「単なるヒューマンドラマとして見ないで」ラッシュ プライドと友情 tyjpnさんの映画レビュー(感想・評価)
単なるヒューマンドラマとして見ないで
映画ラッシュを見てきたわけですが、ここで拙筆を覚悟で感想を。
この映画は、まず「咆哮をあげて機銃掃射のうえを走りぬけるような自動車はサモトラケのニケより美しい」イタリアの芸術家で詩人の未来派の祖マリネッティの言葉のように自動車というテクノロジーそのものの美学が詰まっている作品として評価できるのではないでしょうか。響くエキゾーストノートからタイヤ、ステアリング、レーサーの装備に至るまで全てがスピードのために設計された無駄のないデザイン自体の美しさを「映像」として描く点は、これまでのハリウッド的ないわゆるカーアクションとは一線を画していて迫力満点でした。
この手の映画の定番パターンで「テクノロジーを描いてる中に熱いヒューマンドラマがある」という見方があります。この作品も現に邦題が「プライドと友情」となっていることや予告編の編集からその見解に図式化されてしまうのかなと思っていました。しかし、私が感じたのはむしろJGバラードが「クラッシュ」の中で述べたようなスピードというテクノロジーがむしろ人間そのものを変革し、自己の破滅への方程式を組み上げてしまうということでした。極限のスピードを生み出すハントとラウダという2人がテクノロジーを介して如何に変革されて行くかということについてのドラマだっように見えました。そして、前者が悪天候を顧みずアタックを続けるように、後者が大クラッシュの後の生還劇を演じるように、両者に漂う常軌を脱した「ヒューマンドラマ」であり、そこには人間としての肌と肌の交流というより、金属やタイヤの擦れる音や、エンジンオイルの鼻を刺す臭いといったテクノロジーの介入した交流という点こそがF1を描いて浮き上がる人間の新しい感性と言えるのではないかなと感じました。この感性を徹底したハントはチャンピオンとなり、妻との愛という古典的なヒューマン的要素が過ったラウダが敗れたということはF1を象徴しているラストシーンだったと思います。そして、それが享年45歳で逝ってしまったハントの死への媒介変数の設計の瞬間だったのではないでしょうか。
この映画をアクション映画の部分とヒューマンドラマの部分で分けて都合のいいように解釈するのではなく、その両部分が結合した最高に爽快であり、最高に不吉な物語として見てみることができるのではないでしょうか。