それでも夜は明けるのレビュー・感想・評価
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オスカーはアメリカの文化^^
カメラワーク、編集が巧み^^。
人件費がかからない奴隷制が今のアメリカの基礎を作ったわけで・・・。
現代の派遣やブラック企業も、緩やかな奴隷制だよね。
鞭ではなく、無知で奴隷を生み出す仕組み^^;
レディースデーの映画館はほぼ満席、何を思っただろう。
よい映画だと思います…!?
考えさせられる映画ですし、昔話として切り捨てることもできないテーマです
映画としての見せ方は、最初から最後まで重くつらい
最後は救われているようで、ちっとも救われない
よい映画ですし、演技も素晴らしいと思います
しかし、何年か後には見たことを忘れそうな気がする
きっと、伝わらないというより、私の感受性なり、バックグラウンドがこの映画を観るには不足しているのでしょう
日本人には奴隷制は入り込めないテーマなのかもしれないな、そんなことを思いながら、さて、従軍慰安婦については何が真実なのかが気になった
素晴らしい!!
1841年、ニューヨーク州サカトガ。奴隷制度廃止前に一人の黒人男性が拉致されある農園に奴隷として売られた。
12年間、残酷で悲痛な奴隷生活を送った衝撃の実話。
観ていてとにかく痛々しい。苦しい、、、
でも流石にオスカーを手にした作品でしたよ!
本当に素晴らしい映画でした。
ドヨンとした闇。
さすがアカデミー賞作品賞受賞の風格、でしたが…
観終えて何が残ったかと聞かれて、答えに詰まる一本でした。
テーマは分かるけど、ただただカタルシスが無い作り。
Bピット様がご登場辺りでポカーンでした。
今のアメリカで、未だこの手の作品が作られる闇の方が気になってしまうのが悲しいところです。
黒人は彼の国で、ホンの5,60年前まで人間として平等ですらないし。
今でもアジア人を含めて残ってる感覚だし。
私たちの中にだって厳然としてある感情を見せられた様な気分。
同じテーマなら、「大統領の執事の涙」を是非お勧めしたい。
劇場から出たら世界が違った
知らなかったし、きっとこれからもずっと、当事者の苦しみは理解はできない。
そんな中で今の生活と照らし合わせて思ったことは大きく二つ。
助けを求めている人々がいるのに、それを見て見ぬふりをしなければならない世界がそこにあるという点。
多数派が力を持ち、お金や権利という言葉で片づけられ、向き合わなければならない事実がぼんやりとしか見えていない。
駅のホームでたまにあるケンカや道端で座っているホームレス、イジメ、セクハラ・パワハラをふと思い出した。
また、
家庭内暴力や恋人や近親者へのDV、デリヘルや風俗など、「自分が購入したものはどう扱っても良い」という考え方は、映画に出てきた奴隷の購入者と変わらないのではないか。
心にずしりと刺さり、ほんの少しだけ世界を観る目が変わってしまった。
価値観が変わったとは思わないが、知らなかったことを知ろうと思った。
力のある映画だと思う。
某国に拉致された人もこんな感じなのかな、と。
全体的に間合いも含めて見せ方が上手く完成度の高い映画でした。本作は裕福な自由黒人が白人に騙されて南部に拉致されて家に帰るまでの話です。
黒人奴隷の知識は映像はもとより活字での知識しかなかったので全てが斬新でした。
黒人奴隷にキリスト教の教えを説いてたシーンが度々あったのですが奴隷使うやつが人に説くの?って笑っちゃいました。当時の人は本当の意味で家畜としか思っていなかったということでしょうか。
今の時代にも差別はありますが100年前にはそんな扱いを受けていた人がいるというのは驚いちゃいますね。
黒人”奴隷”と一口に言っても、”前の家は良かった~””ネックレスなんかも~”的な会話から比較的待遇がよく今のメイドと変わらない扱いを受けてる黒人もいたのかなと感じました。
キャッチコピーには”あきらめない”とありますがなんかちょっと違う気がします。個人的にあきらめないという言葉”よし!やったる!”というような前向きな決意の表れなイメージです。この作品は主人公が”主人”にばれない様に”自由黒人の証明を友人に送ってもらうように手紙書くんで送ってくださいよー”と何人かに頼み12年後にその願いが叶うもので”あきらめない”はなあ・・・
題名も”それでも夜は明ける”ってのにも違和感が・・・
ドラマ仕立てな感じがするというか。今作は淡々と伝記を描いているので英題の「12years a slave」ってのがしっくりきます。
そんなことはどうでもいいか。
淡々と伝記を描いてるので、なるほどねーこんな時代もあったんだー酷いもんだ。という感想しかないです。
スケールが奴隷ということで現代の差別問題と結びつけるのは難しい。
見るか迷っているなら見るべき映画。
いい映画だけど勧めません。
とにかく見ていて辛かった。家族の元に帰ってもカタルシスにならずエンドロール前に流れる後日談にもなんとも言えない怒りがこみ上げる。たまには恋人と映画デートにアカデミー作品賞もいいかな、なんて人に言いたい。絶対やめておきなさい。つまらない映画ではけっしてないけれど、楽しい気分になんかならないから。
痛みを体験させるのではなくて、見せる映画
群衆の中に重要なキャラクターが立つ場合、その人物はさりげなく他と差異をつけ撮られ、群衆から浮き上がる。けれど、この映画のオープニングではそうはならない。
一列に並んだ黒人たちのなかに主人公が立っている。けれど、黒人たちはどれも等価で、誰が主人公がなのか観客には判別できない。ただの一列に並んだ黒人、という単位でしか見られない。
十九世紀の南部。黒人は木々や草花と同じ、さして際立たない背景のひとつにすぎなかった。
見る側の映画か見られる側の映画か、どちらなのかと問われたら、前者なのだろうと思う。
二時間にわたって展開される長編はけして平坦ではないものの、ジェットコースター的な
エンタメの起伏からは程遠い。なにせタイトルからして「十二年間、奴隷として」だ。実人生にすれば気が遠くなるような長期間だが、映画においては単なる「帰還までの期限」にすぎない。主人公がどんな目にあおうとも、家族のもとに戻るラストは保証されている。
では、あらかじめネタを割ってまでマックイーンが見せたいものとはなにか。もちろん、暴力だ。
この映画において、奴隷が攻め苛まれるシーンはいずれも異常なまでの長尺の長回しでねちっこく撮られる。打擲、女の嘆き、首吊り、レイプ、鞭打ち。暴力の結果としての傷跡を含め、カメラは余さず記録する。
けれど、どこまで行っても一歩引いた視点から撮っているように見えるのはなぜだろう。おそらく、その暴力に「痛くみせよう」というたくらみが不在だからではないか。
被害者の視点からの痛みを描きたいならホラーやスプラッタに学べばいい。いまやそれらの分野は痛さ表現のスペシャリストだ。いくらでも劇的に、効果的に観客の感情を操作し、奴隷に感情移入させられる。
しかし、この映画は痛みに過剰さを与えなかった。それはリアルさの追求以上の目的にそって行われた選択だったのだろうと思う。つまり、マックイーンは観客に被害者になることを許さなかったのだ。
そして、 代わりに目撃者になることを強いた。ある意味では被害者にさせられるよりハードだ。マックイーンはかつての黒人奴隷の子孫たちを除くすべての観客を加害者として告発したのだから。
だから、長回しの暴力に伴っているのは痛みではない。居心地の悪さだ。
聖書朗読の最中に号泣する母親の姿に、首吊りで死にかけている男の後ろで無邪気に遊ぶ子供たちに、妻が見つめている前で自分が手篭めにした奴隷を鞭打たなければならない農園主に、無類のきまずさが満ちている。
席を立ちたいくらいのいたたまれなさに悩まされるけれど、それは奴隷の痛みに共感しているからではない。光景そのものの息苦しさに耐えられないからだ。百年後の地球の裏側という距離がもたらす絶妙な隔絶は、たぶん当地の人間たちとは根本的に異なるのだろうけれど、映像が惹起する体験自体は、実のところあまり変わらないんじゃないか。
名作だと思いますが、私の嗜好には合わなかった
本当に素晴らしい作りの作品だなと思いました。
スティーブ・マックイーンというから昔の人かと思ったら、そっちではなくて黒人の監督さんで、この人の実力は計り知れないと思いました。
映像と音楽のギャップからくる激しい違和感。そしてその舞台の雰囲気など本当に主人公たちの置かれている立場とのギャップは素晴らしい。
まあ、実際そういうことだったのだろうけれど、その得も言われぬ違和感にとても興奮しました。
彼にしか撮れない作品です。
しかしながら、どうも私の趣味に合わなかった。
素晴らしい作品だというのはわかっていてもテーマ自体が私の見たいものではなかった。
そしてもう一つ言えば、この主人公の取った行動が個人的に何か釈然としない。まあ、確かにわかりますけどそれで本当によかったのかなと。まあそれとこの評価は別のモノですが、ひっかかってしまってうーんといった感じです。
しかし、作品としては本当に完璧といってもいいくらいの出来です。
アカデミー賞は当然だと思いました。
アメリカ人には、作れなかった作品
監督のスティーブ マックイーンを始め、俳優のほとんどがイギリス人というこの作品。
奴隷の黒人も、それを雇っている白人にも、
アメリカ人では、辛すぎて演じることが、大変なんだったと思いました。
マイケル フェスベンダーの演技が光ました。
陰鬱な作品。
まず、この邦題に大きな誤りがあります。「それでも夜は明ける」とありますが、いつ、夜は明けたんでしょうか。それとも、これから、夜が明けるのでしょうか。嘘はいけません。主人公は奴隷の身分から、再び、自由黒人の身分に戻っただけなのですから。アメリカ黒人の苦闘は、ご存じのように20世紀になっても続くのです。黒人が大統領になった時代でも差別は残っているのです。邦題は字幕にもあったように「12年間、奴隷として」のほうが数段、良かったように思えます。
さて、肝心の映画ですが、この作品に監督の手腕がどれだけ発揮されているのか、甚だ、疑問に思いました。スティーブ・マックイーンさんの手腕はどこら辺に発揮されていたのでしょう。私にはこの監督の表情が見て取ることができませんでした。残虐な場面が続く映画を撮るのであれば、スピルバーグやタランティーノや園子温、または、韓国人の監督でも良かった筈です。残虐な描写について、一言、云わせてもらえば、映画などより現実の方が、総じて、遥かに残酷なのです。まず、映画には腐乱死体は登場しません。ウジが湧き、ハエがたかる死体の映像はまず、登場しません。溺死体も登場しません。水を吸って、ぶくぶくに膨れ上がった死体の映像も登場しません。切腹をした後、腹の裂け目から臓物が噴き出る描写も、まずありません。私が何が云いたいのかというと、あるがままのことを全て見せては映画の品格が下がるのだ、という事なのです。このことは映画評論家の淀川長治さんがスピルバーグの「プライベート・ライアン」を評して指摘しています。歌舞伎や能ほどでないにしても、やはり、映画にもある程度の様式美は必要だと私は考えます。特に黒人の女の子が木に縛られて背中を鞭で打たれ、皮膚が裂け、血が流れる場面を観て、そのことを感じました。
この作品がアカデミーの作品賞ですか・・・。昨年は「アルゴ」。なんだか、昔よりも作品の質が落ちているような気がしてなりません。脚本の弱さと遠慮会釈のない糞リアリズムに徹した凡庸な演出が作品の質を下げているのでしょう。
黒人かスピルバーグにしか許されないであろう、娯楽映画
邦題の「それでも・・」とポスターにある、あきらめない、って意味が真逆のような気がしないでもないが、まあ、それは置いといて、途中まで、最近どっかで観たなあ、と思ったら、スピルバーグの「戦火の馬」を思い出した。
本作をもっと娯楽的に撮れるとしたら、スピルバーグしかいないのでは、とも思ったし、スピルバーグならもっと「面白く」作ったかもしれない。それぐらい本作は娯楽性にあふれている。しかし、一方で、前半の、シネスコの大作らしく、スペクタクルな映像と音楽と音響効果と、テーマに若干まじめすぎる描写のかみ合わなさが映画としての物足りなさ、あるいはマックイーンの手腕がもう少し、ということなのかもしれない。
本作、光りと音の演出にはこだわりがあり、鞭のしなる音、背中を打つ板、鞭の音、鎖の音、ととにかく不快な響き。一方で木漏れ日や夕日、燃える炎など、優しくまたははかなく輝く。12年の歳月がソロモンの顔に老いと皺を刻んでいるのを無情にもはっきりと映し出す。
その12年はあきらない結果ではなく、自身がこれまでの人間性を失い、奴隷として生きていることを認める鎮魂歌の合唱、自分の自由黒人としての象徴だったバイオリンを破壊するなど、着々と彼は、奴隷としての人生を認める手前までは来ていたのだ。だが、運が、そう運が、彼の奴隷人生からあっけなく、12年前、あっけなく仲間が救われたように自身も実にあっけなく解放される。
しかしそのあっけなさは、本人にしかやってこない。パッツィにはやってこない、ソロモンも救えない、初めから救えない。
邦題の「それでも・・」はそういう意味では、
「生きてればきっといいことあるよ」
という意味だと思うが、
「やまない雨はない、明けない夜はない」
とはちょっと違うんじゃないかな。
まあ、もうちょっと言うと、「意思でどうにか」でもないんだけどね。
正直、映画の評価としては、ラストぎりぎりまでは、特にぐっとくるものがなかった。登場人物がお決まりのキャラクターばかりなのも物足りない。
しかし、最初の自由黒人のときの昼正装のばっちりきまってる感と、連れ戻された時の老いと顔のしわ、くたびれた顔の衣装の似合わなさ感のギャップにドキっとし、ソロモンが家族と再会した時に発した言葉「apologize..」
12年間ほったらかしにして悪かった、とは悲しすぎて、つらすぎて、ここはちょっとホロリ。
やはり最後は主人公の意思で締めて正解だと思う。
追記
平等を訴える人物が、映画の中で浮きに浮きまくっているんだが、それをプロデューサーのブラッド・ピットが演じるんだが、なんだかやらしいな、と。
間合いが素晴しい
静けさ、強さ、悲しさ、優しさ…そんなものを間合いでのみでここまで強く感じたことはない。その間合いも、観る人によっていろんな感じ方があるので、一言で言い表したくない、そう感じる映画。
134分集中して観ていたことに観終わってから気付いた。目が乾燥しすぎて1時間経った今でも治まらない。
実に濃厚な作り。
カンバーバッチ好きの人が観に行くとキャーッてなります。
ファスペンダー好きの人が観に行くとうわぁ…ってなります。
ブラピ好きの人が観に行くとチョイ役でしか出てきません。
奴隷問題という重い問題に真っ向から向き合って作られたように思う作品。
重たい雰囲気のままゆっくりと進みます。
目を背けたくなるような凄惨な描写も、包み隠さずありのままに。
日本には恐らく奴隷制度というものはありません。
それがなんて幸せな事だと思える現実がそこにはありました。
痛い。心が痛みます。
途中、奴隷身分に落ちてきた白人のアームズビーに、
ノーサップがなぜ落ちてきたのかと尋ね、
アームズビーが返答する場面がありましたが
恐らく間違いではないのでしょう。
一言で言い表すと「痛い」作品ではありますが
観ておいたほうが良いと思う作品です。
観るべき映画
観ていてとても辛い映画
奴隷制度と直接関わりのない人も観るべき映画だと思う
隣の席に座っていたアメリカ出身の男性と鑑賞後に少しお話しさせてもらったが、アメリカ出身の白人の自分にとってとても辛く悲しいし目をそらしたくなる。しかし今は奴隷制度をなくす活動も行われているし、観るべきだと思う。と話してくださった
私自身、キウェテル・イジョフォーが首を釣られながらつま先でギリギリ立っているシーンや、ルピタ・ニョンゴが鞭で打たれてるシーンは目を背けたくなった
…制作にも関わっていて出演もしてるブラッド・ピットが奴隷に対して批判的な考えを持ってる数少ない白人として出演しているのは少しずるいなと思ったのは内緒。笑
究極系の理不尽。
ひたすらに重い。重いし辛い。辛いし痛い。
あのね、俺、序盤から感情移入するのを早々に止めました。無理です、感情移入は。
いや、本当、ちょっとね。自分の心を一切殺して鑑賞しないと少し精神やられちゃいますよ。
だって、奴隷じゃないのに奴隷にされるという理不尽で不条理な12年間をこっちだって追体験させられる訳ですからね。平和な世界からいきなり訳のわからないアンダーグラウンドに叩き落とされるんだから、鑑賞してる我々も「え?なんで?」となるでしょ。なるんですよ。
牢に鎖で繋がれ監禁されて口答えしようもんなら棒叩き。鞭打ち。ビンタ。船で運ばれ奴隷主に売られ謂れの無い労働を強いられる。文句言えば鞭打ち。下手すりゃ殺される。人権無視。しかもその境遇をただただ甘受し無為に過ぎて行った年月が、なんと12年。12年間ですよ?12年間、劣悪な環境での臭い飯と過酷なタダ働き。ゾっとします。
これを感情を入れて観るには、俺は心は弱過ぎました。
それとこの映画、モノローグを一切使ってないでしょ。で、クローズアップを頻繁に使う。ヴァイオリンの調律にフォーカスを当てたり、ソロモンの表情をアップで撮ったり。
そこから心情を汲み取るしかない訳です。
ソロモンや黒人奴隷仲間が何を思っているかの一切は想像するしかないんです。辛いとか苦しいとか、そんなのは当たり前なんですよ。でも、心情、心の語りを挿入しないから、やはり想像するしかない。
こちらにその全てを委ねられている。
久々にヘビーな映画に当たってしまいました。アメリカの暗部、恥部というかね。これはアカデミー賞獲って当然でしょうね。
はー。キツかった。
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