「どこまでも疑ってみよう」複製された男 ヒポリタさんの映画レビュー(感想・評価)
どこまでも疑ってみよう
この作品はラストのワンカットに囚われすぎたり、もしくは、邦題によってミスリードされると内容理解が難しくなってしまうかもしれない。
これが決定的な真実だ、とは断定しにくい作品である。
でも断片的に情報をまとめ自分なりの解釈を導き出してみたいと思う。
ネタバレ
見逃すべきでない点はここだと思う。
・役者であるアンソニー宅。夫から同じ声の男から電話がかかってきたとき。「またあの女と会ったの⁈」と詰め寄る妻。
・大学で歴史を教える教授である主人公アダム。母親はブルーベリーを差し出し、「あなたは教師で、立派な家に住んでいる」と言う。しかし主人公の家は非常に簡素である。
・アンソニー宅。ブルーベリーを欠かさず食べている。端役でしか映画に出ていない三流役者なのに、マンションの作り・内装は近代的で洗練されており立派。妻は妊娠中で働いていない。
・ラスト近く、ラジオでは早朝の事故と伝えている。しかしアンソニーの事故は深夜のように見える。ラジオが伝えるのはアンソニーの事故ではない。
時系列がずれており、アンソニーの事故の後にラストのカットがあるわけではない。
…以上から、つまり、教師と役者は同一人物。
母親には役者をしている事は言っていない。
妻は教師をしている事を知らない?
母親には母親の、妻には妻の、それぞれが求める役割を演じようとしてしまい、それが彼を抑圧している。
一人で教師と役者の人生を演じ分けている。
彼は妻が妊娠した事で欲求不満になり、怪しいストリップ小屋に通っている。
それだけでは飽き足らず、バスで見かけた美しい女性の跡をつけ、誘い出し何度かデート(このあたりの描写の時系列が前後している
)
妻は夫の行動に気づいてしまい、多分何度か詰め寄っている。
そこで、自分にそっくりの男がいてその男が女性と付き合っていると妻にかいま見せ浮気を言い逃れようとしている。
が妻はどう見てもアンソニーとアダムは同一人物なので浮気に再度気づき、またアンソニーの言い逃れに傷付きやや不安定になっている。
ラストのワンカット。あれは主人公の恐る女性からの抑圧を表しているのか。
時系列はバラバラだが、事故のシーンが時間的には最後か。
ラストの出勤前のカットが時間的に始めに来るのかもしれない。
この作品の原題は「ENEMY」である。
敵とは誰か?主人公を抑圧する女性(母、妻)か、もしくは欲望に抗えずかといって全てを周囲に曝けだせない自分自身かもしれない。