「やっぱり火事が起きるハルストレム作品」マダム・マロリーと魔法のスパイス よしたださんの映画レビュー(感想・評価)
やっぱり火事が起きるハルストレム作品
「マイライフ・アズ・ア・ドッグ」の項で既に指摘したが、ラッセ・ハルストレムの作品において、火事は重要な契機となる。火事が起きることで登場人物の運命が大きく動き出すのだ。ここでは、まだ家族がインドにいるときに暴徒に襲われて放火された末、母親を亡くし、欧州へ移住することになる冒頭のシークエンス。それと、マロリーのレストランのシェフによるハッサンたちの店への放火の2回がある。いずれもが主人公ハッサンの人生の大きな転機にむすびついていく。火事こそが人生を変える契機である。
そして、これも他の作品と同様に、他所からきた者が保守的な人びとの心に変化をもたらして、またどこかへ去って行くというおなじみのパターンが見られる。フランスの田舎にやってくるのはインド人一家だが、今回は去って行くのが主人公のハッサンひとりだけである。パリから舞い戻ってくる最後のくだりは蛇足であり、この物語は彼がパリへ去って行くところで実質的には終わっていると思う。
それぞれの(食)文化に誇りを持つ頑固者たちが出会い、反発と交流ののち新たな価値を生み出すというのがこの映画の基本的な流れだ。しかし、インド料理の店を開く前にハッサンの父親の口から重要な答えはでているのだ。フランス人だからといってインド料理など食べないというはずはない。インド料理の素晴らしさを「知らないだけだ。」と。プライドと無知で凝り固まった人々を和ませるおいしい料理の数々。美味ければどちらでも構わない。むしろ、どちらも楽しめることが幸せなのだ。それを体現しているのが、ミシェル・ブラン演じる市長だ。彼こそ、現代のフランス、いやヨーロッパで移民を受け入れる国々の新しい価値観を表している。この映画で唯一フランス人らしい登場人物だった。
ミシュランの星の数を知らせる電話を待つヘレン・ミレンの、女手一つで名店に育て上げてきた、孤独とプレッシャーを表現した演技が素晴らしかった。フランス語の発音はいただけなかったけど。
アメリカ映画だから仕方ないのかもしれないけど、セットやVFXではなく、フランスの風土が感じられるロケにできなかったのだろうか。きのこの味は、そのきのこが育った場所が大切だと、映画でも言っているではないか。