複製された男のレビュー・感想・評価
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演出が…
原作も脚本もシニカルで凄くいいものだと思いますが、なにしろ冒頭から音楽と演技(演出)で怖さを強調し過ぎ。自分と瓜二つの人間なんてネットでよく話題になる昨今そんなに怯えることもないんだから、物語が動き出してから怖い演出にすればいいのに。看板の割にぜんぜん怖くないお化け屋敷のよう。2重人格ものならなおさら緩急つけてビビらせてもらいたかった。あのオチからしてある種の喜劇なんだから。
うーん……
予告に騙された。といった感じ。
つまらなくはないし、凝った脚本、ジェイクギレンホールの演技もサイコーなのですが、アッ!という驚きで終わるわけでもなく、正直、ヘッ?と首を傾げてしまいました。
わからない人は何度もみるか調べるべき
最初僕は、蜘蛛が出てくる場面が夢であり、ほかが現実なのか?と思ったが、は?となっていた
こういう、は?と考えさせられるのは好きだ、
最初のカオスの話があったのでそういう話かと思った。
役者が複製されていたりする場合、二重人格はあるあるだが、そこにさらに色々な意味が込められているところがあったのはわからなかった。
レビューを読んで、蜘蛛がある象徴として映画に出ていたとはわからなかった。
レビュー読んだ上で自分の解釈。
蜘蛛は女、妻の象徴であり、張り巡らされた女の警戒と解釈した。
とても面白かった
解説します。
全然わからんという人は調べてください。
理解出来ずにボロカス言う人が沢山いるので…。調べる癖をつけると映画リテラシーがあがります。
では解説します。
三流俳優と大学教授は同一人物です。
男は俳優になりたくてエキストラなど演っていたのだが夢破れ大学の先生になる。
妊娠中の可愛い奥さんもいて、良いマンションに住んでいるが、浮気した過去があり、今でも浮気妄想・浮気願望が止まらず、変態クラブにまで通っている。
そんな男の妄想話がこの映画です。
ラストの車事故で2人が死んだ時に、妊娠してる奥さんと愛を交わすのは、彼の頭の中で妄想が終わった事を表してます。
男は謝り、奥さんは許します。
しかし翌朝ポケットの鍵を見て、今夜の予定は?僕出掛ける用事がある。と奥さんに言います。これはまたもや変態クラブにいって浮気しようとしてるという事。そして部屋に行くと奥さんは蜘蛛となり警戒した態度をとる。何故警戒してるかというとまた夫が浮気するつもりだとわかっているから。
それも含めて男はやれやれといった表情をする。
蜘蛛は女の象徴。蜘蛛の糸を張り巡らし束縛する嫁の象徴です。
街に張り巡らされた電線や、事故の時に割れた窓ガラスにズームするのも蜘蛛の糸の象徴です。
この後男はおそらくまた変態クラブに行くでしょう。何故なら最後奥さんに、お母さんから電話があったわよと言われます。思い出してください。映画の冒頭はお母さんの留守電から始まり、鍵を持った主人公が変態クラブに入っていったでしょ?
男は浮気を繰り返すんです。
そしてその変態クラブで蜘蛛を踏み潰そうとする描写がありますが、それは束縛する奥さんを踏み潰す象徴です。
以上の事柄を理解してもう一度見るとよりよくわかるでしょう。
僕ははじめ見た時は理解できませんでした。が、何故かこの映画が好きでした。ラストの蜘蛛でギョッとしたし、まるでカフカの変身のようでもあったので、そのままの印象でも良かったのですが、調べて謎が解けると新たな印象が出来て、2回楽しめました。
原題:ENEMYも分からんが、邦題のつけ方にも問題があると思う
劇場に観に行くつもりだった映画だが行かなくてよかった。
公式サイトをみて何となく理解したが、ラストの蜘蛛で終わられて目がテンに・・・
黄砂でも降ってるの?な黄色い画面のせいもあって終始ザワザワするけど結局最後までスッキリせず、ワシのような知能の低い人間には不満だけが残る。
これは原作本読んだ方が満足度が高そう。
ファイトクラブ
レビューを見ると、観るべきかそうでないべきか⁉︎でも、ジェイクギレンホールファンとしては観るべきかと思い鑑賞。
まぁみんながレビューするとおり、意味分からんとなるところであるのだが…。なんとなく似たような映画として挙げられるのがファイトクラブ⁉︎確かにこのタイトルは複製された男なのだが、誰に複製されたのか?この物語の中で出てくる人物なんて数えられるくらい。バックにSF的な企業が絡んでくるわけでもなし、限られた中の登場人物でしかない中で誰が1人の人物を複製させるのか?そして、私達観ている側の人間が、この映画の中で観るものは、必ずしも観ているモノではないのではないか⁉︎自分でレビューしながらも訳分からなくなるのだが…こういった映画の面白さは、自分の中の答えに辿り着く過程の面白さ。観て楽しむ映画では無く、感じて楽しむ映画というところ。か?
この映画を観ていなかったら…その時間、自分は何をしてたのだろうか?浮気してたら、うちの奥さんは眼を光らせ獲物を見つけた蜘蛛のように俺を捕まえるのか?
絶対2回観たくなる映画!と、言いたいけど結構消耗するからいつかまた...
絶対2回観たくなる映画!と、言いたいけど結構消耗するからいつかまた何かの機会に観たい。できれば映画館で観たい。もしくは主人公を模してPCにかじりついて早送りで観たい。
最初、思わせぶりな秘密クラブのシーンを、どう捉えていいかわからないので無視するし、無視するしかないと思うけど、あらすじの通りに話が進んで、ラストの蜘蛛でハァ?!ってなって終わる。
ので、あらすじは読まずに、先入観無しで観たほうが絶対いいと思う。
と、書いてたらやっぱりもう一回観ようかな、と思えてきたので観ます。
モヤモヤ、プロが好きそうな映画ですね。
なるほど、面白い!
男は母や妻に潜在的に支配され苦悩する大学教員。
男には抑え難き欲望が眠っているが、それは現実という重力に抗えないでいた。
現実と欲望の狭間でついに人格が分裂する。自分ともう一人の『複製された男』を生み出すのだ。
複製された男は俳優でナイスガイ。まさに男が理想化する人物像。浮気に秘密のクラブに好き放題。
しかし、母と妻にはすべてお見通されている。
そうとは知らず、男は許され現実に安堵する。
でも眠っている要望は簡単に目を覚ます。
ついには男の前に巨大な蜘蛛が立ち塞がり、現実と欲望の境目をカオスへと誘う。
私なりに考えてみました。
主人公アダムの妄想という解釈だけだと、矛盾するところがあります。
以下は私の想像です。
•アダムは大学生のころ、演劇サークルに入った
•昔から憧れていた俳優になりたかったが、現実では大学で非常勤講師としてやっていくしかなかった。
•妻ヘレンには自分は俳優だと名乗っており、昔出演した作品を見せたりしていた(初めアダムが発見したDVDでは髭がなかった。つまり若いという意味)
•妻が妊娠してからは俳優の仕事はせずに、毎日を大学で過ごしていた。しかしアダムの性格から刺激のない日常は耐えられなかった。事務所へ行ったときに「半年ぶりだね」と警備員に言われたのはそのため。
•ホテルで二人が会うのは、自分自身を見つめ直すため。アダムは逃げ出したのは、今の自分のロクデナシさに吐き気がしたのだろう。
•アダムは妻には俳優であるアンソニーとして、毎日何かしらの撮影に行ってるように見せていた。実際は大学で授業をしている。そして浮気相手(高所得者に見える女性)の家に泊まったり、セックスをして帰ってくる。またそれだけじゃ飽き足らず、会員制のクラブに出入りしている。
•ラストは浮気相手に指輪の件で破局し、もとの家に「アダム」として戻ってくる。妻ヘレンの眼差しからして、アダムの浮気には気付いている模様。アダムが言った「すまなかった」とはアンソニーになりすまして誤っているのではなく、浮気をしていてすまなかったという意味。
さて、最後に「クモ」の意味ですが、みなさんの解釈では「母性」が多いようですね。私も賛成なのですが、どうもアダムの母親と言うよりも妻ヘレンの母性のように感じます。
結局、浮気相手とは縁を切っても性欲には勝てないようですね(笑)最後にあの「鍵」を見たとたん、すぐにその晩にクラブへ行こうとしました。よく奥さんは旦那が浮気をしているとすぐに気付くと言いますが、このときのアダムもそうだったんでしょうね。妻ヘレンの強力なさっきが大グモと化して、「やっと見つけたぞ!」とでも言っているようでした。
冒頭のクモは小さかったですが、あれは妻ヘレンのアダムに対する「疑心」なのでしょうか。
途中からビルよりも大きいクモと成長し、浮気している旦那を街中探していました。
世にも奇妙な物語
ポケーっと観てたらラストとか何のことやらさっぱり。伏線も回収してくれないので、ガッチリ気合い入れて見るべきだった。最初とラストの意味が分かったらもっと面白かったのだろうけど、分からずとも自分と似た俳優を見つけて接触して頭がこんがらがる主人公の気持ちは大いに分かるし、説得力があったので奇妙でドキドキする映像に充分楽しめた。にしても難解。
複製されたとは、、、とずいぶんと考えてなんとか(汗)
観賞理由は、中身や監督ではなくメラニー・ロランが出演していたから、でしたが、まずその点で大いに不満。
名前は二番目に記されていたので、ヒロイン的な役回りを期待してましたが、う~ん最後も残念なかんじだし、もう一方のサラ・ガドンさんの方がどうみても目立っていた。若くて綺麗だったからいいけど^^ (カナダ人、今後注目していこっと)
物語的には、私の苦手な伏線回収なしのタイプでした。
主人公はうり二つの自分を偶然見つけると、いてもたってもいられず探すことに。見つけた先に待っていたものとは、、、といったストーリー。
ただ、この映画、見方を間違えると私みたいになんのことやら、となりそう。
従来のミステリー作品と思わない方がいいかも。その意味で伏線は終了しても回収されない。最後の80年代の安っぽいエンドロールで終わった時には、えっ、終わり!?と思ったくらい。意味がわからないシーンも多い。
セリフが少ないし、読み取る材料に気づかなければ、わかんなくなること必須。
他の方のレビューを読んで、そっか、邦題の「複製された男」の頭につく言葉を考えた時に、少し腑に落ちました。蜘蛛からと、つけると意味のわからなかったシーンが少し理解できた。(さっき監督のネタばれ投稿を読んだら、それも違ってたけど^ ^)
冒頭や車の事故、ラストに80年代のエンドロール。その蜘蛛をどう考えるのか、そもそもなんで蜘蛛よってなってきた時に、リピーター券が用意されていたことを思い出して、全貌がようやく見えてきたかんじです。
テレビのサスペンスものに慣れていると、伏線の定義からして違うかんじもしました。そういう意味では事前に予習が必要だったと。
シーンの中で、印象的だったのは、体の傷まで一緒であっても、環境やこれまでの体験などで性格やキャラクターは随分違うんだなと、全く一緒にはならないんだなあと再認識。
その辺主役のジェイク・ギレンホールさんはうまかったと思う。サラ・ガドンさん役の妊婦さん(うりふたつの相手の奥様役)は、旦那が入れ替わっているとなんとなくわかってたけど、言葉を飲み込むシーンも印象的。
最後、SFやスピリチュアルな視野が仮に持てたとしても、私には合わない作品でした。解釈を観客に委ねられているのは、どーもね。何より蜘蛛はチョー苦手^^;
不条理な複製。
何だこの意味深なタイトル(邦題)は?と最初は思ったものの、
観終えてその意味がすんなりと入ってきた。とはいえ、まずは
サイトの袋とじを読んで自分の推理が正解かどうかを確かめて
しまったけれど…。ネタバレ厳禁の不条理難解映画ではあるが、
とどのつまりはこういうこと。というのがアッサリ解明されると、
まったく男って奴は!と、とにかく思わずにはいられない。
映画全編に張り巡らされた謎=蜘蛛の造詣は何をか云わんや。
妻を妊娠させたことにより(原作は違うらしい)リアル感が出た。
男性陣が今作に慄くのは、この出来事に覚えがあるからでは?と
推理が想像や妄想の範疇を超え、鑑賞後も話題が尽きない作品。
謎を解く必要があるのか
結局どーいうことー⁈と叫びたくなるが、単純に考えたら『男のサガ』がテーマかな。
解釈は観客に委ねるとあるので、私の
勝手な解釈ですが。
どちらも現状に満足できず、どこか違う場所を相手を求めてる。
求めた相手と出会っても、また違う相手を求める。世の男性は行動するかしないか別として常に抱く願望があり、女性は常にどうやってその男性をとどまらせるか考えている。
蜘蛛、蜘蛛の巣を象徴的に出すことにより、『支配』というキーワードで表しているのではないでしょうか。
そして絶対的な支配者の母親も、、。
こういう映画、もっとやってほしい
こういう観ているものの想像力を掻き立てるものこそが創作の本質だと思う。ある意味現代美術に通ずるものがある。
映像作品、絵画、写真、文学(小説)どの分野にも共通しているが、ストーリーの明確な作品もいいけど、そういうものばかりでは単調でつまらない。
公式HPに監督のコメントがあるけど、これもそのまま受け取ってはいけない。
「ネタバレ」とあるが、それは本当に「ネタ」なだけ。そういう設定、というだけ。
この作品は、その「ネタ」に沿って進行する寓話なのだ。
蜘蛛、怪しげなクラブ、母親、支配、ヘーゲルの言葉…
想像力を掻き立てる要素満載!
どれ一つオチはなく、ただひたすら見ている側に問いかけるだけ。
解釈は人それぞれだ。
昔、今頃の季節に書かされた読書感想文。
あれををもう一度書いてみるのもいいとおもう。
訳が分からないからつまらない?
そんな感想、ありえないと思うよ。
ドッペルゲンガー?
「プリズナーズ」でエッジの効いたミステリーをものにしたドゥニ・ビルヌーブの新作である。
大学の歴史の講師をしているアダム(ジェイク・ギレンホール)は、なんの気なしに観た映画の中に自分と瓜二つの役者を見つける。
アダムはその役者アンソニーと接触しようと試みる。
さて、アダムの反応だが、これが僕には不可解であった。
自分とそっくりな人がいれば好奇心が勝つような気がするけど、アダムはアンソニーと会って、腰が引けてしまう。
体の同じところに傷があると知るに及んでなおさらである。
この謎の提示があって、それを解き明かしていく話だと思ったのに、その方向には行かない。
アンソニーは謎の集まりをもっていたようだがそれも明らかにされず。
で、あのラスト。
これはひょっとして夢オチなのか。
ドゥニ・ビルヌーブの演出がよかっただけに、なにかすっきりしない終わり方だった。
ネタバレ読んでがっかり
まどの一哉さんのSF漫画のような渋いテイストの映画だった。あの後、主人公はどっちの人生を歩んでいくのか気になった。結末のでかい蜘蛛は一体どんな意味だったのだろう。
もう一人の役者の方は、どんな両親だったのか、兄弟はいたのか掘り下げて欲しかった。
(追記)
ネタバレをあれこれ読んでいたら、どうやら二人は同一人物であるという説が有力なようだった。見ながらそんな解釈は全く思わなかったので驚いた。だったら自動車事故の指輪の揉め事も全然意味がないし、自己は彼女が一人で起こしただけで、偶然そんな都合よく事故が起こるのは物語としてとても出来が悪い。そんなに面白く感じない内容であったが、同一人物だとしたらよりつまらない作品だと思う。作者の味方をする意味でも同一人物でない説をとりたい。
(更に追記)
公式HPに監督のネタバレがあって、本当に同一人物の話であることが分かった。だとすると現実のように描いた全くの妄想の場面が、現実と並行して並んでいる、ただのミスリードに熱心なだけの映画ではないか。虚構と現実を行き来するようなスリルや幻想性もなくSFでもない。ただの妄想の話だった。下手なゲームに付き合わされたようながっかりした気分。
2度目は笑劇と…
プリズナーズでギレンホールという人の演技が良かったので観賞しました。1回目は理解できず、2回観賞しました。
プリズナーズは社会性がやや強いので監督にまで興味は沸きませんでしたが、こういう純粋なフィクションが撮れる監督は好きになりました。
本作品の結論としては、観賞者がそれぞれ解釈して良い作品と思います。
サスペンスとしてあちこちに隠された蜘蛛の意味を解く楽しみ方もあるでしょうし、現代社会を風刺したホラー的な見方もあるでしょう。
ただ、おそらく製作側は細かい辻褄合わせは意図していないでしょうし、夢の中を漂う様なこの作品にあまりロジカルさを求めるのは野暮だと思います。
私の解釈としてはこれは全て夫婦の話で、端的には妻が妊娠中で、おそらくは2回目の、浮気の妄想が止まらず罪悪感にかられている男の話です。
男なら気持ちは良く分かるのではないでしょうか?奥さんがある日から子供のことしか考えなくなったら、寂しいでしょうね。
そして男の浮気の「虫」はムクムクと大きくなりますが、結局、マザー/クイーンである蜘蛛の網の支配から逃れられない、というのが悲しいところです。
蜘蛛=妊娠中の奥さん役の演技が素晴らしくて見とれました。表情が良く、私はギレンホールよりも印象に残りました。
ジャンル的に区分けすると古典的なコメディとも取れるし、雰囲気は暗いですが、気軽に観れば良い作品と思います。
製作側はこのテーマと雰囲気のギャップを意図している気もしますが、もしそうであればなかなか洒落た映画と言えるのではないでしょうか?
最後に、これを書いているうち、同じカナダ製作で、ドッキリカメラ番組のJust for Laugh Gagsを思いだしました。
カナダ人って洒落っ気が強いのかも知れません。
複製されたのは??、、、と考え直して
観賞理由は、中身や監督ではなくメラニー・ロランが出演していたから、でしたが、まずその点で大いに不満。
名前は二番目に記されていたので、ヒロイン的な役回りを期待してましたが、う~ん最後も残念なかんじだし、もう一方のサラ・ガドンさんの方がどうみても目立っていた。若くて綺麗だったからいいけど^^ (カナダ人、今後注目していこっと)
物語的には、私の苦手な伏線回収なしのタイプでした。
主人公はうり二つの自分を偶然見つけると、いてもたってもいられず探すことに。見つけた先に待っていたものとは、、、といったストーリー。
ただ、この映画、見方を間違えると私みたいになんのことやら、となりそう。
従来のミステリー作品と思わない方がいいかも。その意味で伏線は終了しても回収されない。最後の80年代の安っぽいエンドロールで終わった時には、えっ、終わり!?と思ったくらい。意味がわからないシーンも多い。
セリフが少ないし、読み取る材料に気づかなければ、わかんなくなること必須。
他の方のレビューを読んで、そっか、邦題の「複製された男」の頭につく言葉を考えた時に、少し腑に落ちました。蜘蛛からと、つけると意味のわからなかったシーンが少し理解できた。(さっき監督のネタばれ投稿を読んだら、それも違ってたけど^ ^)
冒頭や車の事故、ラストに80年代のエンドロール。その蜘蛛をどう考えるのか、そもそもなんで蜘蛛よってなってきた時に、リピーター券が用意されていたことを思い出して、全貌がようやく見えてきたかんじです。
テレビのサスペンスものに慣れていると、伏線の定義からして違うかんじもしました。そういう意味では事前に予習が必要だったと。
シーンの中で、印象的だったのは、体の傷まで一緒であっても、環境やこれまでの体験などで性格やキャラクターは随分違うんだなと、全く一緒にはならないんだなあと再認識。
その辺主役のジェイク・ギレンホールさんはうまかったと思う。サラ・ガドンさん役の妊婦さん(うりふたつの相手の奥様役)は、旦那が入れ替わっているとなんとなくわかってたけど、言葉を飲み込むシーンも印象的。
最後、SFやスピリチュアルな視野が仮に持てたとしても、私には合わない作品でした。解釈を観客に委ねられているのは、どーもね。何より蜘蛛はチョー苦手^^;
むっつり
原作はノーベル賞作家サラマーゴ。
現代人の超絶な孤独を描いた小説だった。
で、監督は灼魂のドゥニ・ビルヌーブ。
この組合せで想像してた映画とは、ちょっと違ってたなあ。
例えて言うなら、「知的なオジさま」と思ってた人が「むっつりスケベなオッサン」だった感じ。
(サラマーゴの観念的な世界を、ビルヌーブが生理的な映像に作り替えたのがイイ。)
むっつりスケベの「中年クライシス:レーベンスヴェンデ」な本作、そのむっつり具合が面白い。
アンソニーがメアリーを窃視するシーンとか、粘着質な映像で、ホント楽しいなあと思う。
その他、カッコいい遠景(ビル群のシーンはサラマーゴっぽい)、ホラーな音楽、煽るカメラワーク、そしてスパイダーなど、テンコ盛りな味付け。
俳優陣も、ギレンホール、いい具合にジットリしててナイス。
サラ・ガドンがきれい。面倒くさそうな映画は全部ガドンにまかせりゃイイとすら思う。
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原題エネミー=スパイダー=自分でもあり。
スパイダー=女・母性でもあり。そう考えると、I.ロッセリーニの無駄な存在感が光る映画であったなあ。「中年クライシス」というより、遅めの反抗期的な映画だったのかもなあ。
全43件中、21~40件目を表示