猿の惑星:新世紀(ライジング)のレビュー・感想・評価
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戦争の始まり
ベストセラーに通じる普遍のテーマ
旧シリーズから続く世界観を現代的に描き直した『猿の惑星』の新章として、『新世紀』を観ることにしました。前作を踏まえた物語がどのように展開していくのか、そして人間と猿との関係がどの段階に差しかかるのか、その変化を確かめたいと思ったのが理由です。
特に印象に残ったのは、人間と猿との間にある「共存」と「対立」のはざまの緊張感です。前作で知性を持つようになった猿たちは、独自の社会を築き、シーザーを中心に秩序を保っていました。一方で、人類は崩壊した文明の中で生き延びるために必死であり、両者は微妙な距離感で接触します。ベストセラー小説のように普遍的なテーマが描かれつつ、シーザーのリーダーシップや仲間を思う気持ちが強調され、物語に厚みを与えていました。特に、シーザーと人間の間に信頼関係が芽生えそうになりながらも、誤解や裏切りによって崩れていく様子は、観ていて胸が締めつけられるようでした。
この作品から学べるのは、異なる立場にある者同士の信頼構築の難しさと、その大切さです。ビジネスの現場でも、相手が顧客であれ取引先であれ、価値観や利害は必ずしも一致しません。だからこそ、表面的な利害調整ではなく、相手の立場に立って考えることが必要になります。小売りやコンサルティングの経験でも、信頼を築くのに時間はかかりますが、それが崩れるのは一瞬です。まさに映画の中で描かれた緊張関係と同じだと感じました。
『猿の惑星:新世紀』は、単なるSFではなく、人間社会に通じるテーマを描いた作品です。対立を超えて共存を模索することの価値を、強く実感させてくれました。
2度目の鑑賞 前作から10年後、猿はシーザーのもと社会を築き、人間...
「お猿さん!嘘つかない」
地球が寒くなった理由が分かった。
産業革命以来炭酸ガスが増加して火力発電をやめたから、地球が寒くなる。なんかおかしくないか?
エイプもなにもリスクかけてまで躍起になる事は無い。全部やらせて、線を切ればあ良い。完成した電力はいただける。
何をみんな怒りまくってんだ。
折角、人間が自滅してくれるんだから、物見遊山で高みの見物。
APE以下の黄色いマンキーの子孫はそう思う。
この事件は多分、アメリカだけの出来事の様な気がする。サンフランシスコ発祥で、せいぜいマンハッタンだけなんだから、エテ公に太平洋は渡れない。ウィルスに耐性を持つ人間も出現しているから、日本、中国、インド、勿論、ヨーロッパ各国やロシアまで人間は残っている。つまり「猿の合衆国」って事だ。
昔の西部劇に「悪いインディアン(差別用語)と良いインディアン」がいたように「良いエテ公と悪いエテ公」がいる。
真面目に働く動物園の飼育員や研究員の皆様
どうか、そうじゃないと言ってください。
こんな映画で
馬に跨り銃を手に仲間を引き連れて人間に襲いかかる敵猿コバ、その歯を剥き出した表情の描写は狂気じみていて迫力
マット・リーブス 監督による2014年製作(131分/G)アメリカ映画。
原題または英題:Dawn of the Planet of the Apes、配給:20世紀フォックス映画、劇場公開日:2014年9月19日。
SF映画のはずだが、ストーリーは第一話登場のシーザーを中心とした猿社会を主舞台としている。それがまるで、マフィア映画で親分の座をめぐっての抗争映画の様で、かなり興醒めする部分もあった。
そんなに古い映画では無いが、シーザーの家族描写では、妻は夫に従い、あくまで夫が守ってあげる存在。群れのボスたる夫は、かつての友コバの裏切いにあい、銃で撃たれて瀕死の状態になってしまう。その後、少数の仲間と息子も闘いに参加してくれて、何とか危機を切り抜け、ボスの座を再度取り戻す。なんか、とても古臭い物語構成と思ってしまった。
ただ、シーザーをやっつけて馬に跨り銃を手に仲間を引き連れて人間に襲いかかるコバ、その歯を剥き出した表情の描写は、狂気じみていて、出色に感じられた。憎々しい悪役を造形したトビー・ケベルとモーション・キャプチャー技術に拍手。
監督マット・リーブス、製作ピーター・チャーニン、 ディラン・クラーク、 リック・ジャッファ、 アマンダ・シルバー、製作総指揮トーマス・M・ハメル 、マーク・ボンバック、キャラクター創造リック・ジャッファ 、アマンダ・シルバー、脚本マーク・ボンバック、 リック・ジャッファ 、アマンダ・シルバー、撮影マイケル・セレシン、美術ジェームズ・チンランド、衣装メリッサ・ブラニング、編集ウィリアム・ホイ 、スタン・サルファス、音楽マイケル・ジアッキノ、視覚効果ジョー・レッテリ。
出演
シーザーアンディ・サーキス、マルコムジェイソン・クラーク、ドレイファスゲイリー・オールドマン、エリーケリー・ラッセル、コバトビー・ケベル、アレクサンダーコディ・スミット=マクフィー、カーヴァカーク・アセベド、ブルーアイズニック・サーストン、ロケットテリー・ノタリー、モーリスカリン・コノバル、コーネリアジュディ・グリア。
面白いけど…
ジェネシスの続編
猿の惑星は何度もリメイクされた。
当時から大好きだったが、そのアイデアからインスパイアされるストーリーは今後も続きそうだ。
さて、
この作品の大きな概念であるサルが人間化するという部分
そこに見られる「言葉」をしゃべり始めたこと。
人間は犬や猫や鳥たちが言葉を遣えないから馬鹿だと考える。
しかし個人的に思うに、彼らは見た映像そのものを仲間に転送することができると考えている。
つまり言葉など不要なのだ。
そして、そもそも彼らは右脳中心で生きている。
つまり「いま」しかない。
だから頭の中のおしゃべりを、彼らは経験しない。
人間はいつからか、左脳中心へと移行した。
だからいつまでも過去に囚われ、ありもしない未来を恐れる。
コンピュータもAIも、そしてこの作品のような概念もすべてが「左脳」の概念で出来ている。
左脳の代わりを人間が一生懸命作っている。
確かに左脳はこの文明を作ってきた。
しかし同時に敵も作る。
もしサルが言葉をしゃべるとき、その前に映像転写機能が失われることになる。
それが起きた理由は「分離」になるだろうか。
日本で言えば縄文時代にあった能力が、それ以降で消えたということだろう。
大和朝廷 卑弥呼… ヒエラルキーの登場
支配するものとされるものはまさに分離だ。
そうしてますます左脳優位の社会構造が出来上がった。
もしかしたら、宗教なるものがヒエラルキーを作ったのかもしれない。
しかし、
この猿の惑星のシリーズは間違いなく面白い。
ただ、SFという軸で考えれば、その考察はボタンをかけ間違えているんじゃないかと思う。
まったく勝手なことを言ってしまうが、
もし私が新しい猿の惑星を作る場合、ヒエラルキーのない社会構造を、人間の失敗した過程をサルたちが特定し、同じ轍を踏むことなく新しい社会を作り上げていくという物語のするだろう。
ヒトの世紀が終わろうとしている。
原題
Dawn of the Planet of the Apes
感想
『猿の惑星: 創世記』の続編。
壮大なる起源から、想像を絶する新世紀へ。
猿と人類の存亡を懸けた決断ー共存か、それとも決戦か。
新たな地球の支配者が決する瞬間を目撃する!
上映時間131分とちょっと長いなと感じましたがが見応えありで楽しめました!
どちらも理由があるにしても人間側、エイプ側と発端となる者がいるから戦争って起こるんでしょうね…。
全然、共存できそうなのに…。
やはり人類は一度滅亡したほうがいいですね笑
コバの暴走は残念でしたね。
シーザーはより凛々しいリーダーになりましたね。
瀕死の際、運ばれた先が実家だったのがよかったです。
たくさんの思い出とビデオカメラ…。
個人的にはモーリスとロケットが好きです。
赤ちゃんチンパンジーが可愛すぎました!
次は猿の惑星: 聖戦記を観ます!!
※エイプはエイプを殺さない
前作よりも猿の登場シーンが多く、内部でも対立がありハラハラ
前作よりも猿の登場シーンが多くなり、内部でもシーザーとコバの対立がありハラハラして楽しめた。コバがずる賢くて憎い。人間に散々な目に合わされてきたから、気持ちわからんでもないけどやりすぎっしょ。最後シーザーが成敗してくれてスッキリ!
主人公は地味でパッとしないから前作の方が好き。家庭環境も複雑そうだし全体的に暗い。
つぎはいよいよラスト。「猿の惑星: 聖戦記」楽しむぞー!
猿の惑星:新世紀(ライジング)
出来はいいけど大切なことが忘れられている
続編としても、単体の映画としても面白いと言いたいところですが、基本的には、『猿の惑星:創世記』を見ていないと、話の方向性が理解できず面白さも半減するでしょう。
VFXは極限まで高められ、猿が人間にとって代わる過程がていねいに描かれています。もはや、着ぐるみや特殊メイクでは及ばない領域まで映像が進化しています。モーションキャプチャーと、スタント、VFXを駆使した演技は、サルたちの描き分けや、表情、アクションまでどれも最高のクオリティです。このレベルの映像が作れるのはハリウッドでも限られたスタジオだけでしょう。
ドラマもしっかりと作ってあり、キャラクターの描き分けや相関、人間と対立に至るまでの過程に、無茶な展開もなく、本当にぴったりとパズルのピースがハマった感じです。でも、どうしても納得いかない点がふたつ。
ひとつ目は、このジャンルの根源的な問題点ですが、人類が文明を失った後を扱ったドラマにつきものの、ディストピアの描き方に、何ひとつとして目新しさがないこと。『ウォーキングデッド』シリーズですら、時間と予算をふんだんに投入して文明喪失その後を描いているようでいて、実は銃社会から抜け出せていません。これは、アメリカの国土が舞台になる以上避けられない問題なのでしょうが、強い武器を持つものがその世界を支配するという不文律が必ず成り立っていることです。
このジャンルは、核戦争、電源喪失、水の枯渇、謎の病原菌、ゾンビなど、様々な理由で滅亡寸前の人類が、秩序を取り戻し、生き残っていくさまを描いているものですが、たいてい銃を持っているものがそのコミュニティの王者として君臨します。解り合えない同士は、銃で解決する社会構造が透けて見えるのです。
そしてもうひとつ、これが大事なポイントですが、『猿の惑星』を名乗っている以上、あの偉大なチャールトン・ヘストン主演のSF映画につながる要素が欠けているということです。光速で飛ぶロケットでたどり着いた惑星は猿が支配していた。そしてその星は実は…というあまりにも有名なプロットにつなげるためには、人類が少なくとも文明を失う前に、宇宙飛行士を外宇宙に放出している必要があり、今のところその兆候はみじんもありません。なので、この映画は続きものであるにもかかわらず、どこにもつながっていないという自己矛盾を起こしています。
例えば、宇宙飛行が無理なら、コールドスリープで砂漠に埋まっていたとか、何とでもなったはずなのに、人類が滅んだことを知らずに猿の文明に放り込まれる人物が出てこないまま話が進んでいくので、この先どうするつもりなんだろう?という疑問がどうしても消せません。今さら『猿の惑星』の看板も外せないし、どうやって収拾をつけるんでしょうか。
まだ完結編を見ていないので、この感想は的外れなのかもしれませんが、逆にその疑問が解消されない限りは、このシリーズそのものから興味を失ってもおかしくないことなので、時間をかけてのめり込むのが馬鹿らしく感じてしまいます。
変えられない流れ
新3部作の中では突出した出来だと思いました。
上映時間のほぼ大半を猿が占め、しかも鳴き声と手話が主なコミュニケーションツールというハリウッド大作にしてはかなり挑戦的でストイックな前提条件下で展開される、力強いストーリー。語られるのは、無くならない争いはこのように始まるのだと言わんばかりの普遍的かつ哀しい真理を孕んだテーマ。
それぞれの正義と思想が交錯する中、何とか争いを避けたいと共存の道を模索するも、その努力も虚しく決められたゴール(もしくはスタート地点)=戦争へと向かってしまう猿とヒトの運命。コロナ禍を経て決して絵空事ではないと痛感するパンデミックの恐怖と行動真理は、猿たちの映像以上にリアルで非常に見応えのある作品でした。
シーザーがカッコよく見えてくる
ブルーレイの感想
猿インフル後の世界
人間のエゴが見える
前作のシーザーが森に
入ってから十年の月日が流れた
ウイルスで淘汰された
人間が免疫を持つ者だけ
が生き延びた世界
電気を発電しようと森に入るが
そこはエイプの棲み家だった
人間VS猿の戦いだけど
人間は銃でもって猿を服させよう
とするが…
盗んだ人間の銃でシーザーを撃つ
銃さえあれば権力をもつ
エイプが
武器を持ったが為に
猿と猿の闘い
シーザーが…最も恐れていた
人間とエイプの全面戦争に
繋がってしまった
お互いに歩み寄る世界
になるかな~と思ったけど
この人間と猿の世界は
現在の国と国々との争い
を反映している様にも思える
銃を持つことで相手を征し
もっと多くの人を殺すために
戦車、ミサイル、核と殺傷能力の
高い武器を使うようになる
そしてお互いに殺し合い
滅亡する途をたどる
共存できると思った
…俺も
想い通りにいかない
無念さが残る
シーザーが主役です
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