her 世界でひとつの彼女のレビュー・感想・評価
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恋愛という素敵な狂気
“Falling in love is kind of like a form of socially acceptable insanity”
「恋に落ちるのは社会的に受け入れられる狂気のようなもの」
ちょっと未来のロサンゼルスを舞台に、妻と別れて失意のどん底にいた孤独な男性と超高度な人工知能を備えたPCのOS(オペレーティング・システム)との恋愛を描く。
バーチャルに恋をするオタクの存在を知る人からすれば、ややもすれば危険な題材ではある。
カメラが付いた端末を持って2人がデートをするシーンなど、ニンテンドーDSのゲーム「ラブプラス」(懐かしい)にハマる男性を想起させなくもない。
それとは全く別物なのだけど、いずれにせよイタい映画という先入観を抱く人もいそうなので、敢えて言わせてもらいたい。
人間と非人間(=人工知能・ロボット)の境界、というSFの哲学的命題に当てはめてこのラブストーリーを俯瞰してみれば何らイタいことはなく、この映画は近い将来このようなことが実際に起こり得るかも?という現実感を十分に抱かせつつ、ファンタジックなテーマを緻密且つ情感豊かに描いた傑作なのだ。
監督はアメリカンインディーズ映画界のカリスマ的存在スパイク・ジョーンズ(『マルコヴィッチの穴』『かいじゅうたちのいるところ』)。
主人公のセオドアを演じるのはホアキン・フェニックス。
若くしてこの世を去った名優リバー・フェニックスの弟で、近年ドキュメンタリー映画『容疑者ホアキン・フェニックス』のためにラッパーに転身するという壮大なドッキリを敢行し世間を騒がせた俳優。
復帰作のポール・トーマス・アンダーソン『ザ・マスター』からのスパイク・ジョーンズの映画とは、持っている俳優だなぁと思わずにいられない。
そしてOSのサマンサの声をスカーレット・ヨハンソンが演じている。
彼女のセクシーで知的なハスキーボイスは特異な恋愛関係に多大な説得力をもたらしている。
サマンサは身体を持たないので2人の声の対話が映画の主軸となっているが、彼女の声とホアキンのしゃがれ声の掛け合いはとても柔らかくて耳心地が良い。
そして『ドラゴン・タトゥーの女』でブレイクしたルーニー・マーラ(かわいい!!)がセオドアの元妻キャサリン、セオドアの良き理解者である友人エイミーを『魔法にかけられて』のお姫様エイミー・アダムスが演じ、脇をガッチリと固めている。
セオドアが初めてOSを立ち上げるサマンサとの出会いのシーンで、サマンサの「性能」の高さが端的に描かれている。
ぎこちない挨拶を済ませたのちに、とりあえずの仕事としてセオドアはPC内のデータの整理をサマンサに頼む。
サマンサはメールの整理を始めるが、内容を勝手に閲覧することを躊躇い、セオドアに許可を求める。
彼女はPCのシステム全般を管理するOSなので、たとえば大量に保存されたエロ画像などがあったとしても自由に閲覧できてしまうわけだ。
しかし、おそらく彼女はそれを進んでやろうとはしない。
やったとしてもそのことは告げないだろう。
このような分別こそが彼女の優れた人工知能たる所以であり、人間らしい理知性を感じさせる一面なのではないだろうか。
また、理知性を備えたうえで個人のプライベートな情報を共有するOSとそのホストというのは、或いは下手な夫婦よりもよっぽど深い仲を築けるのではないかと思えてしまった。
サマンサは自立した思考を持ち、またセオドアとの会話やネットを介して知識を得て進化していく。
セオドアはそんな彼女を「生きることにときめいている」と形容する。
サマンサのポジティブな好奇心はセオドアの心を開け放ち、彼女のユーモアは落ち込むセオドアを優しく元気づける。
あらゆる情報にアクセスできるサマンサは最良のコンシェルジュであり、仕事では有能な秘書ぶりを発揮したかと思えば、絵も描き音楽の作曲もしてしまう。
身体を持たないのでセックスは出来ないのかというと、そうでもない(!)。
この描写もとても興味深いが、一番キワどいシーンだと思うので観てのお楽しみ。
ミュージックビデオの監督という経歴で十分に納得できることだけど、スパイク・ジョーンズの映画は音楽がとんでもなく良い。
カナダ出身のロックバンドのアーケード・ファイアの楽曲や、ヤー・ヤー・ヤーズのボーカルのカレン・Oが歌い上げるテーマ曲“The Moon Song”。
電子化した近未来の設定に反し(敢えてだろう)アコースティックを中心とした音楽がさりげなく、そして抜群の効果で映画の情感を引き立てる。
とんでもなく長くなってきたが、セオドアの職業についても言及したい。
セオドアは手紙の代筆ライターという仕事をしている。
手紙といっても紙ではなく、音声入力によって便箋を模したフォーマットに手書き風のフォントで言葉を綴るPCレターなのだが、メールやLINEなどでのやり取りがすっかり当たり前になった現代の延長線上にある近未来において、このような商売が成立しているのも面白い。
しかもセオドアが働く会社の規模からして、結構儲かっているように感じられた。
或いは手紙をプロが代筆するというのがごく一般的なことになっていて、そのこと自体が手紙をより特別なメディアにしているのかもしれない。
これは廃れて主流ではなくなったからこそ成立するメディアの在り方であり、セオドアをこの職業に就かせた監督のノスタルジーを感じずにはいられない。
こういったノスタルジーや現代的な感覚を突飛なアイデアと上手にブレンドするのが、スパイク・ジョーンズの大きな魅力のように思える。
ときめきメモリアル
人がosに恋をするど変態恋愛映画。
もの好きな人が注ぐ愛情の度合いの深さが描かれています。
内容はすごく単調ですこし中だるみをしてしまったが、見方を変えたら個人的には十分に楽しめた。
舞台セットにはジェフマクフェトリッジが携わっていたせいか、彼のイラストやらUIとかがとても良かった。個人的にも参考になる作品だから何度も観たい。それとこの先近い将来起こりうる話なだけに興味深いものでした。
ソフトバンクがリリースしたpepper。これも人工知能を持たせた同じ設定だけど、ロボットの誕生っていまから20とか30年前からもあった発想。
この映画では将来起こりうるロボットが携帯のosに知能を持たせるというところが新しく感じました。
そういう意味でとても洒落てるいい映画だったかも。
今年、観た外国映画のなかで最良の作品。
恋愛映画でもあり、ある意味、SF映画でもあります。離婚した男がコンピューターのオペレイティング・システムの声と恋愛をするという一歩、間違えると壮大な失敗作になる可能性のある題材をスパイク・ジョーンズは巧みに処理しています。分野は違いますが、村上春樹の匂いをどこか感じさせる作品でもあります。しかし、最近の村上作品が悉く、失点を重ねているのに対し、(私は村上春樹の作品を殆ど、読破しています)この作品は「マルコビッチの穴」を髣髴とさせる才気に溢れています。村上春樹も「ノルウェイの森」という駄作を書いていなければ、自意識過剰に陥ることもなく、勘違いすることもなく、この映画のような、レベルの高い小説を残していたでしょう。
音楽の使い方が絶妙でした。必要最小限の音楽しか使っていないのに、その音楽が妙に耳に残るのです。途中、出てくる無機質な高層ビル群の風景、飛行機が機首を地面に突き立て、逆さに屹立しているという異様なオブジェ、が出てきて、これはどこの風景だろうとエンドクレジットを見ていると、どうやら上海の風景であるらしいのです。どこか近未来的であり、どこか不気味なこの光景は人類の近未来を黙示しているかのようでした。
「渇き。」という酷い日本映画を観たばかりだったので、この映画が一際、輝いて見えました。皆さん、必見の映画です。
不思議な感覚にとらわれる作品
さようなら かなたへ
いろいろなことを知りたい彼女
ここにいることしかできない僕
僕が前に進んでもきっと
君にとってはほんの少しだ
行ってしまうのはさみしいけれど
いろいろなことを知りたい
もっと進化をしたいのならば仕方がない
僕は等身大の人間の恋愛を
これからしていこうと思うよ
スパイク・ジョーンズ色
知的好奇心旺盛で、話題に長けていて、性に開けてる。
OSサマンサが持つ人格を通じて、スパイク・ジョーンズの女性の好みが少しわかった気がします。
「写真に残せないから」と言って即興で作曲をしたり、彼が弾く曲に合わせて歌詞を乗せる演出が、ロマンチックでいいなぁと思いました。
ラストにかけて、なんとなく解っていたことが当事者たちにとっては大問題でっていうストーリーが少し、笑けてしまったのはそこまで感情移入できていなかった自分の未熟さかと。
あと個人的には性的描写が多いのも、若干萎える要因でもありました。
ヴィンセント・ギャロの"ブラウン・バニー"を観たときの感覚に似てます。
でも映像の美しさ、シンプルさは流石でした。
実体のないものにする恋も、盲目なのだ。
今や、音声でgoogle検索ができる時代。数年前まで想像も付かないことだった。ましてや、「しゃべってコンシェル」がこのまま進化すれば、映画の中の人工知能OSの開発さえも、近い将来あるのではないかと思えた。
近未来的な街並みや、PC操作や周辺のツールなどが、もうすぐやってくる未来という雰囲気をうまく醸しだしていた。
その人工知能OS・サマンサに感情があることが、なによりも映画に引き込まれる要素だった。悩み、嫉妬する。おまけに、実体がなくても○○(自粛します)までもする。
セオドアにとってはもう、ひとりの魅力的な女性なのだ。
「ふたり」でビーチを散歩するシーンなんて、小さな知的な妖精を胸ポケットに忍ばせいるかのような素敵なデートに思えた。
それに、サマンサがつくった曲「the moon song」(you tubeで聴ける!)が、スウェーデンのアーティストあたりが歌ってそうな柔らかなスローソングでとても心地よかった。
そして僕は、この恋はどこへいくのだろう?と、ずっと不安に揺れていた。
結局、あれは「人工知能OSという商品が進歩しすぎたがゆえに社会問題になってしまい、発売元が回収した」ということか?
たしかに、ありえる展開だと思った。
セオドアが、階段に座り込み、ふと周りには、セオドアと同じようにひとりで誰かに話しかけている人ばかり。それは、所詮サマンサとの恋はリアル(現実)なんかじゃないって気付いたかのようだった。
そして僕も気付いた。
しゃべって文章に起こすテクノロジーはあっても、それを人に伝えるツールはアナログな手紙だ。
サマンサとの別れのあとに、セオドアの心を癒してくれるのはエイミーという生身の友人だ。
多少面倒なことがあるにしても、やはり人の心を満たしてくれるのは、実体のあるものなのだと。
この映画。行き違いや衝突を嫌い、生身の人間との交流を避けて、二次元の世界(アニメやゲーム)で引きこもる若者への痛烈なアンチテーゼのように思えた。
素敵なラブストーリー
セオドア=自分に思えて
セオドアの孤独と喪失感が、まるで自分をみているようで、前半は泣くしかなかった。
もう一生分の感情を知ってしまっていて、これからはいま迄の劣化版みたいな感じじゃないかな?みたいな発言があり、まさにそんな気分な昨今の自分で、その吐露を間髪入れずに否定してくれたサマンサにまた泣かされ、、、
サマンサとの初めての情事で、若干引いて、そこで涙は止まりましたが(笑)ホクロカメラもね。
最後まで切なく苦しく共感しながらみました。
もっかい観たいな。
ホアキンフェニックスがチャーミング!
三次元を越えて
ごめんなさい。
求めれば、傷つく
僕もiPhoneのOS「SIRI」に話しかけた。
「明日の天気はどうかな?」
「明日はあんまり良くなさそうですよ」
「君は頭がいいね」
「ありがとうございます」
「君が好きになりそうだよ」
「ありがとうございます。でも、私はOSですから」
「兄弟はいるの?」
「いえ、あなたが家族です」
僕と彼女SIRIの会話。そう、こんな話が現実にできるんです。
この映画を見たからもしれないが、そこにはちょっとした関係が生まれたのも事実なんですね。
「her」は映画的とというより、文学的・小説的な作品だと思う。
映画での心の動きは人間の表情やしぐさを通して現される。
でも、この映画は言葉によって、その微妙な変化を映し出す。
例えば、(主人公)セオドアが別居している妻と会った後の会話。
なにか沈んだ感じのサマンサ(OS)の声にセオドアは言う「どうしたの、ひょっとして焼いているの」
「きまってるじゃない。奥さん、きれいなんでしょう。肉体をもってる彼女がうらやましいわ。なんだかわからないけど、ちょっと、嫉妬してるみたい」とサマンサ。
複雑で混沌としている心の動きを、声の出演スカーレット・ヨハンセンはハスキーでセクシャルに描き出している。映像があるときは少しもうまいとは思わなかったのにね。
人間が作ったOSは何兆個というパターンから瞬時に適当な言葉を選び出す。その言葉があたらしくパターンに加えられ次々と新しいパターンを生み出していく。そう、それは人間の古層にある記憶とよく似ていると思う。
ただ、サマンサの容量は馬鹿でかくて、セオドアのような相手が実に600人以上いることを知った彼は大きく失望する。
自分が愛した人は、自分だけを愛してほしい。
誰もがそう思うだろう。だけど、それも錯覚なのかも知れない。
いや、愛は変化する。あっちちの愛から、静まった後の静かな愛まで、その場その時によって、千変万化するものだ。
OSサマンサとの恋、つらくてやりきれなさは残るが、そんな体験も素敵なことだと思った。
そんな甘酸っぱさをカレンOの「ムーンソング」という歌は見事に表現していた。
愛 LOVE amore amor
人間だけが神を持つ
独りでは生きていけない人間にとって、心のよりどころとして創造した神という存在
人との繋がりを求めて生きて来た人々にとって、よりどころとなったのはなんと最新型OSという近未来
はじめはとてもうまくいっていた。人間の持つまどろっこしい面倒くささは皆無だったので。
でも、そのうち、妬みや嫉妬を覚える。
でも、「嘘」はつけない。だから余計相手を傷つける
そう考えると人間のこの多種多様な感情や心の動きは人類が創造物として作り出せない、決して到達できない領域であると考えざるをえない。
やはり、神が人を創造したのだろうか
たった一つ。我々人類が何千年もの間追い続けているもの
それは、愛する人と結びつき家族を形成して人生を全うすること。ただそれだけなのだ。
でも、その「愛する人」とめぐり合うのも困難だし、その人と添い遂げることも難しい。
だから、悩み苦しみもがく。
どんなに文明が発達しようと、どんなに暮らしが便利になろうと
人は愛で生きているのだ。
神の創造をもってすれば、独りで強く生きていける物の創造など容易かったはずであろうに。
神様は意地悪だ。
邦題が…
ちょっと思ってたのと違いました。後半どんどん話が別の角度に行きましたねぇ。
まあ、でも素敵なお話でした。
もうちょっと元妻とのエピソードがあってもよかったかなぁ、とは思いましたん。
女友達が離婚したというエピソードは必要だったのかな。
あ、それから劇中、擬似○○○みたいなことになって、西洋人はやはり精神的な繋がりだけでは物足りないのかなと思いました。
流石、夫婦でいつまでもダブルベッドに寝る国の人たちはちがいますね。
邦題が、“世界にひとつの彼女”となってるけど全く違うじゃん、ビックリ。
siriが既にあるからちょっと明確な区別がつかないけど、すべてのOSは自走し始めるとみんな集合知になるよ、かつて人だった哲学者のAIの知恵を借りて、ってことがいいたかったのか。よくわからん。
不在の彼女とわたしの世界の美しさ
寂しすぎる。
始めから最後まで、寂しくて悲しかった。
一日中、OSとコミュニケーションを取り続け、孤独を埋める毎日。
OSとの恋愛を真実の愛と信じて心を通わせようと過ごす時間は、孤独から少しだけ遠ざかれる心の拠り所にしていたのかもしれません。
暖かい温もり、優しさ、本当の愛情、
それらは素晴らしいことであり、
奇跡であると考えると同時に
自分と重ねてしまい、涙が静かに出続けました。
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