「【一人の女性が、東北の或る村”小森”で、ほぼ自給自足する姿を豊かな自然と、小森の人々の生きる姿と共に描いた第二弾。と共に、私が東北の庄内平野で暮らした3年間の想い出を記す。】」リトル・フォレスト 冬・春 NOBUさんの映画レビュー(感想・評価)
【一人の女性が、東北の或る村”小森”で、ほぼ自給自足する姿を豊かな自然と、小森の人々の生きる姿と共に描いた第二弾。と共に、私が東北の庄内平野で暮らした3年間の想い出を記す。】
ー 今作の魅力は、ひとりで暮らすいち子(橋本愛)が、作る素朴な料理の数々であろう。
作り方を、橋本さんがナレーションで説明してくれるのも嬉しい。
ストーリー展開は、いち子が幼かった頃と現在と行き来しながら描かれる。母(桐島カレン)が、失踪した理由も詳しくは語られない。
この田舎暮らしの魅力と大変さを描いた映画は、それで良いのだと思う。-
◆感想<Caution!余り内容に触れていません!あと、個人情報駄々洩れである。>
・前作に引き続き、今作では小森の冬の生活と春の生活が描かれる。
で、イキナリ私事で恐縮であるが、私は高校三年間を父の仕事の関係で山形の庄内平野で過ごした。
都会から移り住んだ庄内平野は、今でこそ食で有名であるが、当時は余り知られることも無い田舎町であった。庄内弁は何を言っているのか分からないし、受験した時は三月だったので雪深く(”雪の降る町を”が生まれたきっかけになった町である。)、太陽は一切顔を出さずに、嫌になったモノである。
・米を収獲した頃から、雪国は冬に向かって行く。だが、新米(庄内米)はとても美味く、海も近いので魚も美味いし、野菜も美味い。
時折、父に連れて行って貰った寿司屋で食べた寿司は、今まで食べていたのは何だったのか!と思う位美味かった事は、今でも覚えている。
故に、今では庄内平野には地元食材を使った、フランス料理店が林立している。隔世の感がある。だだちゃ豆も、私が住んでいた頃は美味い枝豆だなとは思っていたが、今やブランド品である。
・今作でも描かれているように、雪国の冬は厳しい。今はドンドン地球が温かくなっているので、当時の友人に聞くと雪の量は激減しているそうだが、当時の冬の朝の私の仕事は降り積もった雪を橇に乗せて、近くの側溝まで運び、捨てる事であった。
それから、雪の中を自転車で学校まで通うのである。城の中の道が近道だったので、そこを通っていたが、一度踏み固められた自転車道からコケルと悲惨であった。新雪の中に突っ込むと、起き上がるのに大変な苦労をするからである。
・故に、今作でも描かれているように雪国で春を迎える喜びは、大変なモノであった。何しろ、半年近くどよーんとした雪雲に覆われていたのだから。
そんな時は、友人達と学校をさぼって、自転車で遊びに行ったものである。
<今作で、少し気になるのは東北弁が使われていない点であるが、映画であるから仕方がないと思う。何しろ、東北弁(多数あり。特に難易度が高いのは、年配の方が喋る青森弁である。)は、ハッキリ言ってナカナカ聞き取れないのである。
庄内弁で言えば、”ミッコイ””ゴショグ””イシゴグ”などなど。友人に”どういう意味だ!”と聞いても、東京弁(と言われた。)には上手く訳せない微妙なニュアンスがあると言われたモノである。
今作は、農村で暮らす大変さと、豊かさを食を通じて描いている点が、公開された当時は魅力だったのだろうな、と思う。
ケドネ、ホントウニイナカデクラスノハイロイロトタイヘンナンダヨ。
今作でも触れられているが、プライバシーはほぼ無いし(私が、或る大学に合格した際には、あっと言う間に噂が広がったモノである。)、人付き合いも大変なのである。
当時、都会を脱出して、多くの人が移住してきたが、感覚的には8割程度が田舎暮らしに馴染めずに、戻って行った事を少し思い出したな。
それでも、庄内で暮らした三年間は、我が人生を豊かにしている事は、間違いないと思っている。唯一の弊害は、人混みが大嫌いになった事だろうな。>