ブリングリング : 映画評論・批評
2013年12月10日更新
2013年12月14日よりシネマライズほかにてロードショー
女子たちのこの姿を見て「男」たちは何を思うだろうか
本作を見たあなたはきっと、こんな国には住みたくないと思うだろう。こんな国で子育てしたくないとも思うだろう。あるいは、もはやこんな世界の中で生きるしかないと思うかもしれない。これまで自分が生きて来た「生きる」ということの前提のどこかが軽々と踏み壊されて、その向こうにある空虚な広がりをいきなり目の前に突きつけられたような感じ。
例えば1960年代末、「イージー・ライダー」をはじめとするニューシネマの群れを見たアメリカの大人たちは、もしかするとそれらに対して似たような印象を持ったかもしれない。彼らにとってよく知っている場所のはずの荒野に立つ男たちの姿は、かつての西部劇の中の男たちとはまったく違って見えたはずだ。その男たちがそこにいるだけで、アメリカの荒野とよく似た姿を持つ広大な空虚が荒野の上に半透明の皮膜となって重なり合う。
しかし今や、そんな空虚に立つのは男ではなく女子たちである。空虚は荒野の中にではなく、彼女たちが暮らす住宅地の中に広がっているのだ。セレブたちの家に忍び込み盗み出した高級ブランド品を身につけた、彼女たちの姿がそれを示す。貧しき者が富める者から財を盗み出すのとは違う。そこには野心も夢も希望もない。「アメリカ」という「男」たちの生み出したもの。女子たちのこの姿を見て「男」たちは何を思うだろうか。主人公の男子高校生の柔らかで優しい姿に、この映画の希望が賭けられているように思う。
(樋口泰人)