「The dead is dead. ボンドを殺す浅い心理描写とフォーミュラの復活」007 スペクター wonderwalkerさんの映画レビュー(感想・評価)
The dead is dead. ボンドを殺す浅い心理描写とフォーミュラの復活
「続編をやるくらいなら手首を切り落としたい」。英国スパイのジェームズ・ボンドを演じて4度目となるダニエル・クレイグは『Spectre』の撮影終了直後にそう語っている。007シリーズ24作目となる本作は前作『Skyfall』の成功を受けて制作費がシリーズ最高の3億ドルに膨れ上がり、監督はサム・メンデスが続投。上映時間も148分と史上最長の尺となった。資金も労力も惜しみなく投入された本作だが、浅い心理描写と懐古主義的なフォーミュラの復活により、007ファン以外の心には響かない作品となっている。
『Spectre』はメキシコシティの「死者の日」を舞台にした長回しから始まる。1500人以上のエキストラが動員されたというこのシーンのビジュアルインパクトは相当なもので、新たに撮影監督として抜擢されたホイテ・ヴァン・ホイテマの手腕が冒頭から光る。しかし実際の物語が進行し始めると、闇の組織「Spectre」の陰謀とボンドが属するMI6の解体という既視感あるストーリー、そしてそれを繋げるボンドの過去というご都合主義が没入感を損なっていく。ネタバレは避けるが、その強引さたるやダニエル・クレイグ時代の作品それぞれの魅力を犠牲にしかねないものだ。脚本はボンドの過去を引きずりだすが、内面に踏み込むことはない。代わりに、往年の作品を彷彿とさせるオマージュが随所に散りばめられ、巧みな仕掛けと派手なアクションシークエンスの掛けあわせが続く。映画は満腹感を感じさせつつも、余韻を残すことないまま幕を閉じる。
本作の重大な欠陥はジェームズ・ボンドの過去にこれまで以上に迫るプロットを組み立てながらも、実際に彼の心を探ることはないという点にある。半世紀も続くジェームズ・ボンドは時代遅れなアイコンだ。時代の変化と共に迷走し、90年代にはカリカチュアされた存在になってしまっていた。しかし、2006年に『Casino Royale』で登場したダニエル・クレイグは、マスキュリニティを全面に押し出し、無骨で、勝手で、器用とはいえない男を演じることで、ボンドを血の通った人間として再定義した。00になる前の姿を描くことで、過去を清算し、未来も不透明な「人間」として彼を生き返らせたのだ。しかしその後、シリーズは連続性を強め、過剰なまでに人間性を強調することで彼をしがらみだらけの男に変えてしまった。『Spectre』が彼の過去を都合よく再編することでドラマ性を作りつつも、陳腐な007映画のフォーミュラを復活させることでしがらみに目を瞑ろうとしているのは皮肉としか言いようがない。
007シリーズは大人のファンタジーなのだから、現実逃避ができればよいという人もいるだろう。実際この映画はゴージャスな映像表現に溢れているし、エンターテイメント性も高い。だが、形骸化したフォーミュラに縛られたボンドを観ても心を動かされるものがなかった。彼の物語に強引にケリをつけようとする結末により、ダニエル・クレイグによるボンドはこれで幕を下ろしてよいという声も聞く。でも、僕はもう一本だけ彼にジェームズ・ボンドを演じてほしい。過去にも、未来にも縛られない時代を超えた男としての姿を時代に焼きつけて、幕を閉じてほしい。