「カフカの読後感のような」複製された男 REXさんの映画レビュー(感想・評価)
カフカの読後感のような
ジェイク・ギレンホールが出ていること、ノーベル賞作家の原作ということ以外は全く情報をいれずに観た。
最初はよくある近未来SFのように実際に複製された男がいて、謎の組織やらが出てきて私闘でも繰り広げたりするのかと勝手に妄想(笑)、固唾をのんで見守っていた。
しかし、なにか起こりそうな緊迫感が続くも、なかなか何も起こらない。そのうち、いやこれは「二重人格」とかそういう話かもしれないと頭を切り替えて見つつも、なかなか話の核心に迫らない。
図体がでかい割に、サランラップに巻かれたように窮屈でオタオタしたジェイクの演技にイライラ。
映画終わっちゃうよ!早く展開してよ!と焦っていたら最後は蜘蛛で終わり。カフカの変身かと思っちゃったよ。
これはとんでもない映画を観てしまったと思った。
だが落ち着いて振り返ってみると、結構面白い映画だったのかもしれない。
解説サイトで確認すると、やはり男の恐怖心と深層心理を描いた映画だったことが判明。そこには書いていないことを、自分なりに解釈してみました。
【謎とき】
要約すると二重人格の男の話であり、一つの体の支配権をめぐる葛藤を描いたものだと思います。
さて教授と俳優、どちらが本物か。
最初の主格は俳優で、途中で教授にチェンジ。
教授という存在は、売れない俳優が妻の妊娠と不甲斐ない自分の現実に抑圧され、産み出されたもう一人の自分。
⇒冒頭の秘密クラブ、母親からの「いつまでフラフラしているの?」という留守番電話で示唆。教授の自宅には家具がほとんどないことからも妻が妊娠してから生まれた別人格だとうかがえる。
妻が教授に会いに行く⇒教授が建物の影に隠れてから俳優が電話に出ることから、二人同時に存在していないことを示唆。
帰宅後の妻の台詞から、夫に別人格が宿っていることや、もしくは彼がそのように演技しているのではと彼女が疑っていることがわかる。
⇒劇中一度も教授と俳優が同時に存在している場面を、他人が意識的に見ている場面はない。
ホテルでの会合は、どちらが主格になるかのせめぎ合い。
複製された教授は、このまま会話を続けていくと「存在を消されてしまう」とおののき、その場を後にする。
主格となった教授は妻への元へ行き、背徳感に耐えられなくなり、奔放で浮気を止められない俳優を己から抹消する=事故は本当に起きたことではなく、もう一人の自分を抹消した過程であり、それまでの恋人とのもつれの場面は、「このまま浮気を続けていたらこうなることは明白」という不幸のシナリオ。
もしくは、恋人ともつれた場面までが本物であり、そこから先の車の場面だけが俳優抹消の過程かもしれない。
⇒指輪の跡がある!と大騒ぎした不倫相手の女が、自分を捨てた男の車で悠々と送られるのも不自然。
かくして勝利した教授だったが、結局「秘密クラブの鍵」を手にして再び誘惑が首をもたげる。
=誘惑に負けた教授が目にした妻は、自由を絡め取る糸を張り巡らす蜘蛛のように映る。
マンションそのものは無個性になっていくことへの恐怖、妻のいる部屋は抑圧の対象でしかないから、教授が見上げる部屋はいつも恐怖の音楽に彩られている。
【解けない謎】
・教授の職は本物か
妻が大学に行ったときに講義室が空っぽだったことから、すべて妄想だったともとれるし、半年間教授として働いていた可能性もある。だが母親との会話で、「大学教授である息子のあなたと売れない俳優と一緒にしないで」という台詞があるが、それが冒頭の留守番電話のシーンと矛盾するので空想の可能性は高い。
妻に隠れて教授として働いていたのか、教授ごっこをしていたのか定かではないが、「君にそっくりな奴が出演している」と映画の存在を教えてくれた同僚すらも架空の存在になってしまうので、ちょっと判断はし難い。
長々と書きましたがあくまで個人の感想です。原作を読んだらまた解釈が変わるかもしれませんね。
とにかくこの主人公はダメ男じゃん、ということ。