チョコレートドーナツのレビュー・感想・評価
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差別、偏見は良くない。けれどそれぞれの正義もまたあるのかも。
お話では、マルコの自由や尊厳は認められず命まで奪われてしまいました。同時にルディーとポールの親としての存在も認められていないように感じ、悲しく思いました。
しかし最後の方で、黒人弁護士が「正義なんてないって、法律学校で最初に教わらなかったか?」「それでも戦うんだ」と言っていてまさにその通りだと思いました。
見る観点が違うことで、正義にも、悪にも、なってしまう…そんなことを考えさせられました。
この作品を見終わって、せめて私だけでも、他人への偏見や差別は持たないようにしようと思いました。
マルコ~、うますぎるよ!!
マルコ~、演技がうますぎるよ!! 演技じゃないかな。でも、とにかく凄いよ~!!
いやあ、感動した。感動した。感動した。
当時(2012年)は、電通がLGBTという言葉を認知しているかの調査の第1回を行った年。自分は当時、残念ながら自信をもって、LGBTに理解はなかった。まさに無理解。たった8年前なのに。この映画に渦巻く無理解で冷酷な周囲とまったく1mmのズレもない。今だからこそ、こうやって観ているが、当時の俺は、毛嫌いして観なかっただろうし、観たとしても、一言、「気持ち悪い」で終わっていただろう。
そんな俺が今はこうして、観て共感して、感動している。映画のおかげだ。俺へのLGBT教育は、ほんとうに映画がしてくれたと思う。この5年間観てきた映画で、多くの学びを得た。次から次へと映画を観ていくことは、LGBTの理解というか、"差別とはなにか" を俺にわからせてくれたように思う。ゆっくりとだが、確実に。ありがとう、映画。
誰にとっても、「自分のために」観る価値があると思う。差別のない世界をめざすために。
「ある一人の人間について知ったうえで、知恵を絞ってください」(少し意訳)
「家に帰るのなら、道が違うわよ」このセリフが、こうラストにつながるとは…。
子を産んだだけで”親”になるわけではない。だから「子育て」は「(親自身の)個育て」とも書くという。
昔、放送大学で聞いた講義で「子が育つには、母性と父性が必要だ。けれど、母性を男性
が担ってもいいし、父性を女性が担っても問題ないという、(幼児を対象とした)調査結果がある」と聞いた。
そんなことを思い出した。
そんなことを裏付けるように、ルディとポールの表情がどんどん変わってくる。
正直、わざと毛むくじゃらのままにしている?と思いたくなるような、むさいルディ。最初の登場で、女郎蜘蛛かカマキリかという目力の勢いでポールを落とす。それが、ラストのシャウト直前の、鏡の前の表情。ちあきなおみさんか?と目を疑った。酸いも甘いも生き抜きながらも微笑んでみせる深みのある女性にしか見えなかった。うっすら無精ひげは健在だというのに。
はじめは、ルディを遊び用として接近してきたようにみえるポール。マルコに対しても他人事⇒ルディへのご機嫌取り。なのに、いつの間にか”父”そして”人生のパートナー”の顔になっている。
「ゲイカップルが障害児を育てた」という1970年代の実話と、監督カップルが養子を迎えようとした実話をベースにした映画と聞く。
『きのう何食べた?』のシロさんが常に備えているような老後の心配から、養子を迎えようとしているのではない。
ルディがマルコを手元で育てたいと希望する理由は「ひとめぼれ」以外には言葉では語られない。でも、表情で語ってくる。
”世間並”ではないマルコ。常に母から、ぞんざいな扱いを受けて隅にいるマルコ。ルディは自分を重ねたのではないだろうか。自分の性的嗜好をうまく隠し、社会に居場所を作っているポールに比べ、隠せない?ルディ。自分が親からやってもらいたかったことすべてをやってあげたかったのではないか。ありのままを認めることも含めて。
施設。
物語の中の施設で思い出すのは、『赤毛のアン』・『あしながおじさん』・映画『この道は母へと続く』…
今ではそんなに待遇も悪くはあるまい。とは思うものの…。
漫画『凍りついた瞳』にもあるように、児童福祉は、日本なら18歳で打ち切り。自立を求められ、昔の日本なら、住むにも、就職するにも、保証人を求められた。けれど、身寄りのないものは?今でこそ、お金で解決できる保証会社があるけれど。1980年代には、それゆえに日雇い等での稼ぎがありながらも木賃宿や路上で生活せざるをない人々がたくさんいた。
マルコの場合は?成人したら、日本なら、障碍者福祉という行政分野に移って、NPO法人系の人々のお世話になるんだろうな。でも、マルコが生きているこの年代・この土地ではどうなる?福祉的援助が続いたとしても、同じ人に支えられてなんていう望みはあまり考えられない。物流の”物”みたいだ。その時々の制度に合わせて配送先が決まる。
もちろん、ルディ・ポールの方が先に逝く可能性はある。けれど、彼らなら、そのことも見越して、一番負担ないように、マルコの居場所を用意しそうだ。映画『海洋天堂』のように。
親になるということはそういうことだ。自分が寂しいからとか、見栄とかの為じゃなく、子のありのままを認めて、子と一緒に成長して、子が受け入れやすい準備をすること。
雨露がしのげ、衣食住が保障される場所があればいいという問題ではない。勿論それは最低限の必要。
裁判。
ある法学者がその講義の中で「情が切れたときに、法が出てくる」と言った。
法で解決できる・答えを知ることができることもあるけれど、万能じゃない。
最近の、野田の虐待事件の裁判でも、相模原の虐殺事件の裁判でもそうだけれど、「それを法に照らし合わせるとどうなのか」しか論議されない。なぜそんなことが起こったのか、最善の方法は何なのかを調べる場所ではない。
この映画の裁判を見ていると、素人ながら、そこの反論こうすればとかつい口出ししたくなる。「あなたは子どものためにハロウィンで仮装しないのですか?」とか、「この人形をマルコに与えたのは?」とか、8ミリ録画はなぜ証拠として採用されていないとか、診察した医師を証人にしないのかとか。とか、とか、とか。熱くなる。
マクロな視点ではなく、その証拠が法的にどうかというミニマムな視点。痴漢・レイプ・DVの裁判でも、この小さな論点が、被害者に有利になる反面、場合によってはセカンドレイプにもなる。
親権をとるためには、法的な手続きが必要なんだけれど、法律では人生は図れない…。
この映画だけを見ると、麻薬常習者よりもゲイの方が環境に悪いって言っているように見える。けれど、これが、麻薬常習者カップルVS同性愛カップルの親権争いなら、両方却下だろうか。1970年代、今より同性愛へのあたりはきつかった。反対に、ピッピー等の存在により、コカイン・ヘロイン・大麻…麻薬等に対しては今より許容的だった。児童虐待の講義を聞くとほぼ必ずと言ってよいほど最初に説明されるヘンリー・ケンプ医師の『被殴打児症候群』がUSAで報告されたのが1962年。でも、それが一般的に認知されるはもっともっと後の時代…。
法は、私たちを守るもの。だから守らなければいけないと学んできたはずなのに。
ゲイカップルへの差別を描いた映画という人もいる。
でも、私には、目の前の人を大切にするということはどういうことかを、胸に刻む映画だった。
3人の、お互いを必要とし、お互いの幸せを考え喜び合う家族と、法的に”正しい”とされる人々とのズレや、マルコの顛末を、観客の胸に刻むために、あえてそうしたのだと思われるが、
マルコが天使過ぎて、ダウン症特有の子育ての困難さがまったく描かれていない。子育てを描いた映画ではないのでいいのかもしれないが、その困難さがあっても家族となりたい覚悟が描かれていたら、もっと「マルコのことについて考えてください」が地に足ついたのになとも思う。なので、-0.5。
尤も、二兎を追うもの一兎も得ず。配分を間違えると瓦解する。
マルコと過ごした日々をファンタジーとして胸に焼き付けるには、これが一番よかったのだろう。
愛を知りたい人は観てほしい。
(引用セリフは思い出し引用)
何度見ても涙なくしては観れない…
何度見ても、得るものがある作品。
最近やっと、社会が多様性を受け入れようとする動きが出てきてはいるが、
そもそも、「多様性を受け入れる、認める」と表現すること自体が傲慢であると気づかされる作品。
さらには、
「正しさ」とはなんなのか。
「愛情」とはなんなのか。
「法のもとの正義」とは?
「常識」とは?
「誠実さ」とは……?
個人にとっての最善の生き方、幸せは誰にも制限されるべきではないし、当事者以外が個人的な思想や常識を押し付けて型にはめてしまうというのは、どれだけ罪深いのか…
いま一度、これまでの自分の振る舞いを省みるきっかけになれる作品だと思う。
常識や経験は正しいとは限らない
偏見や憶測について考え方を変えられた映画
法律や経験談が必ず未来を捉えられるわけではない。
触れられはしなかったが高校でゲイだと気づいたドナテロの今までの生涯がひしひしと台詞や行動に現れていた。
愛情のままに動こうとする姿勢はかっこいい。
静かに沁みる
ようやく観た。
というか、こんなに素晴らしい作品を今まで観なかった自分を叱りたい。
何度も感じたマイノリティーへの偏見に対する怒り。ポールが静かにタイプし、手紙を読むシーンに胸を打たれた。
こんな理不尽な判定ありえない!あの憎たらしい上司役の勝ち誇った顔!憤りは尽きない。
せめてその後は偏見をはねのけるために正義に燃える弁護士になったと思いたい。
マルコの表情がすごくいい。原題とかなり違うのがちょっと残念だけど、チョコレートドーナッツを見るたびにマルコとこの映画を思い出すのは間違いない。
万引き家族で描かれた家族の定義をもう一度考える
個人評価:4.0
自分自身がLGBTの人達に対して、どのような考え方をしているのかを問いかける作品。
自分が判事ならどう判決しただろうと。
実の母親を前にして、マルコを引き取りたい気持ちの根底は、どこから来るモノなのか。
純粋にマルコの為なのか、それとも子供を産めないゲイのカップルの愛の象徴だったのか。どの様にも捉えられ、見る側も判断できない。
しかし、本作で1番伝えたかったテーマは、そんな大人達が集まって考えた決断でも、小さな命を守れなかったという事実。
本当の家族とは?血の繋がりだけが家族?そうじゃない。自分で選ぶ家族もあるはずだ。本当の家族になれるはずだった3人。それを認めない世界。
是枝監督が万引き家族で描いた家族のあり方を、別の角度で描いている。
劇中最後に母親の場所に帰り「自分の家じゃない」と訴えたマルコの言葉が印象的だ。
好きな映画の話で、必ず話題に挙げる映画の一つ。
学生の頃、友人も恋人も連れずになんとなく初めて1人で映画館に立ち寄った際、
偶然観た映画がこの映画で本当に良かったと、今でも幸運に感じる。
誰かと一緒に観るというよりは、1人でじっくり観るべき映画だったから。
アラン・カミング演じるルディは、観ているうちに女性にしか見えなくなる。
彼の纏う雰囲気、溢れる母性が、
どの女性よりも女性らしく、強く、温かく、そしてとても美しいと感じる映画だ。
彼のその演技、歌唱力はこの映画の見どころであること間違いなし。
そして私もいつかルディのような、真っ直ぐな愛のある「母」になりたいと、強く思う映画だった。
マルコ、ルディ、ポールの3人は、周りからしたら少しばかりいびつな家族に映るかもしれない。
「1人の人生の話だ。
あんたらが気にも留ない人生だ」
裁判官、検察官、ポールの元上司、そしてマルコの戸籍上の母親・・・。
法に則り、固定概念に縛られ、正義を振りかざしているつもりで真実の愛を見ようとしない、見ることができない哀しい人たち。
本当は彼らにとって、マルコの人生とは、この裁判が終わったら「気にも留めない人生」でしかないのなら。
これまで数え切れないほど裁いてきた、ちっぽけな人生の一つでしかないのなら。
どうかそんな必死になって引き裂こうとしないで。
偏見や差別で彼らを隅に隅に追いやって、世の中から弾き出したのは誰?
それは偏見や差別を持つ彼らのような人々だ。
彼らによって弾き出された先で、世の中の隅っこで、やっと見つけることの出来たささやかな幸せだ。
それなのに、これ以上何を奪いたい?
どうすれば気が済む?
マルコの死は、マルコを死に追いやった彼らに束の間の罪悪感を与えるかもしれない。
しかししばらくするとそんなことなど忘れて、マルコの人生など「気にも留めない人生」の一つとして記憶の奥に埋もれていくのだろう。
マルコの死が彼らに与える影響は、残酷で悲しいことにその程度のものなのだろう。
あまりに残酷なラストの傍ら、チョコレートドーナツを頬張ったマルコの笑顔を思い出す。
映画や小説のバッドエンドというものは嫌いではない。
しかしマルコの人生は、どうしてもハッピーエンドであってほしかった。
今の時代に見るからこそ、余計心に刺さる。
「泣ける話」という口コミと、長髪男子が微笑むポスターは知っていたけど。
マイノリティーな感じの話だし、ドーナツがどうしたの?。
と見逃していた自分に、喝!
まずポスターの青年が誰か気づいてませんでした。大好きなアラン・カミンとは。ますます喝!
いろんな人がいろんな生き方で、日々過ごしている今。
当たり前になりつつあるのは、過去にいろんな人が涙してきたからこそなんだな。
弁護士ポールは、最初ゲイであることを職場に隠し。ルディをいとこ扱い。
職場にルディとカップルであることがバレ(ここの上司が嫌味男)、クビに。
「偽りの人生を捨てて本当の自分に。今こそカミングアウトして、世界を変えよう」。
ルディの胸を張っている生き様が、かっこいい。
そんな二人とともに生活し、たくさんの愛情を受けてきたマルコ。
「寝る前にお話しして。ハッピーエンドがいい」。
健気じゃありませんか。
3人で過ごした1年間。多分8ミリで撮った記録が、胸をざわめかす。
「こんな幸せな日々は、そんなに長くは続かないんだろうな」って。
マルコを誰が育てるか。ルディたちなのか、それとも。
裁判の場面が多かったのも、意外な展開。
「深い愛って、なんだ?」。
今の時代に見るからこそ、余計心に刺さる。これを泣かずしてどうする。
実に奥深い作品。是非。
洪水警報な話
今の世の中、TVにフツーにゲイが出ているのに、
この映画の世界の70年代アメリカの容赦無い差別と偏見には、
かなり怒りがこみ上げます。
それでも必死で生きてるルディとポール、そしてマルコ。
マルコが笑ってくれたらそれで良い、そう思える映画です。
この映画、予告編と評判で期待値が高くて、
その期待値超えてきた映画は初めてでした。
話の結論は兎も角、サイコーな映画でした。
良い話じゃないけど、多くの人に観てほしい。
情の厚い主人公の魅力ったらないよ!
凄く良かった。
孤児の少年を必死に助けようとする主人公には頭が下がる。
冤罪に怯えたり世間体を気にしたりして、小さな手助けさえも戸惑ってしまう自分が恥ずかしく思えたね。
たった1人でも誤った相手の耳に入れば、、、
マルコの担任この言葉が戦いの合図。
3人で過ごせたはずの家族の時間が奪われている描写
養育能力のない母親より、同性愛者が社会で受け入れられない現状に憤りを感じた。
2人が窮地に陥っただけではなく、マルコが犠牲になってしまった。
ハッピーエンドが大好きなマルコの結末に、辛い余韻が残った。
赤の他人
常識と非常識、意味合いは立場によって異なる筈で正しいとは多数決で決まるのか?
最悪な結果を招いてしまった後、常識を持った方々はどんな気持ちで手紙を読んでいたのかなぁ。
マルコは最後まで、自分が可哀想で苦しくて理不尽な目に遭っているとか思うことも理解出来ずに、、、。
理不尽で不愉快で常識ヅラして正しさを主張する人間には嫌気がするし、非常識と蔑まされても少数派の側にいたいと思える。
母親側だけは真っ向、反対だけれど。
桜井薬局セントラルホールにて鑑賞。
【余りに切ない物語だが、そこから問いかけてくるものを考えさせられる作品】
-2019年でも続く、児童虐待。-
しかしこの映画ではその問題に対して、マイノリティのカップルが救いの手を差し伸べているところに涙する。
切ない結末が提示されるが、これが現実、スクリーンから"何とかしろよ!"と言われたような記憶がある。
中途半端なハッピーエンドに終わらせなかった所に、この作品を作った方々の矜持を感じた作品。
<2014年10月11日 劇場にて鑑賞>
裁判も偏見で判決が変わる。
LiLiCoがこの作品で号泣したというのを見て借りてみた。
薬物中毒と太ったダウン症の親子と、弁護士と女装シンガーのゲイカップルをめぐる話。
薬物中毒の母親が逮捕されてダウン症の子だけ残されたことを知る隣人の女装シンガーが引き取ることになるが、1970年代の偏見がまだまだある世論の中で、裁判でも一度は保護者として認められるが、母親が出所した途端に引き裂かれる。
母親は再び薬物中毒に、息子は廊下に出されてカップルの家を探し求めて3日後に遺体となって発見される。
号泣はしなかったものの、いろいろ考えさせられる作品である。
何が子どもへの悪影響なのか。
薬物中毒の母親を目の当たりにすること?
それともゲイカップルの生活を目の当たりにすること?
久々にいい作品に出会ったなー。
タイトルなし
新しい机を買ってもらって嬉しいシーン、
DVDをポーズしてしばらく泣いたよ。
感動してむせび泣いてしまいました。
世は 実の親が子供を虐待して殺してしまう時代です。
「親子の愛」は自明のものでも本能でもない事の証明が、毎日のニュースで嫌というほど僕らに突き付けられています。
もしかして
一緒に暮らそう、
愛し合う努力をしよう、
家族として守り合おう。
・・こういう理性の決断の伴わない家族―一般的な無自覚な家族―は、実は本当のところ、血はつながっていてもどこか非常に危うい落とし穴を抱えているのではないかなぁ。
保護の必要なマルコをどこの誰に託すのがベターなのか、この映画を観た各人が自分の答えを出すべきなんだと思います。
それは
「あなたが手を挙げるべきなのかもしれない」
という選択を含めて。
エンディングは
どうして?!
どうしてよぉ・・・涙でした。
僕の映画人生で大切な1本です。
愛に満ちた瞳にえぐられました
アラン・カミングが美しすぎて…
マルコを見るあの愛に満ちた瞳、眼差し、この作品はその説得力に尽きると思います。
そしてあんな風に、常に毅然としていられたら…って思います。
映画を観てるときは、判事とか相手方の弁護士とかホントに腹が立って、なんでそんなに反対するんだ!って思うし、この愛情で結ばれた3人に、絶対幸せになってほしいって心から思える。
でもじゃあ、一旦冷静になって、もし自分の身の回りにーー例えば近所の子とか知り合いの子でーー両親を失ってゲイの夫婦に引き取られる男の子がいたとしたときに、それが本当にベストな選択肢なのか?その子の将来にとって幸せか?とか、やっぱり疑念を拭いきれないであろう自分がいて、劇中でも「変な所を触られたりしなかった?」ってマルコが面談で聞かれてたけど、正直私にもその心配が一瞬よぎってしまうと思う。
残念ながら、完全に偏見です。ゲイと幼児性愛者は違うって知ってるのに、です。我ながら偽善的でイヤになります。
そういう所をえぐられた事も含めての星。
マルコの最期がとても唐突で冷静で、そのあたりが私としてはマイナス評価ですが、代替案が浮かばないのも確かで、これがベストなのかも知れません。
あ、あと個人的には、マルコは母親に愛されてなかったわけじゃないと思いました。2人がサインもらいに面会に行った時の、マルコのことを気にかけてる様子、あとオカマ野郎呼ばわりしてた相手なのに、世話をお願いする事に決めたこと。
マルコに幸せに暮らしてほしいとは思っていたはず…
結末から言って、母親失格なのは1000%間違いないけど。
『チョコレートドーナツ』ってタイトルにまでなっているから、🍩何か重要なメタファーなのかと思ったのですが、すみません私には読めませんでした。分かった方、教えてください…
家族を求め続けた家族の映画 。切なかったしマルコの好きなハッピーエンディングじゃなかったけど、いい映画でした。
立ち上がって拍手を送りたいです!👏🏻👏🏻👏🏻👏🏻
優しさを思い留めないで
ルディとマイクは、いつかを待つ事なく解放されています。
ルディとマイクは悲しみは癒えていないけど、前を向いて歩き出している事が最後の歌と手紙だった事はただお涙頂戴の悲しみに閉塞した映画とは思わないでください。
この映画のハッピーエンドは、あなたがいつかマルコと出会ったときルディやマイクの様に行動でき、その先に愛されない子供たちなんていない世界、誰のどの子供たちも愛されて幸せで笑顔でいられる世界にする事がこの映画のハッピーエンドです。
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