悪の法則のレビュー・感想・評価
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無駄遣い
まず、ストーリーが強引に進んでいきます。
え?何の話?という話の始まり方で、話が進むにつれ理解するしかない。
さらーっと見ていると全く理解できない。
結局黒幕は、、、ってなんかあれこれでいいんだよね?と確認をとりたくなるような映画です。
出演人の豪華さで下調べもせずに見に行ってしまいましたが、映画館でなくてもレンタルDVDで十分な作品です。
1800円も出して見る映画ではなかったです。
期待が~…
期待して通常料金で観た私のような一般人にとっては今年最大級の駄作だと思います。ただ、敏腕弁護士があんなにバカじゃないでしょ!?あと無傷で生き残ったのが死刑囚の母ですし、多分弁護士と組んで復讐すんじゃ!?とか…。
ペネロペ・クリスのあんまりな役に比べてキャメロン・ディアスの異常な役の作り込みから見て続編作りますよ。絶対。
『悪の世界の掟』
この豪華役者陣のポスター見たら映画好きは観ないわけにはいかないでしょ?って感じでさっそく公開初日に鑑賞。内容は微妙。でも玄人好みのドラマ性。
表社会の象徴的存在のようにカテゴライズされる弁護士でかつイケメンが闇の世界の甘い欲望に吸い寄せられ、悪の道をかすめてしまう。
悪の世界からの度重なる忠告にも関わらず、いつしか取りつかれてしまった麻薬にほんの少しのボタンの掛け違いによって悪の世界を取り巻くシビアな地獄へと急転直下、表社会で交わる大切な愛する人をも巻き込んで破滅へと追い込まれる。
人間誰もが吸い寄せられる衝動に駆られる悪の世界への魔力。その人間の脆さや邪念を巧みに描くストーリー、随所に出る深く重い言葉(台詞)の数々は秀逸。
『悪の法則』とは『悪の世界の掟』というメッセージ。賛否両論ありそうな映画、がこの豪華役者陣によって決して軽薄さがない濃厚さにはきっと満足。
臆病者ほど残酷
リアルなサスペンスというよりも、寓話的な話。
別に弁護士とメキシコマフィアの騒動を描きたかった訳ではない。
あらゆる時代、あらゆる国に当てはまる普遍的なテーマを描いている。
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主人公の弁護士に、周りの人間は麻薬マフィアの残虐さを長々と話す。
彼らは、弁護士に危険を「忠告」したのではなく、
麻薬ビジネスに加担しているオマエもその残虐さの一員なんだと罪の「告発」をしていた訳だが、
そのことに弁護士は気づかない。
いや、気づかない振りをしている。
周りもやっているからと流されている。自分は残虐ではないと勘違いしている。
そうやって罪から目を背けている。
目を背けた結果、惨劇が起きる。
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流される事、目を背ける事、その先の悲劇を想像しない事、自分の責任だと分かっていない事
それは、歴史的に繰り返し起きている。(唐突すぎる例かもしれないが、現在公開中の映画「ハンナアーレント」のナチス親衛隊アイヒマンだって同様なのかもしれない。彼が特別な極悪人だった訳でなく流されてしまう凡庸さが苛烈な歴史を生んだのかもしれない。)
そういった大きな時事や犯罪だけではなく、もっと些細な事であっても
日常的に、気づかずに、もしくは気づかない振りをして、他人を踏みつけにしている事はないだろうか。
罪の意識もなく流されている事はないだろうか。
全く無いと言い切れる立派な人は、この映画を必要としていない。
(もしかしたら気づいていないという点において、最も必要としている人なのかもしれない。)
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自分の残虐さから目を背ける者こそが一番残酷。
ラストのセリフ「臆病者ほど残酷」が耳に残る。
傑作だと思う。
傑作だと思う。
アカデミー賞脚本賞のノミネートは、ほぼまちがいないのでは。
しかし、ここでの評価は芳しいものではない。
そりゃあ、まあ、そうだ。マイケル・ファスベンダー、ペネロペ・クルス、キャメロン・ディアス、ハビエル・バルデム、ブラッド・ピット、ハリウッドを代表するスターが登場するのだけれど、ストーリーも描写も役柄も、陰々滅々、暗澹冥濛。そのため、羊頭狗肉、ふざけるな、と思ってしまうのだろうし、話の展開だって説明不足なところもある。でも、そんなことは、百戦錬磨な作り手と演じ手は百も承知。闇の世界、裏社会を、そして、この世には不条理なこと(=筋が通らないことや道理が立たないこと)も存在するのだということ、それを我々に映像で疑似体験させてくれるのだから。それも天下の美男美女によって。
セリフの数々がふるっている。
主人公が若干の報酬は得るにせよ、職務として至極真っ当で取るに足らない行為によって、想像するだにしていなかった事件に巻き込まれ、しかし、相手からするとそれは裏切り行為であって、それを画策したのはあくまでも主人公だと思われ、これは主人公にとってはなんとも理解しがたい不条理な局面。そんな局面を少しでも好転させようとメキシコの有力者にじかに相談、そののち電話で必死に援助を請う主人公に対し、その有力者は、
「オレにわかるのは、あんたが自分のした間違いを何とかしようとしている世界は、あんたが間違いをしてしまった世界とは別の世界だってことだ。あんたはいま自分が岐路に立って進むべき道を選ぼうとしていると思っている。でも選ぶことなんてできない。受け入れるしかない。選ぶのはもうとっくの昔にやってるのだから。」
と穏やかな、しかし有無を言わさぬ説得力をもって、告げられる。
美しく愛しい婚約者も行方不明となってしまい、主人公の途方もない絶望感、どうしようもない閉塞感、惨殺されるのではという恐怖感、それらが、観客も拒否することができすに、ヒシヒシといやおうなくスクリーンから押し寄せてくる。
そうなのだ、僕らは日々、選択して日常を過ごしている。
その瞬間ごとの選択をどこまで意識しているかにかかわらず。
その結果が、いままさに、自分の置かれている状況。
今朝、一日を過ごすための靴の選択に少しの躊躇が生じ、その迷いの時間が生じたために、通勤途上で交通事故に遭遇せずに済んだのかもしれない。こう書くと運命論者めいてくるのだが、それでも、よりよい明日のためには、そのときに最善と思われる選択をするしかない。
だから、この映画を見終わって結果的におかんむりになってしまった観客も、数ある上映中の映画のなかから、この映画を選択した時点で、もはや泣こうが喚こうが身をゆだねるしかない。そして、作り手と演じ手が披露するこのストーリーとこの映像だからこそ、巨大な説得力を伴って観客の上に注ぎかかるコーマック・マッカーシーによる極上の警句の数々、それらを味わおうとしないのは、あまりにも惜しいと思う。
まあ、ガールフレンドと2人でデートムービーのつもりで見に行って、「傑作だったね」 と言おうものなら呆れ顔をされてこれっきりにされる可能性は低くはない。でも、それはそれ、その言葉を選択して、彼女に告げてしまったのはあなたなのだから。
長話の法則。
かなり前から大宣伝予告していただけあって、宣伝効果は
あったものの、これだけのスターを起用してこの仕上がり?という、
なんかもう、纏まりに欠ける脚本の法則?を感じてしまった本作。
原作には忠実なんだろうけど、まぁ~とにかく陰惨な話の連続で、
そのうえ85%強がダイアローグときてる。長い、長い、長い、長い…
一体コイツの話をどれだけ聞いてりゃいいんだよ?と堪え性のない
私のような人間には不向きな作品かもしれない。。
しかし観終えてしばらく経つと、確かに邦題通りかもしれないな~
という、妙な説得力は芽生えてくる。
野生の法則じゃないけど、確かに悪の上には、さらなる極悪が
存在していて、お前らなんかクソ同然。とばかりに脅しにかかる。
今作の黒幕の存在は(どう見ても)まったく謎ではなかったので、
あの顔つきといい、やってること、言ってることといい、コイツが
陰でなんか企んでるんでしょ?という具合だった。加えて主人公の
カウンセラーが、何だか気の毒というよりあんたバカ?と思うほど
まんまと罠に引っかかる。あれで敏腕弁護士なの?ホントにー?
真面目なウサギを餌食にする強欲動物がすぐ近くにいるのに。
キャー、怖い!でもゼンゼン話が進んでいかないんだわ。
ブラピが出てきて延々とカウンセラーに説教するその言葉が、
後でまんま効いてくるところも、エェ~という感じでひねり感ゼロ。
怖い話はそのまんま怖くて、怖い存在はそのまんま怖い。
だったら初めからよく心得ておけ。と素人の私でも申し上げたい。
某国を悪く言いたくはないが、先日観たドキュメンタリーにもあった
ように、簡単に人が殺されて、さらにはゴミとして捨てられる現実。
生まれたばかりの赤ん坊ですら、あの場所に遺棄されるんだそうだ。
そんな場所で生活している(例え永住じゃないにしても)外国人なら、
外でなにが行われているのか、少なくとも勉強しておくべきだし、
周囲に何らかの悪が存在することにアンテナを張っておくべきだろう。
幸せボケしているのは日本人だけじゃなかったんだー。なんて、
こんなところで納得したくないほど、首へのホラーが襲いかかる。
(キャメロンの車上シーンはまさに悪夢^^;想像するだけで怖すぎ~)
ウェストリーについて
ブラット・ピットが演じたウェストリーについて。
ここにあるレビューを拝読して、誤解もあるようなので記します。
ウェストリーが最後になぜマルキナによってあのような陰惨な手段で殺されたかというと、ウェストリーがマルキナを出し抜いたからです。
映画後半でのマルキナの電話の相手が誰であるかは示されませんが、(麻薬が)どこに運ばれるかは分かっていると、感情的にマルキナが伝える相手はウェストリー以外にはありません。麻薬組織の手によってではなく、マルキナによってウェストリーは殺されるのですから。
ウェストリーから奪ったPCの画面に写し出される銀行口座には、おそらく報酬の2000万ドルが振り込まれているでしょう。
シカゴに届くまでに麻薬を奪い返すことはできないと悟ったマルキナは、即座に考え方を変えて、ウェストリーの口座自体を狙ったのです。
ウェストリーは、もしものことがあれば修道院にでも入るなどと冗談を言っていましたが、元々計画していたかのようにロンドンに降り立ち、リムジンに乗り、ひっそりと身を隠すでもなく堂々と高級ホテルに入り、受付で女性を口説いていることからも、足を洗う気などなく、まだ計画が進行中であることがわかります。うまく出し抜いて、大金が入り、気持ちも緩んでいるように見えます。
唯一ウェストリーが感情的になるのは、登場の最初のシーンで、カウンセラーの口からマルキナの名前が出たときです。もしかしたら、サングラスを外したときに見える目元の痣は、マルキナ絡みのものかもしれません。マルキナの計画を一緒に進めていた、もしくは何らかの事情で知っていたウェストリーが、マルキナが奪った下水処理車をさらに奪ったのです。
最後に登場する投資コンサルタントの男性の元々の顧客はウェストリーでしょう。ウェストリーはこの世を去り、代わりにマルキナが現れた。彼はマルキナと組むしかなく、だから、あのような探り合いの会話になるのでしょう。
これから始まる殺し合いは、元の組織と、ウェストリーが裏で組んだ組織、マルキナが率いている組織によるものと推測されます。マルキナが裏で動いていたことが判明する可能性は大きいので、アメリカには戻らないのでしょう。おそらく香港でもない。
バイカーが殺されたあと、ウェストリーがカウンセラーをわざわざ呼び寄せて助言をしたり、アメリカからの去り際に再び電話の相手をしているのは、自分が裏で動いていることのカムフラージュだと考えられます。多少の良心の呵責もあったのかもしれません。最初からウェストリーは、カウンセラーに助言のようなことをしていますから。目の前の男の行く末を、最初から知っているのですから。
この作品でもっとも惹かれたのは、メキシコの国境近くのカフェで、カウンセラーと店主が話すシーンでした。妻も娘もなくして生きている自分がもっとも無意味な存在だと語る彼に、カウンセラーのその後を見るようです。映画では描かれることがない、10年、20年先を生きているカウンセラーの姿。国境の外れにある町の片隅の小さな店で、寝入ってしまった客を起こし、食器を片付け、シャッターを閉める、次の朝にはまたそのシャッターを開け、その繰り返しのなかでただ時間が過ぎるのを待っている。
最後に余談です。
カウンセラーは、ローラのスナッフフィルム(DVD)が届くことで絶望のどん底に落とされますが、それ以上のどん底が、10年以上前の日本映画に映っています。
哀川翔・香川照之主演、黒沢清監督の『修羅の極道 蛇の道』。
どうやら規定でリンクが貼れないようです。
この映画、おそろしいですが、おそろしいくらいおもしろいです。
もしもリドリー・スコット監督が『悪の法則』の制作前にこの作品を見ていたら、きっと脚本に手を入れ直していたでしょう。
パンフレットに寄稿する評論家も大変だ
先だって公開された『ワールド・ワーZ』といい、映画配給会社は短期決戦でとりあえず集客ができればいいとでも思っているのか。もちろん、集客は大事だし何よりそれがビジネスではあるが、『悪の法則』という邦題、「黒幕は誰だ?」的な煽り、いずれもこの『The Counselor』には相応しくなかった。あまりにも作品とかけ離れた邦題を付けて見当違いな煽りを入れるのは、映画に対する敬意が欠けていないだろうか?とはいえ、そういう配給会社対する不信を覚える一方で、ぶっちゃけそうでもしないと結構きつい映画であるのもまた事実だ。
この映画、肯定的に言うなら「俳優の贅沢な使い方」であり否定的に言うならば「俳優の無駄使い」だ。マイケル・ファスベンダーは相変わらずいい演技をしていたし、見ようによってはペネロペ・クルスもブラッド・ピットも「彼らがああいう使われ方をする」というのもある意味斬新かもしれない。しかしバビエル・バルデムはどう見ても松阪牛をウェルダンに焼いたぐらいのすごい無駄使い感がハンパない。どうしようもない肩透かしで悪い意味で仰天してしばらく開いた口が塞がらなかった。加えて構成がどうもおかしい。そもそも何故キャメロン・ディアス扮する悪女は薬の売買のルートを知り得ることができたのか?主人公が担当していた受刑者は国選であてがわれたのであくまで偶然だし、その運び屋の息子の身元引受人になるのも偶然だったはずだ。それを何故計画的に奪うことができたのか?ペネロペ・クルスは主人公の女だから「ああなった」のにメキシカンから見たら同位置にいるようなキャメロン・ディアスはなぜ無事なのか?さらには語られないことも多過ぎる。男達三人の関係も、主人公がどれほどコアに薬物の売買に手を染めていたのか、「危ない危ない」みたいなことばかり皆口々に言うが(そのくせ絶体絶命だというのに主人公以外妙に冷静だったり)、当の危ないことが一切描かれていなかったりと、つまりはこの映画には観客を説得するという手段が尽く抜けているのである。そのせいで、ただ単に残虐な描写をして観客を陰鬱な気持ちに落とし込みたいだけの、製作者の性格の悪さがにじみ出ているかのような印象すら受けてしまうのだ。その製作側の残虐性の最たるものがブラピの末路だ。劇中で説明されていたように、あの処刑方法はメキシカンが見せしめにやるやり方であって、別にキャメロン・ディアスがその方法をやる必然性はどこにもなく、ノートPCが欲しいならひったくるなり後ろからナイフでぶっ刺すなりすればいいだのであって、あんな陰惨な死に方をする必要などはどこにもないのだから。
別に自分が善人だといいいたいわけではない。ただ映画の造りとして安易なハッピーエンドが胡散臭いのと同様、安易なバッドエンドも十分に胡散臭いのである。特に不条理という受け入れがたいものを観客に飲み込ませるなら、ハッピーエンド以上に構成や主題に気を使わなければならない。少なくとも同じコーマック・マッカーシー原作の『ノーカントリー』にはそれがあったのだが……。
エゲつない...
予告編のイメージからいい意味で期待を裏切られた。
法則性のない不条理の嵐にさらされ、次第にゲームオーバーを実感していくファスベンダーのマジ泣きはあまりにもリアル!
小学生の頃近所の悪ガキに不条理な暴力をうけた時の涙とおんなじだ。
共感とかいうクソみたいな感情の入り込む余地のない涙とは、なんて味わい深いものなのだろう。
ともあれこの作品は万人に向けて作られた物ではなく、他人の不幸を蜜として喜ぶクズにはたいそうウケがいいであろう。
そういう奴はたいてい惨めったらしい貧乏人と相場が決まっているものである。
ワイヤー巻き取り式首切断機などのガジェットも秀逸!非常におすすめ!
超ドS級のクソ映画だ!
というのが、最初の感想。
しかし、嫌いじゃない。
後から考えれば考える程に味があって面白い映画であった
これから確信に迫るのか?という場面で映画がプツッと終わりエンドロールに入る
周りの観客からは「意味が分からん」との声があちらこちらから聞こえてきていたが、私も度肝を抜かれながら考えた
分からない部分は...なかったではないか
全てにおいておおよそ想像がつくのだ
そして、その想像がおそらく正解なのだと
確信に迫らずして確信をついた。
新しい感覚の映画であった
監督さすがだな...
と、頷いてしまう作品なのだ
大胆な描写でひきつけた冒頭のペネロペの官能的なシーンから、目を覆いたくなるような殺害シーン。さらにはこれ以上ない恐怖感を間接的に観客に煽ってくる。
そして、顎が抜け落ちそうなラスト
このような描き方ができる監督はやはりリドリー・スコットならではないだろうか...
いい話ではないにしろクオリティは高かった
そう思える映画であった
悪の法則
豪華な俳優と監督の割にはわかりにくい。いったい誰がどういう役割なのか老化のためかとあきらめました。でも女優が年相応な老け方をするものだと感じてしまいました。お金があったら観に行ったらいいでしょう。
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