ソロモンの偽証 後篇・裁判のレビュー・感想・評価
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多くの方は前編観て謎解きミステリーだと“まんまと思い込まされた”
そのモードで後編を期待したなら、自ずと低評価になるだろうと。
確かに、原作小説は長尺なミステリー(法廷もの)作品ではあるものの、映像作品とする場合に於いて、通常作品よりも伏線とするには、あまりにも多い登場人物とその個々の背景にかなり時間を割いていることで、上映時間も長尺になっている事、それが意味(意図)する事は?
前編の終盤までの段階でそれに気付けば、これがミステリー〜法廷劇を背景にして、思春期の不安定な子供達ゆえに織りなされるアンバランスで不条理な世界と、それに翻弄される大人たちの世界(社会)、或いはその逆に大人たちによってもたらされる子供達の逃げ場のない現実、それによって引き起こされる悲劇と子供社会の混乱。
そうした「行き場の無い内なる叫び」をさらけ出す舞台設定として、謎解きミステリー+法廷劇+学園ドラマの形をとっていたという事だったのではという事など、元々このドラマが目指していたものが何であったのか思い込みで固執すると、オチの部分を主眼にして期待値高めたりはガッカリに繋がる事でしょう。
映像作品として成立させる場合、原作をベースにしつつも原作とはまた違った監督の意図するところや、そうしたバランスの匙加減が問われるところかと。
別に自慢で言うわけじゃありませんが、私自身は後編の開始間もなくで「犯人(引き金となった人物)」が誰なのかは理解できました。
あとは、その確認的に観ていくだけみたいになるのなら、特別に面白くは無いでしょうが、逆に「意図するところはそこだけでは無い」(犯人探し)映画では無いと理解して、最後まで興味深く鑑賞しました。
まあ、前編よりも人物描写がややくどい感も無きにしもあらずも、全体を通して相当良い出来の作品だったと思いましたけどね。
尚、映画と違い原作版では弁護助手を務めた野田健一が教師となって城東第三中学校に帰り、学校内裁判は伝説・歴史となっていた。
メインの主人公二人の関係性、距離感やミステリアスさはちょっと『時をかける少女』(1983年映画版)も彷彿させたかなと。
映画の中ではあからさまに描かれることは無いものの、そうしたイメージは20年後を描く原作の続編の方では藤野涼子は弁護士になっており、弁護士担当であった神原和彦と結婚したこという後日談として明らかにされているようです。
堪能した。そしてあらためて原作の凄さ!!
そう言えば俺は、映画は一気観したけれど、原作読んでなかったな。
そこで俺は原作を読んだ。文庫本6冊。10日間かかったが、全編堪能した。
すごい原作だ。中学生が、真実を知るために、学校内で裁判を開くという設定。
「事件」「決意」「法廷」の三部、各2冊。
クリスマスイブの自殺に始まり、さまざまなことが起きる事件。これだけで2冊。
「事件」と「法廷」はわかるけど真ん中の「決意」って何? と最初は思った。
が、読めばわかる必然の章。
「決意」があるからこそ、中学生たちが自分たちで裁判をしようという荒唐無稽な話が、確かな現実になっていく過程。
さすがに「法廷」の前半は読書スピードが少し落ちるが、後半はまた加速していき、見事なエンディングへ。
この内容は、とても2時間の映画には入りきらない。
という訳で映画は前後編なわけだが、それでも入りきる訳がない。
となると最初の関心事は、どこにフォーカスして、何を大胆に省略すらか、だ。
原作で作者が伝えたかったことも非常に多い。
関係した全員のそれぞれの成長は、原作のメインだが、映画で全員は描けない。
いったい誰と誰に絞っているのか。
作者が設定した最大のテーマは、「大出、樹里ふたりの声を、誰かがちゃんと聞いたのか?」 だが、そこは表現されるだろうか?
さらに、さまざまな形で置かれている 「大人による、子供の破壊。親による、我が子の破壊」 というしばしば起こりうる悲劇的環境は描くのか。
自殺、告発状は必須だろうから、森内先生も組み込むとしたら、エンディングへのキーとなる野田健一の事件は、この限られた時間の中で描けるのか。
大出たちと柏木のいざこざはどんな位置に置くのか。
大出家の大事件とそこに関わる者たちは描写されるのか。
原作を読んだ今は、どれを削っても物語が構成されない気すらしてしまうが、一体どんな風に料理されているのか。興味は津々。
さらに原作のエンディング近くでの最終抗弁。野田健一のあの過酷な事件の、あの瞬間の描写は、この尋問のためにあったのか。恐ろしいまでの、原作者の緻密な構成力。これをはたして映画で描けるのか。
神原和彦。彼は、触媒。彼が何かをするわけではなく、彼に触れた相手が、自分で考え始める。そんな役割。
各自の「成長」をこんな風に描けるのは、原作者の底を流れる "愛" なんだろうな。「誰もが、成長する」 という信念と言うか、成長そのものへの愛。
(原作から)「オレは、身の潔白を証明する。そう、決めた。だから、た、た、たのむ」
(原作から)「樹里が発した悲鳴を受け止めるのは、誰だ。今まで誰もやろうとしなかったことをやるのは、誰だ。このあたし、藤野涼子が、やるんだ」(独白)
これが原作の第二部のエンディング。をを、なんと凛々しいことか。第二部の表題が「決意」である理由が、ここでわかり、心に沁み入る。
学校という体制は社会の必要悪なのに、城東三中の先生方にはそれがわからない。
神聖な場所だ、ぐらいに思っている。権力者である自分たちにとって都合のいい、住み心地のいい場所であるだけなのに。
丹野先生とカササギの絵のエピソードは柏木卓也の考えを象徴するもの。
叩かれた藤野涼子、示談にされた増井望。
一方的に暴力に晒された者には、自分が暴力にあったことを訴える権利がある。
母がこちらに立ってくれた涼子、両親が向こうに合意してしまった増井。
その対比で、不当に扱われた者が訴える場が必要だということが、伝わってくる。上手い。
花火師の弁護士が語る、「殺人罪における殺意の有無の話」、これがまたラスト野田健一の最終抗弁に繋がる。
(原作から) 彼がハメられたことを立証するために、彼がそんなことをされても仕方のないワルだったことを、彼自身に認めさせるという荒技をやってのけたのだ
神原くんは、あなたのために、あなたに聞かせるために、あの尋問をやったんだよ
すごい。果たして、映画では描かれるか。
決してみんなの前には出なかった樹里の最後の証言は、映画では描かれるか。
それが、神原への感謝であることが、俺たちに伝わる表現にできている映画だろうか。原作では、他の人に解説させている。
原作では非常に丁寧に描かれ、かつ重要なエピソードとの相似形をとっている、裁判員たちと廷吏。
溝口弥生と倉田まり子が、樹里と松子について語るシーン、
原作でも回収されなかった、空から赤い雪が降りますっていう天気予報みたいなもの。
蒲田教子、俺にもそれ、わかんないよ。教えて!
これらは、果たして映画では描かれたか?
小説冒頭の、情報量の少ない、電話ボックスのシーンが、ラストのキーとなるというこの構成。素晴らしい。
しかし、映画は文字だけではないので見えてしまう。どうするのだろう。原作を踏襲できない。こんなジレンマもあるんだね。
原作を読んでから、すぐに映画を観る。
なかなかないこの楽しみ方。上に書いたように、原作小説が強烈かつ緻密かつ広大なだけに、
映画では、どうデフォルメしているのかが最大の関心事だろうか。
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そして、映画を観た。かって映画館で一気観したが、今回は配信で二度めを観た。
(俺は観ても、けっこう忘れちゃうので、初めて観るような感じで二度めを観ることは多い。今回もそうだ。新鮮な気持ち)
初日
1人め・刑事 「調べなかったんですね」
2日め
ふたりめ・須崎校長 「隠したんですね」
3日め
3人め・森内先生 映画では垣内はここで現れる。
4人め・樹里 映画では傍聴人いるんだ。証言は 「見てない。松子に聞いた」 なんだ。反対尋問の前に帰っちゃうんだ。
4日め
5人め・今野弁護士
6人め・大出
7人め・ ・・・
「誰もあなたを捌けない。それじゃあこの裁判の意味がない」
「そんな事は無い。やらなかったら、未来に立ち向かう勇気も出てこない。ここにいるみんながそう。自分の罪は自分で背負っていくしかない」
閉廷。
終わった。堪能した。
原作の広がりと深さを10とすれば、映画は深さは5くらいにして、広さを10に限りなく近づけようとしている感じだった。
まず、この話が成立するかどうかの最大の関門は、「中学生が裁判をしようと思う」 という動機がすんなりこちらに入ってくるか否かだ。
だから原作には、第二部「決意」のヤマのひとつ、野田健一のエピソードがある。
映画では、これを思い切って切り落としていた。
かわって、(原作にもある) 藤野涼子のエピソードを拡大強調して、それに置き換えていた。なるほどね。
「(私に)あの時勇気があれば、マツコは死ななかったかもしれない」
線路を見つめるシーン、柏木卓也から激しく責め咎められるシーンを加えることで、それなりにつながっていたように思う。
「中学生が、真相を知るために校内で裁判をしよう」とまでに思う動機を、「私は人を見殺しにした」という、主人公の深い後悔に委ねてストーリーを成り立たせている。それは偉いと思う。
映画は主題を、この藤野涼子のセリフに象徴される、「勇気を出せ」 と言うメッセージにしたんだと思う。
個人的には、この話をそこに帰着させるのは、受け取る方にとっては重すぎるように思うが、それによって1つの映画として成り立っていることはたしかだ。その点は、見事なものだ。
さて、映画をご覧になったみなさん。
原作の映画もラストで野田健一は反対尋問をする。その背景となる野田健一の過去の壮絶なエピソードは、映画では時間的に入るわけがないので、ばっさり削られているのですが、ぜひ原作を読んでほしい。
この素晴らしい映画よりさらに2段階ほど深い原作をぜひ一度読んでください。
野田健一について、映画では登場人物のひとりに過ぎなかったと感じられていると思いますが、読めばその位置の重要さを始め、きっと映画とは別の世界を楽しめると思います!
おまけ
原作は、廷吏の山崎 晋吾をはじめ、登場した全員にそれぞれの感想を抱けること間違いなしの、素晴らしい群像劇です。
ほんとうに、ひとりひとり書き込んでるんだなあ、と感心しました。
話全体は、冒頭に書いたように、重く深い話なんですが、作者の、全員を描き分けるこの技術で、多少は心が安らぎます。
以上、長文にて失礼しました。
なんとも気味の悪い映画
アマプラにて。
小説は読んだことないので、話がついていけないところがたくさんあったし、伏線回収しきれていない感が否めない。
役者一人一人はいいんだけど、子供のあどけなさがあまり感じられず薄気味悪かった。
一番気になったのは大出君の腰巾着二人。彼らは何の役割だったんだろう?映画では描ききれていないように感じたけど。。
生徒たちが裁判をして、情報がどんどん出てくる。 原作未読のせいか、...
生徒たちが裁判をして、情報がどんどん出てくる。
原作未読のせいか、充分に楽しめた。
どうやら原作のほうが良いらしいので、いつか必ず読もうと思う。
最後いい話的に終わるが…
最後いい話的に終わるが、実際は2人の人間が死んでおり、いい話ではない。
しかもオチは初めから裁判する必要性があったのか微塵にも感じない。
原作小説もこの映画を見る前にみましたが、この映画は全編・後編の2部作にしたわりには小説の大事な部分をばっさりカットし、しかもカットした時間を小説の無駄な部分に割り当てています。
青く痛い
自宅で動画配信サービスを利用して視聴しました。数年前に1度動画配信サービスで見ましたが、今回が2度目の視聴です。原作は未読です。
前篇で決まった裁判が行われ、様々な人間が裁判の場で本音を話していたり、事実が判明していきます。
津崎校長や森内先生の言葉は少なくとも本音であったと思います。年を取れば取るほど本音を言うことが難しくなりますが、生徒が行う裁判だったからこそ話せたのかもしれません。
そんな中で告発状を送った三宅の法廷での態度には、少なからず不快感はありました。ですが、このように生きてきた彼女に事実を話しさせることは無理だろうな、とも思いました。正直この映画の中で、話をしなかった三宅に対して法廷で藤野が涙を流したシーンが最も心揺さぶられました。あの瞬間の梯子を外されたような感情はとても痛々しく伝わってきました。
神原がわざわざ裁判を開催させた理由も、大人からしてみれば独善的にも見えます。また、柏木の他者に対しての言動も、どう考えてもわがままでしかないのですが、思春期にはそのような思考になるやつもいるよな、とは思いました。柏木の神原に対する態度もそうですが、あれだけ完全にかまってちゃんな行動すりゃ、そりゃ友達いなくなるぜ、というのが自分自身の本音です笑。聞いていた柏木の両親はどんな気持ちになったのでしょうか。
冷静に考えればわかることを見失ったり、完全に自分の中の理論で武装してしまう奴っているんだよな、と妙に共感してしまいました。そのような人と対峙したときの不全感やイライラを、見ている側に感じさせるこの映画は良くできているな、と感じました。
中学生らしい青い感情を発信させ、痛さを感じさせるこの映画がかなり好きです。
後編は予想ができたがいい作品
予想ができないものではなく
予定調和な安定の結末だった。
最近のドラマもそうだがこの手のものは
この結末ばかりな気がするが
この年にできたのを考えるとこれが模範作となったに違いない。
ややこしくなりそうなものを綺麗にまとめていて分かりやすい映画なので、
子供に見させると学校での人としての在り方を考えてくれそう。
それぞれの属性と本音っぽいモノ。罪を作る心と向き合う映画。
内容は、前作の後編。中学生裁判の結果と未来。好きな言葉は『あんたがここまでバカだとは思わなかった』もう一つの愛の形としての自分勝手な言い訳が、この物語の内容に通じるモノで皆馬鹿の度合いが違うだけだなぁと感じた。自分の中学生時代とピッタリ合致する社会やその時の自分達内面や外面を照らし合わせる様で非常に切実に感じられた。自分が中学生の時はクラブ活動ばかりしてた。あの時代、神戸児童連続殺傷事件も印象的です。世間では、ノストラダムスの大予言が流行してたし、有り余るチカラは抑えが効かず暴力に及んだ事もありました。あの時以来人を殴ったりした事ないなぁ。人の痛みと自分の痛みが過敏に感じられた時代に、同じ様な些細な悩みはあったなぁ。もし自分ならと考えると教師や大人は、大変怖かったし友達と自分の立ち位置され分からなかったなぁ。好きな場面は、染み抜き作業『この物語の具体化した形が良かった。』と最後の横並びで歩くGメンみたいな場面です。映像的にカッコイイ。この思春期と言われる時期は、どうでも良い事で悩む時期です。歳をとると、どうしようもない事で悩み結果悩みの質が変わっただけで悩みは無くならないのが人間だなぁと感じました。真実や事実を自分なりに理解したい気持ちは人として大きく成長するメタファーになります。本音が何処にあるか?どの本音を自分は信じるか?結果信じたい物しか信じる事が出来ない、それぞれの立場からの行動が上手に表され面白かったです。物語の主体となる柏木君も絶望し左手を差し出して亡くなってしまったのは誰かに手を握って欲しかった、、、誰よりも死にたく無かったのかもしれません。樹里と松子。神原と柏木。この対比と僅かな違いが物語のアクセントとして良い構成でした。誰しもが味わった事のある若い時代を思い直す良い味のある映画でした。そして自分の年代とマッチしたので人一倍思い入れが生まれました。その他細かい指摘は有りますが、全編通して観るだけのボリュームと楽しさがありました。
全員悪くて、誰も悪くない
原作未読。
前篇には、2部作にする必要あるのかな。という内容を書いた。
と、いいつつワクワクして観た後篇。
この映画を
学園もの。ミステリー・サスペンスもの。法廷裁判もの。子供の成長もの。
として観ると評価は下がるのだろう。
しかし、それらの一長一短のいいとこ取りしたという意味で成功だった。
演技が下手だっていいじゃない、学園ものなんだから。
オチがバレバレだっていいじゃない、ミステリーが主題じゃないんだから。
どんでん返しがなくたっていいじゃない、中学校の裁判なんだから。
自分の子供を一番に思ったっていいじゃない、それが親だよ。
という感じで全体的にやや薄味。
ふと、振り返ってみた。
なんの前触れもなく学校に来なくなった同級生。
「お前は悪くない」でうやむやになった出来事。
PTAと学校の話し合いで一件落着した事件。
今にして思うと、あれって何だったんだろう?だが、
当時は、一生晴れることのないであろうモヤモヤ。
それらを全て明らかにしていった方が幸せだったのだろうか。
それとも「起きたこと」より「これから起こること」に注力すべきなのだろうか。
主人公の藤野涼子は、どうやらこの裁判を通じて
モヤモヤが晴れ、人間的に成長し教師となって帰って来たようだが、
この裁判がトラウマで不幸になってしまった人はいないのだろうか。
「答え」を出すことは、必ずしも「答え」ではない。
それがこの映画を見た「答え」だ。
とか、言ってみた。
他人に厳しく自分に甘い柏木くん
前篇含めて4時間連続で視聴。皆さんのおっしゃる通り失速感が否めなかったです。後篇は裁判という性質上場面がほぼ法廷(体育館)という視覚的な退屈さもありますが、真実が明らかになる度にガッカリ感が増していきました。
何より事件の肝である柏木くんの性格に難がありすぎます。周りには偽善者だなんだ言ってますが、イジメを止められたのは柏木くんも一緒。そこまで人を正したいならまず自分が見本を見せましょう。斜に構えて人生をわかったような気がするのは中学生のあるあるですが、その鬱憤を友達に言葉の暴力としてぶつけ、さらには構ってくれなければ自殺とは、巻き込まれた方は迷惑極まりない。
子役の方々の演技は良かったです。特に主演の藤野涼子さんと大出役の清水尋也さんには今後も注目したいと思います。
一番イライラしたのが自殺した柏木の態度。 自分のことは棚に上げて他...
一番イライラしたのが自殺した柏木の態度。
自分のことは棚に上げて他人を批判するだけ。
WOWOWドラマの柏木はもっと凛とした強さがあり、世の中自体を自分から見限ったという、一般人を超越した思考の持ち主だったのに。
また、裁判が終わった後に笑顔を見せながら会場から出てくる大人たち。
笑うような裁判ではあるまい。
あと、担任の女教師を襲った隣室の主婦は出す意味あったかな。
よく分からん。
まあ、裁判自体は中学生とは思えないような手際のよさだった。
えっそれで丸く納まったつもりですか?
これ、結末は原作通りなのかなあ?
広げた風呂敷は凄く魅力的なんだけど、畳んでみたら意外と大した風呂敷じゃないというのは実に宮部みゆきらしいんだけど。
色々解決してないのに、裁判後に出てきた保護者や生徒達がニッコニコで無理矢理大団円に持っていこうとしてる。
ここまでのことをやるなら「誰も負けない」は逆に不自然だよね。
本当の真実
真実を話したいが為の裁判。
中学生が本当の裁判をしているかの様に進む
そして真実を知った時、誰もが起こり得る真実
全てが分かった時、学校に平和が訪れる
生徒の皆さん良く頑張りました
前編後編、意外と面白かった
真実のその先に
藤野涼子さんの演技が素晴らしい!セリフだけでなく目で訴えかけてくるし、何より若さが生む力強さがあった。
たとえその真実に大きな意味がなくとも、人間はそこから多くの事を学べるし、不公平で理不尽な未来に立ち向かえる勇気を手にすることができる。
そして私達には、応援してくれる人…支えてくれる人…自分を待ってくれている人が必ずいるのだと思いました。
自分も、勇気を持って真実に向きあいたい。彼らのように
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