劇場公開日 2014年5月30日

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「成功する芸術家」インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌 かなり悪いオヤジさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0成功する芸術家

2020年1月21日
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1961年グリニッジ・ビレッジ。フォーク・リバイバル・ブーム前夜を時代背景にした本作で、実在のシンガーや音楽プロデューサーをパロってみせたコーエン兄弟だが、主人公の売れないフォーク歌手ルーウィン・デイヴィス(オスカー・アイザック)のすさんだ生活同様映画のトーンはきわめて暗い。フォーク通でもその名を知らぬ人が多いデイヴ・ヴァン・ロンクという人が書いた自伝にインスパイアされたなんてことをインタービューで答えているので、コーエン兄弟のフォーク愛をフューチャーした作品だと勘違いされた方も多かったことだろう。

しかし、エンディング近くでルーウィンが宿代わりに使っているゴーファイン家に戻ってきた猫の名前=ユリシーズを聞かされた時、この映画が単なるロード・ムービーではないことにはたと気づかされるはず。兄弟が2000年に発表した『オー・ブラザー!』がオデュッセイア・ベースの映画だったことを思い出し、本作のストーリーの中に“オデュッセイア”またはその英訳本の異名をもつ“ユリシーズ”との共通項を見出しほっと一安心することだろう。同時に、(本作が単なる古典パロディだとしたらウディ・アレンに任せておけばいいのであって)自分達の映画を見た観客の理解に苦しむ顔が大好きなひねくれ兄弟が、誰にもわかる簡単な映画を撮ったりするだろうか、という不安が頭をよぎるにちがいない。

『オー・ブラザー!』のサントラ版の大ヒットで潤ったであろう、本作でも音楽プロデューサーをつとめているT=ボーン・バーネットならば、ジュリアード出身のオスカー・アイザックが唄う玄人はだしのプロテスト・ソングを中心に、ジャスティン・ティンバーレイクやパンチ・ブラザースなどのプロまで参加させ、目玉にボブ・ディランの未発表曲まで組み込んだサントラによって、2匹目のドジョウをねらったとしてもおかしくはない。しかし、すでに名だたる映画祭で各賞を受賞済のジョエル&イーサンが、セルフリメイクなどという安易な企画に飛びつくわけがないと思うのである。

もしかしたら『三匹荒野を行く』ならぬ『オー・ブラザー!』 的構成を観客に連想させることによって、デジャブ的な演出効果をねらったのではあるまいか。映画冒頭とエンディングのお目覚めシーン。ルーウィンが妊娠させた2人の女。ドライブ中車の中で眠ったままの2人の男。売れ残ったレコードが収められた2つの段ボール箱。2人の音楽プロデューサー…観客の既視感をかきたてながらコーエン兄弟は、これらルーウィンが道中出会う登場人物との断片的な(小説ユリシーズのような)エピソードの反復性が、ルーウィンの精神的停滞感と共に、あらゆる芸術家ならば避けて通れないある選択肢のメタファーであることに気づかせるのである。

芸術的な精神性をあくまでも追究するべきなのか。あるいは経済的に成功するために商業的な妥協をするべきなのか、という問である。橋から身投げした元相方やゴーフェイン家の人々、レガシーレコード社のメル、ジャンキーのジャズプレーヤー(ジョン・グッドマン)、ルーウィンの子供をおろさずに産んだ一番目の恋人たちは前者。(ピーターポール&マリーがモデルの)ジミー&ジニー(ジャスティン・ティンバーレイク&キャリー・マリガン)、ルーウィンの唄を“クソ”だと想っている認知症の父親、シカゴの音楽プロデューサーグロスマン、ヒッチハイクした車で眠るサラリーマンたちはおそらく後者の立場をとる人々であろう。

主人公ルーウィンの苦悩も、その2つの選択肢のどちらかに決められない優柔不断さから発せられているのであって、もっと“金の匂いのする”音楽を作れとプロデューサーに言われても素直に首を縦にふれず、芸術家としての立場を貫いて身を橋から投げた友人にいまだに引け目すら感じているのである。一方で背に腹は代えられず、友人や家族に金の無心をしながら経済的成功を夢見たりしているルーウィンなのだ。そんな2つに切り裂かれたルーウィンの内面を行ったり来たりする意識の案内役として、“ユリシーズ”と名付けられた(言うことをきかすのにかなり手こずったという)茶とらネコ君がキャスティングされたのだろう。

ジム・ジャームッシュならば迷わず芸術的精神を選ぶところだが、このユダヤ人兄弟が提示する結末はちょっと異質である。いわば芸術と経済的成功を両立させたユダヤ系アメリカ人のカリスマ音楽家=ボブ・ディランをラストに登場させ、主人公ルーウィン・デイヴィスに救いを与えているのである。ガスライトの裏口でルーウィンをボコボコにした死神のような男にAu revoirを告げることができたのも、名も無き頃のディランの唄声にルーウィンがある可能性を感じとったからではないだろうか。数々の映画賞をすでに受賞済のコーエン兄弟だから許される、経済的にも成功した芸術家の余裕を感じさせる1本だ。

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かなり悪いオヤジ