あの方、この方、あ、あそこにも。その代表格が主演を務められた福本さん。
お名前こそチェックしないけれど、クレジットに載っていないこともあるけれど、そのお顔を拝見すると、そことなく感じる安心感。
映画って大勢の人が集まって作られるものなんだなと改めて実感。
多くの立役者を際立たせてきた福本さん達。だけど、今回は山本千尋さんと言う殺陣ができる女優さんがいらっしゃらなければ、あれだけの感動的・美的なラストシーンはありえなかったろう。福本さんを引き立てる周りの役者達。
監督来日トークショー付き上映にて鑑賞。
他の方々も書かれているように、福本さんの生きざまにいろいろと刺激を受けた。
何よりすごいのは、年功序列がまだ幅を利かせていた太秦で、USAで学んできただけの青二才の日本人監督なんて、本来箸にも棒にも引っかからない扱いをされても仕方ないのに、「福本さんの主演映画」と言うだけで、色々な方が協力して下さったとの事。福本さんのふだんの仕事ぶり、周りの人との関係の持ち方とか、本当に色々なことの集大成なんだろう。
また、劇中香美山が御大から頂く言葉は、本当に福本さんに萬屋錦之介さんがおっしゃられた言葉だとの事。自分が自分がと自分の手柄ばかりを考えるのではなくて、どう動いたらこの仕事が成功するのか、ベストになるのか理解して動けることが、本当に仕事ができるってことなのね、時には黒子になったり、引き立て役になったり汚れ役になったり。そういう中で自分の得意ポジションを掴んで、唯一無二の存在になる。う~ん、深いわぁ。燻銀の存在感てそういう自分の心との戦いによって得ていくものなんだ。
パンフレットの福本さんへのインタビュー記事では「立ち回り出来たらもっとキャメラに近寄れると分かって、一生懸命稽古しました」「怒られながら教えてもろて。死体役の時も薄目で先輩の立ち回り見ながら覚えました。」「チャップリンさんの映画をみたら、どーんって思いっきり倒れてはって、それで皆笑うんです。そこから学びました。」「研究しているうちに、スターさんのお顔と斬られた自分の顔とが同時に映れば面白いんちゃうかと、『海老反り』を考えました。」とのこと。
光が当たらぬ仕事でも、より良くと研究を欠かさない。相手に光を当て、自分にも当てる方法を探り出す。映画の中でも香美山は稽古を欠かさない。
「でも、こう斬られようとか思てもあかん。自然に、気持ちで斬られた時がうまくいった時です」とも。日々の研究・稽古があったればこそ。努力を披露することばかりを考えるのではなく、一度流れに身を任し臨機応変に対応する能力。本当の実力。
「一生懸命やっていれば、どこかで誰かが見ていてくれる」はこの映画のメッセージ。でも、福本さんは「といっても、見てくれない方が多いんですわ、ほんまの話。でも、『誰かが見ていてくれる』というのを信じてほしいです」とインタビュー記事の中でおっしゃる。そこで腐るか、努力を続けるかなんだなあ。
実際、福本さんも入っている東映剣会の皆様も日々研究・研鑽を怠らない。
正直、映画の出来としては☆3つ。
他のレビュアーの方々も書かれているように、唐突に改心して、おいおいって感じになることに違和感感じるとか、繋がらない場面が多数あって、物語をもうちょっと丁寧に、かつ掘り下げてほしかった。
太秦を知らない監督だから描き出せた映画なんだろうけど、かゆいところに手が届かない感満載。
と、突っ込みどころ満載だが、先に書いた、するめを噛むような味わい深い人生哲学とか、福本さんと山本さん、他の剣会の方の殺陣を観るだけでも幸せ。
チャップリン研究家の大野さんが脚本・プロデューサー。チャップリン家にもお伺いを立てて、取材を開始。他の作品のラストの立ち回りを見学したり、エキストラしたり、…東映剣友会とも交流を深めながら、制作の機運を盛り上げていったとか。
そこにプロデューサー・コウ・モリさんが加わるも、一時中断するが、太秦の職人、監督・撮影監督が布陣されて制作された映画。
もっとも尊敬する俳優はチャップリンという福本さん主演。チャップリンのデビュー100周年に公開と、そろいもそろったところも皆の思いの詰まった映画。
(パンフレットより)
香美山の故郷のロケ地になった淡路島。たまたま淡路島を訪れたとき、どこか郷愁を掻き立てられる、とても落ちついた気分になるなあ、初めて来たのにと思っていたら、この映画のロケ地だった。
時代劇ファンだけでなく、仕事する人、裏方に徹することが多い専業主婦、子育て中のお母さん、人生に居場所がないなんて思っている人、いやいや全ての人に観ていただきたいです。