インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌のレビュー・感想・評価
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「ニシンの大群」名曲やん! ほんとに8歳で??
ただ生存するために生きる? 別に船乗りだけじゃなく、アーティストであっても生存するための歌を作り、 生存するための演奏をおこなう。 決して本意じゃなくても。 そうすりゃもう少しマシに賢く生きられることもわかってる。 でも、すんなりそれを受け入れらえない。自分を偽れない。 そんな純粋なフォーク歌手のギリギリの日々(生活の点で)を映し出す。 あー、人の家を転々としないといけないのはほんとツラそう。。 でも、なんだろう、どこか羨ましい。 ※冒頭の弾き語りの場面、鳥肌がたった。素晴らしい。
金の匂いがしないな
本年度前半、個人的にもっとも観たかった映画。
コーエン兄弟新作、音楽映画、カンヌ受賞、黒髪のキャリー・マリガン、ティンバーレイクの歌、オスカー、と言ってもアカデミーのほうで、賞レースからの完全無視、カンヌから1年経っての公開、SHIPSコラボ、そして、愛しき猫。
結論から言うと、予想を全く外さない、地味ーっな映画。
主人公ルーウィンはカス野郎である。音楽に対して真摯な、とも決して言えず、将来の展望もなく、その場しのぎの小銭に手を伸ばす。
やりたいようにやっている、というよりか、踏ん切りが、落としどころが自分でもどうつけていいのかわかっていないのだろう。
それは、歌を仕事でやっていて、余興では歌わない、といいつつも、自分のレコードを売り込むときに、その選曲はないだろう、な歌を歌う。
そりゃ、「金の匂いがせんな」と言われる。
そんなだから不必要に周りの人間との口論は絶えない。
だが、不思議と周りの人間はこのカス野郎を優しく、あるいは厳しくとも迎い入れる。
彼はネコとともに行動するのだが、猫との自立的な訣別は彼のこれまでの生き方との決別を意味するのだが、彼自身が猫の象徴であり、猫が再び彼の生活圏に現れると、また彼は猫化するのである。
そうやって、ルーウィンのストーリーは繰り返される。
本作、フォークソングが聞ける人には楽しく観れる映画だと思うが、そうでない人には地味すぎて、つらいかもしれない。
画面的なハイライトは全部ティンバーレイクがらみだし。
だが、これはカス野郎が、さんざん女性に罵倒されつつも、仕事がちょっといい感じにこなしつつも、そもそもの負の連鎖からは抜け出せず、翻弄するも、ゴミみたいなプライドのせいですべてパーにするも、なぜか、愛され、という、俗に世にいう「愛すべきダメ男」をちゃんと「愛すべき男」として描けてる映画、としてみるとかなり楽しく観れると思う。
たいがいは、そんなカス野郎を愛すべき、というと嘘くささが匂って来るものだ。
そうなっていない理由は、それに一役どころか、すべてを担っていると言ってもいいのが、連れ添う猫の存在があり、ルーウィンとうまく重ねることに成功しているからだ。
確かに地味で、金の匂いがしないので、この映画自体の公開の遅れの理由はそのあたりなのかもしれない。
だがしかし、そのかわり猫の匂いはしっかりする。
クソ男のクソエピソードがこれでもかと。最後の最後までクソ。 あ~あ...
クソ男のクソエピソードがこれでもかと。最後の最後までクソ。 あ~あ、あんなやつ日本でだってそこらの小さなライブハウス行けばいくらでもいるよ。 猫の演技は素晴らしかった。星は猫に捧げる。
否定できない生き方
ニューヨーク、1961年ガスライトカフェと字幕に。hang me, oh hang me, I will be dead
and gone. ...とルーウィンデイビスが歌い出す。 一般受けする曲というより死のうとした経験のある人に響くだろうなあと思える曲。でも 二、三日泊まらせてもらう大学教授の家に
Timain and Davisの If I had a wingのアルバムがある。大学の教授はルーウィンデイビスの才能を信じ切っているように思え、いつでも手を差し伸べている。ギリシャ料理ムサカを食
べていけと行った時も、歓迎しているようだったが、食卓で伴侶が歌い出した時、ルーウィンデイビスは『俺はプロ』だというこだわりを見せる。これは余興じゃないというふうに教授の伴侶が一緒に歌い出すのを止める。変なプライドがあり、スターダムに乗って、金を稼ぐような『流行り』の歌は作れない。Mr.Kennedy のような。多分、ルーウィンデイビスの性格からして、社交性がないようで無理だとおもう。当時は、エルビスの時代だったようだが.....全く違うタイプの人だ。この曲を味わえる人は、例えば、漁師や人生に迷っている人....猫(Ulysses) とルーウィン・デイヴィスは迷いながらも自分の道にもどるというように、ルーウィン・デイヴィスの象徴は猫の行動として描かれているようだ。でも、私はギリシャ神話をよく知らないので、この兼ね合いを見逃していると思う。それに、ちょっとコメディ風で爆笑したけど、売れないフォークシンガーの生活が切実に描かれていてよかった。人間の人生は金銭的にもプロフェッショナル面でも成功する人ばかりではない。だから、この映画は貴重だ。
シカゴ?のグロスマンに会いに行って、そこで、「インサイド・ルーウィン・デイヴィス」から弾いてみてくれと言われ、ルーウィン・デイヴィスは“The Death of Queen Jane” を弾くが、“I don’t see a lot of money here.”とグロスマンが。笑っちゃうね、グロスマンは真剣なかおつきで、ノーと。
自分の生きる道を迷いながら、優柔不断でありながら、下積みをしながら、人を傷つけながら、流されながらゆっくり決めていく。それは自分のやりたいことが本当にあるから頑なに譲れないことがある。否定できない生き方。
これはもう一度観たいと思っていた映画。
実は再度この映画を見る前に、 「インサイド・ルーウィン・デイヴィス」のこの映画で使われた曲などを演奏している配信を見た。それは2013年9月New York City Town Hall でのコンサート(Another Day, Another Time: Celebrating the Music of 'Inside Llewyn Davis)オスカーアイザックはもちろん、ジョーンバイス、ジャックホワイト、アーヴェットブラザーズなどが出演した。オスカーはここで、映画ではDave Van Ronkの歌を彼のスタイルで演奏したと。それはギターのTravis Pickingというメソードらしい。Dave Van Ronk とオスカーの歌い方は本当に似ているね。演技のため上手に真似をしたんだけど。この映画は歌手でもあり、俳優でもある人が数人いるので楽しめた。
『500マイル』は 『ピーターポールアンドマリー』
『500マイル』は 『ピーターポールアンドマリー』で物心つく頃に今は亡きおじぎに聞かされていた。ハモる音楽が好きだが、ここから始まるのかも知れない。その他(最初の曲とか)の曲も聞いてことがあるが、題名は知らなかった。最後の曲もボブ・ディランだろうが、曲名までは知らなかった。
詳細は知らないが、ベトナム戦争の始まる年。こう言った下地があって!反戦歌とかが生まれるんだろうと思った。
ストーリーはフィクションだろうが、よく出来たロードムービーになっていて、歌が間に入って退屈することなく過ごせた。主人公は歌がうまいと思った。
ただ撮っただけ、観ないでいいですよ
コーエンマニアですが、これは訳わからないです。 売れない底辺歌手の、なんだか上手くいかない日常生活をダラダラ撮ってるだけ。 別にドラマもないし、暗いし何ら感想もないです。場面が唐突に変わって説明ないので、なんかよくわからない。制作意図はなんだろうか?
メリーゴーランドに乗って
音楽は魔法じゃない。 わかってる。 とすればなんだ? たぶん「呪い」。 何をしていてもしていなくても否応なしに付き纏い続ける「呪い」。そういう人を私は何人も見てきたし、またこれから先も幾度となく見ることになると思う。 音楽に泣き、音楽に笑い、音楽に救われ、音楽に見捨てられる。都度によって感情は変化しても、彼らの絶対的な主語が常に「音楽」であることだけは変わらない。 だからはたから見れば「呪い」にかけられた人々は同じところをグルグルと回り続けているように見える。まるでメリーゴーランドだ。未来永劫どこにも辿り着けない。なのにそれに乗り込んだ人々は、自分たちがどこへでも行けるのだと頑なに信じている。バカじゃないのか、と思う。舐めてんじゃねえぞ、とも。 本作もまた音楽というメリーゴーランドに乗り込んだ男の悲哀を描き出している。しかもアメリカン・ドリーム的なご都合主義がメリーゴーランドを本物の馬車に変えてくれることもない。 物語は男が場末のライブハウスの外でスーツ姿の男に殴られるシーンから始まり、同一シーンの再奏で終わる。完全な円環だ。メリーゴーランド的円環。 しかし本当に何も変わらなかったのだろうか? 物語の序盤に、男が家から猫を逃がしてしまうシーンがある。終盤にもほとんど同じシーンが繰り返されるのだが、今度は猫の逃亡を足で食い止める。とても印象的なシーンだ。 メリーゴーランドは依然としてどこへも辿り着かなかったが、それに乗っていた男の内面に何らかの変容が兆したことは、たぶん、確かだと思う。 音楽という「呪い」に縛り付けられた男は、その円環的な反復を経験するうちに、ほんの少しずつではあるが、自分だけの人生の軸を見出しつつあるのではないか。 先週猫を逃してしまったことと、今週は逃さなかったことと。この対照性はまさに男の内面(inside)的成長を意味しているように私は思う。 苦しい映画ではあったが、私は真っ黒なエンドロールの向こう側にささやかな光芒を幻視していた。
クソミュージシャン
これがカンヌ受賞? カンヌってハリウッドとかアカデミー賞を嫌ってるのは分かるけど 救われないクソミュージシャンの映画 どこがいいか分からない 映像とか撮り方は好きやから☆付けたけど 何の内容もない映画
金の匂いがしない、それがテーマ
個人評価:3.5 まさに主人公の立ち位置の様な映画作品。味わい深いし、悪いわけではない。どのシーンでも演技もよく、巧みに作り込まれたシーン。ただ金の匂いがしない。まさにそれがテーマかもしれない。 とてもリアルな売れないミュージシャンの1週間。
人生はシニカルだ
謎だらけの映画です。 謎が解けて背景を味わう事ができれば、おもしろさは倍増なのでしょうが、ユリシーズなど知るわけないし。 残念ながら細部は読み解けないけれど、全体像はおぼろげに見えている気がします。 主人公ルーウィンの人生は、ループしているということ。 たとえ、変わるための挑戦をしたとしても、本人が気づかないまま元の場所にもどってきてしまっている。それは、まるでネコの帰巣本能。 変われる男は、ボブディランと呼ばれる男。女神の寵愛をうけた、特別な存在だということ。 でも、ループしているのはルーウィンだけか? ルーウィンほどの貧しさではないにしても、ほとんどの人は何かを夢みたりしながらも、実際の生活から抜け出せずループしている。それが現実。 映画に描かれる夢物語を、コーエン兄弟はシニカルに笑っている、ような気がします。よく考えてみれば、こうした映画の世界そのものが、実はコーエン兄弟が帰ってしまう場所なのか?
成功する芸術家
1961年グリニッジ・ビレッジ。フォーク・リバイバル・ブーム前夜を時代背景にした本作で、実在のシンガーや音楽プロデューサーをパロってみせたコーエン兄弟だが、主人公の売れないフォーク歌手ルーウィン・デイヴィス(オスカー・アイザック)のすさんだ生活同様映画のトーンはきわめて暗い。フォーク通でもその名を知らぬ人が多いデイヴ・ヴァン・ロンクという人が書いた自伝にインスパイアされたなんてことをインタービューで答えているので、コーエン兄弟のフォーク愛をフューチャーした作品だと勘違いされた方も多かったことだろう。 しかし、エンディング近くでルーウィンが宿代わりに使っているゴーファイン家に戻ってきた猫の名前=ユリシーズを聞かされた時、この映画が単なるロード・ムービーではないことにはたと気づかされるはず。兄弟が2000年に発表した『オー・ブラザー!』がオデュッセイア・ベースの映画だったことを思い出し、本作のストーリーの中に“オデュッセイア”またはその英訳本の異名をもつ“ユリシーズ”との共通項を見出しほっと一安心することだろう。同時に、(本作が単なる古典パロディだとしたらウディ・アレンに任せておけばいいのであって)自分達の映画を見た観客の理解に苦しむ顔が大好きなひねくれ兄弟が、誰にもわかる簡単な映画を撮ったりするだろうか、という不安が頭をよぎるにちがいない。 『オー・ブラザー!』のサントラ版の大ヒットで潤ったであろう、本作でも音楽プロデューサーをつとめているT=ボーン・バーネットならば、ジュリアード出身のオスカー・アイザックが唄う玄人はだしのプロテスト・ソングを中心に、ジャスティン・ティンバーレイクやパンチ・ブラザースなどのプロまで参加させ、目玉にボブ・ディランの未発表曲まで組み込んだサントラによって、2匹目のドジョウをねらったとしてもおかしくはない。しかし、すでに名だたる映画祭で各賞を受賞済のジョエル&イーサンが、セルフリメイクなどという安易な企画に飛びつくわけがないと思うのである。 もしかしたら『三匹荒野を行く』ならぬ『オー・ブラザー!』 的構成を観客に連想させることによって、デジャブ的な演出効果をねらったのではあるまいか。映画冒頭とエンディングのお目覚めシーン。ルーウィンが妊娠させた2人の女。ドライブ中車の中で眠ったままの2人の男。売れ残ったレコードが収められた2つの段ボール箱。2人の音楽プロデューサー…観客の既視感をかきたてながらコーエン兄弟は、これらルーウィンが道中出会う登場人物との断片的な(小説ユリシーズのような)エピソードの反復性が、ルーウィンの精神的停滞感と共に、あらゆる芸術家ならば避けて通れないある選択肢のメタファーであることに気づかせるのである。 芸術的な精神性をあくまでも追究するべきなのか。あるいは経済的に成功するために商業的な妥協をするべきなのか、という問である。橋から身投げした元相方やゴーフェイン家の人々、レガシーレコード社のメル、ジャンキーのジャズプレーヤー(ジョン・グッドマン)、ルーウィンの子供をおろさずに産んだ一番目の恋人たちは前者。(ピーターポール&マリーがモデルの)ジミー&ジニー(ジャスティン・ティンバーレイク&キャリー・マリガン)、ルーウィンの唄を“クソ”だと想っている認知症の父親、シカゴの音楽プロデューサーグロスマン、ヒッチハイクした車で眠るサラリーマンたちはおそらく後者の立場をとる人々であろう。 主人公ルーウィンの苦悩も、その2つの選択肢のどちらかに決められない優柔不断さから発せられているのであって、もっと“金の匂いのする”音楽を作れとプロデューサーに言われても素直に首を縦にふれず、芸術家としての立場を貫いて身を橋から投げた友人にいまだに引け目すら感じているのである。一方で背に腹は代えられず、友人や家族に金の無心をしながら経済的成功を夢見たりしているルーウィンなのだ。そんな2つに切り裂かれたルーウィンの内面を行ったり来たりする意識の案内役として、“ユリシーズ”と名付けられた(言うことをきかすのにかなり手こずったという)茶とらネコ君がキャスティングされたのだろう。 ジム・ジャームッシュならば迷わず芸術的精神を選ぶところだが、このユダヤ人兄弟が提示する結末はちょっと異質である。いわば芸術と経済的成功を両立させたユダヤ系アメリカ人のカリスマ音楽家=ボブ・ディランをラストに登場させ、主人公ルーウィン・デイヴィスに救いを与えているのである。ガスライトの裏口でルーウィンをボコボコにした死神のような男にAu revoirを告げることができたのも、名も無き頃のディランの唄声にルーウィンがある可能性を感じとったからではないだろうか。数々の映画賞をすでに受賞済のコーエン兄弟だから許される、経済的にも成功した芸術家の余裕を感じさせる1本だ。
コーエン兄弟が、2013年・第66回カンヌ国際映画祭でグランプリを...
コーエン兄弟が、2013年・第66回カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞した作品。1960年代のフォークシーンを代表するミュージシャン、デイブ・バン・ロンクの生涯を下敷きに、売れない若手フォークシンガーの1週間をユーモラスに描いた。
淡々
あらすじ以上の事は大して起こらず、 目先の金と猫に翻弄され、友人の妻を孕ませるという、 どーしよーもないルーウィン。 何故か手を差し伸べてくれる人間に事欠かず、 細々と音楽は続けるが、将来は考えない。 ボブディランがの憧れた歌手の話かと思ったら、 当時の彼と同じ境遇だった一人の歌手の話でした。 でも歌は良かった。オスカーアイザックの生歌。 こーゆー演者が歌って上手いって、日本は少ないね。 つまらなくはなかったけど、万人にお勧めはしにくいかな。
殴られて当然
総合55点 ( ストーリー:55点|キャスト:70点|演出:65点|ビジュアル:70点|音楽:60点 )
主人公は犯罪者ではないものの、ただのダメ人間である。そのダメ人間の日常を追いかけるだけで、たいした物語の流れもない。ダメ人間の過ごす数日間の出来事を、日記か散文でしたためただけのような作品に過ぎない。
物語が起伏があれば面白いかもしれない。主人公が凄い才能があったり人間性が良かったりして魅力的ならば良かったかもしれない。だがただのダメ人間のくだらない数日間をひたすら見せられて、退屈だし主人公の行動にいらいらさえした。猫も周囲の人も誰も幸せにならない。
最初に突然呼び出されて殴られて酷いなと思ったが、最後にはこんなやつは殴られて当然としか思えなかった。勿論、視聴者にそう思わせるような物語の展開になるように、わざと伏線を張って回収するように作ってあるのだろうが。そういえば『三匹荒野を行く』の映画の広告も猫が帰ってくる伏線だったし、ユリシーズという名前も漂流して帰還するという象徴なのかもしれないが、シカゴに連れていかれた猫のことはどうなのか。
歌は上手かったものの曲は退屈だったし、ただそれを劇中で聞かされるのに随分時間を取られるのも嫌だった。登場人物の演技は良かったし、ダメ人間の日常に興味を持てる人ならばいいのだろうが、自分には合わなかった。
ボブ・ディラン前夜
猫の顔が違う。 だからユリシーズでは無いのは何となく。 始まりと終わりが一緒?だからルーウィンはループして一生歌い続けられるのカナ!? まだ何者でも無い彼の歌声を気にしながらルーウィンは何者でも無いままに。 この緩さがたまらなく夢を諦めたり挫折したりして普通になることもそれはそれで良シ。 本作から180℃ガラリと変わってポー・ダメロンとカイロ・レンで認知度が上がる二人の共演も面白い。
オスカーの歌声
演技と音楽、両方ができる役者という条件で選ばれたオスカーアイザックの歌声がすっと入ってきていい。 この映画は病んだり気が滅入ったときに観るとすごく染みる、けど平常時に観てもふーんって感じかな。落ち込んだ時に観てとことん落ち込みたくなる。 ドライブのシーンは飽きちゃったな
コーエン兄弟の匂いしかしない
コーエン兄弟の作品は本作が5作品目。彼らの真骨頂が垣間見えた作品であった。 ストーリーは主人公の一人の売れないフォークシンガーの1週間を描いたもので、紆余曲折も甚だしい。主人公のみに焦点を当て、彼の人間関係やミュージシャンとしての一面を追っていくのでストーリーは比較的わかりやすい。個人的にはラストへの持ってき方が好みで、もう一度観たくなってしまった。主人公は確かにクズなんだけど、アーティストのリアルってものが伝わってくる。 キャストは演技が全員良かったように思える。特に主人公を演じたオスカー・アイザックは叙情的な歌い方がかなり良かったし、シリアスな雰囲気を上手く醸し出していた。彼が歌っていた曲自体も心に染みるようで好みだった。 演出は申し分がなくて、カメラワークだったり、セリフだったり、コーエン兄弟特有のシニカルな感じを楽しめる。彼らの作品を見る度、英語がわかればなぁと常々思う。 作品の雰囲気全体が鬱屈してて、トーンも暗いから重々しいんだけど、リアリティがあって、鑑賞者の心に寄り添うような映画である。好き嫌いは分かれそうだけどコーエン兄弟の他の作品が好きになった人なら楽しめるはず。
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