劇場公開日 2015年9月12日

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「蜂のひと刺しに、群衆は目を覚ますか?」天空の蜂 ユキト@アマミヤさんの映画レビュー(感想・評価)

4.5蜂のひと刺しに、群衆は目を覚ますか?

2015年10月4日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

泣ける

怖い

興奮

主人公の木原(江口洋介)は、自衛隊最新鋭ヘリコプター「ビッグB」の設計者。彼は仕事に没頭するあまり、妻と息子二人との、ふれあいの時間を犠牲にしてきました。
でも、もうじき、ひと区切りつくだろう、と思っています。なぜなら心血注いで作りあげた、まるで「我が子」のように愛おしい「ビッグB」が今日、自衛隊に納入されるからです。
彼は妻と息子二人を連れて、引き渡し記念式典へ向かいます。会場は自衛隊基地。子供達にとって、そこは珍しいものばかり。二人の息子は巨大な格納庫に潜り込み好奇心から、つい「ビッグB」機内へ入り込んでしまいます。その時、突然、ヘリコプターのローターがゆっくりと回り始めるのです。
回転は、みるみる早くなる。操縦席には誰もいない。だけど動いている! なんで?!
やがて最新鋭ヘリコプター「ビッグB」は、二人の子供を乗せたまま、地面からじわりと、その巨体を持ち上げます。
異変に気付いた木原は、とっさに次男を助け出します。
あとは長男の高彦くん(田口翔太)だけ。
「タカヒコ!! 飛び降りろ、飛び降りるんだ!!」
懸命に叫ぶ木原を地面に残し、高彦くんを乗せた無人ヘリ「ビッグB」は無情にも遠ざかってゆくのです。
やがてヘリコプターを乗っ取った犯人(綾野剛)からメッセージが届きます。
「日本に存在する、全ての原発を即時停止させろ。さもなくばビッグBを、福井の高速増殖炉「新陽」の真上に墜落させる」
犯人は自らを「天空の蜂」と名乗り、遠隔操作でヘリコプターを操っていました。
現地では、原子力プラントの設計者、三島(木本雅弘)を中心に対策本部を設置。ビッグB設計者の木原も加わります。
警察は犯人の割り出しを進めます。やがて捜査線上に一人の女(仲間由紀恵)が関わっていることが判明。
一方テレビでは、高速増殖炉「新陽」の上空で、ビッグBが今まさにホバリングしている姿が映しだされます。
もし、燃料切れとなれば、あのビッグBは、少年を乗せたまま、炉心めがけて猛烈な勢いで墜落してしまう。
燃料切れまで、あと8時間。
さあ、政府および原子力機関は、突然降りかかった、この国家存亡の一大事に、どう立ち向かうのか?
そして高彦くんの運命は? 破滅までのカウントダウンは、刻一刻と、容赦なく迫ってくるのです……。
とまあ、こんなぐあいで、もうハラハラドキドキなんですね。
堤幸彦監督らしく、こういう作品撮らせたら、やっぱり「いい仕事してきますねぇ~」と唸りたくなる出来です。
堤監督の秀でた点は、ちゃんとヒューマンドラマが描ける、ということ。
ちなみに僕の堤監督作品のなかでイチオシは、貫地谷しほり、竹中直人共演の「くちづけ」なんです。こういう作品も撮れる監督さんなんだ、とびっくりしますよ。
さて、高彦くんは仕事一辺倒の父親、木原に、反抗のそぶりを見せてます。
式典会場の待合室。つま先でコツコツと、執拗に床を叩く高彦くん。
引き渡し式で神経質になっている父親、木原。
「高彦、うるさい、それやめろ!!」ときつくあたります。
このつま先の「コツコツ」実は父親である木原が、高彦くんに、自ら教えていたモールス信号だったのです。
「ボ・ク・ハ・コ・コ・ニ・イ・ル」コツ、コツ、コツ……。
高彦くんは、そのつま先で、密かに父親宛に、屈折した心の叫びを発信し続けていたんですね。このシーンで、僕のような、いい年した中高年オヤジの涙腺は爆発炎上。それこそ原子炉格納容器などより、いともたやすく破壊されてしまったのでした。
さて、電力を作るための方法として、原子力を選んでしまったのは、果たして良い選択であったのか? という素朴な疑問や「本当に大丈夫なのか?」という懸念を、本作が表明しているのは明らかですね。
原作はヒット作を連発する東野圭吾氏が1995年に発表。あの阪神大震災があった年です。
すでに原子力発電への、深い問題意識や、危機意識をもちあわせていた事に敬意を表したいと思います。
阪神大震災時、被害の大きかった神戸市東部の海岸地域、あそこは工業地帯なんですが、もし仮にですよ、そこに原発が建設されていて、稼働中であったなら……。今、神戸市に住んでいる身としては、考えただけでもゾッとします。
東野氏は、その手腕を発揮して「エンターテイメントとしての小説作品」として本作を発表しました。市民運動として声高に「原発反対」を叫ぶ手法も、当然ありでしょう。東野氏は小説家としての立場と手段で、世に問いかけることを試みました。
小説や映画などの表現方法は、例え話をするならば、薬を飲みやすく包む「オブラート」の一面があるのです。
苦くて飲みにくい粉薬や、舌や喉にへばりつく錠剤。あれはなかなか飲みにくいですよね。僕も苦手です。
同様に、思想信条や、科学技術、原子力利用の是非、更には複雑怪奇な力学が絡む、政治問題という名の「粉薬や錠剤」は、僕のようなボンクラな頭では、なかなか吸収に時間がかかります。
しかし、これらを「小説」というオブラートに包んで、ポイと口に入れ、水で流し込めば、その薬効成分は、やがて体内の隅々まで効能が広がってゆくのです。
それは自然と生命が、何億年もかかって作り上げた、生命維持の巧妙なシステムによってです。
しかし……。
その何億年という生命の営みの象徴である、DNAをいともたやすく傷つける方法があります。
放射能です。
日本のほぼ真ん中に位置する原子力発電施設が、万が一、木っ端微塵に破壊されたらどうなるか?
東は東京から、西は中部地方や四国まで、日本列島の主要都市は、ほぼすべて立ち入る事すら出来無くなる、と本作では想定しております。しかも、燃料のプルトニウム239というヤツは、強い放射線を放つそうです。
その放射能の半減期は約二万四千年に及ぶといわれています。日本列島が邪馬台国と呼ばれ、卑弥呼のいた時代から現代に至るよりも、はるかに長い悠久の時間、住むことはおろか、近づくことさえできないのであります。はぁぁぁ~、と気が遠くなりますな。
さて、この映画の最大のキーワードがあります。
それが「沈黙する群衆」です。
無関心で、黙って見過ごしていた、その些細なことの積み重ね。
それが日本人の中で積み重なって、いわば「無言のピラミッド社会」が形作られてしまったのでしょう。しかし、一旦大きな自然災害などで、それがガラガラと崩れてしまった時、結局「沈黙は金」なんかじゃなかったんだ、「やっぱり声を挙げるべきだったんだ」と日本人は悟ったのではないでしょうか。
あまりにも巨大な代償を払って……。
僕個人の主観として、本作は「BRAVE HEARTS 海猿」以来、久々の傑作アクション大作だと思いました。
 見るものをハラハラさせ、時に涙を誘い、観客を感動に誘うのです。そして、観終わった後、ふと考えさせてくれます。今のままでいいのだろうか? 僕たちが明日からできる事はないだろうか?
映画を見終わり、劇場を出た後、僕を含め多くの人たちが行う「ひとつの儀式」がありますよね。
そう、携帯電話の電源をオンにすることです。
ここで、ちょっと想いを馳せてほしいのです。
「そもそもこの、ケータイの電気は、どこから来たの?」
「もしかして原子力で作った電気?」
あるいは、つい、この間までは危ないとされて、今は危なくないらしい、ナントカ海峡とやらを通り、タンカーで運ばれてきた原油を、大量に燃やして作った電気なのか?
ほんの少し、心の片隅に、小さな小さな「?」を抱えてほしいものです。などと、エラそーにキーボードを叩いていますと、パソコンが電池切れなので、この辺でおしまい。

ユキト@アマミヤ