「孤高の芸術、虚空の舞台」ザ・ウォーク 浮遊きびなごさんの映画レビュー(感想・評価)
孤高の芸術、虚空の舞台
最初に不満から述べてしまおうか。
満を持してのクライマックスシーン。
予告編を観て、高所での身もすくむようなスリルを
体感できると期待していたのだが、残念ながら
その点は期待していたほどのスリルはなかった。
いや、息を呑むような瞬間は何度もあるのだけど、
ちょっと期待値が高過ぎたんだと思う。
綱渡りのスリルを存分に伝えることが目的であれば、
カメラはもっと長回しでリアリスティックに、
そして音楽はもっと控えめにしてほしかった所。
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え? ああ、いや、あなたの仰る通り。本作はそういう
即物的なスリルを味わわせるだけが目的の映画ではない。
映画は『自由の女神』登頂のプティの独り語りで幕を開ける。
彼の語り口はサブマシンガンのように早口で軽妙だ。
英語とフランス語をまぜこぜにしながら、自身の
パフォーマンスの原点から恋人や仲間たちとの出会い、
そしてWTCでの世紀の“ショー”に至る経緯までを
茶目っ気たっぷりに喋って喋って喋りまくる。
残念ながら僕自身は台詞や演出が饒舌な映画を
そんなに好まない傾向にあるのだが、それでも
この最初の流れで、本作の狙いが綱渡りのスリルを
伝える事だけではないということが分かる。
この映画が目指しているのは“ショー”だ。
楽しく軽快で、それでいてハラハラさせながら、
最後まで観客を魅了するようなショーなのだ。
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WTCに至るまでをスピーディかつユーモラスに追う
前半はちょっと大袈裟とは感じつつも楽しめるし、
いよいよ“ショー”を実行に移す後半は、結果は
分かっているはずなのにドキドキし通し。
次々に起こるハプニングを機転とチームプレーで乗り切る様は
『ミッション:インポッシブル』顔負けのサスペンスだ。
そしてクライマックスの綱渡り。
「あらら案外アッサリ渡っちゃったね……」と
拍子抜けしていたら、まさかそこからが本番だとは!
プティがクルッと方向転換するたびにヒュッと息を
吸い込んでしまいそうになるし、“外野”のせいで
さらに緊張感倍増。ヘリもポリスメンも、あんたらが
いた方がかえって危険だろッ!と叫びたくなる。
あんな状況にありながら、あくまで優雅にショーをこなす
プティの姿には、驚嘆を通り越して半ばあきれてしまうほど。
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僕がフィリップ・プティの名を初めて知ったのは、
敬愛する作家ポール・オースターのエッセイ集『空腹の
技法』(柴田元幸氏、畔柳和代氏 訳)の中での事。
それによると、プティ本人は過去にこう語ったという。
「一番美しい道のりが、たまたま最長だったり、
もっとも危険だったりすれば――それはそれで
結構。私にとって一番の興味は、演技、ショー、
美しい身振りなのだ」
プティが空中の事をair でも sky でもなく
void(空虚、虚空)と呼んでいたのが印象的。
無の空間に張られた細いワイヤーの上に命ひとつ。
それは画家が真っ白な紙に人生を描き付けるのにも似ている。
プティは、画家や音楽家と同様、たったひとりの人間が
人の心にどれほどの衝撃を与え得るかを示すひとつの実例だ。
“歩く”というただそれだけの行為がこれほどの重みを
持つことを、そしてこれほどの優美さを放つことを、
それまでいったい誰が知り得ていたか?
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逮捕こそされたものの、アナーキーかつ驚嘆すべき
そのショーに、ニューヨーカー達は惜しみ無い賛辞を送った。
様々な人種がゴッタ煮となって生きるニューヨークの街は、
強欲で情け容赦の無い街という印象も強いが、あらゆる
価値観を受け入れる土壌と気概をも有した街だとも僕は思う。
ご存知の通り、一部の価値観しか認めない者達に
よってWTCは跡形もなく破壊されてしまった。
プティの受け取ったWTC屋上への無期限チケットは、
もう二度と使えなくなってしまった。
プティと同じくフランス出身である『自由の女神』。
その頭上越しに輝く2つの高層ビル。その場所は、
アメリカの善良な面――自由と夢を追う者に寛大で
あること――の、ひとつの象徴だったのかも知れない。
そんな郷愁の想いが伝わるラストに、少しだけ目元が熱くなる。
<2016.01.23鑑賞>
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余談:
かれこれ3、4年前のことだが、僕はアメリカ出張の
合間を縫ってニューヨークを観光で訪れたことがある。
その際にこのWTCの跡地にも出向いたのだが、
そこは今、ツインタワーを表した2つの深く
巨大な掘のある、大きな大きな広場となっている。
堀の内側には水が滝のように止めどなく流れており、
堀の四辺を形成する黒の大理石には、9.11テロの
犠牲となった人々の名前がびっしりと刻まれていた。
テロの犠牲となった人々の為、あれほどまでに
壮麗な慰霊の場を用意するなんて、と、
強く強く心を打たれた事を、今でも覚えている。