劇場公開日 2014年9月13日

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悪魔は誰だ : 映画評論・批評

2014年9月9日更新

2014年9月13日よりヒューマントラストシネマ渋谷ほかにてロードショー

“時効”を挟んで激動する児童誘拐事件の捜査と関係者の情念

殺人の追憶」「チェイサー」が興行的な成功を収め、世界的な反響を呼んだ韓国では、これらの傑作に続けとばかりに絶え間なくクライム・サスペンスが作られている。もはや一過性のブームではなく、同国における人気ジャンルの地位を確立したと言ってもいい。その流れを汲んだ「悪魔は誰だ」は、韓国で毎年1万人もの児童が失踪している現状を踏まえた一作。実際にあった事件に基づく実録ものではないが、巧みに練り込まれたストーリー展開から目が離せない犯罪劇である。

物語は、15年前に起こった児童誘拐事件が時効を迎えるところから始まる。長年捜査を担当してきた刑事、そして我が子を亡くし、犯人への正義の裁きを望む母親にとって、このうえない無念の瞬間だ。ところが時効が過ぎ去った直後、15年前の手口に酷似した誘拐事件が発生する。同一犯による再犯は、何が何でも防がなくてはならない。しかし犯人が新たな獲物を狙って動くことにより、すでに迷宮入りした未解決事件を解明するチャンスが訪れる。こうした皮肉な状況設定が実にスリリングだ。

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刑事の職を辞してもなお犯人追跡を続ける主人公の苦闘を軸にした本作は、駅での身代金受け渡しシーンなどの大がかりな見せ場を盛り込みつつ、捜査の過程を細やかに描いていく。とりわけ犯人の脅迫電話を録音したカセットテープの音声解析のシークエンスには、思わず耳をそばだてずにいられない。こうした具体的な描写によって明らかになる事実が主人公の次なる行動を決定づけ、フィクションにリアリティを吹き込んでいくのだ。

そして終盤にはミステリー映画ならではの意外な真実が用意されているのだが、決して観客を仰天させることだけを狙ったトリッキーなどんでん返しではない。児童誘拐犯という悪魔への“時効なき怒り”に駆られる登場人物の痛恨の思いと結びついたその大胆なひねりには、しばし観る者に思考を促す問題提起が含まれている。

高橋諭治

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