野火のレビュー・感想・評価
全160件中、41~60件目を表示
戦後75年
第二次世界大戦で日本が負けてから、75年がたった2020年。
75年前の今日8月6日、広島に原爆が落とされた。
たくさんの人が命を奪われ、大切な人を失い、たった一度の人生を狂わされただろうと思うと、二度とそのような事があってはならないと強く思う。
リリー・フランキーさん出演作品を探していて見つけた本作。レビューを鑑賞前に数件読んで、鑑賞するには覚悟がいるなという印象を持ったが、みるなら少しでも同じ過ちを繰り返さないという気持ちを思い出す今日鑑賞したいと思った。
今までも数々の戦争を描いた映画を観てきたが、本作ほど頭から最後まで、緊張して鑑賞した戦争映画は無かったように思う。
ただただ、ずっと怖かった。緊張していた。
次は何が起こるのか、想像ができない自分。
戦争を体験したこともない私にとっては、勿論、想像などできるはずもなく。
一人の兵隊が経験した戦争というものを90分みっちりと見せられた。
グロテスクなシーンはたくさんあるが、これでも現実よりはまだ優しいのでは?と思えてくる。
匍匐前進をするシーンやジャングルを走り回るシーンなど、見たこともない景色だった。
これを命がけでしていた兵隊達の気持ちなど、想像できるわけがない。これをその人達の幸せな人生を犠牲にしてまでやっていた事なのかと思うと胸が苦しくなる。
よくある戦争映画には、主人公の身内の立場の女性がいますが、自分も女性としてそういうキャラクターがいるとついついそちら目線で映画を観てしまうが、本作品ではそういう事も皆無で(最後にチラッとじょせいはでてきますけどね)ひたすら兵士がどんな環境で、どのように時を過ごしていたかが描かれているのも、自分にとっては新鮮でした。
人が人でいられなくなる環境というのは存在する事がよく分かりました。
とてもじゃないが、私はこんな場所では生きていけないと思った。だからこそ、戦争は二度と起こしてはいけないと思う。
なんでもありなのが戦争。そこにモラルなど存在しない。
どれだけ時間が過ぎようと、私たちが過去の失敗、過ちを忘れてはいけない。その為に、このような映画が必要なんだと思う。恐ろしくて二度は観られないが、人には勧めたいと思う。
市川崑版よりも訴えてくるものがあった
5日分の食料を持って出たため、部隊に戻ると、「せめて5日間入院してろ」などと言われ再び病院へ行くも、「肺病ごときにかまってられるか」と追い出される。食料は野戦病院で没収されたため、地元民から強奪したりもした。そして、また部隊と病院の往復・・・
廃教会で地元民の男女が現れるが、女の方を殺してしまった田村。さまよい続けて民家から塩を見つけ、やがて別の隊の日本兵4人と行動を共にする。「俺と一緒にいれば弾当たらないから」と言う伍長(中村達也)。敗戦濃厚のため、セブ島に輸送するためパロンポンに集合せよという命令が伝わっていたが、行軍中、一斉射撃の虐殺に遭ってしまう。死にかかった伍長は狂気に満ちていた。ニューギニアで人肉を食ったことがあるとか話していたが、「俺が死んだら、ここ食っていいぞ」などとうわ言のようにつぶやく。
一方、安田(リリー・フランキー)の命令でタバコとイモを交換させられていた永松(森)と再会するが、猿の肉だと食わされた干物。安田と永松は人を殺して人肉を食っていたのだ。永松はとうとう安田を殺すが、彼もまた狂気にかられていた・・・
累々と横たわるおびただしい死体の数。残虐な描写などは、戦争の激しさよりも、兵士の誰もがもう戦えなくなっていたことの方が心にガツンと訴えてくる。そして人肉問題。この描写があるかないかで戦争の悲惨さが・・・しかも正常な人間として生きていけない状態が見て取れる。
極限では声も出ない?
しんどい。
鮮明
昼間のシーンが色鮮やかで、鮮明で、救い用のない世界とのコントラストを感じた。鮮明だからこそ泥、汗、血が、匂ってくるほどだった。主人公の目のメイクはシーンによって濃さや色が違うしちょっと嘘くさかったが。戦末のフィリピンでの日本兵について、どれだけ知ってることがあるだろうか。生きることを諦め、でも死ねない、死にたくない者たちの足掻き。同じはずなのに底辺のところで上下関係が生まれる。窮地の状況でも日本人の性が出る。本当に醜い。恨むべきは人ではなく、戦争。こんな経験をした人が生きて帰ってきても、まともに生きれるはずがない。死んだ方が良かったかもしれないが、物書きという職業であるからこそ伝えていかなければなるまい。
終戦の日に、戦争を考える
【毎年、8月に「野火」を読み、観る意義。強烈な反戦映画である。】
視覚的に、観ているのが非常に辛い映画である。
小説を読んでいる際には、自分の脳内でリアルな映像化を拒絶している部分があったのだが、ここまで苛烈にフィリピン・レイテ島での70数年前の出来事を映像作品として見せつけられると逃げようがない。
塚本晋也の現代日本の状況に警鐘を鳴らさねばという気概、そして初演以来5年たった2019年夏にこの作品を上映する映画館の姿勢に襟を正される。
日本が、このような作品が制作されても、上映出来ない国にならないことを切に願うし、そのためには私たちは何をしなければならないのかを深く考えさせられる作品でもある。
<2019年8月14日
毎年、夏になると強烈な数々の反戦映画を上映してくれる”反権力の気風、気概の高き都市”のミニシアターで鑑賞。>
BSで録画していて視聴 原作を昔読んでいて展開は大体知っていました...
これでいい…
目を覆いたくなる凄惨な画をただ並べて見せて
「どう? 戦争ってひどいよね?つらいよね? でしょ!」
というような意図でセンセーショナルに打ち出しただけの作品かもしれません…
でも今のわたしたちは、戦争の記録や記憶を見聞きしただけに過ぎませんし
遠い異国で実際に起きている内戦やテロ事件をニュースで報道されていても
今のわたしたち世代は、実感として受け止めることのできるヒトは少ないでしょう…
戦争を知る世代しか… 本当の所、とやかく言う権利はないかもしれません…
【本作に関わらず、世にあるすべての『戦争映画』は
イコール『反戦映画』であると結論付けます!】
…と、はっきりわたしには断言することはできません。 …が、言わせて下さい!
良いように解釈してくれとは言わない
理解してくれとは言わない
嫌悪感を抱いてもらっても構わない
なぜならば、それが今のわたしたちの抱く『戦争』なのだから…
塚本晋也 監督 作品 『野火』
わたしも、いつか観よう、観ようと思ってはいたのですが踏ん切りがつかず…
そんなある日、外出からの帰宅後、テレビをつけたら丁度放送してた訳で
もうわたし画面に釘付けで、90分間動くことができませんでした(笑)
BSとは言えよくぞ!放送してくれた!民放局にお礼申し上げます!
では、クリント・イーストウッド監督作『父親たちの星条旗』より
冒頭のモノローグを記して、わたしの感想と代えさせて頂きます…
「戦争を分かった気でいる奴はバカだ。
特に戦場を知らぬ者に多い。
皆、単純に考えたがる。
善 対 悪
ヒーロー 対 悪者 …。
だが実際は我々の思うようなものではない。」
意味不明、
ストーリーはわかる、当時の過酷さもわかる。
が、ただむごたらしい、グロテスクな画が多いだけの映画に成り下がってしまってる感がある。
作った方の、結局のところの意図や、なんでそんな画をあえていれているのか、その表現の感覚がわからないし、なにをもって「それでよし」としてる作品なのか意味不明。
ただむごたらしくグロテスクにしたら戦争映画だ、訴えられる、とカン違いしてるような作品。
あと、セリフの声が小さすぎる。
ボソボソしすぎ。
疲弊した様子を表現したいのかもしれないが、やたら主人公などの声が小さく、それでいて女性が叫ぶ声や爆撃などの音は大きい。
映画として作る側の無神経さ、不親切さもうかがえる。
これらの点で、完成して見直した製作陣はなんとも思わなかったのだろうか。
よって、「★ゼロ」。
展開の古さ
二度と見ない
監督の情熱
これが戦争。
何と戦っているのかもわからない、どこに向かっているのかも分からない。
それでも生きて日本に帰るというそれだけを頼りに、密林を彷徨い、追い詰められ、最後の最後は自分の倫理感との戦い…
この映画をグロいとかストーリーが無いとか、そんな言葉だけで終わらせてはいけない。
たぶん、そう思わせるのが監督の意図したところなのでは?
戦争はグロいしストーリーなんか無いのだ。
生きるか死ぬか、それしか無いからそれだけなのだ。この映画はそれで良いと思う。
最近の戦争映画モノは、変に綺麗て変なメロドラマやお涙頂戴や戦闘賛美ばかりでもう沢山です。
グロくて汚くて醜くて酷くて目を背けたいものが戦争だと、この映画は教えてくれていると思います。
ロバート・キャパも、「自分は戦闘を撮るbattleフォトグラファーでは無い、戦争そのものを撮るwarフォトグラファーだ。」というような言葉を残していますが、それに通じるものがあるように感じました。
全160件中、41~60件目を表示