フューリーのレビュー・感想・評価
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戦争は醜いもの
ナチ殺しマクり
濃い、戦争アクション
見る人を限定することもあらかじめ考慮して制作されているんでしょうね。残酷な描写も多く、戦闘の緊張感はひしひしと伝わってきます。
純粋な戦争映画というよりは、やっぱり戦争アクション映画。そういうわりきった見方をしたほうが良さそうな感じ。
最後の戦闘にしたって「見せ場」をしっかり押さえた「劇」になっているし、その構図はどことなく「七人の侍」とかぶります。
あと、ドイツ人女性宅のシーンはいろんな意味で微妙です。
結束固い戦車部隊・・
戦車戦のイメージを変える映画でした。でも、すごく気になるシーンがあって、あのシーンがなければもっといい映画になったと思う。
戦車同士の戦いや、戦車と対戦車砲との戦いなど、戦車戦の本格的なものは見たことがなかったので、よかった。
あと、よかったのは、戦車の内部のシーンがたくさん出てくるところ。
今までのイメージだと、かなり狭くて、2人くらいで動かしているのかと思っていたけれど、かなり広くて、5人も入って動かしていたことがわかって、イメージが変わった。
装甲車みたいなものだと思っていたが、実際は陸上の戦艦みたいなものだった。
ドイツ各地を転戦する、シャーマンM4型戦車フューリー(怒り)号。フューリー号を指揮するウォーダディー(ブラピ)のリーダーシップと、乗組員の活躍で、数々の激戦地を生き残ってきた。ある日、戦死した副操縦士の代わりに、戦闘経験ゼロの元タイピストの若者ノーマン(ローガン・ラーマン)が、配属されてくる。ノーマンは想像を絶する戦場の現実にとまどい、様々なトラブルを起こすが、ウォーダディーの指導により徐々に慣れてくる。そんな時、戦略上の要地を確保するよう、フューリー達戦車部隊に出撃命令が下った。ドイツ軍のティーガー戦車に待ち伏せされ、なんとか撃破したものの仲間を失い、一台になってしまったフューリー号は、なんとか目的地にたどり着くが、地雷を踏み故障。動けなくなってしまう。そこにドイツ軍の大部隊が迫ってくる・・・。
粗筋を書いていると、自分で書きながら、すごく面白そうな映画に思えるけれど、実際はあまり面白くなかった。
フューリー号の乗組員のキャラクターが、好ましいものではなかったので、入っていけなかったから。
ウォーダディーは、ブラピの映画でいうとジャッキーコーガン(無慈悲な殺し屋)みたいな人物だし、他の三人は「ジャッキーコーガン」に出て来るミッキー(すごく我儘で、変なことばかり言う、元殺し屋)的人物。
新しく入るノーマンも偽善者っぽくて、なんだかな~?という感じでした。
リアルなのかもしれないけど、これではドイツ兵の方が、まだましな人達のように思えてくる。
どっちもファンでないけれど、技術レベルは高いチーム同士の、サッカーの試合みたいな感じで、なんか凄いのだけれど面白くなかった。
それから、あの女性二人が出てくるシーンはいらないと思う。
長すぎるし、訳が分からない。
それに加えて、ものすごくフューリー号の乗組員達のイメージダウンにつながった。
あのシーンがなければ、もっといい映画だった。
前半は最高
M4シャーマン中戦車・・
静寂と緊張、そして虚しさ
戦場に送り出されたタイピングの訓練を受けた一人の青年。良心を持ち、戦場の残虐性や仲間の人の命をなんとも思わない異常性を全く理解できない。
しかし、ブラットピットによって無理やりナチス兵を殺してしまう。そのから彼は少しずつマシンになっていく。
戦争における心理についての短い文を読んだことがある。殺し合いが始まるまではもの凄く怖いが、一度銃から弾を発射させた瞬間に怖さは消え去ると書いてあった。まさにそれだろう。銃で人を殺すということは、非常に酷いことに思えるが、人命や良心を抜きにして、単純に事実だけを見れば一瞬の出来事であり、行ってしまえば簡単なことでなんでも無いのかもしれない。
中盤、彼が仲良くなり交わった女性でさえ、襲撃によって一瞬にして人から物となった。
これはこの映画全体にも言える。平時の際は静かで仲間と談笑したり、寝たり、占領した土地で食事をとる。(少々いざこざはあったが)ただし、任務が下された瞬間、敵が見えた瞬間、その静寂は無と化す。
見張りを任され、茂みに入り、少しの食事と水分補給をして休憩するも、敵の足音によって必死で全力で走り仲間に知らせに行くことになる。
そして任務を全うし、使命を果たして死ぬ。
静寂と緊張を忙しく繰り返して残るのは、その結果と仲間を殺され、自分だけが生き残り、救出されお前は英雄だと言われる虚しさしか残っていなかった。。
戦車がこんなに耐久力のあるものだとは思わなかった。対戦車砲以外はそこまで効き目無いのか。あとブラピはPTSDぽかったけどやはり戦場では症状はあまり出ないのかな。
戦車戦メインの映画って僕は初めて見た気がする。
ブルーレイ、吹き替えで見たが声優さんがみなさん上手くてよかった。こうゆう映画にはこれからも絶対素人は使わないでほしい。
戦争に英雄はいない
※ブクログからの転載です
この映画についてぼーっと考えていて、ろくにルールを知りもしないくせにチェスの試合を想像した。どんなに強い人でも、自分の手駒を一つも失わず勝つことはあんまりないだろうと思う。そして一度取られた駒は帰ってこない。勝ち負けではなく、敵に取られた駒にスポットを当てる映画が、この「フューリー」だと思った。
更にチェスの話で恐縮だが、チェス用語に「サクリファイス」という言葉があるのだそうだ。これは勝つためにあえて手駒を犠牲にすることをいう。
第二次世界大戦で、アメリカの戦車はナチスドイツに比べて、はるかに性能が劣っていた。ナチスドイツのタイガー(字幕ではティガー)という戦車1台に対して、アメリカはシャーマンという戦車5台で戦うという戦法を取った。多少の犠牲はやむなしとして、数に頼むしかなかったのだ。チェスなら犠牲になるのは駒だが、戦車には1台につき5人の人間が乗っている。平時ならば何よりも尊いとされる人命を、当たり前のように犠牲にするのが戦争なのだ。
そんな過酷な状況下に突然ほうり込まれたのが、新兵のノーマン(ローガン・ラーマン)。訓練したタイピングは速いが、戦車については全くの素人。本人は手違いで配属されたと思っていたみたいだけど、たぶんそれを否定した「ウォーダディ」コリアー (ブラッド・ピット)のほうが正しかったのではないかと思う。たくさんの戦車兵が犠牲になり、人が足りなくなっていたのだろう。
宗教のことを除けば、ノーマンは戦争を知らないわたしたち現代の日本人とたいして変わらない。観客は必然的に彼の視点に立って物語を追うことになる。
コリアーはドイツ人と見れば誰でも撃てと言う。降参した兵士。女子供。地に倒れた死体でさえも。ノーマン同様「何もそこまでしなくても」と思ってしまうが、子供でも武器を持っているし、もしかしたら死んだふりをしている奴がいて何をしでかすかわからない。とにかく敵と見れば殺すに越したことはないのだ。観ているわたしたちも、「しょうがないじゃん、やるしかないじゃん」みたいな気分になってくる。
コリアー達アメリカ兵は、少しも善玉として描かれてはいない。それがこの映画の特徴的な点だ。相手が市民でも殺すし、タバコや卵で女を買いもする。日本における沖縄戦でも、米軍につかまったら辱めを受けるとして集団自決の悲劇を生んだが、本当にそうされたかもな、と想像してしまう。
それでも、敬虔なクリスチャンたるノーマンは、「僕の良心は曇らない」(My conscience is clear. だったかな)と頑張っていたが、占領した街での出来事がついに彼を変えてしまう。彼を変えたのはナチスへの怒りだ。見せしめとしてさらされた、戦争を拒否した市民の死体。心(と体)を通わせた少女の死。ノーマンは「良心」を捨て去り、ためらいなく敵と戦うようになる。そんな彼に、最後の戦いの前、仲間たちは「マシン」という洗礼名を与えた。
5人の仲間と走行不能のフューリーだけでナチスのSS大隊300人に立ち向かった最後の戦い。
次々に倒れていく仲間たちは最期に何か言い遺す暇さえない。コリアーは脱出用ハッチからノーマンを逃がすが、ナチスの若い兵士に見つかってしまう。ところが、彼はノーマンを見逃してくれた。無抵抗の敵を撃つことを拒んだ、少し前のノーマン自身と同じように。自分が捨てたものを持っているナチス兵によって救われたのだ。もっとも考えさせられるシーンだ。
彼らはなぜ無謀な戦いを選んだのだろうか。
「戦争は終わる。じきにな。だがそれまでに、大勢が死ぬ」(It will end, soon. But before it does, a lot more people gotta die.)とコリアーは言った。もしも彼らが逃げ出したとしても、代わりにほかの仲間が死ぬだけだ。戦争が終わるまでは、誰かが死んで、誰かは生き残る。それを分けるのは神ではあるまい。これは人間の所業なのだ。
しかし、彼らだけが犠牲になったのではない。ドイツ兵とて同じなのだ。
後にノーマンは友軍によって救出され、「君は英雄だ」と称賛されるが、そんなものはどこにもいないことを彼はよく分かっているだろう。
そこには勝者もいない。敗者もいない。まして英雄などいようはずがない。ただ犠牲者だけがそこにいる。フューリーは、十字架に掛けられたキリストのように、十字路の中央で累々たるドイツ兵の死体に囲まれてただ立ち竦んでいる……。
(真面目な感想文ここまで)
【その他こまごまとしたところやヨタ話】
・コリアーが言った「歴史は残酷だ」History is violent.
violentは慈悲のないというニュアンスを含むcruelに対して、もっとフィジカルな意味合いっぽい。
cruelだと神のせい、みたいなニュアンス出ちゃうな、とか思った。
・対ティガー戦はすごい迫力だったが、それよりもドイツ側の車長の指示も字幕で出てたのが印象的だった。
敵も味方もどちらも人間で、それを両方把握できる観客はそのとき神の視点を得ているんだな。
・酒飲む前に予備の弾薬を車内に持ち込んでおけばよかったのでは?
・ところでfuryの語源は、ギリシャ・ローマ神話における復讐の女神フリアエから来たそうだ。
復讐をつかさどる神が女だなんて、神話を作った男たちはよっぽど嫁さんが怖かったのかねえ。
※英語セリフの引用はIMDbの投稿によるもので、必ずしも正確ではありません。
日本語は私のうろ覚えです。
映画館でみるべき 大迫力 熱い男の友情に感動 ノーマンに視点を当て...
フューリー
重い、でもこれが戦争なんだな・・・
物凄い迫力の戦車映画、いや戦争映画でした・・・。
しかし本物の戦車を使用して撮影しただけはあって、戦闘シーンのリアル描写は半端じゃなく、臨場感たっぷりのド迫力映像は圧巻の一言でした。
さすがは元軍人のデヴィッド・エアー監督が細かい部分にもこだわって作っただけはありましたね、久々に骨太な戦争映画を見た気がしました。
それにしても、戦争とはいかに残酷なものなのか、改めて思い知らされました。
序盤はブラピ演じる指揮官のウォーダディーやその部下の傍若無人な振る舞いや言動に、不快感すら抱きましたが、最後まで見ればそれも納得と言うか、そうでもしない限りは生きていけないってことだったんですよね。
殺るか殺られるか、まあ参加しなくても殺られる訳ですから、殺らない限りは死しか待っていない世界、戦場の実態をまざまざと見せ付けられると、本当に言葉も出てきません・・・。
そんな中に手違いで戦場に放り込まれてしまったローガン・ラーマン演じる草食男子の新兵ノーマンは、いわゆる我々と同じレベルの戦場素人、つまりこの映画は彼目線で戦争の現実を知る戦争擬似体験映画だった訳なんですね。
理想は平和、でも歴史は残酷、戦争は残酷、まさしくその通りとしか言いようがないぐらい、残酷な現場でした・・・。
この映画を見ていたら、改めて戦争に英雄なんていない、そして相手国だって皆同じ人間、憎むべきは戦争なんだと言うことを再認識させられました。
激しい戦闘が終わった後の静けさが、本当に虚しかった・・・結局何の意味があったのか、とにかく虚しいだけでした。
しかしアメリカ映画だけあって、いくらなんでもクライマックスの戦闘でのドイツ兵が間抜け過ぎた部分だけは若干?でしたが、でもまあここ数年では1、2を争うぐらい物凄く見応えのある戦争映画ではありましたね。
銃の光線が描かれる点が新しい!
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