野火のレビュー・感想・評価
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これでいい…
目を覆いたくなる凄惨な画をただ並べて見せて
「どう? 戦争ってひどいよね?つらいよね? でしょ!」
というような意図でセンセーショナルに打ち出しただけの作品かもしれません…
でも今のわたしたちは、戦争の記録や記憶を見聞きしただけに過ぎませんし
遠い異国で実際に起きている内戦やテロ事件をニュースで報道されていても
今のわたしたち世代は、実感として受け止めることのできるヒトは少ないでしょう…
戦争を知る世代しか… 本当の所、とやかく言う権利はないかもしれません…
【本作に関わらず、世にあるすべての『戦争映画』は
イコール『反戦映画』であると結論付けます!】
…と、はっきりわたしには断言することはできません。 …が、言わせて下さい!
良いように解釈してくれとは言わない
理解してくれとは言わない
嫌悪感を抱いてもらっても構わない
なぜならば、それが今のわたしたちの抱く『戦争』なのだから…
塚本晋也 監督 作品 『野火』
わたしも、いつか観よう、観ようと思ってはいたのですが踏ん切りがつかず…
そんなある日、外出からの帰宅後、テレビをつけたら丁度放送してた訳で
もうわたし画面に釘付けで、90分間動くことができませんでした(笑)
BSとは言えよくぞ!放送してくれた!民放局にお礼申し上げます!
では、クリント・イーストウッド監督作『父親たちの星条旗』より
冒頭のモノローグを記して、わたしの感想と代えさせて頂きます…
「戦争を分かった気でいる奴はバカだ。
特に戦場を知らぬ者に多い。
皆、単純に考えたがる。
善 対 悪
ヒーロー 対 悪者 …。
だが実際は我々の思うようなものではない。」
意味不明、
ストーリーはわかる、当時の過酷さもわかる。
が、ただむごたらしい、グロテスクな画が多いだけの映画に成り下がってしまってる感がある。
作った方の、結局のところの意図や、なんでそんな画をあえていれているのか、その表現の感覚がわからないし、なにをもって「それでよし」としてる作品なのか意味不明。
ただむごたらしくグロテスクにしたら戦争映画だ、訴えられる、とカン違いしてるような作品。
あと、セリフの声が小さすぎる。
ボソボソしすぎ。
疲弊した様子を表現したいのかもしれないが、やたら主人公などの声が小さく、それでいて女性が叫ぶ声や爆撃などの音は大きい。
映画として作る側の無神経さ、不親切さもうかがえる。
これらの点で、完成して見直した製作陣はなんとも思わなかったのだろうか。
よって、「★ゼロ」。
展開の古さ
二度と見ない
監督の情熱
これが戦争。
何と戦っているのかもわからない、どこに向かっているのかも分からない。
それでも生きて日本に帰るというそれだけを頼りに、密林を彷徨い、追い詰められ、最後の最後は自分の倫理感との戦い…
この映画をグロいとかストーリーが無いとか、そんな言葉だけで終わらせてはいけない。
たぶん、そう思わせるのが監督の意図したところなのでは?
戦争はグロいしストーリーなんか無いのだ。
生きるか死ぬか、それしか無いからそれだけなのだ。この映画はそれで良いと思う。
最近の戦争映画モノは、変に綺麗て変なメロドラマやお涙頂戴や戦闘賛美ばかりでもう沢山です。
グロくて汚くて醜くて酷くて目を背けたいものが戦争だと、この映画は教えてくれていると思います。
ロバート・キャパも、「自分は戦闘を撮るbattleフォトグラファーでは無い、戦争そのものを撮るwarフォトグラファーだ。」というような言葉を残していますが、それに通じるものがあるように感じました。
人間の正気と狂気
もう観たくない
この映画を低評価する理由はひとつです。 「血糊がわざとらしかった」...
ふむふむ
やりすぎてギャグになっている
塚本晋也の作品は好きなので前々から本作を観ようと思い、ついに観た。
とはいえ今まで観たことがあるのは『鉄男』『双生児』『六月の蛇』『悪夢探偵』の4作品しかないので、本作が5作目になる。
最近では俳優として『沈黙 サイレンス』で波に打たれる苦しそうな磔姿が印象に残っている。
ただなぜ今更大岡昇平なのかは疑問が残る。
筆者はこの手の戦争の悲惨さを伝える映画は既に時代に即していないと感じている。
戦時中南方の日本兵の多くが食糧難のために餓死や病死していたのは有名な話であり、ドキュメンタリー作品である原一男監督の『ゆきゆきて、神軍』でも食人の話は出ている。
そもそも極限状態での食人は洋の東西を問わず枚挙にいとまがなく、緊急性を考慮されて裁判でもめったに裁かれない。
『野火』の作者である大岡昇平は、食料不足にあえいだ敗残兵の憂き目を身を持って知っているわけであり、刊行当時は日本全体が戦争のつらさややむにやまれない行動に及んだ兵士への同情もあった時代だと思われる。
実際原作の『野火』では主役の田村はキリスト教徒であり、その葛藤に苛まれている設定である。また刊行時は戦後6年しか経っておらず食料も日本全国に十分に行き渡っていたとは思えない。
しかし、今や東京がミシュランガイドで世界一星を獲得するぐらい飽食の時代である。
本作を観た時、現代の日本人は食人をした兵士に何を思うのだろうか?
食に何不自由のない現代の我々が彼らを人道的に責めるのはたやすい。
よく戦争の悲惨さや残虐さを後世に伝えなければいけないという人がいるが、ならば戦争の正当性や悲惨さに至る情状酌量の余地、戦地での美談もあわせて伝えるべきではないだろうか。
片方しか伝えないのは、筆者には公正とは思えない。
本作でもフィリピンの原住民が騒いだために錯乱した田村が銃で撃ち殺してしまうシーンがあるが、一方では現地の人々に規律と慈愛を持って接していた日本兵の話もある。
パラオで現地のパラオ人が日本兵とともに敵軍と戦おうとした時、日本兵が「お前ら蛮人が日本人と対等になれると思うな!」とわざと憎まれ口をきいて彼らを戦争に参加させなかった話があるなど、誇り高い日本兵は数多くいる。
しかし筆者は生まれてこの方そういう戦争時の日本兵の高潔さを謳った映画を観たためしがない。
これからは戦争時の日本兵に肯定的な映画も制作されるべきだと思う。
その意味において『野火』が刊行されて66年、この作品は既に使命を全うしているのではないだろうか。
なお前述したフィリピン人女性を殺すシーンだが、多分女性は一般人なのだろうか?キャーキャー騒ぐ声があまりにもうるさ過ぎる上に不自然過ぎてかえって笑えてしまう。
また日本兵が銃撃を浴びて死ぬシーンは塚本の過去の作品を彷彿とさせるようなおどろおどろしい残酷さに満ちている。
塚本自身は真剣なのだろうが、あまりに過激な残酷さはかえって異化効果を生み出し、こちらもなんだか笑えてしまう。
本作を出品したヴェネチア映画祭で残虐シーンはやり過ぎだと言われたらしいが、筆者も意味は違うが同感で、笑わせない程度にやり過ぎを抑えてほしかった。
主演の塚本はもちろん、安田役のリリー・フランキーも、伍長役の中村達也、永松役の森勇作など全員がそれぞれにいやらしい男でなかなか真に迫る演技を披露している。
ジャングルでの撮影も大変な苦労があっただろうと推察される。
塚本は脚本の参考にするため2005年11月にフィリピンでの日本兵の遺骨収集事業に参加したというから見上げたものである。
またその際の経験が本作に活かされているのだと言う。
塚本は、悪いのは相手で自分は正しかったと考えているうちは戦争はなくならないという旨の発言をしているが、悲しいかなこちらが戦争を望まなくても相手が仕掛けて来る場合もある。
そのようなパワーゲームの中で自国の自主独立を勝ち取るのは相当な覚悟が必要である。
だからこそ今重要なのは戦争の感傷に浸ることではなく、戦争を未然に防ぐために何が必要かを論理的に判断していくことだろう。
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