・・・・フレッチャーもニーマンも自分の事しか考えてないなぁ。フレッチャーの嫌な面が目立つけど、ニーマンの普段の言動も結構クソ野郎。
熱量は感じるけど、もう一回観たい?と聞かれたら否と答える。
例えシンバルを何度投げつけられても、何度でも立ち上がれ! それが天才だ!
最終的に描かれるのは、有名指揮者と若きドラム奏者の魂のぶつかり合い!!
シモンズのスキンヘッドのパワハラオヤジ役が、まさにぴったり。
序盤、認められたと思った若者は罵声を浴びせられ、超しごきの毎日。
徐々に徐々に追い詰められていく彼!
観ているこっちも悔しくて感情移入!
コンクール会場へ向かう途中は興奮する!
そして、会場での演奏でついに爆発!!
そこから先の展開が、ステレオタイプでないのが面白い。
再会から和解か思いきや、フレッチャーの底意地の悪さも爆発!
いや、フレッチャーの意地悪なのか?
もしかして、それすらも、「投げられたシンバル」なのか?!
親の優しさと、そこからの自立を経て、ニーマンの反撃開始!
ここが気持ちいい!
何といっても、クライマックスの演奏が素晴らしい!!
二人の戦いがニーマンの攻勢から、フレッチャーとの「セッション」になっていく。
スパッと終わるのもイイ!!
例えシンバルを何度投げつけられても、何度でも立ち上がれ!
それが天才だ!
狂気の果てのセッション
承認欲求に囚われた若者と完璧を求める指導者それぞれの狂気の果てを描いた作品だと思います。
若者は、指導者が求める理想に追いつくために懸命に努力を続ける過程で人間性を失っていきます。そして、自分が代替可能な使い捨ての駒に過ぎないことを知って精神が壊れますが、それでもなお、手にしたポジションに固執することをやめられません。
指導者は、理想を追い求める過程で多くの若者を使い捨てにし、壊しながら、一時的に栄誉を勝ち取ります。しかし、最後は使い捨てにしてきた駒からの密告により地位を追われ、築き上げてきたものの多くを失ってしまいます。
若者、指導者のあり方は、それぞれの理想を実現するためのものでしたが、いずれも多くの代償を伴う狂気によるもので、それが故に最後は築き上げてきたものを失ってしまいます。ラストシーンの捉え方は様々あるようですが、私は、そんな2人による狂気の果てのセッションだと思いました。
若者をマイルズ・テラー、指導者をJ・K・シモンズが迫真の演技をみせているため、物語に没頭することができます。
ここからは推測ですが、伝統的な音楽であるクラシックやジャズは目に見えず、数値で表すことができないためか、指導者の立場が圧倒的に強く、それが故にこういったことが起きてしまうんだろうな、と思いながら観ていました。このあたりは、TARと共通する部分があるので、音楽業界の構造的な問題が、背景としてあるんでしょう。
原題の『Whiplash』は鞭打ち、衝撃、苦痛という意味。 楽...
原題の『Whiplash』は鞭打ち、衝撃、苦痛という意味。
楽譜に従ったガチガチの演奏を強要されるのだが、果たしてこれはジャズと言えるのであろうか。ブラスバンドのカテゴリーに分類されるのではと思うのだが。
感想を一言で表現すると『見ていて気分が悪くなる程のパワハラ映画』。
最後に生徒が鬼教官に見事に返り討ちを果たすが、爽快感を感じることはできなかった。せめてテロップでもよいので、「その生徒はプロドラマーとして成功を収めた」とか入れるだけでも印象が変わるだろうにと残念に思う。
主人公は彼女に捨てられてしまうが(捨てて大正解です)、彼女役の女優(メリッサ・ブノワ)を発見できたことが唯一の収穫であった。
フレッチャーは来ていたか ネタバレ(妄想込み)
2015年1月6日のラジオ『たまむすび』にて、映画評論家町山智浩さんはこの映画「セッション」を熱を込めて紹介している。
「…で、『あしたの朝6時に練習始まるから来いよ』って言われるわけですね。で、朝6時に学校に行くと誰もいないんですよ、その部屋には。で、9時になってやっとみんな来るんですね」「もう、最初っから“いじめ”なんですよ!」「ウソの時間を教えたんですよ、3時間早く」「そこからもう延々と、フレッチャー先生のいじめが始まるんですよ」
この部分が私にはどうしても納得できなくて、何度も映画を見返した。そして、見返す程に確信に変わった。
フレッチャーは、朝6時に教室に来ている。
以下にその根拠を書いていく。
① カギとほこり
主人公アンドリュー・ニーマンが1年生の授業に出席する。教室のドアを開けて、中に入り、ドアを閉める。0:06:49。ドアノブのカギ穴が大きく映る。
シェイファー音楽学院のドアノブがアップになるのはこの1回きりだが、しかし、ちゃんと映っている。
普段、放課後の教室にはカギを掛けているのだ。1年生の教室がそうなら、上級生の選抜クラスならなおのことそうだ。
つまり、ニーマンのために、フレッチャーが教室のカギを開けていた、ということだ。そこまで準備していた、ということだ。
0:15:47で床に落ちたホコリが映る。掃除をしていないことを表している。フレッチャーが、しなくていいと言ったのだ。職員に「今日はこのまま帰っていい。明日早くから使うから、カギもかけなくていい」と。フレッチャーはニーマンを迎え入れるために、段取りを整えていたのだ。
② 8:57
選抜クラスの生徒たちは8:57に教室に入ってくる。
何故なんだろう。
授業になったら全員が人種も含めて耳を塞ぎたくなるような罵詈雑言をフレッチャーから浴びるかもしれないのに、なぜもっと早く来て練習しないんだろう。楽器の調整も含めて万全の状態を作り出すために、やることはいろいろあるはずだ。実際、1年生のクラスは、先生が来る前に音を鳴らしたり、おしゃべりしたり、彼女とキスしたりする余裕があった。
答えは簡単。フレッチャーにそうしつけられているのだ。最低限の時間で準備を整える。フレッチャーが登場する10秒前にバンドマスターが「音合わせ!」の号令を掛ける。早くに行っても教室にはカギが掛かっているし、仮に入れたとしても、勝手に長々と教室を使うことを、フレッチャーは許さない。
つまり、ニーマンを6時に呼びつけたのは、特別なことだったのだ。
③ イヤホン
9;00ピッタリにフレッチャーが入ってくる。
譜面台に楽譜を置き、帽子を取ってハンガーに掛け、イヤホンを耳から外してコートの内ポケットにしまい、コートをハンガーに掛ける。
これが証拠である。
フレッチャーは朝6時に来ていた。
フレッチャーは、プレイヤーを止めていない。すなわち、彼はイヤホンをしているだけで、聴いているフリをしているのだ。本当は朝6時ピッタリに来たのだが、誰もいないので3時間、ただ待っていたのだ。そしていかにも今自宅から音楽を聴きながらやってきた、というフリをしていたのだ。
④ 控室
では3時間、フレッチャーはどこにいたのか。教室に繋がっている教員控室にいたのだ。6時にニーマンが来ていないことにこれ以上ないほどに腹を立てたが、とりあえず控室に入った。ニーマンに手ほどきするために昨日から準備してきたのだ。それを、よくも…。しばらくして走ってくるニーマンの足音が聞こえた。急ぎ過ぎて階段でコケた音も。
フレッチャーは思わずにんまりする。まあいい。仕返しはゆっくりしてやろう。
と、いうところだろうか。
⑤ whiplash
この映画は真っ暗な中、ドラムの音から始まる。
ポツン、ポツン、ポツン。
ゆっくりこぼれ落ちる音が、段々、段々速くなる。
その音を背に文字が白く浮き上がる。
Whiplash
これは、この映画のクライマックスのシーンでもある。フレッチャーの指揮も無視して名曲「Caravan」のドラムソロを続けるニーマン。ドラムは激しさを増し、フレッチャーはハッキリと理解する。
ゆっくり。ゆっくりだ。
フレッチャーの仕草にニーマンが応える。ブレーキをゆっくり踏むかのように、音はゆっくりと静まってゆく。
ポツン。ポツン。ポツン。
速く。少しずつ、速くだ。
ドラムは再びうなりをあげてゆく。そして、フレッチャーが「もう、いってしまえ」とばかりに片手を振ると、豪雨のような音の乱れ打ちになる。
出会いのシーンで、フレッチャーはすでにこの音を聴いていたのだ。だから映画のタイトルが「whiplash(むち打ち)」なのだ。フレッチャーは初めから打ちのめされていたのだ。
この映画は生徒と鬼教官の話なんかではない。
音を愛するものたちの、嫉妬と狂気の物語なのである。
狂気の二人が織り成すミュージック
原題はWhiplashで作中に出てくる有名なジャズの曲でもある。スパルタ教師のフレッチャーとジャズドラマーを目指すニーマンの話。ニーマンはジャズメンバーに選ばれるが事故でコンテストをミス退学になる。フレッチャーは行き過ぎたスパルタでニーマンに密告され辞めさせられニーマンに復讐する。
いい映画であるが、面白いとか泣ける映画ではないのである程度知識を持ってみたほうがいい。無駄なシーンがなく、ラストまでの流れとラストのセリフが無いシーンのクライマックス感が心地よい。
JAZZのゴールとは?
確かに現代、誰かに叱責されたり、罵倒されたりすることは少なくなったのだろう。一人一人の個性や人権が尊重される。上手くいかなったら、すぐに諦め向いていないといって別なことに逃げることも多い。新たなJAZZの天才も生まれづらくなっているのだろう。(詳しくは知らないが)過去の黒人の天才たちは、ひどい貧乏や差別という境遇下にあっただろうし。それを大学という場で、作り上げるためには、フレッチャーのような指導が必要になるのか?彼が、どこまで意図的にやっているかは判断が難しい。生徒の状況を最大限に利用して、追い込んでいるようにも見える。生い立ちやら確執やらを利用して、ご無体なというような叱責を容赦なく浴びせる。
映画を通して、ニーマンがひたすら追い込んで練習する様、ドラム中心に流れる時間は、その情熱に触れているかのようで、惹きこまれた。家族にたてついたり、彼女との別れを決意したりする部分も、若い頃には徹底的にやり抜く時間も必要だと思った。ただ、この音楽映画が、フレッチャーとニーマンの対立に終始してしまうことが本当に良いのか?には疑問が残る。
「生きるか死ぬか」まで追い込まれて、初めて、彼らの信奉するJAZZが生まれると言っているかのようだった。承認欲求を満たすためにという解釈もわかるが、ゴールがそれでいいのかということ。それを突き抜けないと本物ではない。音楽する動機が、純粋に音楽を極めたい、楽しみたいとなった時に、本物になるっていうことだろうと思うのだが。フレッチャーの指導では、承認欲求を満たすことがゴールになってしまう。最後、ニーマンのドラムは、そこにまで到達したような描き方だっただけに、中途半端な達成感を感じた。
指導者と演奏者の火花散る対立という構図を主題にしたのだろうが、もう少し人間的、音楽的な深みが欲しかった。あまり聴かないほうだが、JAZZって、もっと即興性、瞬発力、情熱やロマンが必要なものだと思う。このストーリーだと、激しい感情をただぶつけているだけになっていた。そこが惜しい。
しごき。
原題は"Whiplash"です。
むちうち/むちひもの事を指していますので、音楽教師にしてコンダクターであるフレッチャーの「シゴキ」のことをダイレクトに指しているだけです。ですが。それが、この映画の主題にしてオチな訳で。セッション、って言う邦題、なんなんですか?
JVCジャズフェスティバルの、なんとオープニングステージの本番での、彼のショック療法に挫折せずに立ち上がって闘ったアンドリューは「Bird」になります。フレッチャーは人生を賭けた悲願であった、「天才を育てる」と言う大業を成し遂げる。
と言うラスト。
つい、この前の映画だったようにも思え。すごく昔に見た映画の様にも思え。2014公開なので、今年が10年目なんですね。個人的には、音楽映画の史上最高傑作です。で。史上最低の「邦題」を付けられた映画w
いずれにしても。
良かった。
とっても。
八丁座ではアカデミー受賞作もリバイバル上映週間です。開幕2作を見損ねたのが悔やまれます。当時は「なんでこれが作品賞やねん?」なんてのもありましたが、いずれにせよ、見る価値がある映画、であるには変わりなく。セッションは、もう一回上映があるので、見ときたいと思います。セリフが分かりやすいんで、字幕注視しなくても良い、っての好き。
あ。でも。ミナリは見ないです。全然、見る気が起きんもんw
エブエブは仕事の関係で見れないんですよね。これは悔しいです!
『男の争い』上映中
ラストが、マイルズ•テラーとJ•K•シモンズ扮するアンドリューとフレッチャーが、目指すものだということか。
アンドリューは初めて誰に邪魔されようと意に介せず己れの信念のまま意志の突き進む先に進みフレッチャーをも取り込んだのか。
フレッチャーを見ている者としては、また騙されないかひっくり返されないかと、セッションの熱量と気迫に気圧されながらも違う意味のヒヤヒヤドキドキを感じていた。
すると終わってしまった。
フレッチャーからすると、学生は皆甘ちゃんに見えるのだろうか。
彼自身の子供から青年時代がどうだったのか、ある意味興味が湧く。もちろんあの毒舌家になった要因を知りたいのだ。
いや、毒舌家ではなく罵詈雑言の憎まれ教師だ。
アンドリューの生活は父親やニコル、弁護士との関わりで描かれ、事故で瀕死の重傷を負い血みどろで演奏会場に駆けつけるも途中でギブアップしてしまい身を引いてしまった事も描かれている。
フレッチャーの恐ろしさはまだまだ続く。
苦情が出て勤務先が変わった事を根に持って証拠も無しに卑怯にも開始寸前の舞台でアンドリューに毒吐く。
アンドリュー、よく頑張った!
未来は明るい!
J•k•シモンズさん、上手いけど、
フレッチャーは、
何百キロも離れた所に住みたい人ですね。
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