オートマタのレビュー・感想・評価
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3.35 個人的にはわりと評価高い
全体的に簡素ではあるし、既視感もある本作.わりとスムーズに見れた。特別ストーリーが面白いというわけではないが、ロボットの表現はかなり評価できる。
調べてみるとCGではなく人形師が動かしているようだ。なんか合成自然すぎない?これマジで動かしてない?って画面に目を凝らしながら見てた。CGだとどうやっても影の輪郭や背景との乖離が起こってしまいがちである。それがどう見ても自然すぎたので、人形師を用いたのは成功と言えると思う。
あのロボットのアナログ感、ロボットらしさ、現実路線のロボットらしさは個人的には評価したい.あのロボットの子供はもっとやりようがあったかなと。CGではなくともよかったような気もする。
また他にも、環境破壊へのメッセージが今世界各国を襲っている熱波や干ばつと重なり興味深かった。どんなに干上がっても、「きっとなんとかなるだろ(今生きているうちは)、電力不足だしね」の精神の行く末を見ているようで面白かった。
中盤位まで「これは面白い!」といい感触
しかし、砂漠荒野へ舞台が移り、ごろつき共が登場したあたりからチープ感が出始め、人間とロボットの「ヒューマンドラマ」という流れには陳腐な印象を否めず。
とはいえ、高度AIロボットも加速度的に進化している現代。この手の映画も他人事、絵空事として気楽に見流すことはもはやできない心境。
現段階ではロボットの〝自発的意志”発現は無理だろうが、人間のあらゆる心理パターンと繊細な感覚をロボットにインプットし続けるうちに、何かの間違いで(雷が落ちるとか笑)自発的意志が芽生えることもあるのかもしれない。
そんな感慨にいくぶん浸らされた。
それでも歩みを止めない
昔何かで読んだ事があります
AI同士で会話をさせると最初のうちは人間の言語で会話しているのにそおうち人間には理解出来ない言葉で喋り始めると言うものだった
たぶん人間の言語には無駄が多いのでしょうね機械からしてみたら
今もその研究がなされているのかどうかは分かりませんがこの作品にそれが汲み取れます
人間自体が機械から見れば無駄なことばかりなのでしょう、その最たるものが戦争なのではないでしょうか
人を傷つけ自然を傷つけそのまま行けばいずれ人類は滅びる
きっと誰にでもわかる事なのに今を生きる事で精一杯なのではないかと思えます
石炭や石油は限りがあるし原子力は人の手に負えない、にもかかわらず私達の生活を見ると今や部屋のコンセントはタコ足です
これだけ電気を使えば電力不足になる事は明らかなのに便利さを求めてそちらの方へ人類は突進しているのだから遅かれ早かれ人類はこの世から消えてなくなるでしょうね
とても恐竜ほど長くはもたないと思います
たぶん誰にも止められやしないし止めようともしないでしょうね
人類の進歩を後退させて心穏やかな未来を幸せに生きる優しい映画を見てみたいものです
まんざら人はバカじゃないんだな〜って作品、誰か作ってくれないかな
プリズンブレイク
おもしろかった
人間よりロボットの方が人間っぽい
ロボットが人間を襲わないのも(新しい個体は別)そういうことを表現したかったのだろうか
ロボットが悪党に「ただの機械のくせに」と言われて「お前もただの猿のくせに」と返したのはスカっとした
そこで逆上されて撃たれてしまって悲しかったが
あと、ロボット自身が証拠隠滅のために自分を燃やして自害したシーンは人間がやるより心に来るものがあった
数百年先の地球を見ているような映画だった
リアルで本当に起こりそうだから怖い
そして人間は弱いなと再認識させられた
主人公がプリズンブレイクすぎて笑った
ブチギレしてるシーンでティーバッグに怒るマイケルを思い出して爆笑してしまった
久しぶりに見ようかな
あのボロボロの合羽は着る意味あるのか
結構好きな映画です 年に数回見たい
ストーリーはわかるけど、結局何を伝えたいのかよくわからなかった。 ...
ストーリーはわかるけど、結局何を伝えたいのかよくわからなかった。
特に良い話ってわけでもないし、単に人間が愚かだってことを描いているだけしか伝わってこない。
人間とオートマタとの共存を通して人間を描く。
SF、人工知能ロボットモノ。
たんたんと物語が進む。結構平坦。主人公(人間)がプロトコルを破った首謀者だと勘違いされ、殺されかけることで、オートマタと行動を共にしていく。
酷い地球環境になっても人間は子供を作り生き続ける。ラスト近くのシーン、オートマタ達が作った虫ロボットに銃口を向ける主人公、そこに赤ちゃんの泣き声が聞こえてきて思いとどまる。
危険と判断したオートマタを人間は、追い詰め殺す、と言ったことに対し、
死ぬのは”生き物”だけです。
と言ったオートマタ・クリオのセリフが言い得て妙で好き。
「死ぬ」というのは生物に当てはまる概念でしょ。と言わんばかり。
機械のオートマタにとっては「死ぬ」というよりも「壊れる」といった言葉がしっくりくるか。
主人公とオートマタ・クリオがダンスをするシーンが良かった。
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自宅にて鑑賞。ブルガリア・スペイン・カナダ・米合作。2044年、太陽嵐で人口が99.7%に激減し2,100万となり、ROC社はオートマタ"ピルグリム7000"を開発、あり得る世界観を視覚化した作り込まれたビジュアルに様々な言語が行き交うSEの中に時折日本語が流れるデストピアが舞台。人工知能の自我の目醒めと云う有り触れたテーマを物語の縦糸に、創造主と生命、死生観迄を描く黙示録。坊主頭のA.バンデラスに馴れる迄、少しかかった。ラストの着地点は定石だが、今年ここ迄観た中では文句無しのNo.1。80/100点。
・哲学的な講釈や命題が今以上に盛り込まれていたら、退屈していたかもしれないし、風景を含めた画面もアーティスティックに寄り過ぎず、エンターテインメントとしては良い按配だと思う。更に大きなどんでん返しや、ギミックめいた伏線がこれ以上に仕込まれていたら興醒めしていたかもしれない。そして何と云っても、本作のキモはやはりピルグリムだろう──ユニークな馴染み易いマスクを外したその外観を含め、たとえどんな仕打ちを受けようが、反撃・攻撃はおろか絶対人を傷付けてはいけないと云うプロトコルを遵守するその存在を、どう感じるかで本作の評価が分かれるのではないか。もう一つのプロトコルをあっさり不軌するのに、人命を守り尊重するのは順奉し続ける所に本作のテーマが隠されている。
・セクソロイド“クレオ”は、“Dr.デュプレ”を演じたM.グリフィスがノン・クレジットで声をあてた。彼女は実生活において、“ジャック・ヴォーカン”役のA.バンデラスの妻である。
・都市部のシーンは殆どCGで合成されたが、全てのロボット(オートマタ)は、リモコンを使ったアニマトロニクスにて撮影された。
・エンド・ロールの最後に合成音声にて流れる「デイジー・ベル」は、『2001年宇宙の旅('68)』に登場する人工知能"HAL9000"が初めて唄った歌である。これは『2001年宇宙の旅』の(共同)原作・脚本家であるA.C.クラークが、'62年ベル研究所にて"IBM704"が実際にこの曲を唄うシーンを見て衝撃を受けた為、同作に採り入れたと云われる。
・鑑賞日:2016年3月5日(土)
随分地味な映画だなあと感じた
だからこそ人間とロボット(オートマタ)の関係性に集中して作品を楽しめた気がする。オートマタと人間との関係性を単なる主従関係に留めない結論には、なるほどと関心させられた。
荒涼とした未来都市、支配するのは誰か。 今までになく難しい概念で、...
荒涼とした未来都市、支配するのは誰か。
今までになく難しい概念で、感覚で謎解きをする作品。
ロボットがリアル、ラスト、胸が詰まる。
2014.10.19
オートマタというタイトルが秀逸
あくまでも、お人形なのである。だがそのお人形は人間が作ったのである。終盤、プロトコルを持たない彼の「人間の想像力は素晴らしい云々」というセリフがあるが、正にそれがこの映画の主題だと思った。クリオが握りしめていた人形の首は、猿の惑星のワンシーンを思い出させる。彼らは全て遠い未来のいつかどこかで「人間が生きていた証」となる、生命の記憶になる資格が与えられている。今の地球上に落ちてても誰も見向きもしないだろう人形の首は、遠い星系の惑星の上にあったなら、それこそ宇宙史上の歴史的大発見になるだろう?そういうこと。そして赤ちゃんの誕生。この映画は、人間讃歌だ。
人間とロボットの触れ合いがいいだけに、残念映画
AIロボットが日常家庭にも存在する荒廃した近未来。ロボット保険外交員があるキッカケにて違法となっているロボット修理・改造をしている者を知り、騒ぎに巻き込まれる話。
荒廃した近未来なんだけど、一部一部のお金の掛け方に凹凸があり違和感を覚えた。
また、後半の事を考えると序盤のシティはもっとお金を掛けなくても良かったのでは?と思わせる作り。
前半と後半の予算の掛け方が明らかに違い、またまた違和感しか覚えないからだ。
あと、監督が徐々に作成が飽きて来たかの様な、後半になるに連れて展開も尻窄み。人間側を活かせて無い作り。
ラストは完全B級。ヤル気あんのか?状態。
前半の期待から谷底へ落とされた気分。
アントニオ・バンデラス演じる主人公とAIロボット「クリオ」の触れ合いが妙に良かっただけに、もっと予算が使えるハリウッド等で作って頂ければ名作になれたかも?とネタ的に残念に思う映画でした。
アンドロイドをあくまでも人間の道具として留めておくために、安全装置...
アンドロイドをあくまでも人間の道具として留めておくために、安全装置としてのプロトコルに「生物を襲わないこと」と、「自己修復できないこと」をプログラムする。そうして出来上がったアンドロイドに支えられた未来の社会。でもじつは社会を支えているアンドロイドのプロトタイプ自体が人間の理解を超えるところまで発展してしまったAIの手による製品だった。
ディストピアの描き方やアンドロイドのデザインが秀逸で、道具としての「ロボット」が人間の「敵」になる怖さをうまく表現していたと思う。クリオにだけ人間的な感情を抱きやすいように女性のフェイスマスクがつけられている設定もうまい。クリオ以外のアンドロイドには恐怖すら感じさせるデザインとなっていて、それでいてミニマルなインダストリアルデザインでリアリスティックな説得力をもっていた。
人間を越えたAIが峡谷を越えた「向こうの世界」に行くという設定、クリオがフェイスマスクを外す意味、最終形態としてのゴキブリロボなどSFのひとつのシミュレーションとして興味深く楽しめた。
これ系の見て 毎回ガッカリするのは
電気羊、 それに創世の島
1970年代に作られた未来予想の物語から
一ミリも進歩出来ないでいるなぁと思う。
いつも期待を込めて見るが 『うーん、そこはもう皆知ってるよ!』っていう部分の焼き増しばかり。
上記の作品をヒントにいくつもの派生映画は作られてきたが、その中でも この映画は2流だった。
ブレードランナーの世界と
浦沢版の鉄腕アトム(プルートー)の設定で
創世の島から台詞を引っぱっただけ。
まず、
人口2000万で あの世界観は回らない。
そして謎のJRと日本の風景。
うっすい動機で企業と刑事が主人公の命を狙うのも謎。
太陽風で通信技術は使えなくなったって設定はガバガバ。
ラストで
人類は街 ロボットは汚染地域という完全に別離した環境の中で世代を繋いでいくというラスト。
むしろ、そこからストーリーを広げるべきだったのでは?
通信不可の世界で、お互いがガラパゴス状態で何世代もたった時に人類はどんな生態にたどり着くのか
ロボットはどういう思考にたどり着くのか。
そっちにフォーカスして欲しかった。
既視感は否めないものの、切り口は独特なディストピア系SF映画でした
まあよくあると言えばよくあるタイプの荒廃した近未来&AIロボと共存する社会を描いたディストピア系SF映画でしたが、名作揃いのジャンルだけに、比較されれば厳しいことになるであろうことは分かっていても、そこにあえて挑戦した意気込みだけは買いたい作品でしたかね。
予算は潤沢じゃなくても、ホント意気込みだけは伝わってきましたし、独特の切り口で進化や未来を描いた作風は、ハリウッドの大作映画とはまた違った味のある作風だった印象で、まあ題材としての新味は薄かったですが切り口の面では大いに新味を感じたSF映画でした。
地味ながら作品の出来自体はなかなかのものだったと思いましたよ、ただ堅すぎて、哲学的過ぎて、私的にはちょっと苦手系の映画だった分、楽しめたかと言うと正直そこまでは・・・って感じでしたけどね・・・。
アクションが少ないとかエンタメ性が薄いと言うだけで評価を下げるのもどうかとは思いますが、現実自分がそう言う人間であることは否定できない事実なので、ご勘弁を・・・ホント作品の中身は挑戦的且つ哲学的なSF映画で何かと考えさせられましたから、映画通の方にこそ見ていただきたい作品ですね、これは。
逆に私と同タイプの方は無理に見なくても・・・(苦笑)
しかしオートマタ達は健気だったなぁ、どことなく切ない表情をしているようにも見えてきたりで。
進化したAIロボが反乱を起こし人間と戦う映画なのかと思っていたので、展開としてはちょっと意外でしたね。
そしてAIに頼りながらも、AIに心の奥底では恐怖心を抱きながら生活する人間の愚かな様子が、物凄く印象に残りました。
人は自らの監視下に置けないものに、これだけ恐怖心を抱く生き物なんだなと、改めて実感、劇中でもう少し分かり合えよと何度も思いながらイライラしましたが、これが人間と言う種族の限界と言うものなのでしょうか。
逆にオートマタが最後に示した進化系は、驚愕の一言でしたね。
やっぱり遠い未来まで生き残るのは、その形態なのかと・・・。
まあ全体的に感情を乗せにくい作品でしたし、テンポも遅かったので、好みの問題込みで私はそこまで嵌まりませんでしたが、現実でも何かと話題のAIが題材だっただけに、何気に興味深い作品ではありましたね。
しかしアントニオ・バンデラスは、意外と坊主頭も似合います、と言うか何故坊主?雨のせい?何か語られてましたっけ?ハゲ率は相当高い映画でしたが・・・。
眠くなってしまた
設定、人物描写、造形、テンポ
何もかもがイマイチで自分は全然ダメでした。同じ規模感のAIものならエクスマキナの方が全然いい
派手さがない分、脚本は洗練されててほしい
荒すぎる
R・フォスターの無駄遣い
印象は、強い。カルトだね
ムードのある映画だったなあ。
SF、ロボットと人間からロボットへ、ロボット3原則(ここでは2原則の2つめだが)、
第2原則(自らを修理改造してはならない)が外れただけで、信じられない速度で進歩すること、人間が理解できない領域に達すること、自分たちと同じものを作ろうとする、つまり子供を作ろうとすること、改造してはならないというプロトコルを作ったのはそもそもロボットなので人間にはわからないことなど、おおと思わされる設定、仮説が多いところは正統派SFな感じ。
監督が撮りたいのは、心の交流なのだろうが、街に帰れない主人公にも逃げるロボットにも自分は感情移入できなかったので、中途半端な位置から眺める形となり、ムード溢れる映画と感じた次第。
ロボットが自分たちで子供を作ったら、自分たちと同じ人間型ではなく、最も生き延びる可能性が高い形なのか、今後共に暮らしていく生物の形なのか、いずれにしろゴキブリ型だったというのも、科学的というか、絵的なことよりも科学っぽいことを重視しているのだろう。これがまた奇妙な感じを強めていた。
人類は種として終焉を迎え、ロボット達にも未来に希望があるわけではないので、テーマは新たな時代の開始なのだけれど、なんとも世紀末的な映画となりました。
印象は、強い。カルトだね。
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