チョコレートドーナツのレビュー・感想・評価
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huluでみた。 「偏見」は嫌だ。 見た目とかだけではなくて、きち...
huluでみた。
「偏見」は嫌だ。
見た目とかだけではなくて、きちんと人間性をみて判断してほしい。
本当に愛に溢れた人は素晴らしい。
このストーリーが実話っていうことが何より悲しい。
ゲイカップルと母に捨てられたダウン症児が差別的な社会にめげずに生き...
ゲイカップルと母に捨てられたダウン症児が差別的な社会にめげずに生きていく話。女装シンガーの熱唱にはじまり熱唱におわる。お涙頂戴ものなのに、一生懸命な自分と悪い社会という露骨で単純なつくりに、一粒も泣けなかった。これに感動した人がたくさんいるなんて、世の中は広いな。2点
切なかった
偏見と差別が根強かった1970年代に本当にあった実話‥
育児放棄でいつも孤独だった知的障害のマルコゲイカップルの2人が本当の家族以上に愛情をもってマルコと過ごす
それを偏見で引き離す‥そしてラスト(泣)
切なすぎた
ゲイというだけでマルコを守れない。 その痛みがひしひしと伝わってく...
ゲイというだけでマルコを守れない。
その痛みがひしひしと伝わってくる。
マルコの表情の変化が何よりも魅力的だ。
「これ、僕の部屋?」と尋ね、そうだよと言われたときのあの表情。徐々に2人と打ち解けていく様子。
結末は悲しいが、いい話だった。
チョコレートドーナツ
時代は変わる
とても素晴らしいお話です。偏見はありました。正直、同性愛者と障がい者の話なので、人に勧められていなかったら見ようとは思わなかったです。後から知った事ですが、監督は17歳のカルテと同じ監督でした。精神障がい者を題材にした類の映画かと思いました。障がいを前向きに捉える映画かと考えつつ、映画を見ました。ぽっかりと開いた心の穴が愛で満たされていきました。生きる希望がもらえます。気持ちのいい気分になれる名作映画です。おもしろかったです。1979年のアメリカ、カリフォルニアの話。育児放棄されたダウン症の子供をゲイのカップルが育てるという話。ゲイのカップルが障がい者の子供を育てると言うのは、正直、僕は距離感を感 じました。それをキャストは明るく楽しく魅せてくれるので、僕が当初感じたこの映画への不安はとっくに払拭されていました。1970年代のアメリカ・ブルックリンで実際にあった話です。実話を元にした話の映画化と言うのが説得力があります。創作の小説が原作ならここまでの興奮はなかったのかも知れません。アメリカは、数々の折衝を起こして乗り越えて今の自由がある国です。人種差別然り、寂しい現実だとは思いますが、何事も人と違うという事は差別の対象になり得ます。同性愛。ドイツでは100年以上刑法で禁じられていた人間の性です。歌手を夢見るショーダンサーのルディと、ゲイである事に後ろめたさを感じるポールが、薬物依存の母親に疎まれているダウン症のマルコを通じて、障がい者 差別・同 性愛差別と言った社会問題に立ち向かうと言う話です。温かい気持ちになります。それから世間の冷たさを現実味を持って実感します。世界の片隅で家族になった3人の実話を元にした時代を変える話です。同性愛者の不利益を社会に認めさせようとする黎明期の出来事です。時代が変わったから今があるのです。自己の尊厳を賭けて法律と闘う姿は本当に格好いいです。時代は変わる活路を垣間見ました。チョコレートドーナツを見て、僕は熱い勇気を感じました。
ドラァグクイーンと弁護士と、ダウン症
ドラッグクイーンのルディ役のアラン・カミングが素晴らしいです。アラン・カミングの存在感、演技、歌唱力に感動をします。お金や力のない者も、愛だけは手に入れる事が出来る。映画の挿入歌であるアラン・カミングの歌が素晴らしいです。社会の不条理にとらわれながらも、これは間違っていると信じ、きっともうすぐこんな不条理から解き放たれる時代が来る、と歌っています。アラン・カミングが歌う、ボブ・ディランのI Shall Be Releasedは、圧巻です。自由を掴み取るという意思が伝わって来ます。自由になる。音楽も力強くてこの映画の素晴らしい演出になっています。そして、アラン・カミングは様々な表情を見せてくれます。笑ったり、困ったり、怒ったり、憤ったりと喜怒哀楽の表情が素直で真っすぐでした。アラン・カミングこそ、ルディ役に最も相応しいと納得をします。
マルコを演じる、自らもダウン症のアイザック・レイヴァも素晴らしいです。屈託のない表情をしています。楽しい時は、心の底から笑っています。怒られている時は、実に寂しそうに・・・。アイザック・レイヴァの演技は、演技ではないと感じます。見せかけなのではなく、ただ体で表現しています。マルコは、映画の中で台詞は多くないです。言葉数は非常に少ないです。それなのにマルコの存在感には圧倒されます。それは、マルコの持つ、言葉ではない表情から伝わるものの占めるウエイトがひとかたならず高いからです。一見、マルコは何を考えているかがわからないです。ルディは、マルコをとてもかわいがりますが、当初はそこまでする理由が僕には分からない程でした。マ ルコの笑顔には、こちらも温かい気持ちになる不思議な力があります。アイザックには、まわりの人を幸せにする無垢な存在感があります。
それから、ポールを演じたギャレット・ディラハント。弁護士と言う難しい役を力強く演じています。アラン・カミングがこの映画をひとりで盛り上げている印象を受けますが、3人すべてが素晴らしいです。マルコに対し、食事時に子供にチョコレートドーナツなんて食べるものではないと注意するルディから、そんなことがあってもいいと言って、マルコを庇うポ ール。大人の良識が必ず正しいと言うわけではない事を指しています。食事時にチョコレートドーナツを食べる事がよくないと言う固定観念が必ずしも正しいのではないと言う事。この場面はこの映画、最大の印象の深い温かいシーンです。同性愛者も、障がい者も関係ない、とても穏やかな幸せな食卓です。ポールの、差別と偏見で満ちた世界を変えようとする「正義で世界を変える」情熱を取り戻す場面は、いよいよこの映画が面白くなってきた頃でした。法律の下で、ルディとポールはマルコを自分たちの子供として育てる事は難しいとの判断を受けて、マルコを取り上げられてしまいます。自らの尊厳を守り、判決を覆すために、ポールとルディとマルコは法律を相手に戦う事を決意します。3人の力強い躍動 感がいっぱいになります。前向きな気持ちしかないです。一昔前には、理解されずに、差別が当然であった障がい者差別・同性愛差別、僅か数十年前の事 なのに、時代は変わっていきました。日々世間の常識や風当たりと言うものは変わっていきます。これを今の時代に当てはめたらどうなるのかと過ぎりました。財政破綻の話題が尽きない昨今、障がい者をはじめ、社会福祉問題や社会の弱者への風当たりはきつくなっています。このまま近い将来、福祉への前向きなサービスはなくなってしまうと言う不安を感じます。弱者は切り捨てられていくと言う世相の中、この映画を見て僕が感じたのは、未来は明るいと言う希望でした。一昔前には空想と思われていた話も暫しの時間を得る事で認められることになるものらしいです。100年までもいかないものの、数 十年 先には、同性愛や障がい者への差別に対して、理解はある事だろうと言う姿を見て感じました。人種、業種、別にドラマは十人十色で、怒り・喜び・悲しみ、笑い。ありとあらゆる感情を飲み込み、人の歴史が躍動していく姿です。チャンスはみんな平等だと思うのが当然です。
人と違うという事を胸を張って生きると言う事
当時はゲイであることが逮捕される十分な理由となり、前年の78年には、同性愛を公表していた政治家が暗殺されていました。同性愛と言う形を考える事が出来ない時代でした。ポール・ルディ・マルコの3人の前に、容赦なく差別や凝り固まった偏見が立ちはだかっていました。
障がい者であり、同性愛者である事。人と違う事は、それは差別を受け得る事なのかも知れません。ダウン症と言う障がいのせいで、人と同じ事が出来ない。ダウン症のせいで、人と同じ寿命を全うできない可能性が高い。健全な社会人ではないと言う辛辣なレッテルを貼り付けられても果敢に法律に立ち向かう姿は、見ていて際限なく胸が熱くなります。
ゲイのカップルが、ダウン症の子供を育てるという事に気が済まない司法は、薬物依存になって育児放棄をしたと言っても母親なので、母親にマルコの永久看護権を与えます。世間の3人を見る目は冷たいです。厳しいなんてものではないです。酷い。冷酷です。嫌気がさすのが当然です。ルディは、ゲイと言うだけで不当に扱われて差別されている事を主 張します。一方で ポールは、差別ではなく、それが社会の現実なので仕方ないと主張をします。ルディとポールがゲイであることを公表すると、周りの態度は一変してしまいます。掌をひっくり返したように周囲の態度は変わるので、唖然とします。人間が嫌いになる瞬間です。
結局、マルコは育児放棄をする母親の元へと渡された後、ここは「おうちじゃない、おうちじゃない。」と言います。マルコが何を言っても誰も聞いてくれません。マルコは、「おうち」を探して母親の元を離れて彷徨い歩きます。そしてそのまま命を落とします。マルコの悲惨を新聞記事によって知ったポールは、裁判の関係者に事実を記した手紙を送ります。不謹慎な態度しか見せなかった法律家たちは、ポールの手紙を読んで自分の仕事の非情を知ります。感情はあっても、そうする事しか出来なかったのであり、判決は至極当然のものだったので、誰も悪くないのが現実です。差別は差別ではなく、偏見もなかったのです。誰もが、マルコを守る事は出来なかったのです。正しい とされている通りに事を進めたのに、ダウン症の子供の命を守れませんでした。嵐から守る盾になるルディの意思が無残に潰えました。
途中、ポールが感情的に「背が低くて太った知的障害児を引き取る人なんてだれもいない。自分たちを除いては。私たちには必要なんです。」と訴えるシーンがあります。理屈屋のポールが、感情的に言う台詞が印象深いです。受け入れがたい現実を受け入れなければ生きていけない社会が寂しいと思えます。ハッピーエンドではないけれど、幸せはたくさん描かれてあります。寂しさがあるから幸せの引き立つ素晴らしい映画でした。
ルディとポールが女性判事に法廷で言うセリフはものすごい印象深い。 ...
ルディとポールが女性判事に法廷で言うセリフはものすごい印象深い。
差別を題材にしていてメッセージ性が強い映画だけど、明るい雰囲気がどことなくあった。
3人の関係性がそう思わせていると思った
この世は差別で満ちあふれている
英国の個性派俳優、アラン・カミング主演。
歌手を目指しながら、ショーパブでドラァグクイーンを演じるゲイの男性が
ひょんなことから知的障害を持った子供と出会い
勤め先に客として訪れた、後のパートナーの男性と3人で一緒に暮らし
やがて本当の親子のように絆を深めていくが…
正直、見ていてきつかったですこれは。
今でこそ、セクシャルマイノリティーに対する偏見というのは
徐々に和らいできていると思いますが
この映画の舞台である1970年代は相当彼らに対する
偏見、差別がきつかったのだろうなと思いました。
母親の薬物問題で、育児放棄状態であったダウン症の少年マルコを
血の繋がりもない、しかもゲイである男性2人が引き取る。
法律の知識が無くとも、差別社会であるアメリカでは容易なことでないのはわかります。
しかし、映画の中で描かれる主人公カップルは
とても愛に満ち溢れていて、一片の曇りもない想いがありました。
まるで本当の親子のように。いや、それ以上かもしれません。
ですが、社会というのは厳しい…
これがもし男女のカップルだったら?
誰も何も言わないのでしょうか?
だけど、そんなものは個人個人の価値観であって
ゲイであることと、子供を育てることには何の関係もないことは
少し考えればわかるはずなのに。
この映画を見て、差別というものはおそらく
これから先、完全になくなることはないのだろうなと思いました。
先程、セクシャルマイノリティーに対する偏見は
徐々に和らいできていると言いましたが
現実的にはまだまだ理解が得られていない状況だと思います。
僕自身はゲイではありませんが、特に偏見を持ったことがないので
差別自体、非常に理解に苦しみますが…
各国の映画祭で絶賛された作品ですが
僕はこの作品を手放しで称えることができません。
映し方は確かにリアルですし、役者の演技にも魂を感じましたが
こういう現実が、未だに起こり得るかもしれない世界だからこそ
この作品が生まれたのかなと思うので。
ですが、この作品を見たことは後悔していません。
差別や偏見は醜いということを、改めて実感することができたから。
「気持ち悪い」と思ってしまう自分も世の中の一部
ゲイの恋愛もダウン症も、手加減無しでリアルな描写で描いているのは大英断です。
そこをオブラートに包んでしまったら、この作品の訴えたいことに繋がらないでしょう。
やっぱり男女間の話ならスッと入ってくるんですが、男と男の恋愛を見せられると、違和感や気持ち悪さを感じてしまいます。
そう思ってしまう僕の存在も込みで事実なんですね。
常日頃、頭では差別は許せないと思っているんですが、いざゲイの恋愛を見せつけられると「うわっ!」と引いてしまう自分がいます。
世の中の多くの異性愛者がそんな人たちである中で、彼らが自由に過ごしていくにはどうしたらいいのか考えなくてはいけないのでしょう。
登場人物全員がキュートで魅力的。 5歳年上のダウン症の女の子が近所...
登場人物全員がキュートで魅力的。
5歳年上のダウン症の女の子が近所にいて、その人のことを思い出した。保育園のときから一緒に遊んでた。私が高校にはいってから通学バスでよく会うようになって色んなことを話しながら帰った。上京してずっと会っていないけど、元気にしているのだろうか。
私は天然ボケとよく言われる。不思議ちゃんとか。私からしたらそう思うあなたの方が不思議だ、と思ってしまうことがあるが、、、そんな経験のある私はダウン症とか、ゲイとか、そういう人が世の中の「普通」な人に後ろ指さされる辛さが想像できる。私よりずっと辛いのはわかっている。
こんな世の中に負けまいと必死に生きる3人。応援してくれる人も中にはいるが、結局世の中の大きな波はマルコと二人をバラバラにしてしまった。いつになってもこういうことは絶えないのかもしれない。皆が努力を続けなければ。
もう目を覚ますべき。いつまでこんな世の中を繰り返すつもりだ。
これは漢気の映画なのだ
本当は自分はこうしたいのだけれど、今は世を忍ぶ仮の姿。ルディとポール、二人のゲイはそのようなものを抱えて生きている。
他人に迷惑をかけない程度に思ったことを口にし、気持ちにそぐわないことはしない私には想像を絶するストレスである。
ポールはゲイであることを隠しながら仕事をしなければならないし、ゲイとして生きているルディにしたって、本当は歌いたいのに、仕事は口パクショーのドラッグクイーン。
逮捕されたシングルマザーの一人息子はダウン症のマルコ。ゲイの存在そのものが法律で認められていなかった時代には、この子を家族として引き取りたいという二人の願いはそのまま社会への異議申し立てとなった。
彼らの戦いは最初から勝ち目がない。しかし、「男なら負けると分かっていても戦わなければならない時がある。」(キャプテンハーロック)と同義の言葉が、彼らの弁護士の口からも出てくる。
「正義などない。そこから戦いが始まる。」自分を守ってくれる正義などない。被害者の顔さえすれば誰かが助けてくれるような甘い現実ではない。
そのことを知ったときから人の戦いが始まる。
あえて言う。漢気という言葉が現代社会にも有効だとすれば、彼らの挑戦こそ漢気を示しているものに他ならない。男であることを捨てている二人のゲイが、男の中の男でなければ挑むことなど出来ない、負けると分かっている戦いに挑むのだ。
いくつかの同性愛を扱った映画を観て、いつも熱いものを感じる理由がここにある。どうしようもなく女好きのスケベである自分が、ゲイの映画を観て熱いものを感じて共感するのはなぜか。
彼らの社会への異議申し立てには味方が期待できない。それでも自らの尊厳を賭けて戦わなければならない。そこに挑戦する勇気。
たまたまマジョリティーの側にいる自分が、なにかの拍子にマイノリティーになることがあるかもしれない。その時に、自分はこの勇気を持つことができるか。戦えるか。その問いを突き付けられている気がする。
涙など流してはいられぬほどの彼らの無念、自らへの厳しい問いを感じた。
78点
せつないね。
最後死んじゃうのはつらいね。
実話ならではのストーリー。
泣けなかった。
泣けるように作られてないのだったら
涙が欲しいんじゃなくて事実を
訴えたいんかなって思う
マルコ可愛すぎた
ラストの歌声が、すごく力強くて、そして寂しそうに大好きな家族の家を...
ラストの歌声が、すごく力強くて、そして寂しそうに大好きな家族の家を求めさ迷うマルコの後ろ姿が印象的で、胸がしめつけられて苦しかった。
今でこそ差別が少なくなってきたものの、まだまだ世界には差別がある。
大切な家族を守りたいそれだけなのに、人と少し違うからという理由だけで引き離されてしまう。マルコの幸せを一番に考えるべきなのに、そう何度も訴えかけるのに。ひたすら悲しくてつらかった。改めて差別について考えた作品でした。実話を元にされてるということ、昔はもっと差別がひどかったんだよなー。
ドーナツ食べたい
同性愛者で何がいけないんだろう、知的障害者で何がいけないんだろう、人と違うことが罪なのですか
普通の家族よりも本当の愛に満ち溢れた家族を、ただ「人と違う」、それだけで引き離して何が楽しいのですか
何が正しくて何が不正であるか、勝手な偏見で人の幸せを奪い、不幸へと陥れた罪はとても重い
最近になって受け入れ始めたものの、まだ世の中には多くの偏見、差別が存在しています
私たちはしっかりとその問題に向き合い、解決していかなければならない、そう思いました
決して明るくて楽しい作品ではないです
それでも観た後は心に残る、暖かい家族のストーリーでした
温まる
本当に愛に溢れた人は素晴らしいなぁ。素敵だなぁ。
自分が差別を受ける立場にあったからこそだろうけど、弱者のために奮闘する姿はすごくかっこよかった。
自分にだけは恥じることのないよう生きたいなと思えた映画だった。
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