「愛情は憎しみとなり」フォックスキャッチャー 近大さんの映画レビュー(感想・評価)
愛情は憎しみとなり
1996年に起きた大財閥の御曹司によるレスリングのオリンピック金メダリスト射殺事件の映画化。
アカデミー賞では作品賞候補は逃したものの5部門ノミネート、カンヌ国際映画祭監督賞受賞の力作。
実はレンタルで見たのは3ヶ月も前。
なかなかレビューがまとまらず、いったんはレビューは諦めたが、でもせっかく見たので(なかなか見応えあって思ってた以上に気に入ったし)、今更になっての簡易レビュー。
スティーヴ・カレル、チャニング・テイタム、マーク・ラファロ、メイン3人の演技が素晴らしいの一言に尽きる。
特にカレル!
コメディのイメージが強い彼の一切の笑いを封印したシリアス演技は病的なまでに不気味で、見てるこっちが冷や冷やするほど。恐ろしさと共にその佇まいには哀しさも漂う。
チャニング・テイタムも単なるマッチョメンでない事を証明し、マーク・ラファロは言うまでもなく演技巧者。
暗く静かで淡々とし、派手な見せ場や劇的な出来事は皆無。人によっては退屈に感じるかもしれない。
が、無駄な要素はとことん削ぎ落とし、緊張感は終始途切れる事無く、登場人物の心理描写を深くえぐり出したベネット・ミラーの演出は賞賛モノ。
オスカー監督賞ノミネートはサプライズと言われたが、妥当。
レビューがまとまらなかった最大の要因は、登場人物の複雑な心理描写。
あの場面でこの場面で、あの時この時、何を思ったのか、何を思っての行動だったのか、その時の感情や真相心理は…?
また考えるだけで頭の中が堂々巡りしそう。
なので、なるべく簡潔に感じた事を自分なりに…
妄想型精神分裂病を患っていたジョン・デュポン。
もし患っていなかったら、面倒見が良く、話も分かる、レスリングを愛し、そしてお金も持っている理想的なパトロンだったろう。
彼がいつ病を患ったかの経緯は描かれないが、原因は察しがつく。
母親に愛されたい、認められたいの一心。
その過剰なプレッシャーが、ある日何処かで、デュポンの心を狂わせた。
デュポンとマークは通じるものがある。
孤独やプレッシャーを抱え、愛に餓えている。
と同時に、決定的な違いもある。
空虚な心を受け止めてくれる器、つまり相手。
マークは兄デイヴに引け目を感じる事など微塵も無かったのだ。
最も苦しい時、辛い時、傍に居て支えてくれたのが兄。
デュポンには受け止めてくれる器が居なかった。
マークは自分と同じと思っていた。
だから自分の支配下に置けるとも思っていた。
なのに…
あいつは違った。
あいつは裏切った。
孤独なのは自分一人だけだった。
たくさん目をかけてやった愛情は憎しみとなり。
憎しみの矛先は器へ向けられ、壊す。
人の心の闇、愛憎は、深く複雑で、重く。
簡潔にまとめようと思っていたのに、結局長々と(>_<)
お気持ちわかります。
なんだか、胸がキューッと痛くなるような映画ですよね。
デュポンの毒母親役が好きな女優さんなのですが、この母親のせいで息子は心病みましたね。
一番愛されたい人に蔑まされるって、キツいと思います。