「ようやっと好きな本を書く時間が許された日。」6才のボクが、大人になるまで。 kthykさんの映画レビュー(感想・評価)
ようやっと好きな本を書く時間が許された日。
ボクの周りでも最近、とみに多くなったパパと離れた子どもたちの話。アメリカではなんと50%もの子供たちがそんな環境にあるというが、映画はトスカのようにドラマチックではないが見どころ豊富、いろいろ考えさせられた物語。
全編35ミリで撮り続けたとというだけに、12年間の子どもたちの成長以上に機材の継年変化は凄まじく、映像制作にはいろいろ苦労したようだ。しかし、あえて淡々と描かれた時間と映像は継ぎ目なく、却って観るものにきめ細かく沢山の事を語り続ける。しかし、描こうとしているものは決して時間の継起ではない。むしろ瞬間瞬間の持つ意味を積み重ね織り上げている。ここら辺りがこの映画の見どころでありポイントだろう。
いささか長い映画だが、powerMacやX-Box等の変遷
、ゲームとSNSでサイボーグ化されつつある高校生たちの画一的な(舞台はテキサス州ヒョーストン周辺)郊外住宅での日常生活。
さらに、イラク戦争とブッシュ批判のパパとパパの仲間、オバマ応援の選挙サポート、アストロウズを応援するナリーグ観戦やハリー・ポッターミュージアムでの熱狂。
レアー化された映像の積み重ねだが、映画はまさに21世紀アメリカ、いや、サイボーグ化された子どもである事を実感する頭のいいメイソンの呟きはまさに現代の日本人若年層そのものの姿に繋がる。
特に惹きつけられたのは二週間ごとに遠方から会いに来る父親の状況変化とユーモアある言葉と心配り。
15才のサマンサの誕生日には、パパは避妊についての話を姉弟二人に懇々とする。「まずは決してセックスしないこと、するときは絶対にコンドームを忘れないこと」。そして翌日メイソンとの男同士二人だけのキャンプでは、「女の子と1対1になったとき、いったい何を話したらいいの?」というメイソンの質問にパパは言う「彼女を質問責めにして、答えを熱心に聴いてあげるんだ。そうすれば必ずライバルを引き離せる」。
パパの両親の家でのメイソンの15才の誕生日パーティー。そこにはパパの新しい奥さんと生まれたばかりの彼らの弟も参加する。パパからのプレゼントは彼が編集したビートルズのブラックアルバムとメイソンにとっては初めてのスーツ。お爺ちゃんからは散弾銃と射撃訓練、おばぁちゃんのプレゼントは名前入りの聖書。
18才のメイソンの高校卒業パーティーはパパの家族もお爺ちゃんたちもみんなママが苦労して手に入れた家に集まる。パーティーの後、パパはメイソンだけを連れ彼の昔仲間のライブハウスに行く。そこでは往年のもて男だったミュージシャンたちのお祝い演奏。そして、メイソンは一緒にヒューストンにいくはずだった恋人に振られた話を打ち明ける。「お前がブレなければシーナみたいな女は山ほど寄ってくるよ。自分に得意なものがあれば女はいつでも選べる。」と写真が得意なメイソンを励ます。この言葉はママに振られたギタリストパパの実感でもあるだろう。しかし、言葉の裏には、幼い子を残しアラスカに逃げた彼の悔恨とママへの深い想いも込められている。
そしてなによりもこのドラマは、夫とわかれキャリアアップまでして、ひとり子育てを続けた、ママの苦労物語と言っていい。
新たに結婚した二人の夫からは、家財道具も持ち出せぬまま、子どもたちをワゴンに放り込み、逃げ出して行くママ。パパのいない子どもたちを守り続けるのは施設でも学校でもなくママだけなのだ。
テキサス大学の寄宿舎に行くという別れの日、その日をママは「人生最悪の日」と言った。この言葉もまた意味深い。巣立った子どもたちとの別れの日だが、懸命な子育ての最終日でもあり、ようやっと好きな本を書く時間が許された日でもあるのだ。