ダイバージェント : 映画評論・批評
2014年7月8日更新
2014年7月11日よりTOHOシネマズ有楽座ほかにてロードショー
自分の居場所を求め、自分自身であろうともがく10代を可視化した近未来アクション
「ダイバージェント」は本国ではベストセラーとなったヤング・アダルト小説の映画化作品だ。どうしてこれほど、この作品にティーンが熱狂するのか。それは、劇中の未来世界を現実の10代の生活に当てはめてみるとよくわかる。ここに描かれている近未来世界では、社会は五つの共同体に分かれている。子どもたちはたった一度の適性テストを受け、どの共同体に所属するか、自分で選ばなくてはならない。農業に従事する穏健派の「平和」か、軍事に携わる「勇敢」か、研究職の「博学」か、物事の白黒を見定める「高潔」か、他者に奉仕する心を持つ「無欲」か。
このテストと共同体の在り方は、学校の交友関係によく似ている。子どもたちは学校という社会ですぐに自分の属性を見極め、資質が合ったところに所属しないと居場所を見失う。しかし、そのグループの特色は、大人の押しつけや互いの目を気にして作り上げた足かせに過ぎない。10代の子どもたちはみんな、心の底で自分のことを、現実に所属するグループとは違う異端者=ダイバージェントだと思っているのだ。
「無欲」の家族に育ったヒロインのトリスは、テストでどの共同体にもそぐわないダイバージェントだと診断される。その事実は伏せられ、彼女は自分の共同体を選ぶ儀式に参加するが、本来の資質とは違う「勇敢」を選択する。「無欲」に違和感を覚えていた彼女は、そこから自由になるためにチャレンジをするのだ。ところが、勇敢=体育会系の組織は甘くなかった。共同体の外から入って来た新メンバーは様々な試練を強いられ、訓練をクリアしていかないと脱落者としてはねられてしまう。やがて、共同体同士の力関係を揺るがすクーデターが始まり、彼女は社会の在り方そのものに疑問を呈し、それを揺るがす異端者としての自分に目覚めていく。
近未来のアクション映画という体裁を借りているが、これはれっきとした青春映画である。「The Spectacular Now」「The fault in our stars」といったYA小説を基盤とする映画のヒロインを務めるシャイリーン・ウッドリーは、だからこそトリスに適役なのだ。彼女のアクションは、自分自身であろうともがく子どもたちの内部の戦いが可視化された姿である。
(山崎まどか)