「愛する者の生と死、思いを優しく伝える映画」きっと、星のせいじゃない。 kbimさんの映画レビュー(感想・評価)
愛する者の生と死、思いを優しく伝える映画
見る度に内容の深さに気づけ、各立場からの視点に浸れ更に感動できる映画で、私としては5点満点でした。そのため評価点を上げたく別サイトに載せた8年前のコメントを添付します。
2015年10月27日 03時37分
5.0点
愛する者の生と死、思いを優しく伝える映画
死が迫る者と、それを見送る者の立場と気持ちを、とても重い話題でありなからも、知的に、ウィットを効かせ伝えている映画。
伏線も張られており、観賞後も考えさせられました。
末期がんである、ヘイゼルが常に気にしていたのは、自分の最後でもなく、余命でもなく、残された人達、自分の愛する家族の未来のこと。
自分が死ぬことで、残された者は傷つき、その先も生きて行けないのではないかと、不安に思うヘイゼル。
これ以上傷つける人を増やしたくない、自分は周りを傷つける時限爆弾だからと、ヘイゼルは、彼女に一目惚れをしたオーガスタスの思いに中々答えません。
それでも、しきりにメールが来てないか携帯をチェックしたり、ガスからのメールや電話でこぼれる笑顔は、普通の10代そのもので、観ている方も笑顔になってしまいます。
そんな彼女の愛読書An Imperial Afflictionの内容は、同じくがんに侵された少女アンナが主人公で、本はアンナの死もしくは病気の進行と共に途中で終わっています。
ヘイゼルが、その本のエンディングをずっと知りたがり、拘ったのは、同じ境遇であり、また、本と言う創造の世界で、アンナの残された人達のその後を想像することで、間接的に、自分が残していく周りの人達の未来を考えられたため、だと思います。
作家ピーター・ヴァン・ホーテンに会って、落胆したヘイゼル達がアンネ・フランクの家に行ったのは、その愛読書が、ある意味アンネの日記と同じと言うことを暗に伝えたかったのではないでしょうか。
アンネの日記も、勿論、アンネの目線で書かれており、アンネの死と共に終わっています。
そして、家族で唯一、アンネの父親オットー・フランクだけが生き残りました。
ヘイゼルは、アンネの父親が家族を失った悲しみに折れることなく、アンネの日記を世に広めた事実を見て、自分やアンナの周囲は自分達が死んでも悲しむけれど、その悲しみから自分達の後を追ったり、悲壮感に一生苛まれるのではなく、その後も心の痛みと共に懸命に生きていくのだと、何となく感じ取ったのではないでしょうか。
だからこそ、オーガスタスと向き合う決心がついたのだと思います。
ヴァン・ホーテンの言葉とヘイゼルの言葉にも出てきた、小さな無限と大きな無限、ありきたりだけれど、短命であったヘイゼルとオーガスタスにとっては、二人で過ごした時間が無限であり、二人が出会ったことで、二人の無限を生きることができた。
二人とも生に固執するのではなく、自分の状況、そして死を受け入れ、懸命に生きた、そんな姿に感銘を受けました。
オーガスタスのお葬式にウィレム・デフォー演じるヴァン・ホーテンが参列したのには、演出感たっぷりでフィクションという感じを受けましたが、後は最高でした!
傷つける人は自分で選ぶことができる。
自分が死ぬ時に傷付く人、つまり愛する人は自分で選べるんですよね。
観る度に一つ一つの言葉の意味が深まり、登場人物に愛を感じる、そんな素敵な映画でした。
一点だけ、原題はジュリアス・シーザーの1節を元に、病気になったのは私たちのせいじゃない!と言うことを言いたくてその原題にしたのだと思いますが、邦題だと「きっと星のせいじゃない」と言う意味のわからない題になっています。寧ろ、the faults in our starsなら、きっと星のせい!運命のせいなのに…
と邦題に少し不満が。
でも中身は本当に本当に最高でした!