8月の家族たちのレビュー・感想・評価
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うるさくてアドレナリン噴火し続けて『人生は物凄く短い』
アドレナリン満載の家族。
いいとは思うが、他人の争い事を見るくらいつまらない事はない。
なぜなら、家族の争い事はアドレナリンが噴出しなくとも、もっともっと静かに足をひっぱりあい、騙し合い、罠に陥れ、最悪は無視をする。
勿論、この家族の姿は勘違いなデフォルメだと思う。挙句の果てに。
あと、24分。
少なくとも、14歳の娘がウマシカであってもの、手を出す奴はお縄もの。警察沙汰にせずに映画を続ける気がしれない。あと19分。
エリック・クラプトンの政治的発言は歌と物凄く違う。歌が非効果的。
ガン患者がみんなこんな奴だと思われて良いのだろうか?
兎に角、オフビートじゃない家族の絆なんてク◯喰らえだ。
この家族の争い事が意図的に見えるのは、女系家族である事と姉と妹の不倫関係が全て女性の罪の様になっている事。ウマシカな犯罪者は男にあり、それを放棄してこの世から去るなんて、鬼畜以外ない。ク◯みたいなジジイに翻弄された女系の家族の話だ。事実の女性はもっと狡猾である。
兎に角、演出側や原作がフェミニストぶった保守的なク◯ジジイ目線だ。インド人でもないのに、インディアンを出せば良いと考えている。ネイティブアメリカをインディアンと蔑称するのは、ネイティブアメリカに対する侮蔑だけじゃない。世界一人口の多いインド人に対して物凄く失礼な話だと僕は思うが。
渡る世間は鬼ばかり
親子喧嘩、兄妹喧嘩、夫婦喧嘩、不倫、腹違い、マリファナ、近親相姦、元カレ、自殺などなど家族劇の卸問屋的な脚本を、演技派をゾロリと揃えた役者陣が縦横無尽に画面を行き来するという作品ですが、やはりストリープ先輩の存在感は突出してます。
家族とは?みたような妙に構えた難しさを排除した、ややデフォルメ寄りの面白い家族劇でした。
崩壊家族の物語。凄まじい、家族ほど憎しみあったら恐ろしい。やばい人...
崩壊家族の物語。凄まじい、家族ほど憎しみあったら恐ろしい。やばい人物ばかりだ。唯一まともに見えた人物にも襲いかかる容赦ない悲劇。これのどこがコメディ?笑いながら見られる人はこの家族たちと同じくらいやばいかも(笑)
メリルにジュリアほか豪華キャストが見せる演技合戦が見どころか。
こわ面白い、ん、やっぱりコメディ(笑)
見応えのある一本
メリルストリープ・・・女性の(ごめんなさい)そして人間の醜さ、悲しさをこれでもかというほど生々しく演じてみせる。「クレイマー・クレイマー」しかり「ソフィーの選択」しかり。また心をえぐられてしまった。
豪華キャストたちの競演がそれに負けじと追い打ちをかける。中盤の延々と続く食卓での修羅場のシーン。家族間で飛び交う汚い言葉の数々。みな迫真過ぎて観るに堪えられない。
家族の確執、難しさ、負の部分に焦点をあてたこの作品。正直後味はしんどい。観る者、演じる者、創る者、誰も得していないように思えるこの一本。でも見応えのある秀作であることは間違いありません。
シェイクスピア+チェーホフ
大ヒット戯曲の映画化作品。注目すべきは、キャスティングされた役者の顔ぶれである。メリル・ストリープ、サム・シェパード、ジュリア・ロバーツ、ユアン・マクレガー、ジュリエット・ルイス、クリス・クーパー、ベネディクト・カンバーバッチ...なんという豪華な布陣だろう。プロデューサーのワインスタインは、メリルの代わりにジュディ・デンチの、ジュリアの代わりにニコール・キッドマンのキャスティングを推したらしいのだが、原作者のトレイシー・レッツ曰く、あくまでもアメリカの家庭を想定して書いた戯曲なので、アメリカ人俳優の起用を強く求めたらしいのだ。
物語はオクラホマ州のオーセージ、荒野に佇む一軒家が舞台になっている。そう、マーティン・スコセッシ監督『キラーズ・オブ・フラワームーン』も同じオーセージが舞台だった。元々ここに住んでいたネイティブ・アメリカンを懐柔し排除していった白人の黒歴史が刻まれた土地である。時代はあくまでも現代なので、お手伝いさんとして雇われたジョナ以外ネイティブの俳優さんは出演していない。しかし、夫亡き後家の実権を握るバイオレット(メリル・ストリープ)はジョナのことを“インディアン”と呼んで憚らない根っからの人種差別主義者なのである。
そんなバイオレットの夫ベバリーが夫婦喧嘩の後失踪、湖で自殺体として発見される。父の葬儀のために久々に集まった三姉妹と叔母の家族たち。昔話に花を咲かせるのかと思いきや、亡き父のスキャンダル(近親相姦)や“三人姉妹”がおかれている閉塞的な状況が、精神安定剤中毒のバイオレットによって次々と暴露されていく。原作者トレイシー・レッツとしては、おそらく演劇界の大御所シェイクスピア+チェーホフの線を狙ったのではないだろうか。どこかで観たような既視感に襲われるのは多分そのせいなのであろう。
本作シナリオの白眉は、登場人物がドツボにはまっていく様が繰り返されている点にある。言い換えるならば、遺伝子によって決定づけられた不幸とでも表現できるのかもしれない。バイオレットとその最悪な母親との険悪な関係はバイオレットと娘バーバラ(ジュリア・ロバーツ)、さらにバーバラとその娘ジーンの関係に代々受け継がれ、父ベバリー(サム・シェパード)と叔母マティ・フェイの近親相姦関係は、三女アイビーとマティの息子チャールズ(カンバーバッチ)の関係と見事にカブルのである。両親同様、バーバラは夫(ユアン・マクレガー)の(若い娘との)浮気が原因で別居中。次女のカレン(ルイス)は父親ほどに歳が離れている離婚経験者(3回)でギャル大好きなダラチン男と婚約中なのだから。要するに近親者や浮気男に惚れてしまう家系なのてある。
血は争えないとは云うけれど、バイオレットが娘たちの秘密を見破ることができた理由は、いわば自分が過去に経験してきたことと同じことをただ娘たちが繰り返していたからに他ならない。そのDNAに決定づけられた閉塞的運命は、滑稽さを通り越してむしろ残酷にさえ思えてくるのだ。娘たちに悪態のかぎりをついた当然の報いだろうか、認知症を発症しつつあるバイオレットは娘たちに愛想をつかされ一人オーセージの屋敷に取り残されるのである。頼るは自分たちの先祖が根絶やしにしかけた民族の末裔だけという、何とも皮肉な運命が待ち受けていることもわからずに.....
人生はとても長い 〜 後悔先に立たず
父親の失踪を心配して集まった娘達を責め立て続ける母バイオレットをメリル・ストリープが熱演。
バイオレットか錯乱して暴言を吐く姿は辟易させられるが、長女バーバラをジュリア・ロバーツ、三女カレンをジュリエット・ルイス 、陽気で温厚な妹の夫チャールズをクリス・クーパー、心優しいが気弱な三姉妹の従兄弟 ″リトル″ チャールズをベネディクト・カンバーバッチ、眼鏡をかけ地味めにしているがイケメンオーラが滲み出る長女の夫ビルをユアン・マクレガー …、とキャスト陣がやたら豪華 ✨
キツい言葉と嫌がられるような振る舞いをしながらも、心から夫を愛していたバイオレットの姿が哀れで切ない。
ー潰れた段ボールみたいに
NHK-BSを録画にて鑑賞 (字幕)
アメリカ映画が家族を描く時は、愛が前面に出てくることが多い印象だけ...
アメリカ映画が家族を描く時は、愛が前面に出てくることが多い印象だけど、
本作は、罵り合い、過去を暴露し合い、そして、また家族バラバラに
なっていく話。
これは、あなたの家族も色々あるでしょうけど、まだマシでしょ?という
メッセージなのだろうか。
これからもインディアンの家政婦と、主人公の母は、寄り添って暮らしていくんだろう。
いろんな悩みをかかえている家族
メリルストリープ扮する口腔癌を患っているバイオレットウェストンは、薬を飲んでいて夫にかみついた。
老夫婦になったとき片割れが病気だと実際困るよね。回りに家族がいればまだいいかもしれないけど。病気の本人も不安だろうし。
長女役で久しぶりのジュリアロバーツ。ただ母親とは険悪だったね。やっぱり親は大人になっても子供を責めてはいけないね。人はそれぞれいろんな悩みをかかえている。シリアスに家族の悩みを描いていたね。
こんなドラマチックじゃなくても、家族って"無作為に選ばれた細胞たち...
こんなドラマチックじゃなくても、家族って"無作為に選ばれた細胞たち"だから何かしら折り合いの付かない問題を抱えてるよね。
これが単に胸くそ〜って思える人はかなり幸せな家庭で育ったんじゃないかと思う。
そして誰もいなくなった
パッケージだけみて出てる人たち豪華やし、感動作なんかな?と思って見始めたらとんでもないまちがいやった!
俳優陣の演技合戦素晴らしかった。最後にはそして誰もいなくなった。(雇った彼女だけ残ったけど)
毒親から育てられて、あのお母さんも曲がっちゃったんやよね。ある意味あのお母さんが一番可哀想な人なのかもしれない。
上っ面の関係性だった家族たちが、父の死をきっかけに各々の思いを吐露していく。マーシーおばさんも勝手やよね。あなた責任とってきちんと話ししないと。崩壊していく様が重たく苦しい。きょうだいなんて同じ細胞ってだけっていう言葉たしかにそうやなと思った。
どん引き家族
あらすじを読んで、家族間のけんか話か〜と観たら、想像の上をいった醜さだった。血が繋がっているのに、というか逆に血縁だからこそ、遠慮がないのだろうか。よくぞ殺人事件にならなかったものだ。娘たち、我慢したねー。
毒親にも、育つ過程で毒をもられた過去があり、連鎖となっているのが悲しい。傷を受けたまま、まだ血が流れているかのような、バイオレットの独白。自分が悪いとわかっていても、どうにもできず、自分を持て余しているみたい。キツい顔、歪んだ顔、悲しい顔、負の面をこれでもかと見せたメリル・ストリープ、あっぱれ。
この家族に和解はないのかな。何もないアメリカ中西部の平原が、虚しさを感じさせる。
BS松竹東急の放送を鑑賞。
「母の日」にこれ観るとか、それ失敗でしょ!オクラホマの毒親物語。人喰い鬼子母神
メリル・ストリープ出演作、集中鑑賞月間。
運送業の僕。
ここのところカーネーションの宅配便を毎日数百ケース、運んでいる。
「母の日」なんですよねー。
メリル・ストリープ
鬼気迫る演技で、冒頭から引きずり込まれます。
― “肉を食べる民族”は違うなぁと思いますよ、あれ見てると。
日本で、同年代の女優を思い浮かべても、彼女らは歳をとって枯れていくばかりで、ああいったタイプはまだ存在しませんね、
木と紙の家に住み、ヒジキと米を食べて育っていると、八千草薫や加藤治子は生まれても、間違ってもメリル・ストリープは誕生しないのかもしれません。
正常と異常が、夜嵐の空を流れる暗雲のように去来し、
正気と薬物中毒の顔は、突然まだらに交錯する。
「私に1錠」
「娘たちのために1錠」
愛と狂気に迫られて、母は2錠のクスリを自身の口腔にぶっ込む。
悲しみ、怒り、嘘、
甘え、依存、諦めと、われわれが持っている喜怒哀楽=特にマイナスの感情と病変のすべてを、121分間、これでもかこれでもかと スクリーンに叩きつけくれるわけで。
こちらも鎮静剤を飲まなきゃやってられない。
・・・・・・・・・・・・
母親が娘夫婦と孫を呼びつける映画と言えば、最近ではカトリーヌ・ドヌーブの「告白」が思い出される。
⇒冷たく素っ気なく娘夫婦を突き放すカトリーヌの母親像と、対してこちら青コーナーのメリル・ストリープは、娘への徹底的な干渉、挑発、そして場を一にする人たちの心身を侵蝕。毒親の彼女は肉弾戦の破壊工作をこれでもかとやってくれる。
どちらの映画も、娘たちにとってはあれは実の母親なわけで、簡単に割り切って縁を切るわけにいかない母と子なんですよね・・
「母の日」にこれを鑑賞した僕は、ちとメンタルをやられています。
反抗期の孫娘ジーンは、おばあちゃんちで、一部始終、大変なものを見てしまったわけで、阿鼻叫喚の家族の有り様に硬まっているこの子の将来が、僕はホントに心配だ。マリファナぐらいなんだ。それくらい許してやってほしいよ。
そしてジュリア・ロバーツ、
・何をしてもいいが私より先に死ぬな
・生き延びて!Survive!
・わかったわね?ときつく娘に念を押すあのジュリア・ロバーツ。痩せてやつれた長女の横顔と孤軍奮闘ぶりには胸打たれた。
長女であるジュリア・ロバーツに向かって同じく長女である母メリル・ストリープが宣告する
「人は曖昧の中に生きているの」
「曖昧さ無しで生きているのはバーバラおまえだけさ」
「お前がいればパパは死ななかった」
なんというとどめを刺す言い方。
叔父夫婦も問題あり。妹たちもそれぞれ破れを背負っている。
映画は語る、すべて暑さのせいだと。
鑑賞後、
いま観た地獄絵図を呆然と思い出してみる。
そして、個々のやり取りではなく、ドラマ全体を大きな塊として俯瞰してみる。
なんだろな・・
みんなも非道いけど、もしかしたら、あの一家の中で、あのお母さんが一番理性的で、思いやりと慎みがあって、みんなの苦難を受け入れた優しい人だったのではないかと
ふと思った。
・
辞書引けば「肉体」なりきカーネーション
家政婦は見た
アメリカだろうと日本だろうと、
故郷を離れて暮らし、親が老齢になろうとしている世代には、厳しい映画。吐かれる台詞も、暴かれる事実も、先の展開も、全て救いがない。元々ダメな一家がさらにダメになっていく様がダイナミックに描かれます。
地味で眠くなる系の物語かと思いきや、なかなかキツい。親は大事にしよう、と考えさせられました。
人生って
私には弟が一人いますが
家族に関しての闇を抱えずっと疎遠です
私も家族に関して特に父親に関しては
弟と一緒で小さい時から思い悩み苦しんだけど
今は親ももうかなり高齢
母親は弟に関して非常に気を遣い母親も苦しんでます。
母親とは一緒にご飯行ったり映画見たり過ごしてあげたいと思ってますが弟はもう関わりたくない無理だといい連絡すらない状態です。
この映画を観て父親の失踪自殺を気に家族が集まり
そこから今まで黙っていた事隠し続けていた事etc
がわかり一人一人離れていってしまった。
家族の絆は強いなど時には言いますが
家族と言っても一人一人人格を持った生き物
家族だからこそ分かり合えると言うのは違うのかも
しれないと深く思った映画でした。
弟も親が亡くなった時親のありがたみや
親が子を思い続けていた気持ちがわかるのだろうか。
弟も苦しんできた気持ちも姉として凄くわかりますが
親が亡くなって気付いて後悔する前に
今生きている時に少しでも歩みよって少しでも
親と時間を共に過ごして欲しいと私は願っています。
エリック・クラプトンの「レイ・ダウン・サリー」が計3回流れる
長女バーバラ(ロバーツ)は反抗期の娘ジーン(アビゲイル・ブリストン)に手を焼き、夫ビル(マクレガー)との関係もあやふや。ひとり地元に残っている次女アイビー(ジュリアンヌ・ニコルソン)は未だに独身のまま。三女カレン(ジュリエット・ルイス)は自由奔放で勝手に婚約者を連れてきている。主べバリーが失踪し、初期の口腔がんを患っている妻のバイオレット(ストリープ)は歯に衣着せぬ毒舌ぶりで家族に意見をぶちまける。そして、彼女の妹マティ・フェイの夫妻と息子リトル・チャールズもやってくる。
そして、べバリーが溺死体で見つかったという保安官からの報告。自殺か事故かは詳細不明のままだ。葬儀を終え、食事になると、おしゃべりが絶えない。家族の思いが色々と伝わってくる。
そんな中、アイビーが従弟にあたるリトル・チャールズと恋仲であることをバーバラに打ち明けるが、周囲は反対。やがてマティ・フェイが実はべバリーと過ちを犯し出来た子がリトル・チャールズだったと告白し、バーバラも衝撃を受ける。異母兄妹だったら許されざる恋なのだ。
小さな諍いやらで、徐々に自分の家に帰っていく面々。最後には自殺を知っていた母を叱咤してバーバラも帰ってしまい、バイオレットはインディアンのメイド・ジョナと抱き合ってエンディングを迎える。
※ほぼ備忘録
コメディー?
コメディーを期待しましたが、終始いがみ合ってる人達の罵倒が展開されます。もちろんコメディー部分もあるのですが、喧嘩を延々と見させられても困るという感じがしました。物語上の多くの喧嘩シーンは、仲直りを通じて親睦を高めるシーンのフリのためにあり、どう喧嘩をして どう仲直りをするかが、作者の腕として問われることが多いですが、この映画の喧嘩は、フリではありません。ただ喧嘩するだけです。もちろん、普通に作らなければいけない決まりなんてなく、ただ喧嘩するだけでもいいのですが、その場合は、なぜ喧嘩をするだけにしたのか、その魅力を引き出すことで、視聴者を満足させないといけません。それが十分に出来てるとは言えなかったです。つまり、セオリーから外れ、奇をてらっただけの展開となっています。
それと、「歳をとるほど女は魅力がなくなる」などと厳しい現実を突きつけてくるので、女性視聴者にとっては酷な映画です。もしも女性のあなたが、映画を通じて現実から離れて一時の夢物語に浸りたいのなら要注意です、この映画はあなたを現実に引き戻します。
あと、老夫婦と彼らの3人の娘、その娘達それぞれの彼氏や旦那や子供、それに老婦人の妹家族、と会話に名前が出てくる登場人物が多めなので、人間関係を理解するのにちょっと面倒です。
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